dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

なんまいだーなんまいだー
こう言うのがありますよね。人がなくなったときにお坊さんが行う儀式です
私はよく分かりません
成仏がどうのこうのとかお経がどうなっているのかとか
お坊さんが嫌いとかこの文化がおかしいとかそういうことではなく、ただ純粋に私にはそれがどういうことなのかわからないし魂が成仏したとか言うのが何を言っているのか納得できないんです
魂は今ここにあります、今から空高くへと成仏させていきますなんて言ってたりしますけど本当に何を言っているのでしょうか?
そんなことできるなら生き返らせてください。
それが出来ないなら成仏もできないでしょう
冷静になって考えてみて欲しいです
何が成仏なんですか?
本当にそうならそれでいいんです、私が無知なだけだった。そうであればいいんです。
死んだ方に対して成仏だとか本当に何言っているのかわかりません
亡くなった方が天国とか地獄とかに行くって言っていますが亡くなった方が行くのは火葬場
行ってないじゃないですか
お坊さんには今ここにある浮いてある魂が見えるんですか?
じゃあお坊さんすべての人が同時に指をしたとしてみんなが同じ方向を指すんですか?
長い歴史をかけてふざけているのでは?
死への捉え方が間違っているのでは?
極楽浄土、地獄、今天国に向かわれましたよ。
どこの何を見てそう思ったんですか?
なくなったということは息をしていないということ軈て腐敗していくということ、そして最後には骨が残るということですよね。
大切な方が亡くなったのは悲しいことですがその遺体の前でごたごたしてるんじゃないですよ

A 回答 (10件)

宗教のイロハを語る前に



論理的、科学的根拠、道理、数式などの裏付けが分からない事や
五感で確認できるもの物以外、否定するのは大きなまちがいです

占いや霊や御神籤等は論外として
仏教は最も科学的な宗教で、量子論等、仏教を理解するための
入門書ともなります

量子論における量子の概念と仏教の不二の概念
天文の空間の概念と仏教の空の概念
物理の時空の概念と 久遠の概念 同じです
宇宙 物質 生命科学 等
はるかに 仏教の理論が優れています
深層心理学のユングやフロイト等 仏教の一部分を説いた
と言える程です


日本初のノーベル賞 湯川秀樹
「素粒子の研究に、ギリシャ思想は全く役に立たないが、
仏教には多くを教えられた」

ドイツのノーベル賞作家 ヘルマン・ヘッセ
仏陀は小指の動きに至るまで真実だった。

アインシュタインは、こうも語っています。
「科学的探求は特殊な宗教的感情をひき起こしますが、これは、
愚かな狂信的宗教感情とはまったく違ったものです」

二十世紀最大の哲学者 ハイデガー
もし、十年前に、こんな素晴しい聖者が東洋にあったことを 知ったなら、
私はギリシャ語や、ラテン語の勉強もしなかった。 だが、遅かった
……。 (晩年の日記)

ドイツの有名な哲学者 ニーチェ
仏教はキリスト教に比べれば、100倍くらい現実的です。 仏教は
歴史的に見て、ただ一つのきちんと論理的にものを考える宗教と言っていいでしょう。

参考
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage1.html
    • good
    • 0

>なんまいだーなんまいだー


>私はよく分かりません

『南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)』⇒ 南無=帰命という事。

基本的に葬儀において、『南無阿弥陀仏』と唱えるのは、浄土宗、浄土真宗、天台宗
あたりだと思います。

『南無阿弥陀仏』というのは、浄土宗の開祖:法然が世の中に広めたもので『称名念仏』と言います。

※称名念仏をする事で、死後阿弥陀仏の聖地である西方極楽浄土に行ける(往生する)という思想。
この『西方極楽浄土に行ける』という思想こそが、世間一般に言う『成仏』というもので、
難しい仏教思想を超えて、『南無阿弥陀仏』という阿弥陀仏の名前を唱えるだけで極楽浄土に
往生できる事が世間一般の人々を魅了し広まった。
 

>ただ純粋に私にはそれがどういうことなのかわからないし魂が成仏したとか言うのが何を言っているのか納得できないんです
>魂は今ここにあります、今から空高くへと成仏させていきますなんて言ってたりしますけど本当に何を言っているのでしょうか?
>何が成仏なんですか?

本来、『成仏』というものは、衆生をして自身の生命の奥底にある『仏界』を開いて行く
というものです。


>お坊さんには今ここにある浮いてある魂が見えるんですか?

“お坊さん”には見えません。
あくまでも仏教の見解を受け説いているに過ぎません。

>長い歴史をかけてふざけているのでは?
>死への捉え方が間違っているのでは?
>どこの何を見てそう思ったんですか?

ふざけているわけではありません。
あくまでも、その宗派によって捉え方は様々ですが、仏教の教義の一部を周到している
ものです。

>なくなったということは息をしていないということ軈て腐敗していくということ、そして最後には骨が残るということですよね。
>大切な方が亡くなったのは悲しいことですがその遺体の前でごたごたしてるんじゃないですよ

人(動物を含む)が亡くなるという事は、現実的には質問者様仰る様に肉体が朽ち、骨が残る
という事ですが、仏教上では人が亡くなると魂は肉体を離れ昇天し、再び生を受けると言わ
れています。

もちろん、【科学的立証】がなされているわけではありません。

しかしながら、仏教上の概念で“個人が死後成仏をする”、“再び、自身の血縁者として生を
受ける”という事を願い、回向(えこう)をするというのが、仏教での葬儀の目的です。

但し、法然は『南無阿弥陀仏』を唱える称名念仏を確立する前に、重大な【見逃し】をおこし
現実には人は『南無阿弥陀仏』では成仏をすることはありません。まして再び人間として生を
受ける事も無理です。
つまり、浄土宗、浄土真宗、天台宗では成仏は叶わないという事です。

※※日本では『信教の自由』もあり『宗教』を一般的に学問としては教える事はありません。
宗派の開設や僧などを歴史上の事として学程度に過ぎません。
大学に入っても、専門科目として選択しない限り、宗教(仏教)を学ぶ事はないでしょう。
    • good
    • 1

宗教というのは科学ではないので、科学的な観点から理解しよういうこと自体が無理な話です。



>亡くなった方が天国とか地獄とかに行くって言っていますが亡くなった方が行くのは火葬場
火葬場に行くのは遺体であり、宗教では遺体と魂(もしくはそれに代わるもの)を切り離して考えるのが普通です、

宗教であれば、通常、教祖がいて、その教えに納得した人が信者になり、そのなかの一部の人が僧侶などになり、いわゆる修行を積んだり、その宗教について学んだりして、それを一般の人に伝えたり(布教)します。たとえば、高校の先生が大学で学んだことを生徒に教えるのと同じことです。基本的には先人の受け売りに近いです。
まあ、勉強であれば、基本的にその教わったことを信じるしかないでしょうけど、宗教であれば信じる義務はありません。さりとて、あなたが書いているのは無茶な注文です。成仏させることができても生き返らせることができないのが宗教であり、成仏させることができるなら生き返らせることができるという話にはなりません。生き返らせることができないことが前提であるから、葬式を行い、成仏がどうのこうのという話になるわけですから、そういうことを言うのは、理不尽なクレーマーのようなものです。

>お坊さんには今ここにある浮いてある魂が見えるんですか?
「魂が見える」などと言うお坊さんにあったことはありません。その宗教では、そう言う風に考えていると言うことを説明しているだけで、自分が見たことを説明しているわけではありません。

あなたが納得できないと言うのは、その宗教の考え方を理解できていないからです。つまり、それが事実であるかどうかということではなく、その宗教ではそう言う風に考えると言う話です。ぶっちゃけ、葬式に出たすべての人がそれを信じているとは言えないでしょうけど、ほとんどの人がそう言うものに理解を示しているということです。そして、あなたはそれに理解を示さず、クレーマー状態になっていると言うことです。

あなたは「冷静になって考えろ」と言いますが、あなたに言われるまでもなく、大概の人はそれを考えていますし、その上で、その宗教に対して理解を示していると言うことです。大人だから。
    • good
    • 0

質問者様は大切な方を無くしたことがあるでしょうか?


私はあります。

私も基本的な考え方は質問者様と同じです。ナンマイダーとやっても、生き返るわけではないし、成仏するわけでもないと考えています。

ただ、それとは別に自分の大切な人が死ねば純粋に「悲しい」のです。
そして「なぜ人間は死ぬのか?」が分かりません。そもそも「生まれて意識を持つ」という事自体が「脳の機能」ということは理解しても、そこに感情が生まれそれによって人間が左右される、ということを論理的に分析するのはかなり難しいと考えています。

だから人が死んだときに感じる「悲しみ」を発散させるのは非常に難しいと思います。

人間が死んで成仏するのか?
当然しません。するわけがないし、もし本当に人間が死んで成仏するなら、世界中のお葬式は「成仏」させる方法をとるでしょう。しかしキリスト教では「神の元に召された」といいますし、日本の神道なら「神になった」と表現します。

これは死んだ人間がどうなっているか、はあまり関係なく、むしろ葬式というものは「残された人間たちが悲しみをどう乗り越えるのか」という主題で出来ていると考えるほうがつじつまが合うわけです。

たとえば、まだ小さい子供が死んだ場合、親としてはとてもやりきれない、大きな悲しみをもつわけです。「あの子はなぜ生まれたのか?10年も生きないで死んでしまって何の意味があったのか?」などの疑問も沸くでしょう。
 その時に神父さんが「神が貴方のお子さんを呼び寄せたのです。彼の才能を愛した神が呼び戻したのです。彼は天国で神と共に幸せにいますよ」と説明したとしましょう。それまで天国という存在も神という存在もあまり重視していなかった人が「なるほど神の思し召しなのか」と納得し、悲しみを乗り越えようと考えられるようになるかもしれません。(質問者様や私のようなタイプは、そのような説得では動きませんけどね)
 
そもそも「死」はとても理不尽です。それを受け入れるために「どうやって感情を癒していくか」がとても大切なのです。なぜなら「死」は理不尽で理性で解決できるものではないからです。

お坊さんにしても神父にしても、単に葬式で「ナンマイダー」とか「アーメン」とやっているだけなら、宗教者として失格です。宗教者のもっとも重要な仕事は「この世の中の理不尽さを引き受け、又は諭し、人々のこの世の生活を精神的に豊かに導くこと」だからです。

葬式だけではそれを感じることはできませんし、葬式坊主もたくさんいますので、質問者様の感想についてはその通りだと思いますが、いくら科学が進んでも「死に対する悲しみ」を科学が解決できる時代は来ないと私は考えていますので、宗教という役割はそれなりに必要だと思います。
    • good
    • 1

僕は宗教家でも坊主でもなく,ある宗教についての講義を大学1年生のときに履修しただけの老人です。

「なんまいだー」は「南無阿弥陀仏」ですから浄土宗や浄土真宗といった宗派で唱える念仏です。この意味はwikiにでも書いてあります。以下,かなり拡大解釈してみます。
 神様という存在があるものとしましょう。ただ,この方に何をお願いしても何もしてくれないのは,浄土真宗・キリスト教・イスラム教ともに同じです。ただ,預言者(のような人)が例えば親鸞・キリスト・モハンマドという人がいて,神様のお考えを信じる者に伝えるわけです。その目的は死者をよみがえらせるということ等ではなく,今生きている人がどういう生活をしたらいいかを伝えています。例えば砂漠のような過酷な環境であっても食べ物や水を奪い合って争ってはいけないとか,職業には卑しいものや尊いものといった区別はないから与えられた・自分で選んだ仕事を一生懸命して社会を良くしなさい,といったことです。これを信じて,十字を切ったり,念仏(なんまいだー)を唱えていれば,生きている人の心には平安が訪れて,「多分」天国・極楽などに連れて行ってくれるでしょうと坊さんは話すわけです。それによって,仲間・親族の死という特別な事件が生きている人に悪い影響を残さないようにするのが坊主の仕事です。死者の前で行事を行うのは,その死者がどこかに行って,結局はその親族や仲間にとっての神と同じような存在になったから,その人たちに感謝を伝えなさいよ,それが念仏を唱える行為なんですよ,そして仕事をちゃんとしなさい,争いをやめなさい,と言うための機会に選びやすいからだと思われます。
 ですから坊主は昔から知識人です。檀家にはいろんな人(例えば学歴とか)がいますが,その人たち個々に分かりやすいように講話をして心の平安を導かなければなりません。そのためには幅広い知識が必要になるので,坊主は常日頃勉強してらっしゃいます。つまり坊主は死者に対する行動は起こせない(神でも預言者でもない,単なる伝達者にすぎないから)代わりに,生きている人たちや社会に混乱が生じないようにして,安心・安全を維持しようとしてくれている・・・と考えてみたらどうでしょう。
    • good
    • 0

何が成仏なんですか?



そうやって遺族の心を慰謝して
いるのです。



死んだ方に対して成仏だとか本当に何言っているのかわかりません
 ↑
遺族の悲しみを少しでも和らげようと
する心理的技術です。



お坊さんには今ここにある浮いてある魂が見えるんですか?
 ↑
見るのではなく、感じるのです。
スターウオーズの理力と同じです。



長い歴史をかけてふざけているのでは?
 ↑
長い歴史をかけて、より緻密にずる賢く
なっただけです。



死への捉え方が間違っているのでは?
極楽浄土、地獄、今天国に向かわれましたよ。
どこの何を見てそう思ったんですか?
 ↑
想像力の問題です。
想像力があれば、存在しないものも
見えるようになるのです。

お金だってそうでしょう。
あれはただの紙切れです。
想像力で補うことにより、価値が生まれてくるのです。



大切な方が亡くなったのは悲しいことですが
その遺体の前でごたごたしてるんじゃないですよ
 ↑
ゴタゴタしないと、銭になりません。
宗教産業株式会社が成り立ちません。
死体に群がるハイエナ産業なんて言っては
イケマセン。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

丁寧に説明してくれたのですが読んでると理由がメチャクチャですね
感じるとか私でも言えますよ
確認しようのないものを言って感じるなんて言われてもね
アーティストになるべきですよ
どういうことなのかと調べれば調べるほど、聞けば聞くほど理屈や理論の通じない理由ですよね
何でこんなのが大切にされているんですか?
まじでお坊さんを呼ぶ方は何を考えているんですか?
金払ってまでして坊主がお経読んでるの聞きたいですか?
遺族の方が今までありがとう、安らかに眠ってくださいとしっかりと笑顔を見せるべきでは?
しくしく泣いて坊主がたらたらお経読んでるのなんてやっぱり変ですよ!

お礼日時:2019/09/09 06:43

生や死の儀式とは価値観、感情論のことだから何が一概に良くて何がよくないというのは難しいですよ。



基本的には宗教は信仰の自由なので、よっぽど悪質な詐欺とか基本的人権から逸脱したような活動をしてるのではない限りそれにいくら使おうが個人の自由です。ただ、いわゆるカルト集団というのは、社会心理学的にも個人の感情や思考をコントロールできるような環境に陥って、いわゆる”洗脳”を行っていることからも悪質とされることがあります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

駄目なんて言っておりませんので自由であることは承知しております
しかしなんの意味が…と疑問を思うわけです
これだけ多くの人が信用しているからこそお坊さんという職業が成り立つわけですが…
一体何なんでしょうね

お礼日時:2019/09/09 06:05

涅槃寂静。



仏教では、涅槃寂静を求めて修行をします。
そして、煩悩の炎を消して涅槃寂静に達することを悟りを開くと言います。
もちろん生きながら悟りを開くのが理想なのですが、凡夫には無理な相談です。
ところが死者は煩悩の炎が消えるのであるから、悟りを開いた生き仏と同じように、仏になられた、成仏されたと、隠喩的賞賛を与えて死者を弔うのです。

ま、仏教にに帰依しない人間には興味がないでしょうけど。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

人が死んでいるんだから興味あるかどうかじゃないでしょう
修行されているのはお坊さんですか?
亡くなった方には関係ないのでは?
そして何故死ぬと煩悩の炎が消えるんですか?
そして一番の疑問、煩悩の炎ってどこにあるんですか?
適当なことを言い過ぎです

お礼日時:2019/09/09 04:01

おっしゃる通りです お金儲けです バレンタインの様なものです それでしか食ってけないのかと冷たい目で見ましょう ムカついたら殴れば

いい それだけです!
    • good
    • 1

やらせておけばいいんです 気がすむまで 余興みたいなもんですね

    • good
    • 1
この回答へのお礼

それで金稼ぎをしているんですよ
それに納得して金を払う人がいるからですが、よく分かりません。
冷静になってほしいです。
亡くなった辛さは坊主が成仏したかどうかの言葉で言えるわけないんですよ
その辛さを坊主のお経で誤魔化しているだけでしょう

お礼日時:2019/09/09 02:32

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!