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私は経営学部ということになってますが、金儲けに卑しさを感じることがあるタイプの人間ですし、企業という概念が嫌いです。自分は最も卑しい学問の人間であるということになっていると思います。
そこで思ったのですが、あなたは学問に貴賎はあると思いますか?別に、どうして尊い/卑しいかという理屈がわからなくても直感的に学問の貴賎の有無を感じるかどうか教えてください。

A 回答 (7件)

青色LEDがノーベル賞を取った話題があったけど、イグノーベル賞なんてものも世間にはあるしねぇ~

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> 自分は最も卑しい学問の人間であるということになっていると思います。



とおっしゃいますが

> 現代はこんなに生産性が上がっていて多くの人が働く必要がないのに世の中は未だに労働者で溢れかえっています。
> 私は企業とは世界をこんな風にしたシステムだと考えています。

では、それをどうするのが良いのか、を研究するのもまた、経済学なのでは?
ということは、あなたの理想を実現させる、もっとも尊い学問ということになりますよね。
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この回答へのお礼

ただただ実利を得るための学問、というので経営学は嫌いなんです。経済学はあるべき文明を実現するための学問の一つなのでそれほど嫌いではないです。そう考えると、経営学も倫理的な経営をするにはどうしたらいいかというようなことの研究も含まれますので全く卑しいだけとは言えないですね。
ほかの回答者さんの言ったとおり、貴賎は学問自体ではなくそれを利用する人間にあるようです。理解を深められました。ありがとうございます。

お礼日時:2014/10/19 21:55

学問の貴賤は面白い発想でそれ自体で社会学の学位がもらえるでしょう。


大体、ラザフォードの例が出てきましたが、「陛下のごとき」特例を除くと、
命なんかより実験器具が大切、のたぐいの人ばかりがなるのだから、
自分の研究が最も尊い分けで、そうでない人は、無駄飯食い。
この無駄飯食いが多いから我が国の学問レベルが上がらない。
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この回答へのお礼

なるほど、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/19 21:47

貴賤というものは、身分の上下を指すものですから、学問に適用するならば学問の格の話を指すことになります。

似たような例として、「職業に貴賤なし」という言葉がありますが、これはどの職業も必要なものですべて同格だという考え方です。同様にしてどの学問も人類の進歩のためには必要なもの(必要の度合いや社会への貢献度は違うにしても)で、上下関係にはないし、尊い/卑しいという区別のできるものではないでしょう。

昔、金箔実験で有名なラザフォードが、「科学は物理学か切手収集のどちらかだ」と言い放ったといいます。つまり物理学以外はとるに足らないもので物理学こそが王道だ、というちょっと偏った考え方で、人によってはそういう見方をする人もいるんでしょうが、それはその人の問題であって、客観的には学問に上下関係はないとみるのが自然です。ちなみにラザフォードはその後ノーベル賞を受賞しますが、それがノーベル物理学賞ではなくノーベル化学賞だったという落ちがついてます。その時の感想を聞いてみたいものです。

で、金儲け云々の話になると、なぜか日本人は金儲けは悪みたいな考え方をする傾向がありますが、何故でしょうかね。今の貨幣経済は金儲けなくしては成り立ちませんし、そうやっていままで発展してきたわけです。今現在そのシステムの恩恵を受けながら、金儲けは卑しいものだとする見方は、私は偽善だと思っています。経営をして金儲けをすることにより、多くの人に働く機会を与えて、彼らの生活を支えているわけですから、これは社会貢献の一つです。ルールを無視した金儲けは問題だが、そうでなければ金儲け大いに結構だと思いますね。
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この回答へのお礼

現代はこんなに生産性が上がっていて多くの人が働く必要がないのに世の中は未だに労働者で溢れかえっています。私は企業とは世界をこんな風にしたシステムだと考えています。あと、私もなぜか物理学って化学などより尊いものだと感じられますね。回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/19 13:32

  いいえ、無いと思います。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/19 13:32

 貴賤とは精神に由来するのですから単なるモノにすぎない(厳密には分野に過ぎない)学問には貴賤の別はありません。

マンガ学と言うものがあったとして漫画は立派に日本のアイデンティティですからマンガだからマンガ学が卑しい、下等だということはあり得ません。それは漫画が尊貴な分野だからではなく、分野というもの自体に貴賤の別がありえないからです。

 一方、貴賤とは精神に由来する価値ですから、経済学者の中にも卑しい者とそうでない者は居るし、物理学者でもアイドル学者でも同じです。

 これは例を替えるならば核兵器そのものに善悪が無いのと同じです。地球に衝突しそうな彗星を破壊する核兵器が善で貧しい独裁国を死滅させる核兵器が悪であるような気がするのは実は発射を命令した者の精神を論者がどう見るかという主観の反映にすぎません。

 司馬遼太郎のどこでだったか忘れましたが、安土桃山時代の大名家のオトナの誰かが秀吉のいる大広間かどこかの座興で金貨を回覧で見せられた時、扇子に乗せて金貨を扱いそのまま手にふれずに次へ渡して、拙者はかような不潔な物は触りたくないと言った、それを伝え聞いた家康のオトナが「一家のオトナが金を触らないなら誰が軍を動かして誰が政治をするのかね」と笑ったそうで、20年も前に読んだものをソラで書いていますから間違いもあるかもしれませんが私は家康のオトナの感想に同意したい気分です。兵卒の道徳と将軍の道徳の相違でしょう。

 貴賤とは個々の主観にすぎず本来根拠のいいかげんなもので、私が卑しいと言う物が私にとって卑しい、それだけのことですが、こんなことを考えるのも我が身を振り返る機会にはなりました。
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物事に貴賤はない。


あるとしたらそれを見ている人間の心、仕事を持つ個人の心に卑しさがある。

と思っとりますよ。
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この回答へのお礼

前の回答者さんと同じですね。ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/19 13:37

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