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なぜ法隆寺の五重塔は1000年以上も建築物が保たれているのでしょうか。腐敗したり、火災で燃えたりしなかったのでしょうか。

A 回答 (5件)

建てたままにして1000年使い続けていた訳ではありません。


日本の神社仏閣などの巨大な木造建築物の維持には解体修理という手法が取り入れられてきていました。
このことについては法隆寺が世界遺産に登録される際にもユネスコの外国人委員との間で議論がありました。
諸外国の遺跡は全て造られた時の状態のまま今日まで伝えられています。
これを基準にして考えれば、バラバラに解体して再度作り直したのは遺跡ではない、ということになります。
この解体修理という技法も含めて今日まで伝えられている建築物であるという理解を得るのに相当時間がかかったようです。

解体修理と言う技法が使えるのは、日本古来の木組みという技術があるからやることができた技法です。
木組みというのは、木と木を組み合わせるときに、金属など別な部材を当たり、釘やボルトで止めるのとは全く違う手法です。
組み合わせる木のお互いに凹凸をつくってやり,それをはめ込むことによって木同士を目的の形に作り上げていきます。
はめ込んであるだけですから、簡単に取り外せます。
この組立方法が結果として、耐震性を向上させています。
詳しくは下記のサイトをご参照ください
建築工房零 - 木組みの構造
www.zerocraft.com/skillroom/37-structure.html

【木組みの家(1)】通常の木造住宅とは似て非なる、本来の日本の伝統 ...
www.homes.co.jp/cont/press/buy/buy_00167/

you tubeにも沢山の動画があります
日本の伝統木組み - YouTube
www.youtube.com/watch?v=ufqmiIqfGDc

腐食に関しましては、日本建築は通風に優れていることと諸外国の建物に比較して軒が深く、建物の主要部分に雨がかかり難いという構造が大きく寄与しています。
後は、使われている檜という用材が高湿度下での腐食に強いという特性があります。
檜は浴槽や桶などにも多く用いられている用材です。
レバノン杉や米松などの用材を使っていれば、相当早く腐食してしまっていたでしょう。
(レバノン杉はエジプト遺跡の木材として使われていました。米松は今でも合板として沢山使われています)
法隆寺の柱などの用材の表面を削ると、今でも新鮮な木部が現れることが確認されています。
このことについて解体修理を請け負っていた宮大工の棟梁の話が残っています。

「物のいのち」 へのっっLみ
ville.jp/tokyo_terakoya/images/pdf/No49_3.pdf

法隆寺の木は生きている、という表現をされています。

法隆寺は歴史的に東大寺の大仏殿のように戦火に会うことがありませんでした。
又応天門のように放火されることもありませんでした。
これは、政治の権力闘争とは縁が薄かったことが幸いしたのではないのでしょうか。
一度、金堂と呼ばれる建物が、横着な僧侶が使った電気座布団の不始末で焼失したことがあります。
幸い五重塔は延焼から免れました。

ほかのスレで法隆寺に関するレポートを作成されなくてはならないようですが、五重塔を切っ掛けとされて古建築技術を伝承してきた最古の木造建造物として纏められては如何でしょうか。

現在、薬師寺を始めとして数多くの古建築物が解体修理を受けたり、復元されたりしていますが、この工事の中核となっているのが、法隆寺の解体修理を創建以来続けてきた宮大工の一族です。
逆に言えば法隆寺が残っていたからこそ、技術が伝えられ、今日の復元工事が滞りなく行うことができる、ということもできます。
法隆寺は、現在も社会にも貢献し続けている、と考えても差し支えないのではないのでしょうか
下記サイトをご参照ください
西岡常一 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/西岡常一

修理の進め方 - 京都府教育庁 文化財保護課 - 京都府教育委員会
www.kyoto-be.ne.jp/bunkazai/cms/?page_id=48

蛇足
法隆寺の五重塔のみならず、日本の五重塔は歴史的に地震で倒壊したものがありません。
これは、前述した木組み構造に加えて、心柱と呼ばれる長大な角柱を懸垂してあることによります。
注)心柱は柱という名称からくる印象とは違い、建物を支える機能は全く持っていません。
詳しくは下記のサイトをご参照下さい

五重塔は耐震設計の教科書【プラント地震防災アソシエイツ】
pedpa.co.jp/library/tower.html

この古い日本古来の技術は東京スカイツリーにも使われています。
you tubeに動画があります
東京スカイツリー心柱・制震装置(NHK BS放映)
投稿者:寺井貞夫

参考文献
法隆寺を支えた木 西岡常一/小原次郎 NHKブックス
宮大工千年の知恵 松浦昭次 祥伝社
宮大工千年の手と技 松浦昭次 祥伝社
宮大工と歩く千年の古寺 松浦昭次 祥伝社
木のいのち木のこころ 西岡常一 草思社

 
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法隆寺五重塔はヒノキ材で製作されていますが、ヒノキにはヒノキオールと言う防虫・殺菌・防カビ効果のあるフィトンチッドが、伐採後も長期間発散される事が現在では解っています。

(ただしヒノキオールに対するアレルギー体質の人もいるので建材として最適かどうかは人による。温泉などで浴槽に使われる理由のひとつ)

また、法隆寺の調査でヒノキは伐採後1000~1200年程度まで強度を増して行き、そこから強度が落ち始めると言う説もあります。
前述のヒノキオールの件と合わせ、ヒノキは伐採後もかなりの期間、木として生き続けているのでは無いか、と言う人もいますが、こればかりは推論や結果論と言う部分もあるのではっきりとした事は解っていません。

またヒノキの生育時の状況(北側に面した部分は生育が悪く、南側は生育が良いなど)を建築時に考慮し、向きを合わせて使用した事など、当時の宮大工の技術もさる事ながら、材料の選定などがかなり贅沢に行われた事が解ります。

元々五重塔は仏舎利(経典を納める為の物)であり、居住スペースなどを考慮する必要が無い分、強度は高められる傾向にあります。法隆寺五重塔に関して言えば、外観は5階建てですが内部は2階建て構造ですし、中心を心柱が貫き、建物と心柱がそれぞれ独立した構造になっています。

一般の家屋では柱と外壁で強度を保つ構造になっていますが、法隆寺の心柱は周囲の構造物と接触しておらず(最上階の屋根は吊り下げ構造)、当初から法隆寺の柔構造が耐震性を意識して建築されたものかどうかは現在では疑問視されています。(結果的には耐震性を証明していますが)

京都が戦火に見舞われたのは応仁の乱くらいですし、第二次大戦で京都が空襲の目標から外されたなど幾つかの幸運があったのは確かです。それに加え、当時仏教を通じて日本の統制支配をするシンボル的存在だった為、予算が贅沢にかけられた事、適切な補修保全が行われてた来た事も影響していると思います。
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奈良時代に1度落雷で燃えてますが…



まぁ
法隆寺もそうですが
木造建築と言うのは往々にして年数に強いのです
特に寺社仏閣は宮大工さんが作った職人技ですから
下手な現代建築よりも耐震なんかに優れています
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火は原則使われません。


木材は精選されるので簡単には腐敗しません。
北には北向きの木、南には南向きの木が使われ(適材
適所)、内部は均整の取れた外部とは異なります。

驚異的なのは「免震」だということです。
多くの地震に耐え、健在だということす。

心柱は当初浮いており、時間の経過と共に重みで下がり
敷石の上に着地します。
各階は心柱を中心に組み合わされており、このため地震の
振動に各々が各々ガタガタ動き、共振を減衰します。
こうして地震を免れてきたのです。  
    http://pedpa.co.jp/library/tower.html
棟梁の話です。
    http://www.kazabito.com/blog/log/eid194.html
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1000年以上前だからと言って、現代までそのままの状態で残ってきたわけではありません。


破損したり腐食したりした個所は時代時代で補修をしてきたからです。
そのため、現存していても創建当時からの木材は一部しか残っていません。
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