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先生についてです。
よく、ほんとに頭の良い人は教師になんかならないという話を聞きます。自分の身の回りでもネットでも同じです。それは本当ですか?私は中学生ですが、教師という仕事には憧れを持っていてやりがいのある仕事なのではないかと思います。頭の良い人なら、なおさら教師という仕事が向いているのでは、と感じてしまいます。本当なら、どうしてなのですか?
人それぞれだと思いますし、学校の先生をしてらっしゃる方には失礼な質問かもしれませんが…すみません!

A 回答 (8件)

ぼくは、そんな意見はきたことがないですよ。


そんなことを言う人は、先生に対して、偏見を持っているのか、ノーベル賞でも目指しているのではないですか。
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頭がいい人にもいろんな方がいらっしゃるので一概に言えないと思いますが、こういうのを「うがった表現」といいます。



先生になるには大学の教育学部や様々な勉強をして採用試験を受けて、採用された後もたくさんの研修というものを受けて日夜勉強に励んでいらっしゃいます。

その上、自分の専門分野を決めて学会に入って学問を究めていく方、教育心理を勉強して普段の指導に生かす方など真面目で勉強好きの方を多くお見受けします。

それなのに最近は保護者の方も高学歴者が多く、教師よりも偏差値の高い大学を卒業された保護者が身近にいることがあるためにそういう方と比較して「うがった表現」でそういうことを言う人がいることは残念なことです。

先生という仕事はやりがいもありますし、勉強しなければならないことがたくさんあります。
仕事場でも多くの事を考えなければ勤まりません。勤務時間外で多くの事をしなければならないのです。
心も体も疲れることが多くあります。それなのにそういう事を言われてしまう職業なんです。

そういう意味で、損得を考えて賢く人生を上手に生きて行こうなどという「頭のいい人」にはやっていられない、割に合わないと感じる損な部分があるということです。

愚直にという言葉を知っていますか。愚かという言葉が入っていますが愚かとは程遠い真面目さや懸命に頑張ることを意味するのですが教師にはそういうところもないとやっていけないところがあります。

自分より学年が下の子に勉強を教えてみてください。
教えるほうには、正しい知識がないと教えられないし根気と我慢がないとできないことがわかりますよ。

先生は立派な職業です。
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「ほんとに頭の良い人は教師になんかならない・・・」




・・・といっているのは
「自分自身のことで手一杯なのに他人、ましてや思春期のめんどくさい生徒と向き合ったり、そんなの私には無理、わざわざなんでそんな職に就くのかね・・・」
といった自分本位でしか考えていない、見ていない人が言っているだけですね。
先生ってホントに大変な仕事だと思います


どんなおしごとでも熱意をもってやれるかやらないかでしかないと思いますけどね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かにそうかもしれません。熱意は大事ですよね!

お礼日時:2018/01/12 23:38

教員です。



まぁ、確かに「この人は賢いな~」と思う同僚は少ないですね。また、大学時代に頭の切れた同期は、教師にはなっていません。

頭の切れる人は、他人のミスに巻き込まれるのは嫌いでしょう。ですが、教師はそれが好きな人でないと、務まらないかと。賢いな~と思う同僚も、生徒のトラブルに積極的に関わりを持とうとします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
教師をしているかたに回答をいただけて良かったです!

お礼日時:2018/01/12 23:37

私は学校の教員をしていた者です。


「教師」は、「頭が悪くて」出来るような仕事ではもちろんありません。
自分の頭が良いのはもちろん必要ですが、それよりも生徒に勉強させる(ようにしむける)、
生徒自身に勉強の必要性に気付かせる、分からせる仕事と言えます。

変なたとえになるかも知れませんが、神父さんや仏教者の関係の大学学部「偏差値」も、「教育学部」同様高い数値になりません。おそらく、一般的な偏差値の値とは違うものが要求される世界なのだと認識しています。
教員の場合、基本的に18才未満という「子ども」を相手にする、難しさ(捉え方によってはめんどくささ)があるのだと思います。特に微妙な幼児期、思春期の人物多数と毎日取っ組み合う楽しさとその苦悩は、この職業の魅力であり困難さといえるでしょう。

私の出会った同僚の先生の中には、当然、日本でトップクラスの高偏差値大学出身の方も、低偏差値大学出身の方もおられました。私の観察では、「教師」の魅力や能力、生徒の人気はこれら偏差値とはむしろ無関係で、偏差値で測れない人間力ともいうべきものがあり、それが学校の世界を形作っているように思います。
大学入試時の偏差値一本で、教員を貶め教育を壊すような勢力が見られる風潮が残念な今日この頃です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
とても納得しました。偏差値という目に見えるものではなくその人の人間力が教師という仕事では大切になるのだと分かりました。生徒人気はコミュニケーション能力も関係しているし、人一倍努力をしている先生やどんな悩みにもきちんと向き合ってくれる先生の頑張りは生徒にも伝わっていると思います。教師に求められる力は決して勉強能力だけではないと感じました。このような回答こそが心のどこかで私が求めていた回答なのかもしれません。ありがとうございました!

お礼日時:2018/01/05 00:00

教師はすでに解っていることを教えるのが仕事ですから特段頭が良い必要はありません。


さらに言えば「ほんとに頭の良い人」は何故生徒が解らないかが理解できないので人に教えるのが下手な人が多いですね。
頭の良さと教えることの適性は必ずしも一致しません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうですね、研究者のように新たな発見をするわけではありませんものね。

お礼日時:2018/01/04 13:39

よく、ほんとに頭の良い人は教師になんかならないという話を聞きます。


自分の身の回りでもネットでも同じです。
それは本当ですか?
  ↑
残念ながら本当です。
大学の教育学部の偏差値は、他学部に較べて
低いです。
これが何よりの証拠です。



頭の良い人なら、なおさら教師という仕事が向いているのでは、
と感じてしまいます。本当なら、どうしてなのですか?
   ↑
教育は国家の要ですから、優秀な人間が教師になるべき
ですが、現状はそうなっていません。

1,給料がそれほど高くない。
 フインランドでは、教師の給料を高くして、それで人材が
 集まり、国際ランキングを上げています。

2,子の権利だとか、モンスターペアレントなどの存在が
 障壁になっています。

3,教師というと日教組、共産党、というイメージがあり
 世間の評判が悪いです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
教育学部の偏差値ってそんなに低いのですか…。

お礼日時:2018/01/04 13:38

教師になる人は、それでいいかなーでなります。



熱血教師はいません。
そういう方は塾の講師になります。

知識ある方は大学教授を目指します。

だから中途半端な奴が学校教師になります。

教師とは、生徒の目標で無ければならないので、素朴な質問にも答えられるように日夜勉強する人物であるべき存在です。

なのに最近の教師は、iPhone創設者やFacebook創設者やYahoo!の創設者やGoogleの創設者の名前を聞いても答えられませんよ。やって見て下さい。
もちろんあなたが答えを調べてから行うようにね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに、その教科のことを質問しても答えに困っている先生がたまにいます。どうして熱血教師は塾の講師になるのでしょう?

お礼日時:2018/01/04 13:36

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