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俳句指導の文に、「~だから~である」の説明句にならないようにと指導があります。なるほどと自覚はしております。が、水原秋櫻子の句に「咲き満ちて桜撓めり那智の里」があります。良い句と思っているのですが「桜が満開だから枝が撓んでいる」という説明とは言わないのでしょうか。
偉大な俳人の句に対して無礼なことと思いますが、純粋に疑問を感じたので御指導お願いします。説明でない別の解釈があるのかもしれません。よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

客観的な俳句を作るか主観を入れるかの違いかと思います。

ゴーギャン?かゴッホか?はたまたミケランジェロか?何が何だか分からないダリか?
ピカソは理解できない??
と云うようなもので、その人の好みでしか無い。

さて、桜が満開になったからといって花弁の重みで枝が撓むでしょうか?そう見えたのでしょう。
結句の那智の里が此の句にどう響いているのでしょう?別に那智でなくてもと思うでしょう?

俳句の指導は、あくまで「初心者はそうした方が良い」と云うものだが、いつの間にか「そうすべき」と勘違いしている。

季重ねはダメですが、歳時記には
目には青葉山ほととぎす初松魚
が載り、切れ字は二つ用いてはならないと思いますが
降る雪や明治は遠くなりにけり
が人口に膾炙している。

俳句は、十七文字しかなく、季語を引けば更に文字数は減ります。
俳句指導は、念頭に置きつつも、あくまで自身の感性に依るべきだと生意気にも思っております。
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この回答へのお礼

ご指導ありがとうございます。
咲き満ちた桜が枝を撓ませて何か感傷に浸らせたということでなく、枝が撓むほどの満開の桜である。その描写と受け止めればいいのですねかね。さらに勉強いたします。ありがとうこざいました。

お礼日時:2016/06/22 11:10

追加回答です。

秋櫻子の句には有名な風景を詠んだものが多いのですが、そこに行った人でないと、味わえないものがあります。那智の里で、著名な那智の滝を古木の桜の花の下から眺めているのでしょう。別の句、「来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり 」も東大寺三月堂を訪れた人でないと分からぬ意味合いがあり、その点から批判を受ける可能性があります。
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花の重さによって枝が撓んでいるとも受け取れますが、私の感覚では「正直な描写」と受け取れます。

実際桜の枝は、欅と比較するのはおかしいかも知れませんが、撓んでいます。この語によって桜の枝と花のイメージが定着されたと思います。
 指導というようなものでなく、単なる感想です。
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