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「は」と「が」の違いについて教えてください

私は外国人です
私が外国人です

私は好きです
私が好きです

私はやろうか?
私がやろうか?

日本人はどういうふうに使い分けているのかを聞かれて困っています
こんなものは感覚ですが、外国人にはその感覚がわからないため、使い方を苦労しているそうです

基本的に「は」や「が」という助詞は、名詞の後ろに置き、直前の名詞が主語になることを意味しているということはわかっているようですが、使い分けがよくわからないそうです

どっちを使っても伝わるといえば伝わりますが、

私はやろうか?
は、おかしいのに
私がやろうか?
は、おかしくない

この理由についても説明に困りました

使い分けるときに、基本となるルールみたいなのは、法則はあるのでしょうか?

A 回答 (6件)

「が」というのは「指示」が強調されます。



私、やる、という二つの単語が「は」よりも強く結びつくのです。

ですから

私はやろうか?
の「私」は複数いるであろう人々のなかから、私はやってもいいです。と言う意味になり「やろうか?」という内容に対して、かならずしても積極的ではない印象を与えます。

私がやろうか?
の私は後ろに「が」がつくことで「私」と言う言葉が特定され、「やろうか?」がそのまま「私」にかかるようになります。つまり積極的に「やろうか?」という印象になるのです。

例文
私は日本人です。
私が日本人です。

通常、日本人であることを表明する場合は「は」の方を使います。当たり前ですが「日本人」はたくさん居て「私」というのはその中のひとりにすぎないからです。

「私が日本人です」というのは特定の集団の中に日本人が一人しかいない場合、日本人と言う意味に特別な何か(日本人はいますか?など)がある場合に「私」に強く結びつくために「が」を使うことになります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2016/10/17 07:01

日本人でもまともに説明できる人・・?。


「が」は格助詞の主格、個人的にはその登場場面での主役と思っています。
「は」は係り助詞、主題の提示?、わかりやすく言えば看板?、以下これについて述べます(説明します)。
>私はやろうか?(私はやるだろうか?)
自分について、自分が説明(あまり使う表現ではありません)私の場合であれば、やるだろうか?。
私はやろうか?、やろうか?=やるだろうか?、と、やろうとしているか?(これを、やろうか?と日本語では表現しませんが、ひょっとしてそのつもりでは・・・。)
>私がやろうか?
私がやるだろうか?、で意味が若干異なります。
私がやろうか?・・・私がやってみましょうか?、相手(周囲)に対する、同意?の確認。
私がやるだろうか?、・・・私の(立場でそんなこと)やるだろうか?。
参考 「が」は英語の定冠詞 ザ・マン、のザと似た感覚もあります。
私は田中です・・・・・私の(名前)を説明しただけ、(鈴木でもない、佐藤でもない・・・田中です)強調。
私が田中です・・・・・私こそ、その(今話題の、あの有名な・・)田中です。
「が」主役で登場、以降その主役がどうする、こうする・・・が続きます。
「は」提示した主題に限定した内容が続く、この限定が強調にもつながることがあります。
>基本となるルールみたいなのは、法則はあるのでしょうか
あるといえば、あるでしょうが、何を表現しようとしているのか、感性の違いでは?。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
外国人には難しそうですね。

お礼日時:2016/10/18 12:13

「は」と「が」の話はちゃんと書こうとすると論文になります。


 実際にそういう書籍も相当数出ています。
 教えて! gooに限っても、下記のような状態です。
〈「は」「が」〉の検索結果。
https://oshiete.goo.ne.jp/search_goo/result/?MT= …

 個人的には「は」と「が」の違い全体について書こうなんて考えません。部分的なことしか考えませんが、それでも下記のようになります。
【チャレンジ日記──「は」と「が」 毒抜き編 〈1〉〜〈7〉】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-592.h …

 外国人のかた向けの解説で、「私{△は/が}やろうか?」限定ということで少し書きます。以下、デアル体で失礼します。

「は」と「が」の違いはいろいろある。「まったく違う」と考える人もいるくらい。
 質問の件に関しては、まず「私{は/が}やります」で考える。
 これを、こういう答えになるのはどういう質問か、という角度から考える。

1)「あなたはこの仕事をやりますか?」「(私は)やります」
 「彼はこの仕事をやりますか?」「(彼は)やります」
※実際には(私は)(彼は)はつかないほうが自然かも。

2)「誰がこの仕事をやりますか?」「私がやります」

 つまり、「誰が」にスポットがあたったときは、「私が」になりやすい。
 一方、誰かが「やる」か「やらない」かにスポットがあたったときは、「私は」になりやすい。

 この場合の「は」は「主題」(「主語」でもいいでしょう)を示す「は」などと言われる。たいていの「は」の働きは「主題」を示す。
 このほかに、「対比」の「は」というのもある。
「彼はやりません。彼女もやりません。でも私はやります」
 といった場合はほかの人と「対比」している。
 ほかにもいろいろな状況は考えられるが、それを知りたければ専門書を読むことをすすめる。

 さて、「私{は/が}やります」の使い分けはわかったことにして、「私{△は/が}やろうか?」の話。
 これも想定質問を考える。

「誰かこの仕事をやってくれる人はいませんか?」「私がやろうか?」
「誰がこの仕事をやってくれるくれるのですか?」「私がやろうか?」
 これは↑と同様。

 一方「私はやろうか?」という答えになる質問は想定しにくい。だから「私はやろうか?」という言い方が不自然なのでは。
「やる」か「やらない」かにスポットが当たっているのに、そこを疑問形にしたのではヘンなことになる
 ちょっと強引ですが、この程度の説明でわかってもらえませんかね。
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個人的な感覚です。


私がやります。
これを敢えて、私は・・・で表現しようとすると?、たぶん。
私は(・・・そんな私が)やります。
(・・・・)内は、私に関するあらゆる情報、生年月日、星座に始まり育った環境、思想、信条、・・・・すべてです現実には枚挙不可能です。
具体例で挙げれば。私がやります、やりますの内容によります、例 町内会の運動会班対抗100m競争、優勝すれば打ち上げの飲み代が優勝賞金。
そこで、私がやります、「が」主格たるにふさわしい内容の説明、私は学生時代陸上競技をやっていました。
文法はあまり好きではありませんが、「が」格助詞の主格、何故、格って?。
格が違う、とか格下という言葉があります、比較に及ばない明らかに差がある、場合に使います。
「が」主格というからには、それなりの格何だろうな!、という意味を含みます。
あいふさわしい、持つべきもの、あるべき状況は備えている。
「は」は説明、とすれば他人がその状況の描写でOKです、その限りにおいてはその主格の意志等は全く無関係。
「が」は、ふさわしい、適格、故の次の立居振舞、一般的に主格の意志が大いに必要、影響があります。
芝居では、主役抜きでは成り立ちません、脇役、その多一同は抜きでも、一人芝居があります。
主役如何で芝居の出来不出来が左右されます、脇役その他は主役に合わせます、そのため主役の出来以上は望めません。
やろうか?、は日本語としてやや曖昧です。
私はするだろうか?
私がするだろうか?
主役とは・・、上に述べた状況を念頭に入れて、私と主役を入れ替えたら?。
主役はするだろうか?・・・してもよい、おかしくない状況だが・・(主役である必要ありません)
主役がするだろうか?・・・主役がやることだろうか?
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補足


すでにお気づきかも。
私は(・・・そんな私が)やります、・・・「が」を使ってしまっては無意味です。
私は(・・・そんな私だから)やります、・・・・が適当かも・・・。
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No.3の回答でほぼ言い尽くされていると考えます。


 
ほかに,ご質問のなかの例文についてですが,
 
・私は外国人です → あなたは日本人ですか?というような問いに対する答えになる。
・私が外国人です → この部屋にだれか外国の方がいると聞いて来ました。どなたたが外国人ですか?というような問いに対する答えになる。

・私は好きです → あなたは(お寿司が)好きですか? などの問いかけに対する答えになる。
・私が好きです → だれが好きですか?という意味の問いに対する答えになる。

・私はやろうか? → こういう言い方をする状況は考えにくいです。
(参加しようかどうしようか迷っているときの独り言でしょうか?)
・私がやろうか? → 誰かがやらなければならない状況をみかねて,申し出る,あるいは,名乗り出るときの言い方のようです。
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