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両者の違いはなんでしょうか。そもそも会見で謝るのは義務ですか?

弁明や格好付けであり義務ではないのか、記者や被害者に頼まれたのか、それとも社会的義務なのか。

無知であり、申し訳ないですが教えてください。

A 回答 (4件)

これは日本の風習と思ってください。



中国の腐った鶏でのナゲット出荷事件で、他の企業はそろって謝罪会見みたいなことをしましたけど、日本マクドナルドはしなかったでしょう。
あの社長は日本人ではなかったからです。

アメリカでは謝罪会見というものは論外です。あそこは訴訟社会だからです。

企業のトップが自社製品が悪かったなどと公言しようものなら、返金どころではなく、賠償請求が一日で数万件出てきます。
告発されますし、裁判に持ち込まれたら大概負けます。なぜかというと、自分が悪いと認めたという記録があるからです。
せいぜい和解金を提示して訴訟を思い止まるように交渉するしかありません。

こんなことをしたら、企業自体が立ち行かなくなります。マクドナルド社長はそれを恐れたのです。
タイ産の鶏にしたから大丈夫だとか、そういうことだけ言う。管理を徹底させる、と自社社員の非は認めない。
中国産を使ったことに謝罪はない。

万が一、どう見ても自分の原因としか判断できないことがあっても、現在調査中だとか逃げて、俺が悪いとは絶対に言わないのです。

日本には、みそぎだとかハラキリという習慣があります。

サムライが、何か不都合をしでかしたとき髷を切ってつるつるに剃りあげて詫びにいく。
頭を丸めるというのは世を捨てて坊主になりますということです。
髷はサムライの命みたいなものですから、世を捨てる覚悟があるなら、何もいわないで許してやろう、という話です。
発生した問題が何であって、何が原因で現象が起きたか、ということを考えることを放棄してやろうと言う話です。

組織に問題があって、誰が何をしたからこの事故が起きたか、複雑でひとことで言えないような場合、ハラキリが始まります。
その長にあたるサムライが、殿さまの前に出て切腹し、介錯でクビ切られますから、死にます。
命をもっておわびしたということですから、そのものが率いていたグループはお咎めなしとする、という考え方があるのです。
だれそれが何をした、というのが問題だったかもしれず、だれそれのうっかりが事故になったかもしれないけど、全部、リーダーの命に免じて許す。

この習慣がある社会では、事故の抑止にはしばらくはなると思われます。
自分が不始末をしたらご家老様が腹を切らねばならない、となると厳重に注意した行動をとるはずですから。

これが日本の歴史上存在する慣習です。
だから、会社が不始末したときに、社長が出てきて禿げ頭をさげたり、辞任したりすることで、みそぎ、ハラキリという儀式なんです。

で、ここで私がいいたいのは、こんなことで許されると思うな、です。

事故は起きてしまったことなんだから事実です。
また、一度起きたことは注意したりすれば起きにくくはなるけど、再現する可能性があります。
2度ある可能性はゼロではない。そしたら2度あることは3度あるということわざになってしまいます。
事故直後は誰でも注意を怠らないと思うけど、時間がたてば担当者にも新人がくるし、ふりだしのころの不注意は復活します。絶対再現します。

何故こういうことが起きたか、起きた理由や原因は何だったか、製造方法や組織や報告の流れやいろいろ考えられることを調査する義務があります。
腹切ったから許してくれにはなりません。

これこれこういうわけで今回のことが起きたと判断しました。
今後このような形にすることで事故防止にプラスになると思います。
このご提案を受け入れていただいて、またわたしどもが活動をすることを許可いただけませんか。
これが本来の謝罪会見でなければいけないはずです。
その新たな方法でやれば、新人でも事故が起こしにくくなる。
ただし、それを採用することで、従来なかった別の種類の障害も発生する危険がありますから、その考慮もどの程度したか言ってもらう必要があります。

これは、一般的に品質の原則ですから、どこでもやらなければならないのですけど、なぜか謝罪会見でそうなっていない。
おそらくこれは、世の中全部を敵とみなす、というかクレーマーだと思い込むからです。

クレーマー対策の第一歩は、相手が冷静であるかどうかの判断です。興奮していたらまず相手の怒りの直接的表現を収めて冷静にすることです。

社会はすべて怒り狂っているだろう、とひとり合点するから、冷静にさせるために頭を下げてしまうのです。
頭を下げるというのは、「これきり、もう考えませんよ」という宣言であることを自分が興奮していてわからなくなっているのです。

これは企業の熟成度の問題になります。
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この回答へのお礼

大変参考になりました。マクドナルドの件は疑問にかんじていたので例に出してもらって助かりました。

お礼日時:2014/10/22 09:18

一般論としては、企業とは利益を目的としているわけです。


利益を求めるということの中には、「損失を最小に抑える」ということも含まれます。

企業で何かしらの不祥事が発生すれば当然損失が発生するのですが、その発生する損失をいかに抑えるかというのが不祥事後の対応の最優先の目的です。
もちろん損失の中には、既に発生した損失もありますが、風評などによる二次被害や将来における利益の減少も当然含まれます。

それらを予測した上で、どのような対応をするのがもっとも企業の損失を抑えることができるのかを判断します。
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http://www.kaiken-navi.com/category/index03.html

「会社の判断で、会社の都合で会社が手配して開く」ですね。

そもそもなぜ会見するかと言うと
いっぺんに大勢のマスコミに情報発信をする為です。

企業の不祥事があると
多数のマスコミが会社の広報室や
面識のある役員のところに
他社に先んじてスクープ情報を得ようと
電話攻勢をかけてきます。

一般の方や株主からかかってくることもありますね。
大変な数になります。

個別の電話対応では誤ったニュアンスが伝わることもありますし
今後の善後策は社会会議を開いて
会社として意見をまとめて、会見をした方が良い、
と社内の意見がまとまったら
いざ会見となります。

マスコミ各社・記者クラブにFAXで会見のお知らせを流します。

基本的にはマスコミ向けですので
それがテレビで報道されるかは、企業の社会的知名度によります。

>弁明や格好付けであり義務ではないのか、

義務ではありませんが、マスコミからの取材を
一括で裁く、同じ質問に何度も答えないで済む、
というメリットが企業側にはあります。

>記者や被害者に頼まれたのか、

記者の立場からすると、他社でなく自社のスクープに
したいので会見するメリットはあまりありません。

被害者に謝るなら、直接会社のトップが被害者の前に出向いて謝るべきであり
テレビを通じて一方的に謝罪の弁を語るべきではありません。
被害者からも企業に対して言いたいことがたくさんあるでしょうし。

企業からすれば謝罪会見で一時的に怒りを鎮める目的もあります。

>それとも社会的義務なのか。

お亡くなりになられた方や怪我・病気になられた方が
おられる場合は、人道的な観点から
企業トップが直接自分の口で
早急にお悔やみやお見舞いの言葉を伝えるのが
企業イメージを守るために必要です。

義務ではありません。
マスコミの人が記事にする為に「会見しろ!」ということは
ありますが。

参考URL:http://www.kaiken-navi.com/category/index03.html
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>両者の違いはなんでしょうか。



危機感の違い。危機管理能力の差だと思います。
謝ればいい。というものではありませんが。

>そもそも会見で謝るのは義務ですか?

義務ではありませんが、不祥事を起こしたうえで、
記者会見を開くくらいなんですから、
そこで謝罪がなければ、単なる言い訳としか
社会に対して捉えられず、自己の責任を否定、逃避
していると捉えられかねず、逆効果です。

不祥事に対して、事実関係を明らかにし、
責任関係を明確にすることで企業の社会的な責任を果たし、
反省と、今後の不祥事防止の道筋を明らかにすることで、
社会の許しを得る。と言うのが目的ですから。

それをしないなら、なんのための記者会見か。ということです。

社会の許し。とはなにか。ですが、
商品やサービスを一般に提供しているところであれば、
不買運動につながる恐れもある。ということです。
メディアの向こう側には一般市民、消費者が控えている。
ということです。なんとなく、あそこの商品は買わないようにしよう。
というのが一番怖いわけです。

いわば、謝罪会見は一種の謝罪贖罪ともいえますが、
もう一方では、再起のための宣伝ともいえるわけで、
うまく利用できるかどうかか企業のリスク管理能力ということになります。
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