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No.37
- 回答日時:
#35関連で。
確かに今の状況では、見解の相違として、なるほどそう考える人間もいるのか、だから世の中は理詰めでなんとかなる程単純な世界ではなく、だから増々豊富で面白い世界に生きているんだと考え、他者の意見を参考にしつつ自分の世界観を構築して行けば良いんだと思います。
Grass_Rootsさんの以下の疑問に関して。
>ところで、当事者の存在しない「被害者たち」が死んでしまった後の「戦争の検証」とはいったいなんでしょうか?
戦争、紛争、内戦には、かならず「当事者」がいます。必ず「被害者」います必ず「加害者」がいます。それらは互いにもつれあい、時に一方が加害者であり、一方が被害者であり、それはあざなえるなわの如き様相を呈しています。
それら「当事者」の存在、彼らの発言を捨象した「歴史学」ってなんですか?
猪突さんの意見を敷衍すれば、「当事者」=「利害関係」を有する者が存在する以上、いかなる客観的判断も下し得ないということではありませんか?更に言えば、当事者の存命中は客観的な判断を下すこと能わざる故判断停止しかない。ということでしょうか?
さて、「現場」を知っている人たちがいなくなれば、いわば「死人に口なし」あとからいかようにも都合のいい歴史観は作られますよね。それが「真実」であるとだれが審判するのでしょう?
学問に利害が入る場所はありません。ところが、当事者は常に利害の呪縛から逃れられない。当事者は客観的に自らを把握できないのが、人間の人間たる所以なのです。その制限の下で歴史を歴史学たる学問として信用できるようにするためには、試行錯誤の経験から得られて来た歴史学独自の検証法や方法論や出来上がって来たのです。類似した例では、裁判における本人や証人の言述の正否の認定には裁判制度独自の評価基準がある。ただ単に本人がそうだったと言っただけでは認められないのです。Grass_Rootsさんの希望を満たすのは、歴史学の役割ではなく、多分、学問の範疇に入らない政治の役割だと私は理解しています。もちろん、それは政治学の対象でもありません。
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No.36
- 回答日時:
続けて、
猪突さんと、yy8さんへ。
わたしのFBのドイツの友達はこう言ってきました。
"...Nowadays almost everyone knows about the Nazi crimes, but some right wing extremists deny it. "
さて、所謂ネオナチ含む極右が「ホロコーストはなかった。デッチアゲだ!」という発言はYou Tubeでもよく目にします。
そのネオナチに対して、アウシュウィッツはあったと、論証できますか?
① 不可能
② 困難
③ 出来る
④ どちらともいえない
わたしはここでは一回答者ですので、お答えいただきたいと希望するだけですが、
もしお答えいただけるのなら、理由も併せてお聞かせください。
PS.
わたしのドイツの友人はあなた方の言葉でいう「サヨク」でしょうか?
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No.35
- 回答日時:
①「被害者は自分の都合のいいように嘘をつく」
②「勝ったものは敗者に対し、自分たちの都合のいい考え方を押しつける」
③ ゆえに日本は、この両者が存在している間は常に「犠牲者」である。
このように整理してよろしいですか?
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No.34
- 回答日時:
No.32の猪突さんのご意見に対して、
どうやら事態はわたしの大嫌いなTVバラエティー『朝までナントカ・・・』というレベルになってきたようなので、これ以上は見解の相違ということになりそうです。
上記の猪突さんの言われていることはまだわたしがたまにテレビを見ていたときに、なんども聞かされてきました。
曰く
>『日本近代史の解釈は、(・・・・)戦後70年間大変歪められた状態におかれていました。』
曰く
>『教育や言論界を通じたプロパガンダで擦り込まれて来た近代史の、所謂「真実」なるもの』
曰く
>『日本名を名乗る許可を朝鮮の人々が度々日本政府に申請していた。日本政府も最初の間、朝鮮人が日本名を名乗ることを禁止していたのですが、この摩擦の深刻さを知るようになり、結局創氏改名の許可を出した』、と言うのが経緯だった。
利害関係があるうちは「客観的な歴史判断は不可能」
>歴史が学問としての信用を保証されるためには、利害関係に絡んだその当事者とその直接の関係者が存命中は無理で、従って、少なく
とも100年は掛かると良く言われています。
ところで、当事者の存在しない「被害者たち」が死んでしまった後の「戦争の検証」とはいったいなんでしょうか?
戦争、紛争、内戦には、かならず「当事者」がいます。必ず「被害者」います必ず「加害者」がいます。それらは互いにもつれあい、時に一方が加害者であり、一方が被害者であり、それはあざなえるなわの如き様相を呈しています。
それら「当事者」の存在、彼らの発言を捨象した「歴史学」ってなんですか?
猪突さんの意見を敷衍すれば、「当事者」=「利害関係」を有する者が存在する以上、いかなる客観的判断も下し得ないということではありませんか?更に言えば、当事者の存命中は客観的な判断を下すこと能わざる故判断停止しかない。ということでしょうか?
さて、「現場」を知っている人たちがいなくなれば、いわば「死人に口なし」あとからいかようにも都合のいい歴史観は作られますよね。それが「真実」であるとだれが審判するのでしょう?
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No.33
- 回答日時:
No.11のお礼欄に記されている
>それとも「大衆は愚民?」としたほうが良かったかな。
>衆愚政治?とならないように、知的労働者は二票、肉体労働者は一票とするのはどうでしょうか。
これはこれまでやり取りしてきた猪突さんのどの発言よりもわたしを打ちのめしました。ショックでした。
勿論冗談でしょう。けれどもここでできればこの、
>知的労働者は二票、肉体労働者は一票とするのはどうでしょうか。
の発言の真意を知りたいという、わたしからの要望です。
これは知者は二票、愚者は一票、と言う意味でした。
ここの回答者さんであるisoさんが、愚かな人も賢い人と同じ1票の選挙権を持っていて、そういう人たちがあるべき姿の政治を歪める、と言っていたから。
でもこの提案は小学生の問いかけだと受け止めてほしいです。
深く考えてのことではありません。
知識人ならば知者の一票と愚者の一票の重さ・重要性、にその人それぞれの意見を持っているはずで、その考えを聞く事が出来ればと思ったのです。
敢えて言えば冗談と言うよりは刺激的な提案を、と言う事でした。
でも、もういいです。
No.32
- 回答日時:
#30関連で。
日本近代史の解釈は、日本の敗戦、連合国軍の占領、戦勝国側のプレスコードによる言論統制、朝鮮合併解除による反動、東側の覇者としてのソビエト連邦台頭と東アジアでの中国共産党の勃興、及び、それを賞賛する所謂知識人と言論界の流れ等々によって、戦後70年間大変歪められた状態におかれていました。
近代史の難しさは、その事象に関わった人々の存命中は彼らの利害関係が執拗に絡んで来るので、利害関係を排除して客観的に俯瞰することを大前提とする学問的態度を取ることが不可能であるところにあります。歴史が学問としての信用を保証されるためには、利害関係に絡んだその当事者とその直接の関係者が存命中は無理で、従って、少なくとも100年は掛かると良く言われています。ここが歴史学の面白くも複雑な所です。当事者がいなくなってしまうと、事実関係の詳細の多くの部分が消失してしまう。一方、当事者及びそれと直接繋がった人がいる限り、歴史学の本来の目的である客観的な歴史認識が出来なくなってしまう。このジレンマを解消すべく、歴史学ではその学問固有の歴史資料の研究法や認定法が、試行錯誤の結果、確立されて来たようです。
ですから、私たちも今まで利害関係者たちにより教育や言論界を通じたプロパガンダで擦り込まれて来た近代史の所謂「真実」なるものを改めて一つ一つ再検査して、いよいよ冷静に分析できる状況に近づきつつあると私は考えています。
私が過去に教育されて来たことを思い出すと、例えば、国際連盟の憲章の作成での人種差別撤回条項や民族自決条項の明示の日本政府による提案と、それに関する米国の拒否などを習った覚えがない。私自身最近になってその事実を知って考え込むようになった。創氏改名で当時の朝鮮人から固有の名前を奪い、日本語の強要で韓国語を奪って来たと私自身教育され、また新聞や書物で読んだ記憶がある。しかし、実態はその反対だったようです。当時満州国の創立で、そちらに進出した多くの朝鮮人と、中国の混乱下での群雄割拠の内乱に嫌気をなして比較的安定した満州国に逃げ込んできた中国人たちとの摩擦が嵩じていた。日本人に対しては中国人たちはそんなこと無かったのですが、中国人たちが長年属国として来た朝鮮の人々を見下すのに朝鮮人は耐えられなかったのです。そこで、日本名を名乗る許可を朝鮮の人々が度々日本政府に申請していた。日本政府も最初の間、朝鮮人が日本名を名乗ることを禁止していたのですが、この摩擦の深刻さを知るようになり、結局創氏改名の許可を出した、と言うのが経緯だった。
また、李氏朝鮮の時代、支配者層の両班によってハングル文字を卑しい文字として蔑む文化により、当時の朝鮮人の識字率が10%ほどだった。国民の識字率の向上こそが富国強兵の礎だと認識していた福沢諭吉とその弟子の井上角五郎の努力で、日本でハングルの活版を作らせ、それを朝鮮に持ち込んで両班の反対を押し切って朝鮮で最初のハングル混じりの『漢城旬報』という新聞が発行された。その後の朝鮮合併後、日本政府はそれまで100校程しか無かった小学校を朝鮮全土に5000校までに増やし、当時の朝鮮人たちにハングル語の教科書を作ってハングル語を教えた。その結果、1936年には朝鮮人の識字率が65%まで急激に上昇していた。これは、私が教わっていたのとは正反対だったのですね。
このように、敗戦の混乱があるといろいろなプロパガンダで、しばしば事実とは正反対なことが巷に喧伝されて来た。利害関係が絡むと両者の意見が錯綜としてくる。さて、私たちが受けて来た教育の内容が正しかったのか、あるいは、その反対が正しかったのか。戦後70年も経った今なら、改めて過去を振り返り、以前より相対的に客観的に見られるようになって来たのではないでしょうか。Grass_Rootsさんも私の言うことを鵜呑みに信じることはあり得ないでしょうが、ご自分で調べて、より客観的な判断をなされれば良いのではないでしょうか。
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No.30
- 回答日時:
こんにちは。
No.28の猪突さんのご意見に対して、
>明治開国以来民族自決は日本の国是でした。自力で独立できなかった清の属国だった朝鮮の独立を助けたのが日本でした。アメリカの反対で実現できませんでしたが、国際連盟の憲章の草案作成の際に、人種による差別の禁止と民族自決を人類最初に国際条約に明示するように提案したのが日本でした。大東亜戦争の明確な戦争目的の一つが民族自決でした。戦争前の国際情勢の中で、日本は民族自決の主張を機会あるごとに行って来ました。戦争に負けましたが大東亜戦争で白人優位の情勢が崩れ、日本の戦争目的の一つであった民族自決が実現しました。
いったい何を以て明治以降の日本の東アジアの植民地化と「民族自決」とが並置されうるのでしょう?
いつも本は図書館から借りてくるので、手もとに資料がありませんが、先日読んだ本では、明治期の日本のアジア浸出は、吉田松陰の思想に発し、松下村塾でその影響を受けた所謂明治の元勲たちが、それを実行に移したということです。その本には、松陰自身の言葉が引用されていましたが、それはまた改めて紹介できればと思います。
さて、「大東亜共栄圏」といい、「五族協和」を掲げた満州国建国といい、それがまったく内実の伴わない空言であったことは明らかではないでしょうか?(残念ながらそれはアジア諸国及び世界の常識ではあっても、この国の常識とは見做されてはいないし、そのように認識されることは今後もないだろうとは思いますが・・・)
猪突さんの仰っている明治以降の「民族自決主義」=これは各民族のアイデンティティーを守り、それを最優先することと考えますが、これを過去の欧米諸国のコロニアリズムに対置する概念であると見做すことはまったくできません。
例えば朝鮮半島に対する、「皇民化政策」「内鮮一致」、1911年に始まる「朝鮮教育令」、そして、1939年に公布、翌40年から実施された、(「民族自決」とは全く相容れない)「創氏改名」 、更に現在ではほぼ日本の歴史上からは抹殺された「強制連行」、
それらの史実と
>人種による差別の禁止と民族自決を人類最初に国際条約に明示するように提案したのが日本でした。
とが、どのように結びつくのでしょうか?上記の事例は「各民族のアイデンティティーを確保し、これを護る」どころか、完全な同化政策ではありませんか。
「創氏改名」・・・朝鮮人が朝鮮人の名前を持つことが許されない、日本風の名前にしなければならないという。これのどこが「人種による差別の禁止と民族自決」でしょう?ある日突然法律が出来て、日本に住む佐藤さんに、「お前は今日からサトウなどという、にほんふうの名前をなのることはゆるさないからな!明日からお前は「キム」だ」と言われているのと同じです。
>吉田茂が総理大臣になるに際して、アメリカに対する日本の身の処し方を岳父の牧野伸顕に尋ねたときに、アメリカに敵対して邪魔することなく徹底的にアメリカに従って国政を行え、それが日本が生き残る唯一の道である、との忠告を受けたと吉田茂の自伝で述べています。
なるほど、アメリカに媚び諂えというのは、それこそ戦後日本政治の「国是」というわけですね。
しかしそれでは、日本政府は主体的継続的に " kiss America's ass" しているのであって、戦勝国による敗戦国に対する「洗脳」教育云々ということとは矛盾するのではないでしょうか? つまりアメリカにすれば、なにも「押し付けてはいない!」といえるのでは?
「インターネット」問題その他は、また後程。
No.29
- 回答日時:
#28関連で。
互いに突っ込みどころ万載と言ったところでしょうか。
>なるほど、仰る通りそれは「結果」であって、そのように「意図して」得た「成果」ではありません。
明治開国以来民族自決は日本の国是でした。自力で独立できなかった清の属国だった朝鮮の独立を助けたのが日本でした。アメリカの反対で実現できませんでしたが、国際連盟の憲章の草案作成の際に、人種による差別の禁止と民族自決を人類最初に国際条約に明示するように提案したのが日本でした。大東亜戦争の明確な戦争目的の一つが民族自決でした。戦争前の国際情勢の中で、日本は民族自決の主張を機会あるごとに行って来ました。戦争に負けましたが大東亜戦争で白人優位の情勢が崩れ、日本の戦争目的の一つであった民族自決が実現しました。今時にアメリカで黒人の大統領が実現したのも、この戦争で白人優位がくずされたからだと言っているスペイン人もおります。
>戦後70年間日本が、猪突さんいうところの「戦勝国」(連合国ではなく、一国で日本を占領していた国である)アメリカに媚び諂い続けてきたことはどうなるのでしょうか。何故いつまでも「戦勝国」の言いなりになりたがっているように見えるのでしょうか。
これこそ称賛に値する身の処し方だったと私は評価しております。戦後のGHQの公民権追放令によるドサクサで鳩山一郎から委託されて内閣総理大臣になった吉田茂が総理大臣になるに際して、アメリカに対する日本の身の処し方を岳父の牧野伸顕に尋ねたときに、アメリカに敵対して邪魔することなく徹底的にアメリカに従って国政を行え、それが日本が生き残る唯一の道である、との忠告を受けたと吉田茂の自伝で述べています。吉田茂は、日本社会党が当時のソ連と中国共産党の蜜月を讃えていた真っ最中に、あいつ等は直に仲間割れの戦争をおっぱじめると看破しておりました。事実、吉田茂の予測通りに戦争をおっぱじめました。こと程左様に吉田茂には先見の明があったようです。
余談になりますが、吉田茂が政界引退後大分経ってインタビューされ、年老いても元気な理由を聞かれ、
「そりゃ、あたしは人を喰って生きているからだ」
と答えております。
この70年を振り返って、この国際情勢の中で吉田茂の選択は間違いがなかったと私は評価しています。しかし、敗戦のドサクサの中で成り行きでで出来た状態を甘受しながら世界的にトップのレベルまでに富の蓄積を実現して見せた日本が、そんなドサクサの形態のままでいて良いとは、日本国民ばかりでなく日本と価値観を共有する国々も思ってはおりません。期は熟しつつあります。グッチャルディーニの忠告にしたがって、旧体制の崩壊の遅延を見極めつつ、日本も次の相転移へと移行して、新しい安定解に遷移するべきだと思っています。
戦争を「加害者」「被害者」の切り口から捉えてしまうと、被害者ビジネスが横行し、世界でも例外的に性善説を信じている日本人が、性悪説を信条とする文化の人々のいい鴨になってきて、日本が散々理不尽な目に遇って来たことに気付き始めたのが、ネット普及後の昨今の日本人の多くの方の認識だと私は考えています。
![](http://oshiete.xgoo.jp/images/v2/common/profile/M/noimageicon_setting_11.png?5a7ff87)
No.28
- 回答日時:
こんばんは。
No.25の猪突さんのご意見に対して、
昔から奇異に感じていたのは、日本人が先の大戦を語るときに、決まってある種のグループから持ち出されるのが、過去の欧州によるアジアの植民地支配の問題です。どうしてそこまで射程距離を延ばすのかというと、その必要があるのでしょう。つまり人類の歴史を掘り起こして、何とか自分たちの正当性、というか、「俺たちだけじゃない」といった、アリバイを引っ張り出してきたいのかもしれません。
いうまでもないことですが、優れた民族劣った民族が存在すると考えるのは所謂「レイシスト」たちです。人間みな似たり寄ったりと考えるのが普通でしょう。人間の愚かさは形こそ違え、本質的には何度でも繰り返され得るのです。であれば、わたしたちの考えるべきことは、過去の「愚行」や「蛮行」を持ち出して己を正当化することではなく、何度でも繰り返し、自己を含めた人類というものの在り方を反省することです。「彼の為したことは、いつまたわたしの為しうることかもしれない」という眼差しを自己の内側へと向けることです。
>敗戦国が一方的に悪であり、戦勝国が一方的に善であるような史観は受け入れられません。
敗戦国=悪、戦勝国=善などという等式が当て嵌まるはずがないのです。何故なら戦争当事者に「善も悪も」ないからです。
「日本」イコール「敗戦国」という定義は、いかにもある一面から目を逸らしています。そらされた視点とは「加害者」であるという視点です。そしてアメリカもまた「加害者」です。
>モンゴルの西洋進出以歴史的に見て、日本は欧米に壊滅的な打撃を与えた唯一の非欧米国でした。そのダメージの結果,欧米は止む終えず植民地を手放さざるを得なかったのです。事実、アメリカはフィリピンを手放し、イギリスはインドとビルマを手放し、フランスはインド支那(チャイナ)を手放し、オランダはインドネシアを手放しました。誰が何と言おうと、これは大東亜戦争の結果です。
なるほど、仰る通りそれは「結果」であって、そのように「意図して」得た「成果」ではありません。その他に挙げられている事例も同様です。
>人間のやることは所詮成り行きが大勢を占めています。複雑系を相手にする場合、われわれの理性に頼った理詰めの分析に頼り過ぎる場合、われわれの分析能力の未熟さ故に大変危険であることを、われわれは歴史や経験を通して知っているからです。ですから、複雑系を分析する場合、経験に重きを置きながら成り行きに任せた方が安全だ。
これは正に猪突さんご自身が言われている「成り行き」の結果です。それをあたかも「手柄」や「功績」のように吹聴するのは慎みに欠けることではないでしょうか。
>日本だけが悪であると思わせるようなプロパガンダをこの70年間やって来られてしまった。そろそろ日本の悪事ばかりでなく戦勝国の悪事もおさらいして公平に歴史て、戦勝国も敗戦国も改めることが可能な部分は改め、それが時期尚早で不可能なことは期を待って改めましょうよ、と言うのが私の意見です。
戦後70年間日本が、猪突さんいうところの「戦勝国」(連合国ではなく、一国で日本を占領していた国である)アメリカに媚び諂い続けてきたことはどうなるのでしょうか。何故いつまでも「戦勝国」の言いなりになりたがっているように見えるのでしょうか。
さて、前後しましたが、敗戦国がその名誉を取り戻すには?
>敗戦国がその名誉を取り戻すには、1)手っ取り早い方法では再戦して戦争に勝つか、2)平和裡には、戦後の興奮が冷めて戦勝国対敗戦国の不釣り合いで一方的な歴史解釈でなく、公平に歴史を見ることができる期まで気長に待つ、のどちらかしかないと常々考えていました。
わたしの考えでは、先ず自らのしてきたこと、してこなかったことを見直すことだろうと思います。
ドイツが欧州のみならず世界の信頼を勝ち得たのは、自らの手で、自らを裁く勇気を持っていたからだろうと思います。
上記1)が問題外なのは言うを待ちません。
そして2)の「戦勝国対敗戦国の不釣り合いで一方的な歴史解釈でなく」「公平に歴史を見ることができる期まで気長に待つ」
「公平に」というのは言外に「自分たちに都合のいいように」という含みがあるように聞こえてなりません。
不名誉を雪ぐには「加害」と「被害」を冷静に検証し、自らを見つめる勇気を持つことしかないだろうと思います。
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大衆が全ての情報を知ったなら、ずっとマシな判断が出来るのか、ちょっと不安でも有ります。
具体的にどんな状況が出現するのか、漠然としたままであるからだと思いますが想像出来ません。
ずっとマシな判断が出来るというのは、官僚や政治家と比べてという“条件”が付くわけですね?
無知な私の評価などあてにならないと思いますが、私にとって現時点では「全体主義に付いて考えてみる」という意味に於いて納得させられる回答となっています。
皆さん。
もうこの辺で意見交換をしていただくことは、止めたいと思います。
私は感覚人間だから思います。
お二方の御意見から、物事を一方は肯定的に、他方は否定的に捉えようという性行の違いを感じました。
頂いた回答にご返事出来てないのもあるので、今すぐには閉められませんが。
他の回答も含めて再三読み返してみて、やけに気になるのが“主義”と言う言葉です。
排他的心情は生物の持つ必要な能力の一つであることは、肉体の異物への反応の有ることから推測してみてもこれは正常な働きであると思えます。
その必要な能力を“主義”とするから、こんどはその“主義”に拘束され拘ることになるのだと思うと、そこが人間の愚かさなんだと思いました。
今は、民衆或いは大衆という集団的な知性に依るところの行動が、民主主義を好ましい思想?とすることになるのかな、と思いました。
知性ある感情。
うまく言えませんが。
トップダウンではなくボトムアップに!
こうした主張かと思います。
平屋は平和を手に入れる事は出来そうですが、なんか活気のない社会のように思います。
感情の高まりを通して扉を開けてみれば、そこにはまだ一本の道さえ見えないのだから、戸惑うのも当然と思えます。
それに民意はほぼ真っ二つだから政治家はその事を念頭に置いた政策を取るべきで、民衆もそれについて理解を示さなければならない、なんて考えてみました。
哲人政治はいいですね。
理想かもしれません。
最後の感想はお二方のやり取りに。
議論の内容については口を挟みません。成るほどと思います。
私の関心はなぜこうして平行線を辿っているような議論になってしまうのか、と言うことでした。
一旦は一方は肯定的に、他方は否定的に、物事を捉えようという性行があるように思う、と言った意見を述べましたが、なにか的確とは言えないように感じていたので考えていました。
今はこれを「外向き志向.思考」と「内向き志向.思考」としてみました。
内省、という言葉も使われていましたが、この内省その物に重きを置く事になってしまう心理と、内省を通してその先に表れる何か、の方に比重を掛けた思考に興味を感じてしまう心理。
これを性格の違いと言うならば、この性格の違いこそが議論を平行にさせていると言えるのではないかと思います。
でも平行に走る二輪車に乗った私は、平行線を走るがゆえに、得るものがたくさんありました。