ソクラテス側にも、豚の快楽なんてろくでもないよね、と対抗している時点で、少し嫉妬交じりの感情が混ざっているわけですし
豚からしたら、ソクラテスが何を言おうと「それでも別に良いや俺幸せだし」と開き直られたら、ソクラテス側は負けてしまう気がするんです
「はいはい頑張って他人にも良いような行いしてね、俺はそれをどんどん消費するからね」と言われたら、なんかとてっても悔しいですし、それでも続ける気になれないのではないかとおもうのです、よっぽどの人で無いと
屁理屈に負けてしまいそうなんです・・・
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8641327.html
(回答番号15への質問者のコメント)
*** *** *** *** ***
教えて!gooで数数の名言を読んできましたが、これはベスト5に入る内容だと私は判断します。ちなみに私は回答番号17,23で参加してゐます。また私なら回答番号21をベストアンサーにします。
「不満足なソクラテス」による生産的議論、「満足した豚」の消費的理論、どちらを支持するか見解が大きくわかれるのはなぜですか。
No.1
- 回答日時:
ソクラテスは精神。
豚は肉欲。
さつそくの御回答ありがたうございます。私は豚なので質問したら、さつさと寝ました。cyototuさんが教えて!gooに復帰してくださいましたが、刺激的な内容に感心するばかりです。毒にも薬にもならない「よそゆき」「きれいごと」「うけうり」は哲学カテゴリに似合ひません。哲学の問は「人間は実際にはどうあるのか」だといふ指摘がありますが、まさしくそのとほりです。「生産的」であれ、といふ主張は、その反対の「人間はどうあるべきか」への執着にすぎません。ところがcyototuさん御自身が「生産的議論」をしばしば称揚なさるので、疑問に感じて今回質問を立てました。
yy8yy8azさんはgaituさんの質問ページには参加なさらなかつたのですね。精神と肉欲との対比は、回答番号8,10のねこひこさんの回答がそのまま該当すると思ひます。私もそれに賛成です。
肉欲派の傍若無人のふるまひに対して、精神派は対抗できるのでせうか。人間は通常ひとりで生きてゆくわけではありません。何かを共同で成し遂げようとすると、肉欲派の怠惰を精神派が理不尽に背負わなければならなくなります。職場ではしばしば、それが原因で精神派がつぶれてしまひ、体をこはして退職します。精神派の見解は、私には「どうあるべきか」といふ「きれいごと」にしか見えません。gaituさんの
「はいはい頑張って他人にも良いような行いしてね、俺はそれをどんどん消費するからね」
といふ言葉はさういふ意味です。
私の質問ページでは、質問者に対する「アホ、バカ、ノーナシ、ヒトデナシ」などの専門用語の使用は、現実の投影にすぎませんから、率直な御意見をたまはりたいと存じます。
No.2
- 回答日時:
豚のような生き方では、餌と雨露しのげる屋根、世話をしてくれる人が居て、その時はいいけれど、最後にはされて(自分を世話してくれていた人に)食べられてしまいます。
されて食べられるというのは、生きる意義を果たさないまま死んでしまうことを言うのではないでしょうか。ここにある豚の満足とは、畜産農家のための満足であるわけです。ここでは、自身を畜養して生きることに、どんな希望があるのだろうか?という問が生まれると思います。一方不満足なソクラテスは、例えばアスリートが、客観的に高い評価を受けていても、自身では、「まだまだですよ。」などと言って自身の目標がもっと高いことを表明するようなもので、ソクラテスの抱く不満足とは崇高な意義に達していない自分自身を鼓舞するためのものであるとも見れます。
ですから私としては求道するソクラテスの方を支持します。
見解が別れるのは、豚が野生で生きていく自身の姿を想像できないからです。本来は、猪のように、人の手を借りずとも生きていけるはずなのに、豚は餌と畜舎と世話人につられて、農場から出ようとしません。そこが自分の墓場とも知らずに、「自分は満足している」と思っているのです。
一方ソクラテスは求道者ですから、世俗のそういった生き方に馴染むことが出来ません。例えば誇りを持った野生動物が、人から与えられた餌を警戒して食べないようなものです。そのような動物を家畜化するのは難しい。ソクラテス(求道者)はいわば、生粋の人間なのです。
教えて!gooで回答をいただくのは初めてです。内容は求道派のa_honaさんらしい見解です。ありがたうございます。gaituさんの質問にも参加なさつてゐました。
>豚のような生き方
私は寄生虫と同じだと思つてゐます。自然界においても寄生は成功した生存方法です。宿主がゐなければ生きてゆけません。必然的に宿主に感謝するやうになります。やりたい放題で宿主を傷つけますが、自分は何でも好き勝手できて楽しいばかりです。そして幸せにあふれたまま死んでゆきます。
>一方不満足なソクラテス
寄生虫は邪魔です。不満を抱きます。憎しみ、嫌悪、倦厭、自分が不幸なのはこいつのせいだ、と他者のせいにします。
私には感謝の気持ちにあふれた豚のほうがすばらしく見えます。
>猪のように
回答番号1のコメントに書きましたが、この質問はcyototu(猪突)さんの見解を問ふ第二弾です。cyototuさんからは賛否ともどもいろいろな考へがわいてきて、まさしく生産的です。先日議論をしたいとおつしやる方の質問がありました。その場を提供した次第です。仕事から帰つてみると、13件も回答をいただいてゐて、まことにありがたいのですが、もつと派手に火花が散るやうな投稿がないのでせうか。哲学カテゴリにはサービス精神がないのでせうか。
No.3
- 回答日時:
追記です。
ソクラテスは他人のためになることをしているのではなく、自分のためになることをしています。ですから、ソクラテスの行為の恩恵を、豚が得られるという事はありません。豚が得られる恩恵は、飼主から与えられるものでしょう。
それに、ソクラテスから得られるもの、恩恵は知恵ですから、それは豚的生き方を望む者にとっては不要なものです。
この様な理由からも、豚であるメリットを私は感じません。
追加回答をありがたうございます。プラトン『ソクラテスの弁明』によれば、デルポイの神の御告げを確かめるために多くの人人と議論したやうです。おつしやるとほり、自分のためです。単なる利己的な人にすぎません。
豚は何を学べるかを考へます。それが餌です。
No.4
- 回答日時:
追記の追記。
すいません、日本語下手ですね。
ソクラテスから得られるものが仮にあったとしても、それは知恵ですから、豚には必要ありませんと、書きたかったのです。
ご丁寧にありがたうございます。a_honaさんの文章はいつもわかりやすいので大丈夫です。
豚にとつては何でもいい。このサイトでは、名回答からはもちろん、誹謗中傷からも学べます。それが「人間とはどうあるのか」だと思ひます。a_honaさんがときどき、汚い部分から目をそらせてはいけない、とお書きになつてゐるとほりです。人間は弱く愚かだ、と指摘する人は多いのですが、結論として、弱さを克服するのだとか、愚かさから脱するのだとか、結局は「人間とはどうあるべきか」になつてしまひます。私は弱さや愚かさを認めることが大切だと思ひます。そしてそれを活用することが素直な生き方ではないのでせうか。
No.5
- 回答日時:
不満足なソクラテス①
暮らしやすさをめざす議論=常識の矛盾に対する違和感から進歩への寄与
満足した豚②
刹那的生き方=フェアな消費生活の体感ならば現代の繁栄への寄与
①も②も「人類の繁栄と進歩」に貢献するものでどちらも価値あることです。
そこに対立が生じるのは
大多数の常識的日常生活を送る者には
少数の普遍性をめざした議論の価値は
直接的にイメージしにくいという現実。
同時に普遍的議論の側からは結果に至るまでの過程の中で
常識的日常の意味にまで肯定的になれるほどの余力を
キープしきれない傾向があるという現実の存在。
そして限界を越えやすい世の中からの必然として
勝つこと至上的価値観が主流な中で
二つの現実が勝ちにいき合って
感情的なしこりから対立を深めてしまう
そんな二極対立の極論的な傾向が
歴史のより未熟な時期を過ぎていく過程で
強調されてきたのかもしれません。
本来どちらも意味のある生き方を
多様性の共存という立場から尊重し合うことの可能性について
より時代の進歩した現代においては
暮らしやすさという歴史の成果から考えて
互いの立場で共通認識として持ちやすくなっていると思います。
個人的にはこういう時代に満ちているきっかけからの
ポジティブな枝分かれに期待したいと思っています。
御回答ありがたうございます。同感です。gaituさんの質問ページの私の回答をお読みくだされば充分と存じます。すべては状況次第です。
豚は寄生する側ですので、単独では生きてゆけません。宿主に感謝するのみです。問題はソクラテス側ではないかと思ひます。豚の存在を忌み嫌ひます。これこそが人類の禍ではないでせうか。neutralさんが「モザイク消せ消せ同盟」さんの質問を紹介なさつてゐますが、そこにも私と同じ意見が記されてゐます。ソクラテス支持派の見解が私には不可解です。両方を認めればよいのですけれど。
No.6
- 回答日時:
ソクラテスは"よっぽどの人"だとの思いでの回答?です。
"ただの人"の言葉として受け止めれば、plapotiさんの様な疑問、感想が湧くのがフツーだと思います。
でも私は"ただの人の言葉"だとしても、それを"昇華"して読み取ります。
私のコメントにお答へいただいて、感謝してをります。gaituさんの表現によれば、たしかに「よっぽどの人」です。「ただの人」ではすぐに嫌になつて投げ出します。問題は、「よっぽどの人」であつても、人間には限界があるといふことです。自分の能力の範囲内であれば豚の面倒をみることができます。しかしそれを超えてしまふとどうにもなりません。
私の場合は、天職だと思つてゐた仕事でそのやうになりました。休日なし、休憩なし、睡眠時間2時間でも苦になりませんでしたが、豚の面倒をみるやうになると話は別です。気持ちが後ろ向きになつてゆくにつれ、苦痛が伴ひます。他の人にいくら仕事を割り振つても、取引先から泣きつかれて、自分のところへ仕事が戻つてきます。結局からだをこはして退職しました。自殺しようとしたのですが、そのときふと悟りました、自分がアホであることに。豚にソクラテスが対抗するから負けてしまふのです。豚にはさらに大きな豚で応じればよい。今では豚に感謝してゐます。人間、痛い思ひをしなければわからないものです。
No.7
- 回答日時:
生産側と消費側は、別ではないでしょうか。
不満足なソクラテスは、哲学的な知への欲求ですから、知的なことばかりして、物質的経済的には消費するだけにまわります。心身の健康も損なうことが多く、実際は世話を要求し家族にも迷惑をかけたりします。
「満足した豚」は、知的な活動しませんが、自分の肉を人様に提供し生産に寄与するものとなります。しかも、豚さんご自分は満足しているのですから、豚さんも幸せです。
「満足した豚」は偉大な愛の代表ではないかと思われます。
もっとも、哲学的な知も、たまには人様に貢献することもあり(「満足した豚」とは違った方法で貢献。例えば、人権や民主主義、いや豚さんを含めた、動物権、動物主権の概念開発など)で、どちらを支持というよりは、個性の違いです。
仏道などは、両面を持っています。知足は、足るを知る(豚さん)で仏道の大切な面ですが、悟りはほとんどの人にとっては手の届かない、永遠の努力(ソクラテス)です。
回答番号5のsuzumenokoxさんに近いお考へですね。私も同感で、この世界には両方が存在してゐるのですから、いづれをも認めるべきだと思ひます。他方を排除する姿勢こそが怖ろしいことです。多様性こそが生存に不可欠の要素です。どちらも一長一短あります。御指摘のとほりと存じます。
御回答ありがたうございました。
No.8
- 回答日時:
ソクラテスな人と、豚な人との立てわけは、社会に新たな
対立の原因が増えるわけで、よろしくないと思います。
一人の人間の中に、どちらもあるとの見方が良いと思います。
生産する歓びと、消費する満足と両方あったほうがより幸せ
ではないでしょうか。
「豚インフルエンザ」が蔓延しているのでしょう。だから、
屁理屈に負ける人が増えている。例えば50年前は圧倒的に
ソクラテスが支持されたでしょう。今、見解が分かれるのは
それが原因であろうと思います。
ソクラテスの部分が、とても強い人がいると思います。彼ら
を「豚インフルエンザ」から守るのも、大人の責任の一つか
と思います。
回答をいただくのは初めてです。
>一人の人間の中に、どちらもあるとの見方が良いと思います。
これまでのコメントにも記しましたが、同感です。問題は他者排除の姿勢です。豚側にはそれがありませんが、ソクラテス側には強く存在します。平和を訴へるソクラテスは、争い好きな者を攻撃します。正義を主張するソクラテスは、不正な者を痛めつけます。愛を標榜するソクラテスは、悪人を退治します。大義名分を手にしたソクラテスほど怖ろしいものはありません。どんな残虐な行為でもできてしまひます。
ありがたうございます。だれがgoodを押したのかわかるやうにしてもらひたいと思ひます。このサイトでは陰でこそこそすることが多すぎます。匿名の通報などは世間ではチクリと呼ばれる卑劣な行為です。俺は通報してやつたぞ、と宣言なさる方はすがすがしく感じますが、独裁国家のやうに秘密裏に削除しようとするのはどうなのでせうか。ブロック登録などもその全データの公開を望みます。
私などは実生活にやましいところがありすぎて、Q&Aサイトの行状を公開されたくらゐのことでは、痛くも痒くもありません。
No.10
- 回答日時:
ぶっきらぼうに引用のみです。
回答№8の方の《一人の人間の中に、どちらもあるとの見方》とかぶってしまいます。【Q:《自然に帰れ》!?】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/5803077.html
《自然に帰れ》!?
とルウソは言ったとか言わなかったとか。自然に帰るあるいは人間的自然を取り戻す これは 必要で大事なことでしょうか?
《人間》の社会におけるすがたを次のように捉えて その《自然》の問題を考えます。
1. われわれ人間は 社会を成して共生するらしいが そもそもどういう存在であって どういう存在の関係をむすび かつその関係の錯綜して過程する総合としてどのようなあり方になっているのか?
2. 社会人を スサノヲ市民およびアマテラス公民に分けます。しかも この市民( S )と公民( A )のそれぞれ要素は ひとりの人間に――当然でしょう―― そなわると捉えます。
3. このような概念装置を持って マルクスを読みます。
▲ ( K.マルクス:ユダヤ人問題によせて) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
結局のところ
( S ) 市民社会の成員としての人間(* つまり生活者市民スサノヲ)が 本来の人間とみなされ
( A ) 公民 citoyen (* 人格の全体でもっぱら公共の仕事に就くアマテラス公民)
とは区別された
( S ) 人間 homme とみなされる。
なぜなら
( A ) 政治的人間(* アマテラスのそういう側面)がただ抽象された人為的につくられた人間にすぎず 比喩的な精神的人格としての人間であるのに対し
( S ) 市民社会の成員としての人間(* スサノヲ)は 感性的な 個体的な もっとも身近なあり方における人間だからである。
【 S‐A 連関】 《現実の人間》は
( S ) 利己的な個人の姿(* もしくは 感性を自由気ままに発揮しあやまちうるスサノヲ人間語の姿)においてはじめて認められ
【 A‐S 連関】 《真の人間》は
( A ) 抽象的な公民の姿(* もしくは アマテラス普遍語[科学語および人格語]の姿)においてはじめて認められるのである。
(城塚登訳)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ここで S:スサノヲと A:アマテラスとの連関のあり方は 次のふたつの形態があり得ます。
《 S‐A 》連関のかたち=《現実の人間》:
あやまちうるスサノヲ人間語を基礎としてその土壌の中から――
あたかもその泥の中から―― アマテラス規範語を磨き上げ そこ
に花咲かせる人間のすがた。
《 A‐S 》連関のかたち=《真の人間》:
簡単に言えば 理性ないしコギトがすべての意志行為を引っ張る
かたちのアマテラス科学語かつアマテラス人格語にもとづく人間の
すがた。この人間は 《あやまたない》と言われるようになる。
つまり無謬性・不可侵の神話を帯びる。
☆ たぶん《 〈 S‐A 〉連関のかたち》=《現実の人間》の描像のほうが のぞましいと思うのですが それには 《スサノヲ的自然》を取り戻す必要があると考えられます。どうすればよいでしょう? あるいはすでに回復していましょうか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
マルクスは岩波文庫の52ページですか。ルソー『社会契約論』も登場します。そのまま引用していただいたほうが理解しやすいと思ひます。これもアウグスティヌスの影響ですか。先日の御質問では、このきはめて重大な指摘が省略されてゐました。
市民と公民、このふたつの形式が同一人物内に存在する、おつしやるとほり当然のことです。
両面がある、との指摘はこれまで何人かの方が回答なさつてゐます。私も同感です。御回答ありがたうございました。
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匿名の通報は困る、と書いたばかりなのですが、さつそく削除通知が届きました。ほんとうに困つたものです。特に今回は率直なご意見をうかがひたいと願つてをります。さきほど回答番号15として投稿してくださつた方には、お詫び申し上げます。
豚の屁理屈が成立する要点は「豚には責任がない」といふことです。怠惰であつても、言ひたい放題、やりたい放題であつても、自分自身何も困ることがないのです。必然的に満足します。ところがソクラテスには責任や使命感があります。だれかが成し遂げなければならないときに、豚とソクラテスが存在した場合、豚は動きませんから、豚の分までソクラテスが働きます。
生産的議論は消費的理論にはかなひません。ただのきれいごとに見えます。私がQ&Aサイトにおいてアホであることを正直に認めるのは、この「満足した豚理論」の応用です。賢い人にはさまざまな要求がなされますが、アホは何もできなくて当然です。何の負担もありません。何を言はれやうとも気楽です。
回答番号50のコメントは、共産主義の欠陥でもあります。といふより、共産主義ではさらに大規模な問題となります。富は、働いて働かなくても分配される、極端な表現ではさういふことです。資本主義だからこそ、今の状態で済んでゐる、といふだけのことです。共産主義とはまさに「人間とはどうあるべきか」に立脚したきれいごとに見えてしまひます。
質問文の中に公約いたしましたとほり、このたびは回答番号21をベストアンサーといたします。