斎藤道三を倒したその息子の斎藤義龍は、長男なのでしょうか、次男なのでしょうか。道三には義龍の前に長井道利という息子がいたと聞いた事がありますが、何故彼は嫡子になれなかったのでしょうか?

A 回答 (3件)

 直接の回答ではないですが異説がありまして、「斎藤道三2人説」と言うのが実は存在します。



 土岐頼芸に仕えたのが初代、国盗りを果たしたのが2代目という説もあります。
 で、この説だと長井道利は初代の息子、2代目の弟ということで、両方の記録を
満足させることになっております。

#今一つ信憑性欠けますが^^;

 そうそう、嫡子・庶子の件に関しては足利尊氏の子の直冬も長男ですが正室の子
ではなかった為、将軍になれなかったと言う話もありますね
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。ああ、そう言えばありましたね、「斎藤道三2人説」。確かにこれだとうまい事、説明がつきますね。そうか、そうか。

お礼日時:2001/07/02 22:19

歴史群像シリーズ50他では、確かに長井道利(長井隼人佐道利)が、


道三の若かりし頃の子として出てきます。
が、これは江戸時代に創作されたものではないかという説もあります。

もしこの話が本当だとしても、深芳野の子として生まれたのではなく、
側室の子として生まれてきたということは間違いないでしょう。


となれば、義龍の親問題はあるにせよ、今NHKで放映されている「北条時宗」同様、正室の子が嫡子というのが当たり前のことだったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。側室の子というのは間違いないでしょうね。なるほど。江戸時代の創作ですか。

お礼日時:2001/07/02 22:21

長井道利は道三の弟というほうが有力だと思います。


# 最近の説からすれば道三の弟と道三の息子とは矛盾しないとも言えますが^^;

それはともあれ、もし義龍に兄がいても、嫡子は義龍で問題ないです。
義龍の母は元主君の土岐頼芸の愛妾だったと言われますし、道三がその時点で正妻を持っていなかったとすれば主君から賜ったその女性を正妻に据えることは間違いないでしょう。
必然的に兄は庶子ということになって正妻の子義龍が嫡子に選ばれる、ということです。

似たような例としては信長の兄、織田(津田)信広や伊達政宗の長男、秀宗(伊予宇和島潘初代藩主)などがあります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。深芳野は正室だったのですか。それじゃあ、義龍が嫡子になるのは当然ですね。

お礼日時:2001/07/02 22:24

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