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意外に出世が遅いと思う。

当選回数から考えて、中曽根内閣の途中あたりで初入閣していても不思議ではない。
小泉氏の初入閣はそれよりずっと遅れて竹下内閣の後期である。(ちなみに、郵政民営化などの構造改革はそれよりずっと前の大平内閣の頃からひっきりなしに叫んでいた。)


これは何故?

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    小泉氏は福田派→安部派でしたよ。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/04/10 12:36
  • どう思う?

    当選回数から考えてですよ。
    同期のお仲間加藤紘一は中曽根内閣で防衛相で初入閣してますし…。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/04/10 13:58
  • うーん・・・

    確かに変人扱いされてたね。

    まあ、中曽根内閣も小泉氏の憎い田中派運営の政権だったし…。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/04/10 18:55

A 回答 (4件)

まずは、小泉氏が所属していた派閥・清和会が非主流派、弱小だった、ということになるでしょう。


現在でこそ、自民党最大派閥になっていますが、これは小泉内閣時代の郵政選挙などで、他派閥が切り崩された結果であり、森内閣は経世会の傀儡的な側面が強かったですし、小泉内閣が誕生するきっかけとなった自民党総裁選でも、当初は、経世会のリーダーであった橋本龍太郎氏が有力とみられていました。
まして、小泉氏が若手議員であったころは、清和会のリーダーである福田赳夫氏と「角福戦争」と呼ばれるくらいに激しく争っていた田中角栄氏率いる木曜クラブが強い権限を握っていた時代ですから、その分、冷遇された、ということになるのだと思います。

また、郵政民営化を訴えていたことも、出世の遅れにつながるのではないでしょうか?
三流官庁などと揶揄されていた、とは言え、郵政省は中央省庁の1つであり、族議員、官僚組織の大きな牙城の一つであることは間違いありません。そこを切り崩す、というのは官僚組織から、さらには自民党内からの強い反発を生みます。
現在もそうですが、大臣の不祥事、大臣のトラブルというのは支持率低下などの原因となります。そういう火種となりうる議員を入閣させる、というのは面倒を背負い込むようなもので、その意味でも遅れにつながったのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとう

含蓄ある説明をいただき、ありがとうございます‼

確かに角が立っては内閣の運営もキツくなりますね。

小泉氏は第二次中曽根内閣時に当選5回、第三次中曽根内閣時には6回と、あの頃が初入閣適齢期かと思いますが、あの時代は国鉄や電電公社、専売公社民営化の頃で、まだ郵政民営化は話題にはなってませんでしたよね。

お礼日時:2017/04/12 15:31

小泉氏は1942年1月生まれです。


1988年12月、47歳になる直前に厚生大臣に就任しています。
年齢的にはそれほど遅いって感じもしませんが。
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派閥に属していなかったから


その頃は、最大派閥 竹下派が閣僚ポストを牛耳っていた。
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変人扱いされてたから?

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