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古代ローマには元老院と平民会があって、
ホルテンシウス法によって、前者の承認がなくても後者単独で立法できるようになったらしいのですが、
そのホルテンシウス法自体を元老院が単独で廃止(改正)することはできなかったんですか?

憲法みたいなものですか?

A 回答 (2件)

>そのホルテンシウス法自体を元老院が単独で廃止(改正)することはできなかったんですか?



BC88年にスッラが元老院を掌握するクーデターを起こし、その際に護民官を殺害したうえでホルテンシウス法を廃止しています。

スッラは独裁的というより「元老院の政治的能力を高める」ために平民会の勢力を弱めようとしたわけですが、これはBC287年にホルテンシウス法が成立した後も、平民会と元老院はずっと対立を続けていたからです。

特にグラックス兄弟がBC133年頃~BC123年頃行った平民会権限の強化につながる改革は元老院の反発を呼び、兄のティベリウスは暗殺、弟の外うすは自殺に追い込まれます。

そこから50年ほどさらに揉めた後、元老院側のスッラによるクーデターで平民会側がつぶされることになったわけです。

元老院と平民会は、そもそもローマ王を追い出し共和政になった後、支配階級の寡頭政治である元老院と戦争に駆り出される平民との政治的な差から平民会が権限をもつようになり、重装歩兵として重要だったローマの平民と指導者階級である元老院は両輪の輪として機能してきたといえます。

ですから、どちらも暗黙の了解のうちに「どちらかを廃止することは内乱につながる」として自制してきた、というのがローマの歴史の本質でしょう。

ですから法的には元老院はホルテンシウス法を廃止できましたが、護民官が拒否権を行使したでしょうし、それを阻止したなら内乱になったでしょう。

ですからスッラのようにすべてを掌握してから廃止するしか方法は無かったのだと思います。

そして、スッラの強権的なやり方から学んだカエサルはのちにプリンキパトゥス(元首制)の筋道をつけたところで暗殺されたわけです。ただ、その後を継いだ初代皇帝アウグストスの指導力により、元老院と平民会は皇帝を支持する両院のような形に変貌したとされます。
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法理論的にはおそらく可能.



護民官が拒否権を発動するような気もしますけど.
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