ネットが遅くてイライラしてない!?

行政国家における行政機能の拡大についての質問です。

・「委任立法とは、本来の立法機関である国会以外の機関が法規を定めること」とありました。
国会以外が制定できる法規に条例や政令
があるというのは知っているのですが、
委任立法はこれらのことを指しているのでしょうか?また、政令は閣議によって決められるのですか?

・「行政機能における許認可権の拡大」とあったのですが、具体的にはどういうことなのでしょうか。

宜しくお願いします。

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A 回答 (2件)

わが国における人口動態において、戦後100万人ずつ増加したものが、今後50万人/年、減少するとされる。


出した道具は、片付ける。それは、子供部屋のおもちゃにしろ、仕事場のものにしろ、食卓の器にしろ、セオリーであるとみえますが、
出すのは比較的簡単だった、国際社会の波に揉まれながらも洗練する創造力・技術開発の号令の元、国家能力の発案の元、それらを、市民&労働者の雇用ニーズだけ、手を出したのではないでしょうか。
しかし、状況は一変する。
昭和29年5月19日、厚生年金保険法制定 。
この法律(?)の最終目的が、政治される社会へと遷移したのではないでしょうか。
と、共に、アスベスト問題というのも、クローズアップされている。
ガンガン建築したビル・建築、それらの数百万件に及ぶものが、整理解体のおり有害物質アスベストを拡散させると番組報道されていた。
支離滅裂、踏んだり蹴ったりの状況か、その感もありますが、
「行政機能」に求められるのは、このあたりではないでしょうか。
「許認可権」といわず、その更に、自らが現場で行動することが求められる。かつてと違い、労働者も不足するはずである。
 東京築地市場が、東京ガス跡地に新装移転したなるニュースもありましたが、老朽し崩落の危険があるインフラは整理しなければならない。
必要であるならば、今ある稼働率問題を改善したまったく新しいものを建設しなければならない。
 行政が、昔のようであっては、現状のようであっては、ならない。飾りの椅子飾りであってはならない。昔のように、労働者が有り余る状況は、今後、無い。
「許認可権」といわず、その不正極まる、権力構造を捨て去り、社会整理&福祉の現場に立つ行政・建設スタッフ、それへと、産業集団、政治集団、構造変還されなければならないのではないでしょうか。
 「行政機能における許認可権の拡大」、そのような役人構造の はちみつ のようなものは、役人現場行動力へと改革されることではないでしょうか。
No.1.2
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夜警国家の時代は、国家の役割はその自立的運行に必要な外交、国防、治安の維持のみでよいという考えが主流であったため、行政府は立法府によって決められた事柄を執行するだけの機関に過ぎなかった。

しかし資本主義が発達し、貧富の差が拡大するといった弊害が生まれてくるにつれ、国家が広範な分野において政策を講じる必要が出てきた。 - Wikipedia
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%94%E4%BB%BB …

自由主義国家論(じゆうしゅぎこっかろん)は自由主義の元で、国家の機能を安全保障や治安維持など最小限にとどめた自由主義国家を目指すべきとする考え方。夜警国家(Night-watchman state)とも。~ 自由主義国家の対義語で、福祉国家や警察国家などがある。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E8%AD%A6 …

法律の委任に基づき立法府以外の機関が,本来法律で定めるべき事項について立法を行うこと,またはこのような委任に基づいて制定された法規。国会は,国の唯一の立法機関とされているから,その趣旨を失わせるほどの一般的抽象的な委任は許されず,個別的具体的事項についてのみ委任することができる。 - マイペディア
 https://kotobank.jp/word/%E5%A7%94%E4%BB%BB%E7%A …


 Linkを開くと、「 資本主義が発達し、貧富の差が拡大するといった弊害が生まれてくるにつれ、国家が広範な分野において政策を講じる必要が出てきた。ところが、立法府は、行政府に比べると社会の変化に随時対応する機動力に欠け、また、日常的に行政を担当する行政府に比べると、詳細な情報を得るための能力に欠ける点が指摘され、国民の要求に迅速にこたえるためには、行政府にある程度の立法権を委任することが避けられなくなっている。 」 
と、ある。

国家の機能を安全保障や治安維持など最小限にとどめる ⇒ 自由主義国家論 ⇒ 夜警国家 。

対義語として ~ 福祉国家や警察国家 。  ? ? // 帯 短し タスキ 長し ? ?

闇夜に、人々が躓(つまず)き、障害を発することのない社会、それは理想とみえる。
お天気対策も、闇夜対策の内でしょう。

資本主義の弊害対策講、それが発端ともみえる。

ぐずついたお天気のような役人昼行灯、闇夜の盗人のような金権政治金権支配、それらを 直して 、光あるもの、正義あるもの、動きあるものと、することなのではないでしょうか 。

 電力自由化の報道にしても、競争力を煽りまた電気料金が上がるようでは、闇政治、 反対に、電力生産から人道政治が受け持ち、その料金も福祉的にタダ無料を目指すならば、福祉社会福祉国家、 そうみえる。
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Q行政権の肥大化とか規制緩和について!

テストに向けて勉強中なワケですが、どーも教科書四でも規制緩和とかがグダグダ長ったらしく書いてあってよく分かりません!多少長くてもかまわないのですが、一言で言うと!!みたいな回答が欲しいです(長くても具体的(?)というか分かりやすければ全然OKです)そんな感じで、行政権の肥大化と規制緩和について教えて欲しいです!!後、今って一府22省庁なんですか、1府12省庁ですか?教えてください!!

Aベストアンサー

#4です。
もうひとつ例を思いついたので書きます。

行政権をお母さん、国民を子供とします。

お母さんは、子供が小さいうちは、何でも口を出します。あれをしちゃいけません、何時までに帰ってこなくちゃダメ、お小遣いはこれだけです………など。

子供がいつまでも子供のままならいいのですが、何人かいる子供にも成長して知恵のついてくる子がいます。
そうすると、いちいち言われるのが面倒くさくなります。
「自分で判断させてくれ、責任は自分でとるから」と言いたくなります。

でも、お母さんは一番小さい子に基準を合わせるので、ルールを変えようとしません。
それに、いくら知恵がついたからといって、お母さんの仕事を全部任せられても困ります。

つまり行政権の肥大化と規制緩和というのは、親の干渉と子供の自由とのせめぎあいだと思ってくれればいいかな、と思います。

いかがでしょうか? 

Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。...続きを読む

Q江戸末期の日本はなぜ列強の侵略を免れたか

他のアジア諸国がいとも容易く列強に植民地化されていた当時、日本も江戸幕府が脆弱になり内戦が起きていた頃です。 薩長対江戸幕府の争いに乗じてイギリスやフランス、アメリカ、ロシアはなぜ侵略行動を起こさなかったのか、又は起こせなかったのかを教えてください。 当時の列強の国内事情及び列強間の関係、日本の事情を重ねて教えていただけると幸いです。

Aベストアンサー

 当然ながら、侵略行動を起こしています。その方法は、今までインドなど人工の多い国の場合と同様の伝統的な方法で行っています。

 インドでは、敵対的な関係の藩王国に、イギリス・フランスなどがそれぞれ借款による資金提供・兵器輸出をして戦争をさせ、提供した資金の返済に「徴税権」などを担保にして、停戦後にその国の税収を差し押さえ、統治機構を徐々に乗っ取っていきました。(借金返済を拒否すれば、資金提供・武器輸出をしてもらえなくなり、敵対国に負けて自国が消滅してしまうので、欧米列強に対して、自国経済の切り売りをしてしまいました。)

 日本でも、薩摩・長州にはイギリスが、幕府にはフランスが支援し、内戦が長期化しても資金提供(後で返済を要求されますが)・武器供与を継続しますという申し入れを受けていました。

 それに対して、徳川慶喜は、鳥羽伏見の戦いで幕府内の主戦派に「鳥羽伏見の戦い」を戦わせて、幕府の自力では内戦に勝てない実態を体験させた後、戦闘行為を放棄し内戦を事実上終結させてしまいました。

 幕府内主戦派には、幕府の必勝作戦として、薩摩・長州軍が江戸に進軍した時点で、当時東洋一といわれた幕府海軍によって、東海道を遠江・駿河で上陸作戦を行い、物資輸送を遮断し、江戸に入場した朝廷軍を干し上げる戦略が提唱されていました。

 これが実行されていた場合、江戸に侵攻した朝廷軍が壊滅し、フランス兵器で武装した関東の幕府軍とイギリス兵器で戦う薩摩・長州などを主体とした名古屋以西の朝廷軍が対峙し続ける長期戦となり、イギリス・フランスに対する借金がどんどん増えて行き、戦争に勝とうとすれば、日本の国家主権にかかわる領土・権利を担保に、お金を借り続けることになっていたでしょう。

 明治維新時に、日本が植民地化されなかった背景には、欧米列強のアジア侵略のパターンを知っていた人々が、『如何に内乱を短期・小規模化して、政権交代をするか。』という点について、努力を重ねたからです。
 戦力を持ちながら、ほとんど戦わずに政権を移譲した「徳川慶喜」は、日本の植民地化を防いだ、隠れた功労者と言えます。(朝廷側が政権を確立するまでに幕府兵力とまともに戦ったのは、鳥羽伏見と上野の彰義隊程度で、合計二日しかありません。)

 当然ながら、侵略行動を起こしています。その方法は、今までインドなど人工の多い国の場合と同様の伝統的な方法で行っています。

 インドでは、敵対的な関係の藩王国に、イギリス・フランスなどがそれぞれ借款による資金提供・兵器輸出をして戦争をさせ、提供した資金の返済に「徴税権」などを担保にして、停戦後にその国の税収を差し押さえ、統治機構を徐々に乗っ取っていきました。(借金返済を拒否すれば、資金提供・武器輸出をしてもらえなくなり、敵対国に負けて自国が消滅してしまうので、欧米列強に対...続きを読む

Qなぜ19世紀日本は植民地支配されなかったのか?

題の通りなんですが、なぜ19世紀日本は植民地支配されなかったのでしょうか?

植民地支配されてもおかしくない状況であったのに欧米が進出してこなかったのにはどんな理由があるのでしょうか?

どんな意見でもかまいませんので回答していただけると光栄です。

Aベストアンサー

とにかくヨーロッパから遠かった。
欧州各国は手近な順でアメリカ→アフリカ→中近東→南アジア→東南アジアと植民地化してきたゆえに、極東の島国は一番最後になった。
19世紀前半から中盤は欧米でゴタゴタが多く、各国とも勢力拡大に力が入っていなかった。(南北戦争、ボーア戦争、クリミア戦争、フランス第2帝政...etc)
また、隣国に中国と言う”おいしい”土地があるので、あまり日本が目に入らなかった。

植民地化の取っ掛りには、キリスト教の布教が使われるが、日本では禁教されていたため侵入がむずかしかった。
仏教、神道がの生活の隅々まで行きわたる一方、当時の日本人は宗教の”まやかし”の部分もちゃんと理解していた。

当時、日本の文明のレベル(特に底辺のレベル)が高く、西欧文明を日本流に取り入れることに成功した。
実は、他の植民地となった国々はこれが出来ず、欧米人の思うようにコントロールされてしまっている。
例えば、日本人はヨーロッパ人以上の識字率を誇っていた。
一部のインテリが欧米を見て知識を得ると、すぐに翻訳したり本を書いたりして、
それを印刷(江戸時代からの木版印刷、貸本屋のインフラがあった)し、あっという間に全国民に広めた。
寺子屋の伝統があったので国民皆教育の立ち上げも早かった。
市場経済のインフラもすでにあったので、欧米の商人と対等に渡りあえた。

明治維新が驚異的に早く終結した。
たいていの国々は封建制→中央集権制の変換に100年はかかり、
この間に国土は荒れ、富も消耗し、人材は消失し、国民の間に憎悪だけが蓄積する。
この間に先進国にいろいろな利権を奪われる。
これが最小限で済んでしまった。
また、幕府側も新政府側もそのことを熟知しており、さっさと手締めした。

とにかくヨーロッパから遠かった。
欧州各国は手近な順でアメリカ→アフリカ→中近東→南アジア→東南アジアと植民地化してきたゆえに、極東の島国は一番最後になった。
19世紀前半から中盤は欧米でゴタゴタが多く、各国とも勢力拡大に力が入っていなかった。(南北戦争、ボーア戦争、クリミア戦争、フランス第2帝政...etc)
また、隣国に中国と言う”おいしい”土地があるので、あまり日本が目に入らなかった。

植民地化の取っ掛りには、キリスト教の布教が使われるが、日本では禁教されていたため侵入がむずかし...続きを読む

Q身近な法律について

僕たちの日常に密接な関係のある法律、身近な法律はどのようなものがあるのか、その法律と生活との関係をふまえて教えてください。
また、法律があることによって社会はどのように機能しているのか、法律がなくなってしまうとどうなってしまうのか、ということも教えていただければ幸いです。

Aベストアンサー

たいしたことでは無いのですが
売買契約はお客の申し込みとお店側の承諾で
意思表示の一致ががあって成立します。
そして
お客にはお店側に代金を支払う債務
お店側にはお客に商品を引き渡す債務が
それぞれ生じます。
これが売買契約です。
売買契約には法的拘束力があります。(守らなかった時に強制される)

コンビニのたとえで言うとレジに商品を持っていく行為が(申し込み)レジを通して00円になりますってい言う行為が承諾にあたると思います。

これは法律を意識しなくても
道徳的に当たり前のことですね。

契約によって両者共に満足している時は法律の出番はありません。
しかし問題が生じた場合のために法律によってさまざまな規定があるのです。

例えば
コンビニで肉まんが欲しいと思っていて「これください」と言って、店員さんが「はい、いいですよ。」といったら契約は成立しますが、実はよく見たらあんまんだった。
この場合お客さんが勘違い(錯誤)をしていてこの契約には法的拘束力が無く無効といえます。

他にもたくさんの例が考えられますが長くなるのでこの辺にしておきます。
文字数は多いけどたいしたこといってません。
ちなみに間違ってたらごめんなさい。法学部の学生です。

たいしたことでは無いのですが
売買契約はお客の申し込みとお店側の承諾で
意思表示の一致ががあって成立します。
そして
お客にはお店側に代金を支払う債務
お店側にはお客に商品を引き渡す債務が
それぞれ生じます。
これが売買契約です。
売買契約には法的拘束力があります。(守らなかった時に強制される)

コンビニのたとえで言うとレジに商品を持っていく行為が(申し込み)レジを通して00円になりますってい言う行為が承諾にあたると思います。

これは法律を意識しなくても
道徳的に当た...続きを読む

Q国会と内閣の違いを簡単に教えてください!!

国会・内閣・裁判所って三権分立であるじゃないですか?それで、裁判所と国会は建物もあるし、なんとなくは分かるんですけど、内閣って一体なんなんですか??内閣には国会議事堂や裁判所のような建物とかって無いですよね??(間違ってたら指摘お願いします!)
じゃあ内閣って一体どこにあるんですか?内閣で一番偉い人は首相。つまり今は小泉総理ですよね?じゃあ国会で一番えらい人って誰なんですか?今の僕の意識では国会の中に内閣がある。っていう感じなんですけど、コレって間違ってますか??教えてください!

Aベストアンサー

 簡単にいいますと、国会は法律を作り、内閣は実務(実際の行政)を担当し、裁判所は法の執行を行う
これが三権分立ですね。
どこが違うか?って全然仕事が違います。

 しかし、内閣は「こういう法律を作ってください」と言うことはできます。
法律案のほとんどは内閣提出です。
でも、それを認めるかどうかを決めるのは国会です。
今年度の予算をどういうふうに使うかを決めるのは、実際に仕事をする内閣ですが
国会はそれを事前にチェックしたり(予算審議)、
実際の使い方をチェックし、ミスを指摘する(こちらは決算)ことができます。
このように、お互い独立して仕事をしていますが
自分の担当だからといって自分勝手な行動をとらないようにチェックしあっているのです。
ですから、どこが偉いということはありません。
3つとも同じ地位にあります。
総理大臣は必ず国会議員ですから
「国会の中に内閣がある」というような気もしますが
そうすると、国会議員の中でも偉い人が総理大臣、
つまり国会より内閣の方が偉い!ということになってしまいますから
その認識は正確ではありませんね。

 内閣はどこにあるか?ですが
内閣には総理大臣のもとにたくさんの省庁がありますね。
外務省とか財務省とか、防衛庁もそうです。
その建物の一つ一つが内閣をつくっています。
仕事が膨大で職員の規模も大きいので、
まとめてどこかに置くというわけにはいかないのです。
内閣のまとめ役の総理大臣の城である首相官邸が一番小さかったりします。
紛らわしいですが、内閣府は内閣の一つの機関にすぎませんのでお間違えなく。

 最後に、国会で一番偉い人ですが
やはり衆議院、参議院の議長でしょうね。
議長は野党でも与党でもなく、中立の立場にいます。
議長、副議長になると、党を離れて無所属になるんですよ。
ですから、与党からも野党からも敬われる存在です。
とはいえ、話し合いを重んじるのが議会ですから
偉いからといって何でもできるわけではないですけど。

 簡単にいいますと、国会は法律を作り、内閣は実務(実際の行政)を担当し、裁判所は法の執行を行う
これが三権分立ですね。
どこが違うか?って全然仕事が違います。

 しかし、内閣は「こういう法律を作ってください」と言うことはできます。
法律案のほとんどは内閣提出です。
でも、それを認めるかどうかを決めるのは国会です。
今年度の予算をどういうふうに使うかを決めるのは、実際に仕事をする内閣ですが
国会はそれを事前にチェックしたり(予算審議)、
実際の使い方をチェックし、ミスを指...続きを読む

Q開国後貿易におけるイギリスの優位性

修好通商条約締結国はアメリカが最初だったのに蓋を開けるとイギリスが55.3%で1位になってます(アメリカは31.7%)。この理由を、ある問題の解説では「アメリカでは南北戦争が起きたのでそれどころではなかったから」となっています。ところが南北戦争は1861年でイギリスが1位になっているグラフは1860年のものなのです。南北戦争が始まる前からイギリスが優位につけていたのです。もともとイギリスの産業革命は綿織物業からスタートしたものなので、という説明でも一応理解はできるのですが、いまいち納得できません。それならアメリカだって黒人奴隷を使うほど綿花栽培はしていたでしょうから。となるとイギリスの方が製品化に優れていてアメリカより安価な綿織物が供給できたという理由になるのでしょうか?それともイギリスに有利に働く政治的意向が介入していたのでしょうか?

Aベストアンサー

 アメリカは広大な大陸国家で、当時急速に開発が進んでいた西海岸の住民にとって、工業化・商業の活発化は、豊かになるために必要不可欠でした。
 ところが、ヨーロッパと貿易が出来た東海岸と違って、西海岸は物資の運搬や貿易に大きな壁がありました。

 最初のアメリカ大陸横断鉄道開通・・・1869年

 という事実でも分かるように、西海岸の人々が取引する相手は、東洋しかなかったのです。

 ところが東洋の大国、中国はアヘン戦争(1840年:イギリスVS中国)やアロー号戦争(1857~1860年:イギリス・フランスVS中国)によって、ヨーロッパ列強の強力な地盤となってしまっていました。

 中国との貿易では、条約上はイギリス・フランスと同等の権利を獲得したアメリカでしたが、戦争には参加しなかったため、イギリスやフランスのように、中国から補給基地となる土地を獲得していません。

 アメリカが太平洋上に補給基地となる土地を獲得するのは
 ハワイ王国崩壊・・・・・・・・・・・・・・・・1893年
 アメリカのハワイ併合・・・・・・・・・・・1898年
 アメリカ=スペイン戦争・・・・・・・・・・1898年
 (アメリカはグアム・フィリピンを獲得)
 20世紀になる直前なのです。

 蒸気船全盛期の時代に、アメリカ本土から往復分の石炭・水を積んでいくのでは、商品をたくさん積むことが出来ません。

 そこで、帰りの石炭・水を積みこめる基地が欲しかったのです。

 日本との貿易額が、イギリス55パーセントでアメリカが33パーセントというのは、その当時の国力、地理的位置、中国の貿易拠点の規模から見て、妥当な値だと思います。

 アメリカの経済規模がイギリスを上回ったのは、第一次世界大戦で、ヨーロッパ諸国が戦場となったとき、安全な後方で戦争のための物資を生産し大もうけした結果です。
 こ時期のアメリカの経済力は、当時全盛期であったイギリスの半分以下と見てよいと思います。

 アメリカは広大な大陸国家で、当時急速に開発が進んでいた西海岸の住民にとって、工業化・商業の活発化は、豊かになるために必要不可欠でした。
 ところが、ヨーロッパと貿易が出来た東海岸と違って、西海岸は物資の運搬や貿易に大きな壁がありました。

 最初のアメリカ大陸横断鉄道開通・・・1869年

 という事実でも分かるように、西海岸の人々が取引する相手は、東洋しかなかったのです。

 ところが東洋の大国、中国はアヘン戦争(1840年:イギリスVS中国)やアロー号戦争(1857...続きを読む

Q江戸幕府はなぜ開国したか。

中学校の授業での宿題です。
江戸幕府はなぜ開国したか
について教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

中学での宿題ということを考慮して回答します。
まず、ペリー来航以前の状況をしらべてください。イギリス船が長崎にはいってきたり、ロシアが着ていたりします。
 また、漂流民の帰還ということで外国の事情がわかり始めてきたのでしょう。そこで時代の趨勢として鎖国は難しいという判断があったのは当然でいつかは開国になったとおもいます。
 ここらあたりは誰でも回答してくるのでちょっと違った側面から調べてみてはどうでしょうか?それは航海技術の進歩です。鎖国が行われた当時太平洋、大西洋を安全に一気に渡るのは不可能でした。しかし、ペリーはやすやすと太平洋を横断しており、それぞれの国も補給をしながらでも日本に直行しています。このように高度な航海技術が発達するとそれまで日本を守っていた海というのが、今度はどこから外国船が来るかわからない状況になってしまいます。(日露戦争のころでもバルチック艦隊の位置を知ることが日本海海戦の重要なポイントになりました)
 以前なら東南アジアを拠点として九州ぐらいまで着ていたのが一気に日本の海岸どこでも来航できる状況になったのです。

Q開国のメリット・デメリット

学校の社会のテストでこういう問題が事前に配られたのですが・・
        --問題--
ぺリーの来航より日本は200年以上続いてきた鎖国政策をやめて開国を決断した。この開国について次の問いに答えなさい。

(1)あなたがもしこの時代に生きていたとしたら開国に賛成か反対かをそ
 の理由を明確にして答えなさい。


というものです。。テストがもうすぐなのでできれば早めにお願いします。。

開国のメリットとデメリットを書いてくださるだけでいいです!!
本当に困ってるのでお願いします!!!

Aベストアンサー

 立場によります。
 (1)幕府のトップであれば様々な情報(オランダからの)に接しています。1840年に中国がアヘン戦争でイギリスに負けたとか、アメリカが艦隊を派遣してもうすぐ日本に来そうだとか。
 この場合は、基本的には開国を選択するでしょう。戦っても負けそうだから。
 (2)それ以外。ろくに情報がない場合、「外国人」=「怖い」というイメージがあったり、「日本は神様の国なのに、外国人が土足で入ってくるのは許せねぇ!」という考え方ですから開国にはとにかく反対!ということになるでしょう。
 「この時代に生きている」という設定は、この二種類の考え方しかない、という結論となります。
 つまり、「開国のメリット・デメリット」というのは、現在(2008年)から見た、という事になりますから、「開国してどうなったか」が分かっていることになり、「この時代に生きていた」とは別物であることになります。

Qなぜ国務大臣の過半数は国会議員なのか

国務大臣の過半数は国会議員、と憲法で定められていますが、それは何故でしょうか?
それによるメリットなど教えてください。

Aベストアンサー

戦前の体制を否定するため。

日本国憲法は、アメリカが考える日本のあるべき姿を規定したものになります。
日本が軍国主義になったのは、民意の反映しない内閣ができあがったからだと、アメリカ人は考えた。なので、内閣は半数以上が議員(民意によって選ばれた人)にすれば、大丈夫と考えた。
文民でなければならないという条項も同様です。


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