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30万分の1? 50万分の1? 100万分の1?
どこまでにすれば、発生確率が0と見なせるのでしょうか?

また、この計算はすべての起こりえる現象のかけ算で計算するものなのでしょうか?
計算方法なども教えて頂けると嬉しいです。

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A 回答 (8件)

>30万分の1? 50万分の1? 100万分の1?


どこまでにすれば、発生確率が0と見なせるのでしょうか
そんな考え方で、まんまとのせられたのが、原発神話です。
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ジャンボ宝くじ1等当選確率 : 10,000,000分の1(1千万分の1) ≒ 東京都民の約1人。



隕石に当たる確率 : 10,000,000,000分の1(100億分の1) = 人類全体で0.7人。

100億分の1辺りでほぼゼロでも宜しいのではないか?
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「リスク(risk)」という考え方をします。


 (ある一定期間におけるリスク)=(ある一定期間における発生確率)×(発生したときの重大性を数値化したもの)
で考える。最も分かりやすいのは、「発生したときの重大性」を「事態に対応するための費用」によって表すことです。そうやって算出される「ある一定期間におけるリスク」は、「ある一定期間における費用の期待値」を表しています。(「期待値」ってのは、何も「発生することを期待して待ってます」という意味じゃありません。単なる、確率論の専門用語です。)

 「人が死ぬような事故が万が一にも発生したら、取り返しがつかないじゃないか」と考えるのは真っ当な感覚だと思いますが、そういう場合でも「事態に対応するための費用」を(冷酷に)定める。それが生命保険ってもんです。そうして計算した「ある一定期間における費用の期待値」に保険会社の経費と利益を加えたものが、その「ある一定期間」に掛ける保険の保険料です。
 発生確率が全くのゼロであるか、あるいは、発生したときの重大性が全くゼロである、という場合を除けば、どんなことであれリスクがゼロということはありません。「ものすごく運が悪い」ということのたとえに「サハラ砂漠を歩いて横断中に、空から落ちてきたグランドピアノの下敷きになって死ぬ」というのがある。バカバカしいようだが、たまたまサハラ砂漠上空で輸送機が荷崩れを起こして、たまたまグランドピアノが落ちて来る、ということだって絶対にないとは言えないから、その確率はたしかにゼロではない。そして、もしそんなことが発生したら結果は重大です。だからそのリスクはゼロではない。
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>どこまでにすれば、発生確率が0と見なせるのでしょうか?


と、言ってしまうと、微分と同じ、0を除く最少の数値。
その時の状況により自己責任で判断する必要があります、他人が責任持ち、保証してくれる基準はありません。
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>30万分の1? 50万分の1? 100万分の1?


>どこまでにすれば、発生確率が0と見なせるのでしょうか?
数学的な意味でいうなら、どこまでいっても0ではありません。
でも、現実問題としてはどこかで無視しなければならない、ということがあります。(そうしないと際限なく想定が膨らんでしまい、収拾がつかなくなるから。)
そしてその基準は、試行回数、経済的な要因や社会的な要因に依存するのです。

たとえば、「50万分の1」と口でいえば極めて低い確率ですが、試行回数が大きい事象であれば、発生する回数は無視できなくなるでしょう。
1年で1000万回動かすような事象(すごい速さで往復運動する機械なんかはこのくらいになってもおかしくない。)であれば、
発生確率「50万分の1」なら1年で20回、月に1回以上の確率で起きる可能性があるわけです。
これが些細な故障ならいいのですが、大きな故障や事故の可能性ならば、コストやリスクの関係から無視できませんよね。

「発生確率ゼロとみなす」=「考慮しなくてもよい」は、発生する事象とそれによるコストやリスクに依存するのです。

>また、この計算はすべての起こりえる現象のかけ算で計算するものなのでしょうか?
>計算方法なども教えて頂けると嬉しいです。
すべてに遭遇する確率は掛け算、どちらかに遭遇する確率は足し算ですね。
下のブログで、「人生で一度も交通事故に遭遇しない確率」を計算しています。参考にどうぞ。
http://www.landscape.co.jp/staff-blog/consulting …
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スーパーカミオカンデでニュートリノ天文学を行っていますが、同時に「陽子崩壊」の観測も行っています、ごく当たり前ですが中性子は真空中で陽子と電子に崩壊します、だがファインマン図を描けば、逆が起こる方も一般的に可能と考えられます。

しかし莫大な時間がかかるので巨大なプールの中に超々純水を封じ込め、光電子倍増管のバケモノでたった一個の「崩壊」を探します、全く見つかりませんが、その方が幸せです陽子が崩壊すると宇宙も崩壊する。この際下限があります。もちろん水分子の数であり、人類が地上にいる時間です。時々報告があり「まだまだ先だ」だそうです。
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>どこまでにすれば、発生確率が0と見なせるのでしょうか?



 社会的には、「得られるメリットが、リスクを十分上回ったところ」ということです。

 道を歩いていて、車に乗っていて、交通事故に遭う確率はゼロではありませんが(日本の人口1億に対して、交通事故の死者が1万人とすれば、交通事故死の確率は「1万分の1」ですが、それでも「出かける」「車に乗る」メリットの方が大きいので、日本人全員が引きこもりになることはありません。
 道路を歩く人、車に乗る人は、実質的に「交通事故に遭う確率はゼロ」とみなしています。

 飛行機にせよ、原発にせよ、食中毒にせよ、それなりの確率なのに「発生確率ゼロ」と考えています。

 逆に、こういったことよりも確率の低い「宝くじ」などでは、「当たるかもしれない」という期待を持ちますね。
 不思議なことです。

 つまり、「リスク」と「メリット」のバランスで「そのようにみなす」ということです。数学的な理由ではありません。

>この計算はすべての起こりえる現象のかけ算で計算するものなのでしょうか?

 「起こりえる現象」や「発生確率」が分かっていれば、数学的にはそうです。
 しかし、世の中のことのほとんどは、それが明確には分かり得ません。「神のみぞ知る」という領域のものが多いです。
 「分からないもの」は、おおむね「過去の発生実績」から求めますが、例えば「原発事故」のように発生件数が極めて小さいものは、そもそもの「想定」(起こりえる現象)が不明で、かつ正確な確率を求めることができません。(福島事故では「想定外」という言葉がよく出てきましたね)
 「人為ミス」などもそうです。

 「交通事故」や「飛行機事故」には「人為ミス」に起因することが多いので発生予測ができず、「過去のデータ」からはそれなりの確率なのに、自分にとっては「発生確率ゼロ」とみなしてしまうのには、そういう「正確な確率が計算できないし、自分に過失がなければ起こらないはずだ」と考えてしまうことに理由があると思います。
 だから、「必ず当選番号がある」という、確率の明確な「宝くじ」などでは、「誰かが必ず当たるのだから、それが自分である確率はゼロではない → 自分かもしれない」という淡い期待を持ってしまうのです。

 つまり、「すべての起こりえる現象」「発生確率」も、一種の「自己正当化」、「自分の都合」で考えているということかと思います。
 数学は、決して万能なツールではあり得ません。
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>どこまでにすれば、発生確率が0と見なせるのでしょうか?



→数学的に扱えば、どこまで行っても0にはならない(明白でしょう)。
現実問題として具体的に何か事例をイメージしての話なら、その世界に依る、状況に依る、個人に依る、・・・早い話が決まらないと思います。
難しい話までもって行けば「発生確率とは?」とか、「0と見なせるとは?」とか、この辺りも軸と目盛りを合わさないと話が噛み合わないと思われます。

>この計算はすべての起こりえる現象のかけ算で計算するものなのでしょうか?

→数学的にはそうでしょう(突っつき処のある質問の仕方ですが、意を酌んでます)
現実問題なら またそう簡単ではない話になってしまうと思います。

質問者さんの知りたいことは こんな事かな?と思うことはあります。
一般的に(そう一般的でもないかも…)扱われる指標として、「有意差判定」みたいなものがあります。2σ、3σ、シックスσとか聞いた事があるのではないでしょうか?
私は人並みに上っ面しか理解してませんので、興味があったら首を突っ込んでみて下さい。
質問者さんの質問レベルがもっと高い所にあった場合は、済みませんと言うことで悪しからず。
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Q確率が0

確率が0ということと決して起きないということとは同じですか?

Aベストアンサー

違います。

例えば、 -1<X<1 の範囲で一様に分布する確率変数 X を考えた場合、X=0 になることはあり得ますが、X=0 となる確率は 0 です。

Q統計学的に信頼できるサンプル数って?

統計の「と」の字も理解していない者ですが、
よく「統計学的に信頼できるサンプル数」っていいますよね。

あれって「この統計を調べたいときはこれぐらいのサンプル数があれば信頼できる」という決まりがあるものなのでしょうか?
また、その標本数はどのように算定され、どのような評価基準をもって客観的に信頼できると判断できるのでしょうか?
たとえば、99人の専門家が信頼できると言い、1人がまだこの数では信頼できないと言った場合は信頼できるサンプル数と言えるのでしょうか?

わかりやすく教えていただけると幸いです。

Aベストアンサー

> この統計を調べたいときはこれぐらいのサンプル数があれば信頼できる・・・
 調べたいどの集団でも、ある一定数以上なら信頼できるというような決まりはありません。
 何かサンプルを集め、それをなんかの傾向があるかどうかという仮説を検証するために統計学的検定を行って、仮設が否定されるかされないかを調べる中で、どの検定方法を使うかで、最低限必要なサンプル数というのはあります。また、集めたサンプルを何か基準とすべき別のサンプルと比べる検定して、基準のサンプルと統計上差を出すに必要なサンプル数は、比べる検定手法により計算できるものもあります。
 最低限必要なサンプル数ということでは、例えば、ある集団から、ある条件で抽出したサンプルと、条件付けをしないで抽出したサンプル(比べるための基準となるサンプル)を比較するときに、そのサンプルの分布が正規分布(正規分布解説:身長を5cmきざみでグループ分けし、低いグループから順に並べたときに、日本人男子の身長なら170cm前後のグループの人数が最も多く、それよりも高い人のグループと低い人のグループの人数は、170cmのグループから離れるほど人数が減ってくるような集団の分布様式)でない分布形態で、しかし分布の形は双方とも同じような場合「Wilcoxon符号順位検定」という検定手法で検定することができますが、この検定手法は、サンプルデータに同じ値を含まずに最低6つのサンプル数が必要になります。それ以下では、いくらデータに差があるように見えても検定で差を検出できません。
 また、統計上差を出すのに必要なサンプル数の例では、A国とB国のそれぞれの成人男子の身長サンプルがともに正規分布、または正規分布と仮定した場合に「t検定」という検定手法で検定することができますが、このときにはその分布を差がないのにあると間違える確率と、差があるのにないと間違える確率の許容値を自分で決めた上で、そのサンプルの分布の値のばらつき具合から、計算して求めることができます。ただし、その計算は、現実に集めたそれぞれのサンプル間で生じた平均値の差や分布のばらつき具合(分散値)、どのくらいの程度で判定を間違える可能性がどこまで許されるかなどの条件から、サンプル間で差があると認められるために必要なサンプル数ですから、まったく同じデータを集めた場合でない限り、計算上算出された(差を出すために)必要なサンプル数だけサンプルデータを集めれば、差があると判定されます(すなわち、サンプルを無制限に集めることができれば、だいたい差が出るという判定となる)。よって、集めるサンプルの種類により、計算上出された(差を出すために)必要なサンプル数が現実的に妥当なものか、そうでないのかを、最終的には人間が判断することになります。

 具体的に例示してみましょう。
 ある集団からランダムに集めたデータが15,12,18,12,22,13,21,12,17,15,19、もう一方のデータが22,21,25,24,24,18,18,26,21,27,25としましょう。一見すると後者のほうが値が大きく、前者と差があるように見えます。そこで、差を検定するために、t検定を行います。結果として計算上差があり、前者と後者は計算上差がないのにあると間違えて判断する可能性の許容値(有意確率)何%の確率で差があるといえます。常識的に考えても、これだけのサンプル数で差があると計算されたのだから、差があると判断しても差し支えないだろうと判断できます。
 ちなみにこの場合の差が出るための必要サンプル数は、有意確率5%、検出力0.8とした場合に5.7299、つまりそれぞれの集団で6つ以上サンプルを集めれば、差を出せるのです。一方、サンプルが、15,12,18,12,21,20,21,25,24,19の集団と、22,21125,24,24,15,12,18,12,22の集団ではどうでしょう。有意確率5%で差があるとはいえない結果になります。この場合に、このサンプルの分布様式で拾い出して差を出すために必要なサンプル数は551.33となり、552個もサンプルを抽出しないと差が出ないことになります。この計算上の必要サンプル数がこのくらい調査しないといけないものならば、必要サンプル数以上のサンプルを集めて調べなければなりませんし、これだけの数を集める必要がない、もしくは集めることが困難な場合は差があるとはいえないという判断をすることになるかと思います。

 一方、支持率調査や視聴率調査などの場合、比べるべき基準の対象がありません。その場合は、サンプル数が少ないレベルで予備調査を行い、さらにもう少しサンプル数を増やして予備調査を行いを何回か繰り返し、それぞれの調査でサンプルの分布形やその他検討するべき指数を計算し、これ以上集計をとってもデータのばらつきや変化が許容範囲(小数点何桁レベルの誤差)に納まるようなサンプル数を算出していると考えます。テレビ視聴率調査は関東では300件のサンプル数程度と聞いていますが、調査会社ではサンプルのとり方がなるべく関東在住の家庭構成と年齢層、性別などの割合が同じになるように、また、サンプルをとる地域の人口分布が同じ割合になるようにサンプル抽出条件を整えた上で、ランダムに抽出しているため、数千万人いる関東の本当の視聴率を割合反映して出しているそうです。これはすでに必要サンプル数の割り出し方がノウハウとして知られていますが、未知の調査項目では必要サンプル数を導き出すためには試行錯誤で適切と判断できる数をひたすら調査するしかないかと思います。

> どのような評価基準をもって客観的に信頼できると判断・・・
 例えば、工場で作られるネジの直径などは、まったくばらつきなくぴったり想定した直径のネジを作ることはきわめて困難です。多少の大きさのばらつきが生じてしまいます。1mm違っても規格外品となります。工場では企画外品をなるべく出さないように、統計を取って、ネジの直径のばらつき具合を調べ、製造工程をチェックして、不良品の出る確率を下げようとします。しかし、製品をすべて調べるわけにはいきません。そこで、調べるのに最低限必要なサンプル数を調査と計算を重ねてチェックしていきます。
 一方、農場で生産されたネギの直径は、1mmくらいの差ならほぼ同じロットとして扱われます。また、農産物は年や品種の違いにより生育に差が出やすく、そもそも規格はネジに比べて相当ばらつき具合の許容範囲が広くなっています。ネジに対してネギのような検査を行っていたのでは信頼性が損なわれます。
 そもそも、統計学的検定は客観的判断基準の一指針ではあっても絶対的な評価になりません。あくまでも最終的に判断するのは人間であって、それも、サンプルの質や検証する精度によって、必要サンプルは変わるのです。

 あと、お礼の欄にあった専門家:統計学者とありましたが、統計学者が指摘できるのはあくまでもそのサンプルに対して適切な検定を使って正しい計算を行ったかだけで、たとえ適切な検定手法で導き出された結果であっても、それが妥当か否か判断することは難しいと思います。そのサンプルが、何を示し、何を解き明かし、何に利用されるかで信頼度は変化するからです。
 ただ、経験則上指標的なものはあります。正規分布を示すサンプルなら、20~30のサンプル数があれば検定上差し支えない(それ以下でも問題ない場合もある)とか、正規分布でないサンプルは最低6~8のサンプル数が必要とか、厳密さを要求される調査であれば50くらいのサンプル数が必要であろうとかです。でも、あくまでも指標です。

> この統計を調べたいときはこれぐらいのサンプル数があれば信頼できる・・・
 調べたいどの集団でも、ある一定数以上なら信頼できるというような決まりはありません。
 何かサンプルを集め、それをなんかの傾向があるかどうかという仮説を検証するために統計学的検定を行って、仮設が否定されるかされないかを調べる中で、どの検定方法を使うかで、最低限必要なサンプル数というのはあります。また、集めたサンプルを何か基準とすべき別のサンプルと比べる検定して、基準のサンプルと統計上差を出すに必要な...続きを読む

Q「天文学的に低い確率」とは?

初歩的な質問ですみませんが、よくテレビやラジオ、新聞記事や書籍等で、「天文学的に低い確率」という表現がありますが、この「天文学的に低い」とは、具体的にどれくらい低い確率なのでしょうか。日常生活で表現するとどのような現象や物事に当てはまるのか教えてください。例えば「宝くじを3000円しか買わずに1等当選するのは天文学的に低い確率だ」とか「何百平方メートルの沙漠に隠した赤色の砂粒1つを1時間以内に見つけ出すのは天文学的に低い確率だ」とか、具体例で教えてください。日常生活の対話において、あるいは自分が何か書く時において「天文学的に低い確率」という表現はどのくらい低い確率の時に使えば良いのか判断基準を教えてください(考え方には個人差があるかもしれませんが)。また、そもそも「天文学的に」と表現するところを見ると元々このことわざは天文学の分野の研究者や学者が考えた表現なのでしょうか。この表現のルーツや考案者も分かれば教えてください。

Aベストアンサー

確率はよく知られた定義ではp=n/Nで与えられます.Nはすべての起こりうる場合の数,nはそのうち注目した事象の場合です.

pが天文学的に小さいというのはpが非常に小さいということで,それは1/p=N/nが天文学的に大きいことを指します.例えば,N=10^{10}(10の10乗),n=1だとp=10^{-10}(10のマイナス10乗)となります.

N=10000000000は0が10個も続くので指数表示10^{10}をもちいます.こうしないと,表記が難しいからです.天文学では地球と太陽の距離が149 597 870 700 メートルというよりも,約1.5×10^{11}メートルと表記します.こういう表示形式を指数形式と言います.小さな正の数や大きな正の数はこういう風に表記すると扱いやすいのです.天文学ではこのような極端に大きな正の数が出てくるので天文学的な数というのは一般に大きな正の数のことを言います.

何をもって大きい,小さいというかは比較の問題なので規準はありません.ただ,100,1000ぐらいじゃ天文学的とは言わないんじゃないかと思います.やっぱり,京ぐらいのスケールではありませんか.10の10乗以上とか.

天文学的な確率という場合は,確率が0に近く,ほとんどありえないと同義語だと思います.具体的例は計算してみて数値評価することですね.例えば,1から10の番号札を任意に一列に並べたとき,1,2,3,...,10と昇順に並ぶ確率は1/10!≒1/3.6×10^{6}は天文学的に小さいといえるか微妙ですが,非常にありえないですね.番号札を20まで増やすと昇順に並ぶ確率は1/20!≒1/2.4×10^{18}はあきらかに天文学的に小さいと言えるでしょう.

質問者様のあげた確率も非常に小さくなると思います.1/10^{10}程度に小さければ天文学的に小さい確率といっていいのではないでしょうか.

なお,大きい,小さい正の数を扱う分野は天文学だけではありません.例えば,化学でアボガドロ定数というのがあるでしょう.これは1モル中の構成要素数でだいたい6×10^{23}です.ただ,この世でもっとも広い世界は宇宙であり,その大きさは大体10^{27}メートルです.だから,とても大きな数が絡む話には「天文学的」という形容が使われることが多いのでしょう.

確率はよく知られた定義ではp=n/Nで与えられます.Nはすべての起こりうる場合の数,nはそのうち注目した事象の場合です.

pが天文学的に小さいというのはpが非常に小さいということで,それは1/p=N/nが天文学的に大きいことを指します.例えば,N=10^{10}(10の10乗),n=1だとp=10^{-10}(10のマイナス10乗)となります.

N=10000000000は0が10個も続くので指数表示10^{10}をもちいます.こうしないと,表記が難しいからです.天文学では地球と太陽の距離が149 597 870 700 メートルというよりも,約1.5×10^{11}...続きを読む


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