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光速で進む自転車があるとします

またがって、高速で進みます

右腕を自分の背中の方に伸ばして(4時の方向)、右手の平に懐中電灯を持ちます

その手の平は、自分の背中の横、4時の方向にあります

懐中電灯のスイッチをいれて、覗きます

何が見えますか(懐中電灯の光は見えますか)

A 回答 (5件)

補完されたご質問にお答えします。



光は、光源の移動速度に影響を受けず、常に光速で進みます。宇宙には様々な速度で地球から遠ざかる天体があります。しかし、どの天体から地球に届く光も、地上では光速と観測されます。この事実は、光は波としての性質を持っていることを表しています。高速で移動するモーターボートの起こす波も、どんぐりが落ちて起こる波も、その伝わる速さは同じです。近づく救急車のサイレンも、遠ざかる救急車のサイレンも、同じ音速で伝わります。

では、光とは何でしょうか。それを考えるには、何故光は光速を超えて進まないのかがヒントになります。光が粒子であれば、更にエネルギーを加えると、幾らでも速く動きそうです。しかし、現実にはその様なことは起こりません。それは何故でしょうか。

現在の物理学では、「超ひも理論」が最も有力視されています。そして、宇宙を次の様に想定します。
宇宙開びゃくの瞬間、宇宙は非常にエネルギーの高い状態にあり、個々の「超ひも」は自由に空間を動き回っていました。しかし、宇宙のエネルギーが、100GeVになった時、「超ひも」は第三回目の相転移を起こしました。相転移とは、水蒸気が冷えて氷となる様な現象を言います。水蒸気として自由に動き回っていた水の分子は、冷えて相転移を起こし氷の分子として固定され、もはや自由には動き回ることが出来なくなります。

ここからは、私のオリジナルです。
ビッグバンの初期には、「超ひも」は光速を超えて自由に移動していました。しかし、宇宙のエネルギーの低下に伴い、宇宙は相転移を起こし、「超ひも」は固定され網状に繋がったと考えます。

そして、その「超ひもの網」の上を、物質や光及び重力・電磁力・強い力・弱い力の4つの力は、振動として伝わると考えます。つまり、物質が移動して見える現象は、実は超ひもの物質としての振動が、次々と隣の超ひもに伝わる現象であると思います。そして、「超ひも」の振動自体が光速で伝わるので、何ものも光速以上で伝わることは出来ないのです。

超ひも理論では、物質も光も一本の超ひもの振動として表現されます。超ひもの長さをプランク距離Lと言います。振動が超ひもの端から端まで伝わるのに要する時間をプランク時間Sと言います。超ひもの振動は光速Cで伝わります。従って、
光速C=プランク距離L÷プランク時間S=L/S= 1.616199×10^-35m÷5.39106×10^-44秒=299,792.5km/秒となります。

ここで注意したいのは、1本の超ひも上を光は光速で振動として伝わることです。そして、真空中も同じ光速で光は伝わります。これは単なる偶然でしょうか。
真空中には、超ひもが繋がったものがあり、その上を光はそのまま光速で伝わっていると考える方が自然です。

本来は物質も光と同様に、光速で「超ひもの網」上を伝わろうとします。しかし、「超ひもの網」である空間にはヒッグス場があり、物質がその中を移動すると、ヒッグス粒子が生じ物質にまとわり付き動き難さである質量を与えます。その為に、物質は光速未満でしか動くことが出来ないのです。

この様に、私は、光も物質も「超ひもの網」上を伝わる振動であると考えています。超ひもの振動自体が光速で一本の超ひも上を伝わります。その振動が次々と隣の超ひもに光速で伝わってゆきます。上記の理由により、物質は光速にはなれませんが、ここでは、設問のとおり仮に自転車が光速で走ったとします。
懐中電灯と自転車に乗っている私の目とは距離があります。ですから、懐中電灯から光速で移動する私の目に光が到達すると、その速度は光速を超えてしまいます。上記のとおり光は光速を超えることは出来ません。従って、懐中電灯の光は永遠に私の目には到達しません。従って、懐中電灯の光を見ることは出来ません。

一方、光速度不変の原理とは、光の相対速度(光速で移動する私から見て、光が遠ざかりまた近づく速度)が不変であることを意味します。この場合、光の絶対速度は常に光速なので、永遠に私の目に光が到達しないので、「光速度不変の原理」は直接には関係してきません。

ここで、光速度不変の原理を説明しておきます。
「光速度不変の原理」とは、静止して光を観測しても移動しながら光を観測しても、光の速度は秒速30万キロと測定されると言うものです。
例えば、時速100キロの電車を静止して観測すると、その速度は時速100キロです。しかし、時速50キロの車で追いかけながら電車を観測すると、電車の速度は時速50キロと測定されます。時速50キロの車に乗って電車と対面する形で観測すると、電車の速度は時速150キロと測定されます。

移動する車から見た電車の速度を、電車の相対速度と言います。「光速度不変の原理」とは、光の相対速度は秒速30万キロで不変であると言うものです。つまり、光を秒速15万キロで並走しながら観測しても、同速度で光と対面する形で観測しても、光の相対速度は秒速30万キロで変らないというのです。これは、常識に反するため、大変理解しがたいのです。

ではなぜ、この様な考え方が必要だったのでしょうか。
電磁気力は、光の一種である電磁波が、電荷を帯びた物質間を往復することで生じます。そして、電磁気力の強さは物質間の距離の2乗に反比例します。つまり、電磁波が物質間を往復するのに要する時間の2乗に反比例するのです。
電荷を帯びた2つの物質が並走しながら電磁波を交換すると、静止している場合に比べて、電磁波の往復距離は長くなります。即ち、電磁波の往復に要する時間が長くなるので、生じる電磁気力の強さは弱くなる筈です。
しかし、現実には、静止していても移動していても、生じる電磁気力の強さは変りません。

この謎を説明するために、アインシュタイン博士は、移動する2つの物質から見た電磁波の相対速度は、秒速30万キロで不変であると考えたのです。これで、静止していても移動していても、電磁波は同じ時間で物質間を移動します。だから、生じる電磁気力の強さは、物質の移動速度にかかわらず不変となると説明しました。

しかし、幾らなんでも、秒速30万キロの光を秒速15万キロで追いかけても、同速度で光と対面しても、光の速度は秒速30万キロで変らないと言うことは理解出来ません。

そこで次のような思考実験を行います。
電荷を帯びた2つの物質を、一本の剛体の両端に取り付けます。そして、この装置を秒速vキロで移動させます。この2つの物質間を電磁波は往復します。
この時、電磁波の移動距離は、進行方向(横方向)に剛体棒を向けた時静止時の1/(1-v^2/c^2)倍、上下左右方向(縦方向)に向けた時静止時の1/√(1-v^2/c^2)倍となります。
一方、秒速vキロで移動する物質は「ローレンツ収縮」し、横方向に√(1-v^2/c^2)倍短くなります。従って、剛体棒の長さは、横方向に√(1-v^2/c^2)倍短くなるので、電磁波の横方向の往復距離は、静止時の1/(1-v^2/c^2)×√(1-v^2/c^2)=1/√(1-v^2/c^2)倍と、縦方向の往復距離と同じとなります。
この仕組みにより、マイケルソンとモーレーの実験では、縦方向に往復させた光と横方向に往復させた光とが、同時に戻ることが出来たのです。

従って、秒速vキロで移動する場合、電磁波の往復距離は静止時に比べて1/√(1-v^2/c^2)倍となります。つまり、電磁波の往復時間は、静止時の1/√(1-v^2/c^2)倍となります。
一方、高速で移動すると物質は動き難くなります。この現象は、粒子を加速器で加速する際に見られます。粒子は光速に近づく程、加速し難くなります。秒速vキロで移動すると、静止時の√(1-v^2/c^2)倍しか動けません。従って、時計は1秒間に√(1-v^2/c^2)秒を刻む様になります。
こうして、秒速vキロで移動する慣性系では、電磁波の往復に要する時間は、静止時の1/√(1-v^2/c^2)倍×√(1-v^2/c^2)倍=1倍となります。つまり、電磁波の往復に要する時間は、移動速度に関係なく不変なので、生じる電磁気力の強さも移動速度に影響されず不変なのです。

この様に、現実には往路と復路の光速度は異なりますが、物理学の計算上一々往路と復路の光速度よりそれに掛る時間を計算し、生じる電磁気力の強さを求めることは無駄です。
生じる電磁気力の強さは、電磁波の往復に要する時間の2乗に反比例するのであり、往復に要する時間は不変なのですから、往路と復路共に光速度不変と仮設して計算します。

その様に仮設したのがローレンツ変換
(1)t’= (t-Vx/C^2) / √(1-V^2/C^2)
(2)x’=(x-Vt)/√(1-V^2/C^2)
(3)y’= y (4)z’= z (5)C’=C
です。

物質には質量があるので、上記のとおり高速で移動すると動き難くなりまたローレンツ収縮する為、光速度が不変と測定されます。
x=光の進んだ距離=Ctkm、t=光の進んだ時間、V=もう一方の光の速度=Ckm/秒を(1)と(2)に代入すると
x'÷t'=C
と光速度不変となります。

この様に、様々な速度で移動する物体から見た光の速度は常にC速度と観測されると仮設して、物理計算をします。様々な速度で私が光と並走しても、私の時間がゆっくり経過するので、ゆっくりと進む光を見ても、光速と測定されるのです。しかし、ご質問の様に、私が光速で移動すると私の時間は止まってしまうので、光の速度を測定することが出来なくなります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
大変難しいです

お礼日時:2015/01/07 21:35

光速の自転車はあり得ないのに、あるとした前提なら。


ふつうに考えると懐中電灯も光速で追いかけてきているので右手の腕の距離なんて0と同じ。
あり得ない前提を無理に設定すれば、無理を通せば道理が引っ込む、のたとえの通り、光速不変の原則が引っ込んでも何の不思議もありません。
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#1です。



私はきちんとあなたの質問を理解していますよ。
なんだったら6時の方向に懐中電灯を固定して、後ろに目が付いていることにしてもいいです。
それでも懐中電灯の光は見えます。

あなたの考えているように、ある絶対静止座標を仮定して、そこに対する観測者の速度によって光の速度が違って観測できるということになると、マクスウェルの方程式が成り立ちません。
これはヘルツが考察したのが知られているので、科学史の方ではヘルツの方程式として知られています。
あなたの自転車が絶対静止座標に対して光速で走っていても、"静止"しているときと同じように物理法則が成り立つなら、光の速度は変わらないです。

私は光の速度とは電磁場の性質の一つであると言ってもいいと思います。
光の速度は真空の誘電率と透磁率だけできまります。
観測者の絶対速度によって誘電率と透磁率が変わってくるとなると、それはそれでさらに不可思議なことになります。

そんな中でありそうな答えは光を伝える媒質-エーテル-を仮定することでした。
ただその場合は地球上で光の速度を観測すると、光の速度が方向によって変わってくるはずです。地球はエーテルの中を移動しているのですから。
それを観測しようとしたのがマイケルソン-モーリー-の実験です。
結果は失敗で、どの方向にも光は同じ速度で伝わることがわかりました。これは、エーテルなんてものはないか、たまたまマイケルソン-モーリーの実験した場所がたまたまエーテルに対して静止していたかどっちかです。

こういう仮定を経て光速不変の原理は確立されてきましたし、相対性理論の大前提にもなっています。
ついでに言えば、あなたの光速の自転車から進行方向にポールの投げるのはなんの造作もないことです。ただし、あなたが光速で走っていると観察している人からは貴方からボールが離れたようには見えません。実際、観察している人からはあなたや自転車自身の厚みも0に見えるはずです。
重量もそうです。あなたの体重が60キロなら、その光速の自転車の上で測っても60キロです。ただし観察している人からは質量が無限大あるように観察されます。ちなみに速度が光速に近づくと、観察者からは質量が無限大に発散していくように見えます。無限大に発散した質量というのもなんだかわかりませんし、無限大に発散した質量の物体をそれ以上加速させることはできそうにありませんから、だから物体は光速を超えることはできないといわれているのです。

ようするに、自分が見えている範囲では自分が絶対静止座標に対してどんなスピードで動いていても、全てのことはなにも変わらないように見えるということです。
慣れればそっちの方がよっぽど快適な考え方ですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

回答者2の方との考え方の違いはどんな点にありましょう

お礼日時:2015/01/03 22:47

物質は光速で動く事は出来ません。

しかし、亜光速で移動することは出来ます。その時、物質には2つの変化が起こります。「ローレンツ収縮」と「物質変化の遅れ」です。

まず、何故、物質は光速を超えて移動することが出来ないのかから考察します。
現在の物理学では、「超ひも理論」が最も有力視されています。そして、宇宙を次の様に想定します。
宇宙開びゃくの瞬間、宇宙は非常にエネルギーの高い状態にあり、個々の「超ひも」は自由に空間を動き回っていました。しかし、宇宙のエネルギーが、100GeVになった時、「超ひも」は相転移を起こしました。相転移とは、水蒸気が冷えて氷となる様な現象を言います。水蒸気として自由に動き回っていた水の分子は、冷えて相転移を起こし氷の分子として固定され、もはや自由には動き回ることが出来なくなります。

ここからは、私のオリジナルです。
ビッグバンの初期には、「超ひも」は光速を超えて自由に移動していました。しかし、宇宙のエネルギーの低下に伴い、宇宙は相転移を起こし、「超ひも」は固定され網状に繋がったと考えます。
そして、その「超ひもの網」の上を、物質や光及び重力・電磁力・強い力・弱い力の4つの力は、振動として伝わると考えます。つまり、物質が移動して見える現象は、実は超ひもの物質としての振動が、次々と隣の超ひもに伝わる現象であると思います。そして、「超ひも」の振動自体が光速で伝わるので、何ものも光速以上で伝わることは出来ないのです。

超ひも理論では、物質も光も一本の超ひもの振動として表現されます。超ひもの長さをプランク距離Lと言います。振動が超ひもの端から端まで伝わるのに要する時間をプランク時間Sと言います。超ひもの振動は光速Cで伝わります。従って、
光速C=プランク距離L÷プランク時間S=L/S= 1.616199×10^-35m÷5.39106×10^-44秒=299,792.5km/秒となります。
ここで注意したいのは、1本の超ひも上を光は光速で振動として伝わることです。そして、真空中も同じ光速で光は伝わります。真空中には、超ひもが繋がったものがあり、その上を光はそのまま光速で伝わっていると考える方が自然です。そして、私はこの理由により物質は光速未満でしか移動出来ないと考えます。

次に、亜光速で移動した時に起こる物質の変化です。
物質は、光速に近づくほど動かし難くなります。例えば、Vkm/秒で移動する粒子を、進行方向に向かって上下左右方向へ動かします。その方向へ動かせる限度は√(C^2-V^2)km/秒までです。この時、粒子の速度は、√{V^2+(√(C^2-V^2))^2}=Ckm/秒となります。これ以上粒子が、上下左右方向へ動けば、その速度は光速を超えてしまい矛盾します。
静止時には、その方向へはCkm/秒まで動かすことが出来ました。従って、V慣性系では、静止時の√(C^2-V^2)km/秒÷Ckm/秒=√(1-V^2/C^2)倍しか動かせないことが分かります。

これを相対性理論では、m=m0/√(1-V^2/C^2)と表わします。m=Vkm/秒で移動する物質の質量・m0=静止時の物質の質量です。Vkm/秒で移動する物質は、質量が1/√(1-V^2/C^2)倍に増えた様に振る舞うと表現します。但し、実際に質量が増加する訳ではありません。同じ力を加えても、質量が2倍になると動く速度は1/2倍となります。ですから、静止時に比べて√(1-V^2/C^2)倍しか動かなくなったので、その様に表現するのです。

この通り、高速で移動する時計の内部構造は静止時に比べて√(1-V^2/C^2)倍しか動かないので、1秒間に√(1-V^2/C^2)秒を刻む様になります。これを、相対論ではt’=t*√(1-V^2/C^2)と表します。

次にローレンツ収縮です。
Vkm/秒で移動すると、物質は進行方向へ√(1-V^2/C^2)倍収縮します。これをローレンツ収縮と言います。電子は、原子核の周りを高速で回転し、その遠心力と原子核に引き付けられる電磁気力の釣り合う一定距離を保っています。原子が高速で移動すると、電子は回転し難くなります。その為に遠心力は弱まります。原子核の電磁気力も弱まります。しかし、縦質量増加よりも横質量増加の方が大きいので、物質の進行方向へは電子は縦方向よりゆっくり動きます。それだけ、横方向は遠心力が弱まるので、電子は原子核の電磁気力に引き付けられ、原子自体が横方向へ収縮することになります。

もし私が光速に達すると、それ以外には動けないので、私を構成する粒子の相対位置は変化しなくなります。つまり、物質としての変化は止まります。また、私は進行方向へは厚みがなくなりぺしゃんこになります。

質問者さん、この様に物質は質量を持つので、光速に達することは出来ません。従って、幾ら速く自転車を漕いだとしても、光速に達することは出来ないのです。
仮に、達したとすると、私の体を構成する粒子はそれ以外の方向には全く動くことが出来ません。少しでも動くと光速を超えてしまうからです。そうなると、物質の結合離反は進まず、物質の反応は止まります。私は動くことを止め、思考も止まり、年を取らなくなります。そうなると、何も見ることは出来ません。
仮に、見ることが出来るとすると、光のと同じ速さで移動しているので、懐中電灯から発した光は懐中電灯のある場所から少しも進むことは出来ません。従って、懐中電灯の光を見ることは出来ないでしょう。
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この回答へのお礼

見えますか、の問いかけは、
懐中電灯の光が、光速で動いている自転車に跨っている自分の両目に届きますかの意味です
(自分の体が光をキャッチできなくなる意味で尋ねようとするものではなくて)

最後の行にある回答は、見えない(懐中電灯が光速で動いているので)

回答者1の方とは、真逆のご回答?に見えます

光速不変は何か関係あるのでしょうか

お礼日時:2015/01/03 19:45

見えます。


それが光速不変の原理と言われるものです。

その自転車が音速で進んでいて、懐中電灯の代わりにスピーカーを持っているとすると、そのスピーカーからの音は聞こえません。
これは無風の状態に対して自転車が音速で進んでいるという場面を想定しています。

しかし光の場合はそういうふうには考えることができません。
例えば、光速で進む自転車ということですが、何に対して光速であることを想定されていますか?
まさにその答えが見つからないことが、光速不変の原理を前提とする理由です
空気が音を伝搬するように、光を伝搬する媒質があると考えられていたこともあります。その場合はその媒質に対する絶対的な光速というものが考えられます。しかしそういう媒質は確認できませんでした。

そして今のことろ光速不変の原理が成り立たないことを示唆する実験結果や観測結果はないはずです。
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この回答へのお礼

質問文章を念のために書き直せば、
光速で動く自転車があるとして
それに跨り進みます
さあ、光速にまで辿り着きました(質量があるからたどりつけないが、たどり着いたとしましょう)
進行方向前方が、時計版にたとえて12時の方向、背中が6時の方向です
右腕をまっすぐ真下に垂らして、4時の方向へまっすぐ伸ばします(背中よりも後ろ)。
その右手に持っている懐中電灯のスイッチをいれて、12時の自分の顔の方向へ向けるのです
懐中電灯の光はみえますか

答え:見える。光速は不変。
光速の自転車に跨った自分の目に、懐中電灯の光が届くのか、なぜ見えるのでしょうね

お礼日時:2015/01/03 19:33

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