アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

北政所のように場所や方角で呼ばれる人、または○○殿、○○の方のような人は結構見かけますが、濃姫のように「姫」が付けられる人は比較的少ない…というか滅多にいません。

何故濃姫だけこのこの呼称があるのでしょうか?
「帰蝶」創作説のように、何かの創作物からなのか、もしくは当時の美濃地方ではそれが普通だったのか…。

誰か教えてください。

また、南北朝~戦国時代の姫は存命時なんと呼ばれるのが普通だったのかも教えて頂けるとありがたいです。
もちろん時代や地域で大きく変わると思うので、代表的な時代と地域だけでも。

A 回答 (3件)

書かれた史料によって違います。

例えば絵本太閤記では濃姫、美濃国諸日記では帰蝶などであったりします。このような違いがあるのは地域、時代、家であったりなどなど。
どれが普通なのかはないと思います。濃姫は昔の地方の名前からではないかと思います。
南北はわかりませんが室町~戦国では地位、家、地方などで名前が違ってきます。例えば、室町時代の早川殿(静岡)は実名が伝わっていないので住んでいた地方からだと思います。~殿は正妻の地位だったからだと思います。
このように様々な理由によって違ってくるのではないかと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
すみません、言葉足らずでした。
時代の違う史料だと名前が違うのは存じております。

今ちょうど人物叢書を読んでおりますが、武将の家臣や子孫が編纂したものだと名前がハッキリしている武将ですら編纂当時の呼び名で書かれる事もあるようですし、また秀吉の朱印状のように「自分から出してるけど右筆が書いてるから主語や敬語が通常とは違う」というケースもありますよね。
なので後に作られた史料に関しては、この件の場合あまり使用できないかなと思っております。

お礼日時:2018/02/09 09:20

うーん、そうですね、当時、女性の名前は色々と変わったり、正確に伝わっていないことが多いみたいです。

濃姫もその一人だと思います。濃姫は謎が多い人物なので名前は美濃から来た高貴の娘だからそうです。どれが本当の名前かがわからないみたいです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確かに家系図などでも「女」としか書かれませんしね…。

美濃出身の姫というのは濃姫に限りませんよね。
ぶっちゃけ信長が政略結婚で送り出した姫だって美濃の人ばかりですし、とはいえ武田勝頼の正妻は「北条夫人」みたいに「美濃夫人」とは呼ばれませんでした。
なのでやはり最初の「後世の創作」なのかなあ…という疑問なのです。

お礼日時:2018/02/11 23:16

実家の美濃から、お濃の方、父親の道三が存命中は、一部で姫って言ってたかもしれません。

大企業の社長令嬢が、まだ創業まもない零細企業に嫁いてきた形ですから。。
 道三の死後、どうなったやら。。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!