プロが教えるわが家の防犯対策術!

三国志の話がこの頃よく話題に出てきて、でも、キャラクターが元気なうちは良いのですが、どの国も統一はして居ないようですが、有名人が死んでから、どうなったのでしょうか。
中国を統一したのは秦と、漢と清くらいしか判らないのですが、三人(プラスその軍師や豪傑)が亡くなってからどうなったのでしょう、小国乱立の戦国時代?

よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

司馬懿仲達の次男司馬昭が三国を統一して「晋」を建国


⇒五胡十六国などに分かれ争う
⇒楊堅が統一して「隋」を建国(聖徳太子が遣隋使を派遣)
⇒李淵が隋を滅ぼして「唐」を建国
⇒趙匡胤が統一して「宋」を建国
⇒南宋と金に分かれ争う
⇒モンゴル人のチンギス汗の孫のフビライ汗が中国を征服、「元」になる
⇒朱元璋が元を北へ逐って「明」を建国
⇒ヌルハチが女真族(満州人)を統一して「後金」を建国後、中国に攻め入り、二代目
 ホンタイジの時に国名を「清」とする
⇒孫文らの辛亥革命により清が倒れ「中華民国」を建国
⇒共産党との内戦に破れ、1949年中華民国は台湾に移り、中国共産党が「中華人民共和国」
 を建国する。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

なんか、三国志時代よりその後の戦国時代の方が面白そうな歴史なんですね。
三国志は人をメインに据えた物語だからかもしれませんが。
有名人でも150年くらい活躍する人も出てこないし、私にとってなんか中途半端な物語、って感じで。
話として盛るなら、元のときモンゴル人に対して漢民族がレジスタンスを100年、なんていう話も出来そうですが。
各国の栄枯盛衰、判った気になっています。

ありがとうございました。

お礼日時:2017/01/31 08:47

234年 孔明の死後 30年後 魏が蜀を滅ぼしますが


その後 魏も色々あり かなり疲弊
この辺まで 三国志に出ていたかと思うが??
それ以降皇帝が1人になり三国時代は終わります 
そのころ
238年 日本の邪馬台国の卑弥子(字が違うかも)の使いが渡り 
魏 から 金印と銅鏡100枚をもらっています
日本は平和
 そからから西晋 南北朝時代 東晋と
勝ったり負けたり 目まぐるしく変わります
長くなるので 簡単には書けませんが
司馬遷の史記や 十八史略を読んだが 
三国時代程 おもしろくありませんでした
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

やっぱり形として統一のようになっても短命な国しか出来なかったんですね。
日本との兼ね合いは東シナ海や領土を西側を占めていた国との交易ですものね。
長安を首都として永く一つの統一国家が出来ていたような書が無いので、たまたま三つに統合されたのが少ない勢力だったのかなと思って、中国の国土なら100カ国が争うのも有りかなと思ったもんですから。
孫悟空のような、何百年、何千年と活躍するヒーローが出て来ないと中国統一の話は無理なのかな。

ありがとうございました。

お礼日時:2017/01/31 08:55

私の拙い知識では、最後まで頑張ってたのが司馬懿です。

曹操に仕え、諸葛亮を破った、三国志演義では悪玉の親分みたいなやつですねw

こいつは史実でも悪いやつwで、曹一族に仕えて中枢に入り後にクーデターを起こして実権を握ります。その彼のひ孫が中国を統一し晋(西晋)を興します。後の歴史家は、女子供を騙して建てた国(西晋)が長続きするはずもないと、かなり辛口に批判しています。

そんな悪役の司馬懿ですが、日本とはちょっと接点もあって、諸葛亮を破った後に朝鮮半島に遠征して公孫氏を討っています。公孫氏は帯方郡の郡司でしたが、邪馬台国の卑弥呼がこの公孫氏と使いを送ってやりとりしていたのですね。で、その公孫氏を司馬懿が討ったから、卑弥呼の使いが魏の郡司に使いをやって、そのことに魏の皇帝がひどく感激して、それで三国志(史書)に邪馬台国やら卑弥呼やらが書き残されることになったわけですね。
つまり司馬懿が公孫氏を討たなければ、邪馬台国も卑弥呼も後世に名が残ることもなかったわけです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます。

日本との関係となると、どうしても朝鮮半島でとなるようですね。
後は流されて難破して南京の辺りへ流されてそこから上陸して修行してとか。
でも、何故か100年のときを経て○○が蘇ったなんていうのがほぼ無いんですね。
日本で言うと、○○が80年の年を経て聖徳太子として生まれ変わったとか。
中国物って、孫悟空の生まれ変わりが出てこないと話が広がりませんよね。

ありがとうございました。

お礼日時:2017/01/31 09:04

諸葛亮が亡くなってから蜀は30年ほど存続し、魏によって滅ぼされます(この辺までは三国志にも書かれていると思います)。


呉はもう少し延命しますが、蜀が滅んで少しすると魏が司馬一族(司馬懿の子孫です)に乗っ取られ、晋という国号になります。

そして強大化した晋が呉を征服し、晋(西晋ともいいます)によって中国が統一されます。
しかしながら西晋になってすぐに皇族同士の争いである八王の乱が勃発し、その争いの隙をついて侵入した北方民族(匈奴とか鮮卑とか)によって華北が奪われてしまいます(五胡十六国時代)。

五胡十六国時代が終わっても中国は統一されず、華南と華北の政権による争いの時代が長く続きます(南北朝時代)。

その後は隋や唐によって再統一されるわけですが、漢が滅んでから400年近く、中国では内部で争い統一されない時代が続いたわけです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます。

三国志以外に国の対立や人間の采配が見えにくい時代だったのでしょうか。
秦、隋、唐、元、漢、私が判る範囲でこの程度しか統一国家って無いんでしょうかね。
元はモンゴル政権とすると、異国の人に支配されたと言う事かな。
元だって3代くらい続きましたよね、となると、三国志は中国統一の物語と言うより、それぞれに魅力的な王と魅力的な軍師がいたから物語になったのかな。

ありがとうございました。

お礼日時:2017/01/31 09:10

大まかな中華の歴史



三皇五帝の王神話時代
 ↓
夏(初代は禹。末代は桀。私が教わったころは伝説扱いだった)
 ↓
殷(「商」とも呼ばれていた。殷の最後は・・・実話ではないけれど「封神演義」を読んで)
 ↓
周[西周]
 ↓
「東周」と「春秋・戦国」
 ↓ 戦国時代に勝ち残ったのが「秦」
秦(初めて「皇帝」と言う称号を使った。故に初代は「始皇帝」)
 ↓ 各地で叛乱続発・「項羽と劉邦」を読んで
(項羽に勝った劉邦が起こした)前漢
 ↓ 
(王莽が起こした)新
 ↓
(光武帝が復活させた)後漢
 ↓ 
三国時代(魏志倭人伝は魏の公式書物)
 ↓ 司馬仲達の子孫が魏を滅ぼして[魏から禅譲を受けて]
晋[西晋]
 ↓ 
「東晋」と「五胡十六国」
 ↓ 
南北朝(北朝と南朝に別れるが、日本の南北朝とは違うよ)
 ↓
隋(日本史では遣隋使だよね)
 ↓
唐(ここから遣唐使だよね)
 ↓
五代十国
 ↓
宋(日本史では日宋貿易をしたよね)
 ↓ 
元(日本史では元寇があったよね)
 ↓
明(日本史では日明貿易をしたよね)
 ↓
清(日本史では日清戦争があったよね)
 ↓ 
中華民国
 ↓ 東北部に「満州国」成立。
 ↓ 「日中戦争」で【国共合作】だわ。
 ↓ 共産党と国民党が再び争う。
 ↓ 国民党は「台湾」に逃げる。
「中華人民共和国」と「台湾」
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

私に判るの、秦、隋、唐、元、明、清、中華民国、中華人民共和国だけです。
あとは、ぐちゃぐちゃなのか有る程度の所を支配していたのかも判りません。
三国時代と言うのが歴史小説に言う三国志なのかすら判りません。

日本と関係が有るのは、長安に都を置いて、海岸まで影響が及んでいた国かと思いますが、日本ではそれらの情報も得ていたんですね、でなければ遣唐使、遣隋使なんか送りませんよね。(名前は後世の人が名づけたんでしょうが)

せっかく神話の時代からお書きいただいたので、玄奘三蔵さんはどの時代の人なんでしょう?(孫悟空、猪八戒、沙悟浄は無視して)

ありがとうございます。

お礼日時:2017/01/31 21:05

> 三国時代と言うのが歴史小説に言う三国志なのかすら判りません。


三国時代の出来事を小説にしたのが「三国志演義」。所謂「三国志」です。


> せっかく神話の時代からお書きいただいたので、
> 玄奘三蔵さんはどの時代の人なんでしょう?
> (孫悟空、猪八戒、沙悟浄は無視して)
生まれたのは「隋」の時代。
インドに行って経典等を持ってきかえったのは「唐」の時代です。
 ⇒その時の記録を現状本人が書いたものが「大唐西遊記」
 ⇒「大唐西遊記」他を参考に作り出された小説が「西遊記」

因みに『玄奘三蔵』の「三蔵(法師)」とは称号であり、仏法の三蔵(律・経・論)に通じている方や、インドから経典などを持ってきた方、その経典等を多く翻訳された方に対して付けられたと教わりました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

三国時代が三国志ですね。
中国も結構昔から文化が有った割には一人で150年活躍した人とか、200年活躍した人などの眉唾物が出ませんね。
国民性の違いかな。

三蔵法師さん、隋の時代に生まれて、唐の時代に経典を取りに行ったんですね、その頃はまだ砂漠も山岳地帯も魑魅魍魎の縄張りだったんですね。
唐の時代がどの位の年数続いたのか判りませんが、三蔵法師が唐の時代にインドから持ち帰った経典を中国語(漢字)に翻訳して、割と早い時期に弘法大師が日本に持ってきたんですね。

いろんな国が乱立していたようで、それだけは判りました。

ありがとうございます。

お礼日時:2017/02/01 18:04

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!