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天皇が政治を【征夷大将軍】て形で武士どもにやらせたのが 源頼朝らしいけど。

なら 【征夷大将軍】という肩書きを作らなければ 天皇は滅ぼされていた??

A 回答 (4件)

天皇は、日本最強の呪術師だからね。


怖くて近寄れない。 → 滅ぼせない。
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この回答へのお礼

なるほど わかりやすい。

お礼日時:2018/02/16 15:09

滅ぼされることは無かった、と


思います。

天皇というのは宗教的存在なのです。
ローマ法王と似たようなもので、人間と
神を媒介する存在なのです。

だから、天皇を滅ぼす、というのは、神に
逆らうようで怖いわけです。

現代人ならともかく、昔の人は本当に
怖かったのだと思います。

吾妻鏡にありますが、天皇とケンカすることに
なった北条家ですが、雷が落ちる度に
天皇の祟りじゃないか、と怯え怖れた、という
記述が残されています。
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この回答へのお礼

神ね。

お礼日時:2018/02/16 15:02

いいえ、滅ぼされることはなかったでしょう。



日本の戦争の特徴は「すべて内戦」というところにあります。内戦ですから「国家の基本を揺るがすことにはならない」のです。

日本の中だけで見ていると分かりにくいのですが、大陸で起きている異民族戦争は勝ち負けによって「征服者」と「被征服者」に分かれていきます。そして日本と違って支配者がどんどん変化していくのは「征服した支配者は、被征服者によって滅ぼされるか、別の征服者に負けてしまうから、いずれ支配者が交代する事態になる」ということです。

「ある国を征服し、統一し安定的な国家を作る」のはものすごく大変な事業なのです。

日本は天皇家が「統一国家日本」を8世紀までに完成させています。各地に国分寺を置き、律令法を発布させ、中央集権国家の形を作り上げていたわけです。

その後鎌倉幕府という形で武士の政権ができるわけですが、これは言い換えれば「朝廷が作り上げた、全国の役所を乗っ取って支配しなおした」と言うことにすぎません。そしてそこに住む庶民たちには「天皇から幕府のお墨付きをもらったから、正しい支配者なんだ」と説明できたわけです。もし「オラ、朝廷のほうが良かっただ」という人がいて、京都に行って天皇に聞いても「いや、頼朝君に任せたから彼に従って」としか言わないわけで、そうなると異民族戦争で武力で押さえつけて支配するのとは全然異なる政治ができるようになるのです。

源頼朝が武力を背景に朝廷から「国家支配の実権」を奪ったのは確かなのですが、その際に利用した「征夷大将軍」というやり方も、当時の法律から合法的に移行できるものでした。

いまでも同じようなやり方で軍部が政治支配権を確保するやり方があります。それはクーデターと呼ぶのですが、源頼朝の征夷大将軍任命はそれまでのように「夷敵を倒すための軍司令官」ではなく、軍司令官であれば作ることができる「軍事政権」のお墨付きを天皇が与えた、ということなのです。

軍事政権が国などを支配できるかどうかは、第2次世界大戦後の沖縄の米軍政を見れば分かりやすいと思います。

つまり「源頼朝」が幕府を開き日本国の政治を行うことができたのは「天皇が許可した」からです。その天皇を殺せば「許可した根拠を失う」ことになり、天皇を殺されて怒った人たちと戦うことになります。そうでなくても鎌倉末期は後醍醐天皇による親政政権(天皇による政治の復権)が起きているわけで、当時の天皇の実力や権力・権威は相当なものがあったといえます。

ですから天皇が頼朝に「征夷大将軍」を与えなければ、朝廷と頼朝で戦争になっていたでしょうが、天皇を殺せば「朝敵」ですので、頼朝が勝つ見込みは無くなっていたと思います。
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この回答へのお礼

てな形を見ると

【天下の副将軍 水戸光圀公なるぞ】て 地方で言っても。

結局 天皇さまさまなのかな?

お礼日時:2018/02/15 15:11

古事記や日本書紀他の皇室由来の歴史記述は、日本を武力で統一した記述をオブラートで包み、その凄惨さを隠しています。

中央政権の中心だった天皇は、やがてその官僚集団に権力を譲渡し、君臨するのみとなります。その官僚集団こそ、公家です。

百済を助ける為出兵した日本は、敗戦により実質直属の軍隊を失います。そして警察権力が無くなったのと同じ状態となり、必然的に武士が発生します。暴力団を公家が組織化したような形態となり、軍隊を持たない朝廷は、これを武力と認める外なくなったのです。その後はご存知のように、武士の頂点は、その武力が故に、朝廷より実力を持ちます。それが武家政権です。

征夷大将軍は、平安時代にはしばしば任命されました。朝廷に対する反乱の鎮圧のためで、必ずしも武士のトップでは有りません。従って任務が終われば、解任されたのです。勿論征夷大将軍が反乱を鎮圧できなければ、朝廷は滅ぶ運命と思われます。

皇室にとって代わろうとした権力者は、平安時代以降殆どありません。武家政権成立には、その時々の軍事力の頂上と言う位置づけが必要なため、征夷大将軍の名前が必要となったと思われます。
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