出産前後の痔にはご注意!

死後の世界や魂などの存在がないとゆうのは本当に悪魔の証明なのでしょうか?
もし魂のようなものがあるとしたらそれは意識や記憶を持つことになります しかしそれが脳にある証明されれば死後の世界や魂はないとゆうことになるのではないでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 人の心は電気信号 脳の活動なのだから 魂などないと
    唯物論者の方はよく言いますが それは証明できますか?

      補足日時:2017/06/23 19:25

A 回答 (8件)

魂が存在する=魂は意識や記憶を持つ=脳は意識や記憶を持たない



という関係が不可分である(一部が否定されればその全てが否定される)構造を想定しているのですよね
それで脳に意識や記憶があることが証明されれば魂の存在が否定されると

仮に脳に意識や記憶があるとしたらこの構造の否定が正しいことになりますよね
つまり 魂は存在しない=魂は意識や記憶を持たない=脳は意識や記憶を持つ

ここで引っかかるのですが魂は意識や記憶を持たないというのは魂は意識や記憶を持つの否定だから正しいはずですが
そもそも魂が存在しないとすれば魂に関する言明は全て真偽不明になってしまわないでしょうか?
真偽不明の言明をこの構造は正しいと言ってしまってることになります
これってちょっとおかしくないですか?

一部が否定されればその全てが否定されるような構造を想定してないのであれば
今挙げたおかしさは生じないと思いますが
それだと脳に意識や記憶があるとしたときに魂の存在が否定されるかもしくは魂は意識や記憶を持つことが否定されるか
いずれも否定されないか論理的に決定することができなくなってしまうという問題が生じると思います
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この回答へのお礼

つまり 人の心が魂によるもの または全てではないが関わっている そして死後や 来世があるとゆうのは悪魔の証明なのでしょうか?

お礼日時:2017/06/15 07:21

補足について


事故や病気で、言葉を失い、手も不自由になってしまった方々とコミニケーションを図る為に、脳波を使いコンピューターで意思を解析し、文字にしたり言葉にしてみたりという研究は、既に実用レベルに達しているらしいです。感情なんて言葉では言い表せないことが多くあるって思うのですけど、そういう心のものとは、区別・識別もできると言うことですよね。細胞が生きていて、ブレインは、ちゃんと意志をコントロールしているからということになります。サイボーグ作っても同じですけどね。霊長類中、人類とは、自然が育んだ最高傑作なのかも
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誰も分かんないのよ


あるものが無くなる非科学的  変化するなら科学的

死ぬと パっと 情報が宇宙に(空間に)飛び散るのです(宇宙に溶け込む)
条件が整えば 飛び散った情報が集まり 再生する(生まれる)のです

全身麻酔 これ夢見ないのです 
自分の脳の情報が 飛び散っているからです
死んでいないが 死んだ時のようなもの
情報が集まって 気が付く

これ 量子論的な考えで 科学的だが 証明不可
量子力学 チョイ勉強してみたら
仏教の考えも似ていますね  因果応報だから
正義と悪 ちゃんと分類されますよ

空間が分かればすべてが分かります・・・科学者
空 が分かれば 悟り ・・・仏教
この世は神だらけ(偶然 奇跡のオンパレード)・・・・量子力学
神の数式がある・・・・科学者
この世は神が作った・・・・キリスト教
マクロ ミクロを学ぶと 神を信じたくなる・・・・俺

好きなのを選びましょう
誰も分かんないのよ


夢の真実

九識論  http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage8.html


死とは
太古の昔からの人類の最大の課題 
哲学者 文学者 詩人 芸術家 歴史化 宗教家が
生涯をかけて その答えを探し 示しています


誰も分かんないのよ
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魂が存在しなければ悪魔も証明出来ません。

しかし魂が存在しても神、天使、悪魔、の存在は立証出来ません。心臓停止と脳波が停止して血流停止後5日ぐらいして行き帰り記憶があり悪魔と会えたと証明できたらね。
現実離れ非科学的ですが
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死とは何でしょうか。

死んだ後私は何かを感じるのでしょうか。
その為には、私は誰なのか考えなくてはなりません。大抵の人は、これが私ですと自分の体を指すでしょう。

 では仮に、手が切り取られたらどうでしょう。手と残りの体とでは、どちらが私でしょう。手は私では無く、残りの方が私ですと答えるでしょう。では首が取れたらどうでしょう。首の方が私ですと答えるでしょう。では脳を取り出したらどうでしょう。脳の方が私ですと答えるでしょう。では脳を半分に切ったらどうでしょう。どちらが私でしょうか。脳を切り刻んだらどうでしょうか。どれが私でしょうか。脳の中のどの部分が私なのでしょうか。

 そもそも、体の中の物質は、3年に一回全てが入れ替わっています。では、3年後の私は私ではなくなっているのでしょうか。

 赤いとか熱いとか感じているのが私です。では、赤い熱いと言う感じは、物質でしょうか。赤い色は、心の外の世界には存在しません。物質の表面に当たって反射する光の波長が存在するだけです。

 では、音はどうでしょうか。外界には、色々な波長の空気の振動があるだけです。私たちが感じている様な音は存在しません。

 この様に、心が作り出したものを取り去ると、何も残りません。従って、赤い熱いと言った感じは、物質ではありません。幾ら科学が発達して、全てを見ることが出来る顕微鏡が出来たとしても、脳の中を覗いたところで、熱いと言う感覚を見ることは出来ません。触ることも出来ません。ただ、私が感じるだけです。物質ではないものを感じている私も物質ではありません。

 私の感じている世界は、私が心の中に作り出したものです。心の外の世界がどうなっているか、私には全く知る術がありません。しかし、心は外界に出来る限り似せて、心の中に世界を作り出しています。

 例えば部屋の中で、テレビを見ている様なものです。テレビは、実際の現場に似せて場面を作り出しています。しかし、決して現場そのものを見ている訳ではありません。あくまでも、テレビが作り出した場面を見ているだけです。
 部屋の中にいる限り、外の現場を直接見ることは出来ません。

 テレビを見ているのが私です。決して、テレビが私なのではありません。 テレビが壊れても、修理すればまた見える様になります。見ている私が壊れた訳ではありません。

 もし、見ている私が壊れたのであれば、幾らテレビを修理しても元通りに見える様にはなりません。テレビを修理して、元通りに見える様になったと言うことは、私自身は何も変わってはいなかった事を証明しています。

 同様に、もし病気で脳が壊れて、何も感じなくなったとしても、医学が発達して、脳を直す事が出来る様になれば、また私は前と同じ様に感じることが出来る様になるでしょう。

 この事は、私は何も変わっていなかったことを証明しています。病気をしても、年を取ってボケても、そして死んでも脳を元の状態に戻せば、元通り感じることが出来るので、私自身は何も変わってはいません。

 ただ脳が信号を送らなくなったので、何も感じなくなっただけです。テレビが壊れて直せなくなっても、新しいテレビを買えば元通りに見ることが出来ます。脳が死んでなくなっても、新しい脳が私に信号を送る様になれば、また元の通りに感じることが出来ます。

 科学が発達し、かつて脳を構成していた、物質を掻き集めて、元の通りに組み合わせて、脳を作ったら、また、私は元の通り感じるようになるでしょう。

 私自身は、生じるものでも無くなるものでもありません。穢れるものでも、清くなるものでもありません。増えるものでも、減るものでもありません。宇宙の初めから存在しており、宇宙の終わりまで全く変わらずに存在するものです。

 死んだ後の状態は、生まれる前の状態と何一つ変わりません。何か違いを指摘できるでしょうか。
 生まれる前の状態から、人は生まれてきました。死んだ後の状態から生まれることは、何ら不思議なことではありません。
 「不生不滅不垢不浄不増不減」です。

質問者さん、この様に脳が死ぬと精神である私に刺激を送るものが無くなるので、私は何も感じません。新しい脳がまた私に刺激を送る様になると、私はまた元のとおり感じる様になるでしょう。
死んだら、気が付くと母の胸に抱かれていることに気が付きます。誰しもそうです。ですから、死んだ人にもまた次の生或はその次の生で出会えると考えます。

詳細は、下記のホームページを参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/sitohananika.html
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魂は生き続けるという考え方は、霊的なものとは別物だと思います。


伝統など、世代を超えて、ひきづがれるという事なのだと思いますけど。

死後の世界というものに関しても、宗教的に作り上げられた事です。法の整備が十分でなかった頃に、統治の為に考え出された物だと思います。

ただ霊体というのか、見えない世界、聞こえるだけの世界はあると思ってますょ。
うちなんて、室内に存在していない人の声が、一日中、聞こえてまして、それは確かにある科学的には証明されていない世界だと思っていますけどね。アホかと思われるので、誰にも言えないけどね。
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超弦理論において、全ての存在は階層現象の果てに


(認識体(脳)>細胞>分子>原子>素粒子>クォーク
>超弦(量子定常波))、量子というたった一種類から
成っているとされ、さらにその量子(光子)は、
時間軸と空間軸の虚数関係の結果、等距離点に生じる
0の面(界面原点=仮想的時空への無の射影)である
事により、他のいかなる原因も先入も許しません。
「死後の世界や魂などの存在がないとゆうのは」の回答画像2
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>もし魂のようなものがあるとしたらそれは意識や記憶を持つことになります


まず、ここをどう証明するのでしょうか?

意識や記憶は脳という媒体と電気信号があってこそです。
もっと単純、本能的な物であれば細胞レベルでも可能ですが、やはり魂ではなく物質ありきです。
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科学哲学が参考になります。https://oshiete.goo.ne.jp/qa/53553.html左記質問のno.2による科学と哲学の違いが良い説明。
 no.2
 「科学哲学」をどういう意味で仰ってるのか、ちと見当が付き
 ませんが、科学が哲学の一分野であるという認識を持っていら
 っしゃるのなら、さほど難しい話ではないと思います。

 テーマが何であれ科学のプロセスを簡単に並べてみると、
 (0)観察をする。
 (1)仮説を立てる。
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 (3)予想が既知の事実と矛盾しないか先ずチェックする。
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 (5b) 実験が予想に良く合うなら、ひょっとしたら仮説は正しい
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(5a) 実験が予想に反するなら仮説を棄却する。あるいは
(5b) 実験が予想に良く合うなら、ひょっとしたら仮説は正しい
  のかもしれない。
科学は(0)(1)(2)(3)(4)(5a)と(0)(1)(2)(3)(4)(5b)をたくさん集める。(5a)のとき失敗報告という論文が書ける。既にある理論に対立する理論を構築し検証したが否定された。これは重要な価値を持っている。(5b)のとき、類似したたくさんの(5a)とあわせて科学。でも反例が一つ出たら瓦解する。
哲学は(0)(1)(2)(3)ぐらいのレベルをいろいろ検討して(手間とコストを掛けて実験してみる価値のある)良い仮説を構築するところまで。次のサイクルを方向付ける。指針として検証不可能である部分を持つ。

リンク先の質問とno.1~no.83を読んでみると、哲学で意見が対立する場合、範囲の設定、現象の特定、現象の呼び名、現象から推測される予測が異なってくるのだと思う。予測が否定されると、自身の信条が否定されたと強く感じてしまうと、自身の予測に矛盾があるのが自身で認められなかったり、自身の予測の反例となる現象が認められなかったりする。範囲の設定、現象の特定、現象の呼び名が同意できなくなる。論争になる。正解が見つからない感じになる。

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 「科学哲学」をどういう意味で仰ってるのか、ちと見当が付き
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だから、あなたは信じなくていいいです。

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