いちばん失敗した人決定戦

人に嫌われてばかりの人生に疲れてしまいました。
少し人とずれていたりダメだとわかっているのにやってしまう。人の話が聞けない、容姿も悪く自分に自信が持てず暗いし、おどおどして会話もまともにできない。仕事でも失敗を繰り返す。
そのせいか小さな頃から人に嫌われてばかりで教師やまで嫌われたり、いじめにもあいました。
学生の頃、自殺しようと首を吊ったこともありましたが死にきれず情けないことに今まで生きてきてしまいました。社会にでたら変わるかもしれないと思っていじめに耐えて就職しても
同じように嫌われ、転職してもまた同じ。手伝ってくれた家族に申し訳ないです。
病院にかかったところ、発達障害の疑いがあるとのことでしたが検査が受けられずそれきりです。
親には「そんなわけはない、お前は普通、落ち着きがないだけ」と言われてしまいました。

これ以上家族に、周りに迷惑をかけたくないのでもう死んでしまいたいです。
私はどう生きたらいいのでしょうか。こんな私でも生きなければいけないのでしょうか。

A 回答 (9件)

まず申し上げたいのですが、どんなに人とずれてて話を聞くのが苦手で不細工で暗くて人づきあいが下手でおどおどしていて仕事で失敗ばかりしていて過去にいじめられていて自分に自信がなかったとしても、だから死ななければならないという理由に到底ならないということです。


少々生真面目に考えすぎです。力を抜いて他人を基準とした評価からいったん離れてください。社会的な価値観は社会の都合の良いように決められたことです。それはそれとして自分の価値判断の基準を持ってください。

自分が何に対して興味があるが、楽しいと感じるか、何が嫌か、何が不快か。そのようなことを感じるようにしてください。楽しいことを見つけるようにしてれば気付いたら人も寄ってきますよ?

自分の欠点をあら捜しするのはますます暗くなるだけです(笑
今それに費やしている労力を少しでも楽しい、心地よいと思えることを追いもとめることに変えてください。

自分に自信がなくても、おどおどしててもいいじゃないですか。不器用でもいくらでも乗り越えられることがあることを知ってくださいね。
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「自分」が自身の中だけの存在だと思ってしまうと、一生その辛さから解放されることはないでしょう。


もし、「自分」の存在を正しく理解し、生かされている意味に気付くことができれば、まだ見込みはあります。
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発達障害については、テストが出来る病院でテストしてみてください。


しかし、おそらくはお医者さんからも言われるとは思いますが「障害があったとしても、それは治癒できるというものではない」というようなことは、言われてしまうと思うのです。
病気か?といえば、病気というものでもないと思いますし、あくまでも私見ですが「個性として付き合っていくしか無い」と思います。

社会というのは、障害の有無についても言えることですけど「多数決」が基本です。
だから、障害を持っている人が少数派であるかぎりは、社会の「仕組み」は、そうでない人を中心として組まれていきます。

…考えてみてください。
どうして「福祉」などというものが存在するのか?。
それは、福祉という概念を「作らないと」少数派…マイノリティーが生きられないからです。
そういった意味では、福祉というものはイコール「愛とか優しさとか」だけではない、ということになります。
マイノリティーが生きていける社会である、ということが「豊かな社会である証明」であり、それを自覚できることが、その国の民衆の「心の余裕」に繋がっていく。
…福祉というものは、つまり「社会の安定剤」として、必要不可欠な存在だと言えます。

人間は「みなが健全であること」を望む一方で、同時に「他者との格付け」をしたがるという生き物です。
これは大きな矛盾です。
社会そのものが「狂っている」部分を絶えず抱えながら動いている、と言えばいいでしょうか?。

そんな社会ですから…あなたが「ひとりで」もがき苦しむことは「あなただけの苦しみ」でしかありません。
まわりがみな健全であるわけでもなければ、親切な人達ばかりというわけでもない。
ご家族含め、もう少し社会というものに対して「疑問」を抱いていいと思います。
そして、もう少しだけ「欲張り」でいいと思います。
社会の中で生きているのは、あなただけでもなく、周りの人たちばかりでもない。
みながみな、適当に、社会というマスの中で、好きな様に泳ぎたいと感じつつも、その中から出る勇気を持てないのです。

だから…死なないでいいですよ。
社会そのものが「不健康」なのですから。
あなたが自分で、住みごこちがいい場所を見つけ、そこで生きていけるようにしていく。
それを探していく、ということです。
先に言ったように、福祉は「道具」でしかありませんから、使えるものは使って行ってくださいね。
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注意欠陥多動症ではないでしょうか。


検査を受けられて、そのように診断されたなら、健常者と同じように仕事するのは難しいでしょう。
>ダメだとわかっているのにやってしまう。
>人の話が聞けない。
>仕事でも失敗を繰り返す。
注意欠陥多動症の典型かと思います。

精神科で検査を受け、そうだと診断されたら障害者手帳をもらい、障害者枠で就職すれば、「普通の人」として就職するより、有利でしょう。企業側としても行政から補助金をもらいながらあなたを雇用できるわけですから。
収入が入れば、また、考え方もかわってくると思います。悲観的なことばかり考えずに済むと思います。

とにかく、なんらかの精神疾患が考えられるので、専門家を受診すべきです。
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アナタの命はアナタだけのものではありません。

アナタを産んで育てた親はアナタを今日までに育てる為にアナタ以上にアナタにも言えないくらいの苦労をしてきた事と思います。寝る間も泣く赤ちゃんだったアナタにミルクを飲ませ、オシメを替え、すぐに大きくなるアナタのカラダに様々に服を買い、病気になれば病院へアナタを抱えて…。アナタはアナタ一人で生まれてアナタ一人で育ってアナタ一人で大きくなったのではありませんよ。アナタが死んだらアナタの親は嬉しいのですか?アナタが死んで誰かが嬉しいのですか?アナタが生きていて誰かが迷惑するのですか?生きてください。生きる為に目的なんていりません。アナタが生きているだけでアナタの親は救われているのです。 アナタはどう生きていくかを聞かれましたが、生き方にマニュアルなんてありません。ただアナタが自分以外に守りたい人の為に生きる事です。今は親の為、いずれは愛する人の為、そしてアナタが親になればアナタの子供の為。アナタの事を必要な人が一人でもいる限り、アナタが死んで悲しむ人が一人でもいる限りアナタは飯を食い、飯を食うために働き、飯を食うために勉強をして、飯を食うために銭を稼ぎ、飯を食うために他人に迷惑かけたり、ケンカしたり、泣いたり、笑ったり、悩んだりと大変にしんどいけど生きるってそういう事です。誰かの為に生きるのです。その誰かの為に死んでは駄目なのです。長文になりましたが ワタシの従兄弟も何年も前に自殺で亡くなりました。何年経ってもその後悔で身内は悲しみが癒える事はありません。 くれぐれも間違いないでください。アナタはアナタの命を終わらせる事よりアナタの命を誰かの為に磨く事の為に生きてください。お願いします。御自愛してください。
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まずは家の手伝いで「買い物」等を率先してやりましょう



そうする事により 対人との会話も出来 それがキッカケになり 何かが変わる筈です

他人との接触を拒否すれば 殻に閉じこもり 家族だけとの会話になり 益々 自分を苦しめる事になります

家族は 其処まで行ったあなたを責める気にはならないから 甘やかす方向になる傾向があります

今のあなたには 甘えの感情は要りません

甘える事により 一時の寂しさは無くなるが 自立心を失うだけです

キツい事を言うかも知れませんが 死んでも 今の寂しさが変わる訳では無いので 生きてて それを克服するのが一番良い方法です
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
社会人になってからは実家を離れ、現在も他県で一人暮らしをしていますので買い物等は全て自身でやっています。
しかし寂しさはないものの家族には甘えてばかりですので変わらないといけないですね。

お礼日時:2014/09/15 10:17

いじめはいけないので、質問者さんが、いけないのではありません。

このような時代ですから。回りに気を使い配慮して生きて行くです。発達障害の症状何歳から、わかりますか?素朴な疑問です。回りには、いないので。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私も上手く気を使えるといいのですが…
少なくとも3歳の頃からおかしな子でした。
保育園でよく揉めていた記憶があります。

お礼日時:2014/09/15 10:22

生きる、生きないは最終的に質問者さんの判断です。


迷惑しかかけていないのですか?この世に質問者さんを必要としている人がいるはずです。
喩え家族しかいないとしても、
家族の人は、死なれるなら迷惑を望むはずです。

虐めている人ほど、あなたが心を開けば弱くなるものです。
死ぬほど辛くても、
自分が嫌いになったとしても、
周りを信じる勇気があれば周りの人は分かってくれます。

強気だから良いわけでもありません。
些細なことでキレる、自己中など、当たり前の世界です。
強気と勇気は全くの別物です。
強気は気が強いことですが、勇気は、気が勇ましい=いつもは弱気でも、
ある時に自分を出せる勇気。

あなたには誰もが羨むモノがあるはずです。
それは、
こうやって質問できる勇気です。
それが誰か分からないからだとしても、
その勇気を誇りに思えるようになれば、
少しずつ心が開けるでしょう。
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とにかくどんな簡単なことでもよいから、できることを丁寧に丁寧にやってみてください。

何か新しいことが出てきます。決してできないことをやろうとあせらないことです。
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