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古典の尊敬表現がわかりません。
例えば、中納言参り給ひて、
の参るは謙譲語で作者から定子への尊敬です、
謙譲語は、書き手が話題の中の動作の受け手に尊敬を表します。
なぜ、書き手は動作の受け手に尊敬を表すのですか?中納言から定子への謙譲表現なら分かりますが…
と思います。
回答よろしくお願いします

A 回答 (2件)

セリフじゃない地の文は、作者目線なのです。

そこで使われる敬語表現は、尊敬だろうが謙譲だろうが、全て作者→登場人物 への敬意を表します。登場人物のセリフの中で敬語が使われていたら、それはその登場人物から誰か他の人への敬意を表します。したがって、作者が書いた地の文の敬語の方向が、登場人物→登場人物 になるのは、ありえないのです。
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謙譲は、間接尊敬とも言われます。

作中に2人の人物がいて、一方が偉い(定子)場合、低い方(中納言)の動作を下げて、偉い方への敬意を表現します。つまりこの場合中納言を軽視するのが目的ではないわけです。が一応配慮して「給ひて」と低い方へも尊敬語を用いて補っています。このように上下関係に配慮し「謙譲語+尊敬語」を用いる敬語を、二方面に対する敬語とも呼んでいます。

>なぜ、書き手は動作の受け手に尊敬を表すのですか?
上記のような場面設定では、動作するのは大抵身分の低い側として描かれます。この場面を「中宮が呼んで・迎えに出て」という表現はしません。動作自体は卑しいもので、身分の高い者はそれを受けるだけであるのが相応しい、という観念があるのでしょう。それで自然と二方面の敬語は頻繁に出て来ることになります。また、物語の性質上作品におけるあらゆる表現は作者から出たものです。「中納言から定子への謙譲表現」は中納言の会話文には登場しますが、これも作者の頭から出たものなので突き詰めると「作者(から)の敬意」なのですが、そのようにしゃべる人がいるので便宜上発言者(から)の敬意として整理することになっています(苦笑)。実はそう整理する方が都合がよい理由は他にもありますが、長くなるのでここでは割愛します。

地の文ではすべて作者(から)の敬意ということです。
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