No.1ベストアンサー
- 回答日時:
省略されているのは、
「(汽車に乗った)島村が」
あるいは、
「(島村の乗った)汽車が」
どちらか、ということですね。
なかなか難しいですが、後に続いている文を含めて検討してみます。
【 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
向こう側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。】
この文脈からすると、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」という冒頭部分は、島村の視点で客観的に見たり感じたりした光景であると考えていいような気がします。
よって、わたしとしては、『(汽車が)国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。』という意味に解釈したいと思います。
早速のご回答ありがとうございました。
ご説明を私が正しく?理解しているとすると、次のようのなるのですね。島村は、汽車がトンネルを抜けて、雪国を見た。
含蓄のあるご解釈でした。
No.9
- 回答日時:
誰が…「島村」でしょう。
何が…「汽車」に他なりません。
質問の意図が分からないのですが、「主語」がない、ということが言いたいのでしょうか?
もっと、文学的な解釈をすると、読者の「日常」が「非日常」に「抜けた」のだと思いますが、答えになっていますか?
最初は、意図など意識していないのでしたが、今振り返ってみると、主語とか主題が見当たらないので、情景が分かりずらいな、と思っていたことが、発端でした。
しかし、沢山のご回答を頂いているうちに、この冒頭が、主語とか主格とかを越えて、大切な部分であるな、と感じ始めました。
今回も、新しい見方を頂きました。トンネルを抜けて、読者が物語の世界に入り込むる、すなわち
<読者の「日常」が「非日常」に「抜けた」>
と言うことですね。
No.8
- 回答日時:
過去のご質問を思い出しました。
日本語に主語があるか、ないかという質問でしたね。A.「日本語の文は『主語』と『述語』から成り立つのが基本である」という立場の人
B.「日本語はの文は『述語』だけで成り立つ」という立場の人
このように分かれはするものの、「乗り遅れた」という文をみれば、「これだけでは意味が分からない。『~が』『~に』が無いとね」というでしょう。「(わたしが)(電車に)乗り遅れた」とすれば、問題ありません。
すなわち、どちらも「わたしが」という「主語」(または「主格補語」)を必要とする場合があることは同様なのです。A.の立場では、「主語」「述語」に「電車に」という連用修飾句(帰着点を表す位格)が必要になります。
B.の立場では、「述語」以外に「わたしが」という「主格補語」とそれ以外にも、「電車に」という連用修飾語が必要とな ります。
そうすると、どちらも同じじゃないかと言うことになりそうです。しかし、違います。「富士山だ。」「あっちへ行け。」「いい天気だな。」だけで一文になると考えるのが、B.の立場です。A.の立場だと、これらは「主語の省略」とか、「主語が不要な場合」とかいう説明がいります。
さて、今回のご質問には上記のことと係わりなく、「主語」(または「主格」)を言わないのが普通と回答しました。文法上の問題ではなく、表現法上の問題なのです。「汽車」が主語または主格とすると、乗客とりわけ島村からすれば放置されたような感じだし、といって「島村が」とするのも、変です。そんな長いトンネルを自力で抜けてきたとも感じられませんから。結局No.5の方がおっしゃる「視点」というのも当たっているかも知れません。
ちょっと角度を変えて映画のシーンを考えてみましょう。いくつかのカットからなる汽車の中のシーンは、車内の(島村を中心とする)乗客と暗い窓ガラス。その窓に乗客の姿が反射して映し出される。汽車の車輪がレールに触れて出る音とトンネルの壁に反響する騒音。次のシーンでは突然その音響から解放されて、相変わらず暗い窓ガラスの下方だけが仄白くなる。(「夜の底が白くなった。」という描写がくる)これが「トンネルを抜ける」の部分です。
決して無いだろうと思うシーンは、「トンネルの出口が映る。そこから汽車が顔を出す。」です。これだと、確かに「汽車がトンネルを抜ける」ですね。しかし、そうではなくて汽車と乗客が一体となったものが抜けた感じがします。
国境の長いトンネルは特定の意味を持つようにも考えられますが、「国境」は古い国名の「上野(こうずけ)」と「越後」の国境で、現代で言うなら「群馬」と「新潟」の県境に過ぎません。「清水トンネル」が開通した三年後にこの「雪国」が書き始められました。作者の川端が湯沢温泉に通うようになったためにこの作品ができたわけです。全長10kmに近いこのトンネルは確かに長く、当時としては最長を誇ったといわれます。余りに長いために、当時では珍しく電化されていたということです。また谷川岳という高山の下を通っていたためトンネルと平地との高低差が大きく、トンネルの両側にループ状の線路を延ばして勾配を調整していたようです。次のUrlを参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4% …
当時としては珍しい、このトンネルについて触れることもなく、「国境の長いトンネルを抜けると」とさらりと表現したところは、主人公島村(ひいては作者)の目指すのが湯沢温泉であったことを示していると言っていいかと思います。
なお、最初は単線だったため、上りと下りを交互に通すため、信号所を設けて列車の待避場所を作ったのでしょう。
「夜の底が白くなった。」の部分が、前回言った「新感覚派」らしい表現で、若いときのわたしは何とも感激したものでしたが、その後いろいろな表現法にふれて、いまではそれほどには思いません。
再度のご回答でありがとうございました。他の質問でもお世話になりました。
その質問に関係して、主語(主格など)が不明なため、いろんな状況がとれますね。
別な視点から、すなわち映像の面から、説明して頂きました。
<トンネルの出口が映る。そこから汽車が顔を出す。>
というシーンはないでしょうね。ただし、英訳を忠実に撮影すると、この場面はありえますね。
通俗的かもしれませんが、私なら、やはり
<暗い窓ガラス>
と社内の光景で、絵を造る、と思います。ただし、原文に沿っているのか、と詰問されたら、黙り込んでしまいますが。
No.7
- 回答日時:
NO6です。
追記させて頂きます。先日酔ったついでにした回答に、ご丁寧に返答頂き、恐縮です。
さて、今日も通常通り酔っていますが、それでもお返答が嬉しかったので、追記致します。
「国境の長いトンネルを抜けると」の表現が、実は曲者だと、思っています。
何故、トンネルなのか?何故、長いのか?
私には、彼が、「別世界」を強調しているように、思えます。
通常読者が帰属する世界から、長くて、暗いトンネルを視覚的に、抜けさせること
によって、読者の視線や思考を、常では無い、別世界に導く(私に言わせれば、強制的に)、
仕掛けに思えます。
小説で最もエネルギーを投入されるのは、最初の一文でしょう。
その目的は、結局、読者を自分の構築する世界に引き込む事だと思います。
そうしなければ、読んでもらえない。
しかし、この文章が、上手すぎるのか、力が強すぎるのか、解りませんが、
私には作為が強すぎるように感じられます。
「夜の底が白くなった。」
この辺りで、臭くて堪らなくなります。
おしゃれで、素敵な、独創的な表現ですが、「夜に底なんか無い。」と凡才は
思ってしまいます。
だから、2行でこの本を捨てました。
質問者さんが、何の目的でこの質問をされたか存じませんが、まあ、アル中の
たわごと、思って頂ければ幸いです。
再度のご回答ありがとうございます。
長いトンネルとは、
<読者が帰属する世界>
であり、川端は、読者をそれから抜けさせ、
<読者を自分の構築する世界に引き込む>
のですね。独自で含蓄のある見解ですね。
<臭くて堪らなくなります。>
もあります。
私は、この雪国を何も考えずに読んでいました。最近、日本語に主語が在るとか無いとかの本にぶつかりました。その本の中で、この小説の英訳では、trainが抜ける、となっていることを知りました。この雪国を改まって読み返してみると、何だかわからなくなり、皆様のお知恵をお借りしょう、と思ったわけです。
No.6
- 回答日時:
この方の小説は、個人的には、鼻に付いて、嫌いだったので、雪国も、
この辺りの、文章で、嫌気がさして、読んでいません。
もう、何十年も昔の話です。
今回、改めて、この一文を読んで、独断で、読者7割、主人公3割、位に
感じました。
詰まり、この物語に、川端は、読者を強制的に引き込みたかった、と言う
印象を受けました。
引き込んで、それを次の瞬間、主人公目線に置き換える。
そんな狙いを感じます。
いつのころからか、このような純文学は臭くて、付き合いきれなくなりましたが、
それでも、偏見の目線で見ても、うまい、と言う事かも知れません。
でも、作為の塊のようにも、思います。
まあ、文学と別世界の、年寄の愚痴なので、通説とは違うと思いますが。
ご回答ありがとうございました。
<川端は、読者を強制的に引き込み>
<読者7割>
なのですね。そして、
<次の瞬間、主人公目線に置き換える。>
のですね。私には思いも付かなかった・ユニークな解釈で、いろいろ考えております。
No.4
- 回答日時:
>トンネルを抜けたのは、誰が、あるい何が、ですか?
そういう主格を言わないのが日本語なのです。まして「新感覚派」と呼ばれた「ヤーサンアリ・クーワバッタ」のようにできるだけ修飾語を省こうとしたのだから。(もっとも、「新感覚派」としての特徴は、横光利一の方が目立ったのですが)
「乗っている乗客と汽車が一体となったもの」が、トンネルを抜けたのです。E・G・サイデンステッカー さんは、源氏物語を訳したほどの人ですが、英訳となれば主語を書かざるを得なかったのでしょう。「列車」を主語にしていますね。もっとも、人間がトンネルを抜けるという感覚にはなりにくいですね。
しかし、「ヤーサンアリ」とか「シンアムーラ」としたのは、日本人と思われる西田晃氏によるのでしょうね。これはこれで、楽しいコメントですが。
早速のご回答ありがとうございました。
先日も、主語のありなしについて、ご回答を頂いております。
<そういう主格を言わないのが日本語なのです。>
ですね。
<「乗っている乗客と汽車が一体となったもの」
という、曖昧もこの状況が、日本語の特性を生かした優れている表現で、一般日本人には味わい深いのですね。
It rains.のitというように、主格の欲しい英訳では、サイデンステッカー さんは、熟慮のすえ汽車にせざるをえなかった、のでしょうね。
No.2
- 回答日時:
『スノー・カントリー』
ヤーサンアリ・クーワバッタ著
西田晃訳
その列車は長いトンネルの中から出て、スノー・カントリーに入った。地球は夜の空の下に横たわっていた。列車は信号の止まりに引き上げられた。車の反対側にずーっとすわっていたところの少女がやってきて、シンアムーラの正面の窓を開けました。雪の冷たさが注ぎ入れられた。
(清水義範『江勢物語』所収「スノー・カントリー」角川文庫52ページ)
*** *** *** *** ***
上記の解釈本(英語訳の日本語訳)によりますと、「その列車」といふことです。私はアホなので、他人の意見のうけうりだけでおしまひにします。
[参考]
YASUNARI KAWABATA, Snow Country、translated by Edward G. Seidensticker
早急のご回答ありがとうございます。
誠に失礼なのですが、ご回答を笑いながら読ませていただきました。
<「その列車」>
ですね。
川端の名文を、英訳し、それを和訳すると、貴重な面白い文章になるのですね。まるで、美人やイケメンの正面向きの顔ばかりでなく、横顔をも楽しませてもらうようです。
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