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よく、カントールが考えた、そして、数学者が頭にイメージしている「無限」は、「実無限」と呼ばれ、それに対して、例えば、野矢茂樹氏ら、「哲学者」は(氏の著書『無限論の教室』などに於いて)それを批判し、「可能無限」なら認めよう、みたいなことを主張しておられます。では、「実無限」と「可能無限」、どう違うのでしょうか?どうか、宜しくご教示下さい。

A 回答 (6件)

No5で、加算無限は誤字です。

可算無限として、読んでください。
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有限の操作でえられるものの集まりが、可能無限。

加算無限にあたりますから、有理数の集合が一例。
それに対して、有限の操作でいきつく先も要素として集合として認めると、実数の集合になり、実無限の一つとなります。

実無限は「連続」という直観を定式化できるものと言えましょう。
このようにして、数直線上の点の集まりという、自然な集合が定義できます。

可能無限は加算無限集合ですから、数学で扱う無限集合の一部分となります。数学の一部分として扱えます。(有限回の操作も、数学の一部として扱えます)

なお、哲学者は、実在にこだわりますが、それを言い出すと、1,2,3,,自然数や有限集合だって実在するのっていう話になり、結局わけのわからない話になります。実在だとかいう陳腐な話には、根拠がありませんから、曖昧模糊としています。数学は、そういうわけのわからない「実在」を、相手にしないことによってこそ、客観性を保ちます。
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可能無限と実無限は、明確に異なる概念です。

以下、三つの例で説明させて頂きます。

例1:自然数の集合
可能無限では、自然数の集合の要素の個数は、常に有限であり、変化します。
一方、実無限では、自然数の集合の要素の個数は、最初から無限であり、変化しません。

例2:オリンピック
可能無限では、常に次のオリンピックが開催される可能性があります。
一方、実無限では、無限回のオリンピックが、実際に開催されたと考えます。

例3:トムソンのランプ
1秒後にランプをつけます。1/2秒後にランプを消します。1/4秒後にランプをつけます。
1+1/2+1/4+...=2なので、原理的には2秒後に無限回の点滅作業を実行可能です。

可能無限では、無限回の点滅作業を終了できないので有限回にとどまります。
そのため、2秒後のランプはついているか、消えているかのどちらかです。
一方、実無限では、2秒後に無限回の点滅作業が実行されたと考えます。
2秒後のランプは、ついているのでしょうか?それとも消えているのでしょうか?
私には、わかりません。

ご参考として、下記ページを紹介いたします。
・実無限と可能無限
 http://www.geocities.jp/x_seek/quantum_number_th …
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トップダウン的に「無限という言葉で無限という概念を把握したつもりになる」とするのが実無限で、ボトムアップ的に「永遠に操作を繰り返していくと無限に行きつく(かもしれない・・・先はまだまだ続く・・・)」とするのが可能無限。



下記が参考になると思います
数学屋のメガネ
http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/504641 …
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用語としての可能無限は、簡単に説明すれば、「ある数より、必ず大きな数が存在する」という状態です。


実無限は、無限という状態を集合として捉えると言う事です。
カントールは、無限集合を分類したと言う事です。(抽象化した無限集合の性質を調べて、分類したわけです)
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単なる用語の問題のような気がします。


数学の体系の中で、実無限と言う概念があるだけで、それが実在の無限と言うわけでは無いですからね。
哲学者の場合は、実在の確実性が保証される条件が満たされなければ、それが実在するとは言えないという立場ですから、哲学用語としては、実無限は存在が保証されていないと言う事でしょう。
つまり、そのような物が存在しないとは言えないが、実在の確実性が保証されない以上、それは可能性しか語れないと言う事でしょう。(これは一例であり、哲学者によって実無限の否定の立場もあり、いろいろな立場があります)
実無限というひとくくりに出来る概念に対しては、いろいろ批判があると言う事です。
一例としては、無限に増大する数と言う概念があっても、それが一つの状態として定まる事は、論理の飛躍を伴います。
カントールにしても、それを数学的に分類したわけですから、特定の公理系の中での結論と言えます。
簡単に言えば、実無限(カントールの公準)とでも表記すれば、哲学者も批判はしないはずですよ。
一般的な言葉で表現するから、批判の対象になるわけです。
これは、言語論や方法論の問題のような気もします。
数学者の実無限≠哲学者の実無限
一見同じものを扱っているようで、実際は違うものを扱っていたり、それが満たすべき公準に違いがあれば、それぞれの論理的帰結が一致しないのは、ある意味自明です。(もちろん、一致する可能性もあります)
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