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いくら科学が発展し、義務教育を行ったとしても今の世の中にも様々なトンデモ(化学的根拠が(ほぼ)ないもの≒迷信)が存在します。
例えば「電子レンジを使うと食べ物が毒になる」や「放射能がうつる」や「ワクチンは死亡リスクが高まる」などがあります。
(一昔前だと「コーラを飲むと歯が溶ける」や「写真を撮られると魂を抜かれる」などでしょうか。)

それらが信じられる理由はただ単に知識が足りないものから思惑を持った誰かに騙されたもの、科学者や政府などへの不信感や他人に対する強迫観念など多岐にわたります。
そして一度猜疑心を強く持ってしまえばデータすら意味を無くし、いくら説明しても納得してもらうことは難しくなることでしょう。
「豊洲は安全だが安心でないので移転は不適当」や「たとえ安全でもオスプレイ反対」や「フクシマは毒野菜を売るな」などはまさしくそのような例ではないかと思います。(もちろん政治的信条もあるでしょうが)
また、少々方向性が違う話だと「科学者が主張した説よりも芸能人が主張した説の方が信用される」という話も少なくありません。


もちろん思想信条の自由を全て否定する気はありませんし、宗教が無くなればいいとも思いません。
娯楽としての占いや心霊現象は楽しいでしょうし、UMAやUFOなどは夢があります。
まして「科学」がいつも絶対的に正しいとなど言えるはずはなく、いつだって従来を覆す新発見があったり科学のような似非科学が現れたり、そもそも科学者同士で対立したりもします。

しかし、それであっても命さえ奪うようなデマや特定の業界に害を与えるようなウソが真実よりも信用されることは納得できません。
政治が感情や虚構によって動かされ、科学的根拠や事実を蔑ろにしなければならないのはおかしいと感じます。


科学(的見地)が信用を勝ち取る日は来ると思いますか?

A 回答 (6件)

皆が科学的見地を優先して、物事を判断できるようになる日というのは難しいでしょうね。



そもそも、科学的研究、科学的思考について、普通の人よりも通じている研究者であっても、その専門領域からはずれると一般人とそれほど知識などは変わらず、明らかなデマ、オカルトを信じてしまっている、という例が少なくありません。
例えば、教育学の専門家が監修したはずの道徳の教科書に、歴史学的に全く無根拠なデタラメ「江戸しぐさ」が取り上げられたり、彼らが主催する講演会に素人目にも矛盾しかないことが明らかな「ゲーム脳」などのオカルトが主張される、なんていうことがしばしば起きています。
科学研究、学術研究の専門家ですら、専門領域から外れれば……となるわけですから、一般人は、というところでしょう。

人間の思考のクセ、とかもあるのですが、そのほかの部分でも、騙されることが増える理由というのは説明できると思います。
例えば、
「豊洲は安全だが安心でないので移転は不適当」
なんていう部分ですが、これを「危険だ」という人は、「〇〇という物質が出た」とか、その部分をもって攻撃できます。一方、「安全だ」という場合、実際に出たものを否定することはできません(実際は出ていないのに、出た、と主張された場合は別にして) ただし、そのうえで「〇〇が出たけれども、△という量なので問題になる量ではない」というような反論をすることしかできません。
攻撃する側は、単純でわかりやすいメッセージを発信できるのに対し、反論する側は回りくどい説明にならざるを得ません。そして、科学的な正しさを追い求めれば追い求めるほど、説明が回りくどくならざるを得ない、という構造的な問題を抱えているのです。

まして、一部のニセ科学のように、提唱者が積極的にデマを広めようとしている場合は、余計に厄介です。
だます側は、その構造を知り尽くしたうえで、それを徹底的に利用しようとしてくるからです。私は、先に挙げた「ゲーム脳」の提唱者、森昭雄日本大学文理学部体育学科教授の講演会に行ったことがあります。そこで行われてたのは、まさに「洗脳セミナー」そのものでした。
脳などについての専門用語などを一切、説明することもなく、ひたすらに何かのテキストを読み上げて「難しい研究をしている」という印象だけを植え付ける行為。常にイメージ画像などを使って、「ゲームをやっている子供は異常」というのを植え付ける演出。そして、ゲームをやると脳が破壊される、というメッセージははっきり。
私は、最初からデタラメと知って講演を見に行ったのですが、何も知らなかったら騙されることでしょう。で、もし、私がここで、「この部分はおかしいのではないか?」と質問をしたとしても、先に書いたような回りくどい部分を言わねばならないので、状況を変えることは難しいはずです。

それらを考慮すると、実現は難しいものと思われます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かにそうなんですよね、デマを撒くことは実に簡単な一方、それがデマであることを証明することは難しかったり理解させることが難しかったりするのですよね。
しかもその”デマ”を時には(自称)専門家が広めるから手に負えない、と。

人類はこの先も騙し騙されていくのでしょうかね……

お礼日時:2017/04/14 18:01

こない。



基本的に人間は信じたいものを信じ、信じたくないものは信じない。
特に日本人はその傾向が強い。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうですね、そういう傾向が強くあるなと常々感じます。

お礼日時:2017/04/14 17:51

他にも、日本で原発が稼働してから50年で原子力の事故は2回起きているのですから、日本の原発の危険性は25年に1回の事故と計算すべきですが、政治的な多数決で突然何百倍も安全になったりしていますね。



来ないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/04/14 17:51

なげーよ。

全て科学で解決、意味不明だし!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
要点をまとめることが苦手なのです、すみません。

お礼日時:2017/04/14 17:49

科学(的見地)が信用を勝ち取る日は来ないと思います。


人間は洗脳されやすく、理屈より自分に都合の良い方を選びます。
あれだけ問題視されているオレオレ詐欺が無くならないのもそうだと思います。
科学が進んでも、大企業は小学生でもわかる基本を無視した作業をしていることもあります。
まだ天動説がまかり通っていますからね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうですね、私も含め人間は良くも悪くも「そうできている」のでしょうね。
科学や理論や合理性などよりも、感情を優先させるのがある種の人間性というところなのでしょうか。

お礼日時:2017/04/12 16:45

絶対に来ないであろうと思われる。



科学にはどうしても状況証拠しか無いものも少なくありません。
進化論やビッグバン等がその代表でしょう。
それがどうしてもネックになる。
例えば、一神教信者或いはインテリジェンスデザイン論は進化論の一部は認めるものの、基本的には神(或いは知性のある何者か)によって創造されたと信じています。
ビッグバンも同じですね。

少し前にはアポロは月に行っていなかった問題が再燃してましたね。
これは科学云々以前の問題ですが。

また、特に日本人がそうなのかもしれませんが「植物由来」とか「自然由来」をありがたがり、科学(化学)とか合成と名のつくものに拒否反応を示すきらいがあります。
しかし合成されたものは使用している物質のそれが何であるか、どういった働きがあるかがハッキリしているものだけを使用していますが、逆に自然由来はハッキリとは分からない不明な物質が沢山入っている可能性があります。
なのに合成の方が危ないと信じているし疑わない。
これはもう頭では無く感覚の問題です。

まぁどうにもならんでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうですね、証拠がなかったり目に見えなかったりするものを信じるというのは難しい場合があります。

自然は素晴らしく人工や化学は恐ろしいというのもそうで、結局はココロの問題な部分が決して少なくないのですよね。
自然が好きなのは良いとしても、ある種の狂信者になるのは――でも止められないのでしょうかね。

お礼日時:2017/04/12 16:40

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