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神と仏ではどちらを信じれば良いのでしょうか?

神と仏では仏の方が位が上と言うのをネットで見た事がありますか、神は信じるもので仏はなるもの(成仏などがそうみたいですが)とも書かれていました。

私たちがなれるのは神ではなく仏と書かれていたのですが、これまで仏教徒(宗教には入っていません)として生きてきて、あまり良い事がありませんでした。

そこでキリスト教に興味を持ったのですが、仏になるためにキリスト教を信仰するのはおかしいでしょうか?

なんで、仏教徒で良い事がなかったのに最終的に仏になりたいの?と思われるかもしれませんが、先代からずっと仏教徒で同じお墓に入るは仏教徒に戻るしかないからです。

キリスト教を信仰して、死に際に仏教徒に戻るのは都合が良すぎますかね?

A 回答 (8件)

キリスト教からすれば、おかしいかも。


キリスト教やユダヤ教は神との契約や約束が唯一絶対にして存在します、十戒というやつです。
そこに神は主をもってそれ以外を認めないと書かれています。それを破るのは裏切りですね。
仏の場合は解釈が宗派によって異なります。天からあなたを見守り導くのが仏とする場合もあれば、
仏は人の内にあり、悟りの境地に達することで仏を見いだせる場合もあります。
さらには、そこからどうやって神様や仏様と付き合うか。その手段によって多数の宗教が存在します。
信仰よりも、コミュニティとしての宗教と捉えるのもいいと思います。

もともと神とは最初の古代文明であるメソポタミアから始まります。王を置かない都市国家建設がされましたが、法と神による統治がされました。人の上に人を立てずという精神です。都市ごとに神様がいました。
この神様たちが神話の世界で争い始めます。そこでキリストの主となる神様が悪い神に惑わされるなという意味で
神は主だけを信じろというのが信仰のもとになっていると思います。
その500年後くらいに釈迦様が仏の道を説かれるのです。これは街に仏があるという話ではなく、全ての人の上に仏があるという信仰でした。そこに元からいた神様が加えられていきます。でも都市ごとに違う神様がいますから、全ての人の上にたつ仏様のほうが位が上とされてしまうのです。
日本にある神道などは基本的には最初のシュメール文明と同じです、人の上に人はなく仏になったからといって、人の上に立てるわけでもないのです。そこには八百万の神しかいません。

キリスト教を信仰して、仏教徒に戻るかどうかは、あなたが決めることです。
仏の知恵は生きている者にしか与えられません。
神道では、あなたを裁く人はいないのです。八百万の神はいつでもそこに居ます。
キリストは人間の業を背負って行かれました。
つまり自信をもって自分の人生を歩きなさいというのが、本当のところどの宗教にも通じる考え方だと思います。
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とにかく 宗教に無知 な適当です


宗教により 人は不幸にもなり幸福にもなります
宗教により 国は滅びる事もあるし 繁栄することもあります

内村鑑三は
 経済の背後に政治がある 政治の背後に社会がある 
社会の背後に道徳がある 道徳の背後に宗教がある
と述べています

初詣は神社 結婚式は教会 葬式は仏教
クリスマスのバカ騒ぎ
無宗教の奴等 そのだらしなさは あきれる

すなわち 宗教が分からないのです
だから 原始主教のような
占い 霊 お告げ お払い 等の単純な宗教に
エセ宗教に騙されるのです

あ 答えが遅くなり すいません

キリスト教ですと 一番偉い

仏教だと 善神 鬼神 悪神いっぱいいるが
     基本 働きととらえる
     人間の作用の一つ

神道では 太陽とか自然とか 死んだ人も神

現代の最先端科学では
   神の数式 とか
   極小物質に エイリアンとか神とか
   何らかの手 とか
   宇宙の原意識とかに例えたり
   神の御心とかに(カク教授) 例えたりします

まあ アインシュタインをはじめ 科学者の殆どが
宗教を否定してませんから
     

●仏になるためにキリスト教を信仰するのはおかしい
  これおかしいです

キリスト教の目的は 仏ではなく 神の国へ行く事
仏教は 仏に成ること
仏とは 悟った人の事

宗教のイロハ お勉強してください

キリスト教と仏教
これ全く違う教義や考え方と
全く同じ教義や考えがあります
先ず 似ている所 私の論文です

仏教 キリスト
 http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage31.htm

次の 違うところを少し書きます

キリスト教・・神にはなれない
仏教  ・・・仏(悟った人)誰でもなれる

キリスト教・・原因を天地創造の神・・・自分以外の外にある
仏教 ・・ 原因は自分  ・・・あくまで自分の内にある

キリスト教の愛 ・・ 何んにでも当てはまり 憎に対する
仏教の慈悲・・・ 人に限る 
         苦しみを抜き 楽を与える 
         共に悲しむ

キリスト教・・人生 一度
仏教  ・・ 何度でも生まれ変わる

書ききれないので 終わり

更に 私は 宗教を判別する イロハを学びました

その宗教は  
イ・・人間を強くしますか 弱くしますか
ロ・・人間を善くしますか 悪くしますか
ハ・・人間を賢くしますか 愚かにしますか
又 
非科学的ではなのか(原因と結果を無視) 
不変妥当性はあるか(原始的な考え 占いとか 霊とか) 
道理に反していないか(理屈に合わない)
金がかかり過ぎないか(書籍やお守り 仏像 等 高額で買わされる)
自由を束縛されないか(決まりが厳し過ぎる)
等 よく見定めましょう 

余計な事かもしれませんが
人間は宗教なしでは 正しく生きられないのです
 トルストイは人間は宗教なしでは生きられない理由を
第一に 宗教のみが善悪の決定を与えるからだ
第二に 宗教なしでは人間は自分のしていることが善いか悪いかを
     知ることが決してできないからである
第三に ただ宗教のみが利己主義をほろぼすからである
第四に 宗教のみが死の恐怖を打ち消すからである
第五に 宗教のみが人間に生の意義を与えるからである
第六に 宗教のみが人間の平等を樹立するからである
と言っています


更に 宗教は人間のためにある
   宗教は 幸福になるためにある

人間とは
幸福とは  を追求してきました

幸福の 6つの条件を学びました
もちろん 仏教の経典が元です

分かり易く 幸福とは何か
分かり易くご説明します
相対的幸福」と「絶対的幸福」という幸福観を踏まえ、
幸福を聞く力ギとなる具体的な六つの条件を示します。
第1に「充実」、
第2に「深き哲学をもつ」こと、
第3に「信念をもつ」こと、
第4に「朗らか」に生き生きと生きること、
第5に「勇気」、
第6に「包容力」です

 日本の著名な作家の言葉に
「花のいのちは みじかくて 苦しきことのみ 多かりき」(林芙美子)
とあった。花は、ぱっと咲いて、ぱっと散る。長く残るのは苦しきことのみである──と。
人生も事実、そのとおりかもしれない。
ある哲学者は、一生の終わりに計算してみて
、楽しいことのほうが多かったか、それとも苦しみのほうが多かったか、
その結果によって幸・不幸を決めるしかないかもしれない、と語っている。
 どんなに地位があり、財産があっても、幸福をつかめない人は多い。
どんなにすばらしい結婚をしても、いつかは愛する人と別れなければならない。
愛別離苦は避けられない。
 どんなに有名人になっても、病気で苦しみきって死んでいく人は、たくさんいる。
美しく生まれたために、かえって、人生を不幸にする人も少なくない。
いったい、幸福は、どこにあるのか。どうすれば幸福になれるのか。
これが人生の根本問題であり、永遠に追求すべき課題である。
結論的にいえば、「幸福は自分自身をどう確立するか」という問題である
立派な邸宅とか、名声といった外面的な幸せは「相対的幸福」である。
揺るぎない「絶対的幸福」ではない。
どんなに幸福そうな環境にあっても、自分自身がむなしさを感じ、
苦しみを感じていれば、不幸である。
 最高に立派な家の中で、けんかばかりしている人もいる。
皆がうらやむ有名な会社に勤めていても、いつも上司から叱られ、
仕事に疲れ、味けない思いをかみしめている人もいる。
幸福は“見かけ”のなかにはない。“見栄”のなかにはない。
自分自身が実際に何を感じているか、その生命の実感の問題である。
それを前提に申し上げれば、
幸福の第1条件は、「充実」であろう。
「本当に張りがある」「やりがいがある」「充実がある」──毎日が、
そのように感じられる人は、幸福である。
多忙であっても充実感がある人のほうが、暇でむなしさを感じている人より、幸福である。
幸せそうに見えても、朝から憂うつな気分で1日をスタートする人もいる。
朝、奥さんに叱られ「何で、こんな結婚をしちゃったんだろう」と、
ふさぎこんで1日を出発する──これでは不幸である。充実はない。
だれよりも立派に仕事し、生活を勝利しきって、
あまった時間を「人のため」「社会のため」に使っているのは幸福である
“根性曲がり”の人間が多い現在にあって、苦労しながら、
ただ相手の幸福のために、足を運び、語り、心をくだき、面倒をみる
まさに菩薩であり、これほど偉大な「哲学ある人生」はない。
最高の哲学を実践している事になる
それだけの価値ある哲学をもったということ──
それ自体が幸福である。幸福の第2の条件は、「深き哲学をもつ」ことである。
第3に、「信念をもつ」ことである。何が悪か、何が善か、わからない時代になってきた。
これは世界的傾向である。このままでは、人類は混乱と退廃に向かう以外にない。
“日本国の支配者の地位をゆずろう”というような誘惑、
“父母の頸をはねるぞ”というような脅迫にも紛動されない
何があろうと、厳然と「信念」を貫く そういう「信念」のある人が、必ず幸福になる。
第4に、「朗らか」に、生き生きと生きることである。
「いつも文句」「いつもグチ」──それでは自分も周囲も不幸である。
いつも前向きに、はつらつと生きている。
人にも「あの人と会うと元気が出る」「気持ちが明るくなる」
と言われる朗らかさがある。その人は幸福である。皆にも希望をあたえる。
いつ会っても、つまらなそうな顔をして、喜びも感激もない。それでは、人生は暗い。
反対に、奥さんに叱られても、「何か浪花節が聞こえるな」。
子どもの成績が悪くても「将来、だんだんよくなる前兆だ」
たとえば、そういうふうに、全部、よい方向に、よい方向に、とらえていく。
その強さ、賢さ、明るさが幸福を生む。
 すべてを善意で受けとめるといっても、愚かな、お人よしになるという意味ではない。
現実をしっかり見つめつつ、よい方向に受けとめることによって、
実際にその方向にもっていくという「賢明さ」のことである。
そういう「人格」を築き上げれば、いかなる財産よりもすばらしい人生の宝になる。
 第5の条件は、「勇気」である。
勇気のある人は、何でも乗りきっていける。
勇気のない臆病な人は、人生を楽しめない。それでは不幸である。
 第6の条件は、「包容力」である。包容力のある人は、皆に安心感をあたえる。
 小さなことで人を責めたり、いちいち騒ぎ立てたり、
そういう心の狭い人は、皆を疲れさせるし、怖がらせる。
特にリーダーは、怖がらせてはいけない。疲れさせてはならない。
あたたかく、皆が安心して親しめる包容力がなければならない。
大海のごとく広々とした心をもつ人は、自分も幸福である。周囲も幸福である。
 
さて  最後まで読んでくれたかな
更に 人間の生命の
個別化の原理 差別化の法則 個性化の内容 深層の実態
等 仏教から学びました

次に使命とは何か 価値とは何か
死の意味 真の歓喜とは
自分は何処から来て 何処へ行くのか
「絶対的幸福」とは
超長くなるので カット

生命の法則
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage17.htm

更に 現在の物理化学(量子論 超弦理論)が
哲学 宗教と重なっている事も学びました
更に 精神の最高峰の 最終的な思考法を学びました
私達の故郷は地球 国籍は世界 人種は人間であると言う
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間違いました。

仏より神は上です
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批判的な文章になるかもしれませんが、書きます!


もともと仏教の起源はユダヤ教という説があります。
事を順に沿って説明した行きますと、まず、エジプトに流れ着いたユダヤ人?はそこで王をしていた人にかくまってもらいましたが、その王が死ぬと、新たに、違う王が就任しユダヤ人を虐殺し、女以外、殺して行きました。その時に現れたのがモーセでユダヤ人たちを助けました。しかし、その時にイスラエルの悪人の血が流れている子も混ざっていたためか、モーセが持っていた十戒を破ってしまい、そこからのことはあまり記憶にないのですが、ユダヤ人が色々な国を転々とし、たどり着いたのがこの日本だったわけです。そこで彼らはユダヤ教というものを作りました。しかし、その名前が変わり神導という宗教に変わり、いつしか、人間が崇めてもらうために、自らを神と呼び天皇という人間を超えたという意味の超人が出来上がり恐らくそこから、色々と宗教が増えて行ったわけでしょう。ですから、仏教の根源は悪魔サタンによる差し金なのです。ですから、仏より上というのは間違っています!!神はヤハウェとも呼び訳さない形の呼び方こそがエホバと呼ばれているのですが、この名前が出てきていない宗教は偽の宗教の可能性が高いでしょう。
言葉通り批判的な文章になってしまいましたが、それが真実です。
あと、キリストと仏教どちらも学んでもいいかもしれませんが、多分キリスト教の方が、学べることが多いと思いますよ?他の宗教が主に自慢として掲げているのは学びのことではなく奇跡、つまり、人間が欲している悪に関する文章です。中には、性的な文章まで調べて行ったらありました。
キリスト教は人生の教訓、家族との接し方、人間同士のコミュニケーションの取り方、ありとあらゆることが書かれてあります。是非両方の宗教を比べて見てください!必ず違いがわかります。いえ、その方が正しい宗教がわかるでしょう。たまに偽のキリストもありますんで、気おつけて!
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> 神と仏では仏の方が位が上


だから
> 死に際に仏教徒に戻る
こうなりたいのね!
   
死んでしまったら神も仏もないですよ。
   
一つ教えましょうか。
この日本では、古来から天皇家の方々は、亡くなったら神になるのですよ。
○○天皇陵というのがあるでしょう。
あれは神として祀られているのです。
仏様ではない。
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>キリスト教を信仰して、死に際に仏教徒に戻るのは都合が良すぎますかね?



いいじゃないですか。
宗教なんて自分の都合のいいように捉えればいいんです。
所詮は「自分あっての宗教であり信仰」なんですから。
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キリスト教はご利益宗教ではないので、いいことも悪いこともみな自分へのの恵みとして受け入れることが必要になります。



あと、仏になるためにキリスト教徒になるとの考えなら、寿司屋で文房具を求める様なものかと思われます。
ボタンのかけ違いかと。

キリスト教を信仰して、死に際に改宗・・・は、日本には信仰の自由があるので、全くできないわけではありません。
しかし、そう簡単に信仰を変える事は、どちらの宗教の熱心な信者からもよく思われないでしょうね。
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好きなように生きろよ


>キリスト教を信仰して、死に際に仏教徒に戻る・・・
なんて考えている時点でどちらによっても似非だろ
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