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自分は高3なんですが大学は外国語科に行って英語を勉強したいと考えています。
ですが自分は英語能力が低く自信がありません。
英語能力が低いくせに外国語科に上がるのはダメでしょうか?
英語は好きで喋れるようになるだけではなく、もっと上のレベルまで行きたいんですが大学で外国語科に入ったとしてレベルについていけない気がします。
どなたか経験ある人や自分はこうだったという方、
参考にしたいので良ければ教えて下さい。
よろしくお願いします。

A 回答 (8件)

一応、東京外大の英語科卒の者です。



昔の話なので今はどうかはわかりませんが、基礎ができていて、なおかつやる気がないと、わたしの時代はとても勉強が難しく、ついていくのに必死でした。
わたしは昔から英会話が好きだったので入学したのですが、文法と単語がめちゃくちゃだったので苦労しました(笑)また、外国語学部と言っても会話だけではなく、音声学や古典英語、歴史などもありました(全部英語で書いてありました)
帰国子女もたくさんいましたね…

ですが、わたしのクラスメイトでとても優秀な子がいたのですが、彼女は海外に行ったことがなく、ただ英語が好きで、努力と独学で院までいきました!

なので、質問者様も、努力していけるか、また将来どうしたいか、しっかり考えることをオススメします。

長くなりましたが、質問者様の夢が叶いますように!
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基礎を何度も何度も繰り返し、考えなくてもできるようになれば、


外国語は上達します。東京外国語大学のようなレベルの高い大学で
も、基礎の繰り返しで十分についていけるようになりますよ。周囲
の人だって、それほど上達はしていないのです。
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理論的には、入試に合格すれば「あなたはここの学科でやっていけると見なしましたよ」ととらえられたことになるわけですが。

そもそも「低い」ってどのくらい? なぜ「低い」のに「ついていけないレベル」をすっとばして「上のレベル」に行きたいの? ちょっと意味がよくわからないのですが。ちなみに、卒業したらどうしたいのですか?
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ちびっこでもアメリカでは英語喋るんだから、あなたが英語を勉強できないはずはありません。

「好きこそものの上手なれ」といいます。現在の自分のレベルにあった学校に行って、みっちり勉強すればいいと思います。
 何か目標を作って、例えば、商社に行くとか留学するとか、そうすれば勉強に熱が入るかもわかりませんね。
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こんにちは。



外国語学科で、真っ先に、連想させられるのは、私の年代ですと東京外語大学。

出身大学名を言わないでほしいと言われている、オアシスの光浦靖子さん。
毎朝テレビに出てくる夏目三久さん。タレントの大桃美代子さん。
この人たちは、英語科ではありません。他の外国語でも、ヨーロッパの言語などは、スタートラインが同じのことも多く、才能を表す人もいます。アジアの言語でも、朝鮮・中国は、最初からできる人たちが、日本にはいますから、競争にはなりませんが、好きでやっている人もいます。

私の知り合いにも、外国語学科の出身はいますが、
「自分は英語が不得意で……」
と言って、中国語学科に入った人。私の友人は、専門は別にあって、半分趣味で中国語をしていて、その中国語学科の弁論大会に参加して、優秀なあまりに、中国語学科の人たちのメンツを潰してしまったなんていう話もありました。

20代前後で、何も英語だけではありませんが、いわゆる、語学にハマり、目が出て頭角を表す人がいることは間違いないけれども、逆の人もいます。逆の人は、一生の不覚ではあります。大学を卒業するまで、語学に取り憑かれて、それに苦しめられるなど、傍で見ていて哀れだなって思います。

英語で伝説的な人の中には、大前研一氏がいます。彼の専門は原子核工学。発音はうまくなくても、アルバイトをしたくて、1ヶ月足らずで、通訳案内業の資格を取ったとかいうのです。

私は、質問者さんと同じ頃の年齢の時に、『外国語の学び方』(岩波新書)という本を書いた渡辺照宏先生の本や、ドイツ語の関口存男さんを知りました。その頃のことは、今、何十年経っても忘れません。しかし、私は、語学の才は出ませんでしたが。

>英語能力が低いくせに外国語科に上がるのはダメでしょうか?
>英語は好きで喋れるようになるだけではなく、もっと上のレベルまで行きたいんですが大学で外国語科に入ったとしてレベルについていけない気がします。

語学が好きだけで通れば、本当に良いことなのですが、今の世の中は、実用英語いっぺんとうですから、資格試験やら英語能力を数値化して表して、それで評価されてしまうことが多いのです。こういう見せかけの評価をする社会を、誰かが作り上げたのだと思うのです。それは、語学好きの人間にも、外国文学の好きな人間にも、不幸な風潮だと思います。

北海道大学や慶応大学のように、歴史と伝統を守って、実用英語からは一定の距離を置いているところもあれば、大学ブランドに頼れず、TOEICなどの点数を学生の能力の評価規定にしている大学もあります。後者のほうがずっと多いのも事実です。

TOEFLはアジアでは、後ろのほうだといわれるのに、TOEICでは、大企業から小規模な会社まで奨励し、その熱は冷めやらず。この矛盾は、今のところ直りそうにもありません。一部の省庁が企んだという話もあるのですが、日本の体面を重んじるなら、このようなことにはならなかったはずです。

『あえて英語公用語論』(文春文庫)を丁寧に読んでみると、朝日新聞の元主幹の船橋洋一氏は、日本をどういうようにしようと考えているのか、薄々分かってくると思うのです。賛成するもの、反対するもの、様々でしょうけれども、これに感化された楽天の三木谷社長のような発想が正しいのか、英語のポジションというものをどう考えていくべきか、自分の今の家族や地域社会などを通して考えてもよいのではないかと思います。

私の知り合いの中には、理系の難関大学を卒業寸前でやめて、外国語学科に1年から入り直した人もいます。その人はどうなったかというと、その大学の語学教授になっています。だた、言えるのは、「栴檀は双葉より芳し」というように、最初から桁外れに勉強が出来たことと、就職など一切考えていなかったこと、大学ら入ることが目的ではなく、ある著名な大学教授の門下に入ることを目的に大学に入学していたことです。そのための犠牲は、どんなことにも厭わないということでした。周りの人は、反面不幸かもしれません。

それに、情熱を捧げられるものなら、そのためにはどんな犠牲も払うつもりなら、目的は達成されると思います。私は、才能もありませんが、それ以上に、そうした知人をみて、そこまでにはなりきれませんでした。
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>英語能力が低いくせに外国語科に上がるのはダメでしょうか?


別にダメってことはないけど、適性を無視して進んでも不幸になるだけってのはあるよ。
まあ適性がなくて英語がダメなのか、ただ単に伸びるきっかけがなかったのかは知らないけど。

私は外国語科でもなんでもないけど、一応レベルで英語は喋れるよ。
むしろテストの点数は低かったけど、英会話だけはなぜか他の人よりも上手だった。
カナダ人の友人曰くだと、恥ずかしがらないでどんどん喋るからってことらしいけど。

何れにしても試験と会話は違うんだろうね。
あなたが机上の勉学における英語に重きを置きたいのか、コミュニケーションやビジネスツールとして重きを置きたいのか知らないけど、勉強は今よりしなきゃならないだろうね。
私レベルでも就職後だけど、イギリスの学校でMBA取得できるくらいの英語力にはなれるんだから、大丈夫だとは思う。
だけど、あえて外国語学科に行く意義が見出せないと思うけどね。
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英語科なら入試は英語必須です。


それをクリアできれば、その大学の講義に付いていけるとみなされた、と考えます。

1年生のうちから日本語を一切使わない講義もあります。
先生が何を言っているか分からないという学生は一人や二人ではありませんから、そこで挫折しなければどうにかなるものです。

やらなければ一生できない。
それだけの事ですよ。
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志が高くて結構ですが、その状態では、大学で落ちこぼれて悲惨なことになるのは明白。

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