いちばん失敗した人決定戦

1. 甘えの哲学です。

2. あなたは 天皇や皇后にあまえることが出来ますか?

3. 首相や政治家には?

4. タレントやアイドルには?

5. ご自分には?

6. 親や友だちには 甘えますよね?

7. それとも世に見られるアマエというアマエは 擬制(擬製)でありすべては
アニメの世界ですか?

8. この世は ヴァ―チュアルな世界しかありませんか?

9. 世界の人びとは どうでしょう? 実際は甘えているか? もしくは 日本
人のようにかつては甘えていたか?

10. これらのやり取りをきっかけとしてアマエチカを理論づけていければと思
っています。

A 回答 (16件中1~10件)

こんにちは、ぶらじゅろ~ぬさん・風見鶏さん・yy8さん・blueさん。



毒快力が足りなくて澄みません。今回は甘える対象についてのお話しでしたね。僕はなんでもアリだと思いますよ。使えるもんは使っとけって思ってます。だって僕が生きていることがいつだって最優先だから。甘える対象なんか花でも海でも犬でも猫でもパズルでもカンバスでもザリガニでも何でもよろしいでせう。これは僕だけでなく僕以外の人も実はみんなそうなのではないでせうか。芸術や音楽でもよろしい。

赤ん坊はおっぱいが大好きで、おっぱいに甘えます。1年ぐらいすると甘える対象がかなり広がります。家の中なら積み木や絵本やクレヨン他、米櫃の米を撒き散らしたりティッシュペーパーで部屋を雪景色にしたり口紅で壁にお絵描きをしたり買ったばかりの生卵をあちこちに投げつけたり、すべてを自分のオモチャにして愉快になることができます。まあ甘えたい放題ですね、このころは。さうして親はブチ切れるんです、ええ叱るんです、このやうなことはしてくれるな!と怖い顔で叱り倒すのです。さて、このとき1歳の子どもT君は「母ちゃんは【悪い】ヤツだ!オレのしたことに文句をつけたのだから【善い】ヤツではない!こいつにはもう二度と甘えるもんか!こいつとは絶縁だ絶縁!」と考えるでせうか。そんなことはまずないでせう。T君は自覚していないかもしれないけれどT君は自分が生きていることを優先しているからです。そうやつて生きているうちにT君は「オレの母ちゃんは笑っているときと怒っているときがあるらしい・喜んでいるときと悲しんでいるときがあるらしい、でも全部オレの母ちゃんであって同一人物であって、オレと一緒に笑う母ちゃんや喜ぶ母ちゃんが消えるわけではないらしい、。まあときどき怖い顔もするけどとにかくオレのかあちゃんはいつでもそこにいてオレの安全基地になるらしいだからオレは大丈夫。」というやうなことを学習します。このときT君が獲得するのが【対象恒常性】【安心感】【自己肯定感】【自尊心】です。漢字が読めない方がおられるやうなのでもう一度書きますが【自尊心】といいますのは「みづからをとうとぶちから」と書きます。己を大切にする力、まあ【自己中力】ともいうかもしれません。これは生きる上で最低限必要な基本の「キ」で、これが無い人は、自分では気づいていないかもしれないけれど、死んでいるのだと思ひます。
さらに2年ぐらい経ち、3歳ぐらいになると更に甘える対象がうんと広がります。保育園の保育士さん・友達・友達かどうかも分からないけど隣にいる誰々くんや誰々ちゃん・近所のヲっさん・など。yy8さんやblUeさんは3歳児の喧嘩(≒甘え合い)をご覧になったことがありますか。アイツがオレの使ってたスコップを取っただとか、せっかくオレが作った積み木アートをアイツが壊しやがったからアイツを殴ってやっただとか、ものすごく生命力が溢れており感動しますよ。これは【自尊心】や【自己中力?】などの能力を持っている同士が自分の意見を主張し合っているという大変うつくしい姿です。しかし3歳児はさらに考えます。「今日はムカついたけど、でもオレ今日も夕方までアイツと一緒に過ごすのだし明日もアイツと一緒に生活するのだし、さっき喧嘩しちゃったけどお互い平和に仲良くした方がよさそうだ、そうだお互い甘え合っちゃった方がよさそうだ」といって3歳児の【社会】を生きるやうになります。こんなころではないかしら。【社会】でオレが生きていくためには自己主張をしなくてはならないし、だから友達と喧嘩をすることもあるし、友達を傷付けたりすることもある、でもオレが生きているのが優先で、でも友達とは仲良くしたい、オレ大事アイツも大事、オレもアイツもどっちもOK、だから話をしよう!と考えるのはこんな頃ではないかしら。5歳だったり7歳だったり10歳だったりバラつきはあるけど、だいたい【生きている人】は通過していると思ひます。
自分は誰にも甘えない!という人たちに関しては、それは【甘・え・て・い・る・と・い・う・自・覚・が・な・い・だ・け・だ・よ・ね・ご・愁・傷・さ・ま」と断言します。甘えている自覚がないのは【己がどうあるか】を観ようとしていないのでせう。かういう死人たちと話すのは僕の仕事ではありません。

僕は今日もいつも通り老人ホームで仕事をしました。僕は雑用係りだから、1階のデイサービスルームから4階の特養エリアまで、どこにでも行きます。今日もいつも通り入居者さんや介護士さんや事務員さんなど、だいたい100人ぐらいの皆様に【おはようございます】【こんにちは】と挨拶をしました。このやふに今日も僕は100人ぐらいの皆様に【甘えさせていただきました】。僕は僕のために皆様に挨拶をしました。繰り返しますが僕は僕のために皆様に挨拶をしました。ひとに【おはようございます】【こんにちは】と声をかけることができる!こんなことで僕は気持ちよくなることができるのです。これを【自己中力】といいます。こんなことができるのは【自尊心】があるからです。甘えているのは老人ホームの入居者さんなのか僕なのか?もちろん僕でせう。僕は【自尊心】を持っています。だからこのやふに隣人にいつでも甘えさせていただきます。さうしないと僕は生きていられません。yy8様におかれましては、ずいぶん無責任に甘えておられるやうですが、あなたの歪みまくった「甘え」を受け取るのはわたしの仕事ではありません。質問主のbrageloneさんの仕事でもないし、他の回答者様の仕事でもありません。yy8様はご自身が甘え過ぎていることを自覚しておられますか?brageloneさんにもblueさんにもcyototuさんにも、あなたはいつもいつも無責任に甘えっぱなしですよね。本当に自覚がないのですか?あなたは僕にもさんざん甘えまくっているのですが?自覚がないのですか?あなたはそこまで念な人だったのですかyy8さん。ここまで僕やbrageloneさんにさんざん甘えまくっておいて、【オレは甘えていない!】と言えるほどyy8さんはタワケでしたか?
僕は生活費稼ぎが優先だからしゃべる暇がないかもしれず、そのときは、ヴァーチャルの世界で架空のneutralというヤツにジャブやストレートやフックやアッパーやボギーを喰らわしてスッキリ!みたいなマスターベーションをなさるのもよろしいのではないかと思いますyy8さん。【虚栄心】がやたら強いyy8さん。それは【自尊心】とは呼びません。僕はあなたとは別の【自尊心】を持っており、それを大切にしています。yy8さん、冷静な判断や慎重な行動ができていないやうですが、恥ずかしいと思わないのですか。

僕は明日も老人ホームで仕事だから、これからメシ食ってシャワーして寝ます。僕は明日も老人ホームの職員や入居者さんに挨拶をします。僕が気持ちよくなるからです。このやうにして僕は明日も人に甘えます。なんか言い忘れているやうな気がしますが、僕はとりあへずメシを食って寝なくてはならないので、質問者様にも甘えることにして今日は消えます。ぢゃあね。
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この回答へのお礼

★ そうやつて生きているうちにT君は「オレの母ちゃんは笑っている
ときと怒っているときがあるらしい・喜んでいるときと悲しんでいると
きがあるらしい、でも全部オレの母ちゃんであって同一人物であって、
オレと一緒に笑う母ちゃんや喜ぶ母ちゃんが消えるわけではないらしい。
まあときどき怖い顔もするけどとにかくオレのかあちゃんはいつでもそ
こにいてオレの安全基地になるらしいだからオレは大丈夫。」というや
うなことを学習します。
☆ 自己中心的であるからこそ この整理と学習ができる。

甘えていられるからこそ その甘え合いをより高いところへと上げるよ
うにして 互いに世界を甘えることのできる場として行こうと。

ですかね。

にゅうとらるさん こんばんは。ご回答をありがとうございますでした。

お礼日時:2016/04/30 20:02

共有、には依存感が忍び込んでいる、ように思います。


そうして依存感・イコール・甘え感、と繋がって行くような。

また、甘えと甘え感に違いがあるかも、とか。

何か違いを抽出、来ますか。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

《怒り》と《甘え》とのあいだでそれぞれの要素を《共有する》という
のは (1) どちらもキッカケとして発動するものであり (2)そ
の一瞬のウゴキであると思われるところです。

(3) どちらかと言うと むしろ感情や良し悪しの判断から中立であ
るとさえ見られるところです。

《甘え》が発動されるのは どういうキッカケになるのかと言うと け
っきょく《おだやかに話がしたい》であり それにプラスすることとし
ては 《自分のほうの言い分を聞いて欲しい》であろうと思われます。

《怒り》が発動されるのは 何らかのかたちで自分のその今の立ち場や
状態が侵されたのではないかという知覚を持って これに対して自己を
防衛するというウゴキであり そのウゴキの初めの一瞬に起きる勢いづ
けであるようだと考えられることです。むしろ 自己を元気づけるため
に《怒り》を起こすというような。

《怒りつづけている》という表現は 事態が必ずしもそうなのではなく
そのつど初めに起きた怒りの感覚を反芻するかのように想い起こし そ
の怒りの感情をあらたにしてそのつど自己防衛のウゴキを反復する。の
だと見るからです。

甘えも同じく ずっと甘え続けるというコトはなくて そのつど甘えと
いうキッカケを反復して《話をしたい。こちらの言い分を聞いて欲しい》
という本題へと入りたい。のだと見られるのではないか。


《話をしたいし自分の言い分を聞いて欲しい》というのは 当然のごと
く誰もが持っている意向であり意志です。

そこで助け合いやゆづりあひが行なわれると考えられますし あるいは
同じく現われると思われるところの相互の依存関係というのは 必ずし
も人間性に逆らうウゴキや状態ではないと思われます。

甘えや依存ということに何ら問題はない。こう考えます。

お礼日時:2016/05/01 23:39

感情と甘え


意志と甘え
理性と甘え?

こんなことに付いて考えて見るのも面白そうですね。
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この回答へのお礼

けっきょくそういうことでしょうね。

たとえばこれは 期せずしてにゅうとらりんぐ氏の問い求め
として出たものが共有されている主題ですが 《怒り》とは
何か? があります。

怒りとは たいていまづは自己防衛の反応として起こるもの
でそれはその時の一瞬の――むしろ感情として中立的な――
出来事としてあり もし言うならば 自己を元気づける作用
なのではないかとわたしは考えました。

そのあとおこなう対処の仕方に当たって自分に喝を入れると
いうような。

それと同じように どちらかと言えばこちらから働きかける
ウゴキを持つとき その相手と接する瞬間に(または 相手
を自分の心の中に想定したその瞬間に) 自然に・そして自
然の思いとして 相手に甘える姿勢になっている。というよ
うな。・・・

相手が相手な場合 緊張するというときにも 緊張すること
をみちびくそのキッカケが甘えであるような。

理性や意志をみちびく役目を担うような。
相手との関係で本題となる事柄やそこに伴なわれる感情とは
別の先導役であるような。・・・

わいわいえいとさん ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/05/01 07:22

No9さんへ



>◇自分へ。
お前は2級障害者だから医療費を免除されている。国民のみなさまの税金で診察を受け薬をもらっている。お前は多くの人々に甘えまくっている。カッコ悪い。嗚呼なんてお前は惨めなのだ!これほどの恥を晒してまで生きるのかお前は!…………。……。生きてて悪かったね、でも僕は明日も生きてるよ、悪かったね。いや、悪かったね、なんて二度と言ってやるもんか。僕が生きているのは当たり前ではないか。

当たり前だ!誰が謝るもんか!生きて生きて生きまくれ!

こちらはぶらじゅろんぬさんへの「甘え」でした。

失礼しました。
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この回答へのお礼

いえいえ。
このしょぼくれた問い方の質問でしたが もしこうして個別性
としての事柄を採り込むことができましたら そこから出発す
る哲学のやり方だったかも知れません。

という自己弁護をみちびく甘えになりました。とほほ。

ぐらす_るーつさん ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/05/01 07:06

こんばんは。



瀬里香さんの言葉、耳が痛いです。これはわたしに向けられた言葉のように感じました。(汗)

また「T君のお話し」を聞いていて、現在のわたしはこのレベルにさえ達していないと思いました。
つまり相手の行動、言葉をなかなか分割できません。一人の人間をホルスタインのように、101匹ワンちゃんのように、黒いところもあるけど、白いところもあると、云う風に認識することが困難です。こいつは「黒」こいつこそ「白」と決めつけてしまうようです。

瀬里香さんも分かると思うけど
わたしは

>「母ちゃんは【悪い】ヤツだ!オレのしたことに文句をつけたのだから【善い】ヤツではない!こいつにはもう二度と甘えるもんか!こいつとは絶縁だ絶縁!」

このタイプです(苦笑)

で、

>「オレの母ちゃんは笑っているときと怒っているときがあるらしい・喜んでいるときと悲しんでいるときがあるらしい、でも全部オレの母ちゃんであって同一人物であって、オレと一緒に笑う母ちゃんや喜ぶ母ちゃんが消えるわけではないらしい、。まあときどき怖い顔もするけどとにかくオレのかあちゃんはいつでもそこにいてオレの安全基地になるらしいだからオレは大丈夫。」

これはわたしにとっては相当に難易度の高い認識パターンです。

>「今日はムカついたけど、でもオレ今日も夕方までアイツと一緒に過ごすのだし明日もアイツと一緒に生活するのだし、さっき喧嘩しちゃったけどお互い平和に仲良くした方がよさそうだ、そうだお互い甘え合っちゃった方がよさそうだ」といって3歳児の【社会】を生きるやうになります。

というわたしにとっては高度な認識の基礎に

>T君は自覚していないかもしれないけれどT君は自分が生きていることを優先しているからです。

なるほどね。生きるためには「人を否定していたら孤立する」という本能でしょうか?
と、いうことはわたしはどうやら何かが壊れているようです。(これは皮肉ではありません)

後に続く「老人ホーム」で、甘えているのはわたし、というのもよくわかります。人助けは自分を助けることにつながるのでしょう。
差し伸べた手を摑んでもらえた時に、わたしは彼を助けた、以上に、彼に手を差し伸べてもらっているのだと思います。

いや、とても考えさせられました、(いつものことながら)どうやらわたしはへんのようです(苦笑)

瀬里香さん、ありがとうございました。ぶらじゅろんぬさんも。

みなさん、よい連休を。

yy8さんも!
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この回答へのお礼

ここは ぶっきらぼうを決め込みましょうかね。
――という甘えになるでしょうか。

ぐらす_るーつさん お早うございます。
ご回答をありがとうございます。

時化た問い方の質問でしたが にゅうとらりんぐさんが活性化して
くれたようです。そしてもちろんみなさんもですが。

黒か白かを追究しなおも問い求めるところに その向きをぎゃくに
すると どこかにさとりの境地が見え隠れしているような。・・・

あっ。口出ししちゃった。このぶっきらぼうめ!

お礼日時:2016/05/01 06:56

甘え、の心情に強弱、あるいは度合いという“性向”は有ると見ていますか。

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この回答へのお礼

どうなんでしょうか。ご回答をありがとうございます。

これについても ぶっつけ本番ですが。そうですね。
甘えは きっかけとして発動するものだと思うのです。

甘えを振る舞いとして続けるというのではなく 甘え
を発動してキッカケをつくり そのあと一緒に話をす
るとか どこかへ行こうとかというような・むしろ別
の内容がつづくのではないか。

ですから 甘えをきっかけにしたあとは ふつうにマ
ジハリを成す。のではないかと考えますね。

甘え続けるという場合は キッカケをそのつど発動し
ているのだと見られるのではないか? 振る舞いの内
容は ものをねだったり どこかへ連れて行ってと言
ったりすることではないかと。

甘えは 実際には一瞬のウゴキであるような。・・・

どうでしょうか。

お礼日時:2016/05/01 00:36

怒りとか嫌悪感とかも甘えの変形だと捉えるわけですね。

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この回答へのお礼

カカハリ(関係性)とマジハリ(交通)においては
相手があることなわけですから 甘えが発動してい
るものと思われます。

甘えが拒絶された場合に 怒ったり嫌ったりするも
のと思います。


ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/04/30 23:45

自分自身に付いては自尊心が強いと思って来ましたが、そうではなくて虚栄心が強かったんだと思えました。


だからこれを切っ掛けに、私は虚栄心が強い男だと言う事にします。

甘え、に付いてはまだ疑問がいっぱい有ります。

甘え、が絡まない事柄って何か有るだろうか、とか。
有るとすれば、それを見出すことで“望む答え”に近づくかも知れません。

ブラジュロンヌさん、視点をこちらのほうにも向けて見てくれませんか。
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この回答へのお礼

土曜日の夜が わたしはいちばんくつろぎます。
ご回答をありがとうございます。

★ 甘え、が絡まない事柄って何か有るだろうか
☆ ないと思いますよ。

主観がからむかぎり 自己チューから無関係なことはないと
思いますし 主観がほかの人の主観とカカハリを持つかぎり
どういう人間関係をのぞみ願っているかの問題として甘えが
絡んでいる。のではないかと。

お礼日時:2016/04/30 22:27

brageloneさん。

たびたび甘えさせてもらって澄まん。濁ってるなあ僕は。なんか冴えない。

◇7番へ。
>私がこれまで思っていた自尊心は“能動型”。
>でも、neutralingさんの自尊心は“受動型”であると。
:あなたの瞳も濁っていると思ひます。己さへ見えていないと思ひます。己さへ見えていないのだから他人を観たり想像したりすることは、あなたにとって限りなく不可能に近いでせう。できていると言い張るのならそれはあなたの勘違いでせう。あなたは独りで何十年も生きてきたのでせうか。誰の世話にもならず、隣人を切り捨てて生きてきたのでせうか。あなたがこれほど【自尊心といふ島】からかけ離れた【ルサンチンマンの海で溺れている自分に酔っぱらっている】のは何故なのか、そんなことは僕の知ったことではありません。それにしても毎回毎回いつでもどこでも誰にでも、さりげなく失礼なことをシラ~っと呟きますよねあなたは。これで「自分は甘えていない」というのだから憐れに思ひます。以上は前置きで、少し訂正させていただきます。
あなたの自尊心が能動型でわたしの自尊心が受動型、はい?僕はキミもどきに決めつけられるのも裁かれるのも好きません嫌いです。僕の言葉で表現すると、キミの自尊心が【死にかけ】、僕の自尊心が【生まれたてほやほや】だからまあどっちも使えない。僕はこれからそいつを使えるようにうんと甘えるけどね。【死にかけ】のほうは、甘えないと死ぬと思ふのだけど、それでもカッコ付けるやつは死ぬのだし、そいつはバカだと思ひます。


◇1番の雪山へ。
>自殺は甘え。
:はい、完全に同意します。これ以上無責任な甘え方はないでせうね、という点で同意します。しかし他に甘え方がいくらでもあり、視野狭窄から脱出して他の甘え方をどんどん追求して学習して実践しまくる、甘えまくる、という生き方も悪くないと思ふのですが如何お考えになりますか。


◇自分へ。
お前は2級障害者だから医療費を免除されている。国民のみなさまの税金で診察を受け薬をもらっている。お前は多くの人々に甘えまくっている。カッコ悪い。嗚呼なんてお前は惨めなのだ!これほどの恥を晒してまで生きるのかお前は!…………。……。生きてて悪かったね、でも僕は明日も生きてるよ、悪かったね。いや、悪かったね、なんて二度と言ってやるもんか。僕が生きているのは当たり前ではないか。


◇こんどこそ寝ますおやすみなさいポツっ。もう書くことがありません。しかし批判や反論やご意見はいつでもどなたさまからでも受け付けます。反応できるかどうか分かりませんが必ず拝読いたします。今日は職場で甘えさせていただいた上、こちらでも甘えさせていただきました。いつもさんざん甘えていますが、悪いことはしていませんので僕は誰に対しても堂々としていられます。こちらから無駄な謝罪はいたしません。謝罪を要求された場合は何のどこが何故どのやうにいけなかったのか分かりやすく説明していただき、それで僕が納得できたときは、僕は謝罪すると思ひます。おやすみ。
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この回答へのお礼

ちょっと咎め方が・その言い方が きついように感じましたが
ご自分の気持ちでしょうか。


ご回答をありがとうございます。



こちらも甘えさせてもらっています。

お礼日時:2016/04/30 21:25

neutralingさんの回答をみて思いました。



自尊心、にも二面があるのかも知れないと。

分かりにくいとは思いますが・・・
私がこれまで思っていた自尊心は“能動型”。

でも、neutralingさんの自尊心は“受動型”であると。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

司会役としては:
世界を認識するには おのれを物指しとして測るしかないし その認識の
結果から いかに行動するかを判断する このやり方が基本となる。自己
中心方式。

(おのれの物指しに ほかの人びとの考えを採り入れておくという作業が
すでにおこなわれてもいます)。

この自己ちゅうに《尊》を加えるのでしょうか?

お礼日時:2016/04/29 23:45

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