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近衛内閣のもと資源を求め東南アジアや援蔣ルートをたちきろうとしたのは、アメリカに石油の輸出を禁止されたり、ABCD包囲陣のあとですか?前ですか?

A 回答 (1件)

正直に言って、ニ・二六事件以降(昭和10年代)くらい以降の日本は、国全体として戦略をたててそれにそって各組織が動いていたわけでは全くなくて、政府、陸軍(それも現地軍と、参謀本部は全く別)、海軍、がそれぞれ勝手に考えて勝手に行動していました。

日本の国全体でどういう外交政策を取るべきか、ありえる選択肢とそのリスクを比較するみたいなことをした結果の南進政策ではないので、いつ誰が、そういう政策を決めたか自体がよくわかりません。

少なくとも南進政策が「近衛内閣」が主体となって決めたのではないことはほぼ確実なので、質問文の
「近衛内閣のもと資源を求め東南アジアや援蔣ルートをたちきろうとした」
という文自体が成立しないです。

当時のドイツが、良くも悪くもヒトラーという一人の人間が考えた一貫した戦略のもとで動いていたのにたいして、
昭和10年代の日本は、憲法や慣例などの制度の上からも、国全体として一貫した戦略というのが取れない「仕組み」になっていた、と言わざるをえないです。
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