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中間テストの勉強中です。古文についてなのですが、東下りで、
 「行き行きて駿河の国に至りぬ。宇津の山に至りて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、つた、かへでは茂り、もの心細く、すずろなるめを見ることと思ふに、修行者会ひたり。」
という文がありますが、「行き行きて駿河の国に至りぬ。宇津の山に至りて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、つた、かへでは茂り、もの心細く、すずろなるめを見ることと思ふに」ー(1)という部分の主語は誰になるのでしょうか?
「修行者会ひたり」の部分は、「修行者が会った。」であるということはわかっています。
(1)の主語は男たちになるのでしょうか?それとも修行者になるのですか?教えてくださいお願いします。

A 回答 (4件)

おや、偶然ですね。

僕の学校でも今「東下り」やってますよ。
で、例の質問ですが、もう既に三人のお方が申し分ない回答されているのでもう言うことはないですけど・・・。

taro-oさんが出された「行き行きて駿河の国に~みることと思ふに」の主語は在原業平(たち)で間違いないと思います。「修行者会ひたり」の主語は、この文章の後に「かかる道はいかでかいまする。」と言ふをみれば見し人なりけり。と続きます、ここの見し人なりけりというのは「(都)で会ったことがあった人だった」とか言う意味になることから
「修行者に会った」というより、「どっかでみたことがあるような~ないような~」という意味を含ませる意味でも「(業平たち一行は)修行者に出くわした」という意味が適当だと思います。

ところでこの主人公(業平ですが)、恋人に未練たらたらですよね(笑
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 次の2点の理由において、1文目の主語は、「わ」(=われ・私)以外であると考えられる。


 (1)主語が明記されていない。
 (2)2文目に「わ(が)」と明記されている。
 したがって、主語は「わ」以外の、「(私たち・男たち)一行」であろう。
 逆に、「修行者会ひたり。」の主語は、「わ(が)」の「わ」(=われ・私)であろう。つまり、主語が変更されていて、その後省略されているということは、主語が変わらないためである。
 余談。過去を回想するフィクションという形式を採っており、出だしは、3人称全知視点で客観的に始まり、いよいよ獣道に突入し、思いがけない人と出遭う場面で1人称限定視点に代わり、主観的かつ感情的に
なる場面である。そしてまた、都への思慕をいや増す場面…。
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#1さんの回答に賛成です。


少し、補足しますが、
この段は、「男たち」が東路(あづまぢ)を下って行く旅の視点で延々と語られていくので、ほとんどの主語が「男たち」あるいはその一人、または主人公である「おとこ」(業平?)だと思います。

また、当時の「物語」は、毛筆で連綿と書き写されて流布(るふ)して行ったものなので、読む人はその筆捌きをたどって「語り口調」のように感じ取りながら、じっくりと読んでいったものと思います。ですから、新たに現れた人物が、その前の長い文章の主語であるということはめったにないものと思います。時間の経過どおり、物語の起こるとおりの順で書かれているといってよいのではないでしょうか。

あと、「修行者(が)会ひたり」という表現については、今ですと「修行者に会った」と書きたくなるところなので少し不思議な感覚を憶えるところですが、#1さんが「修行者が来合わせた」と訳されているのはまことに名訳だと思います。同じような例がありましたので一つだけ引いておきます。

西行の「山家集」の中の歌の詞書(ことばがき)の一つです。

 世の中に大事いで来て、新院あらぬさまにならせおはしまして、御(み)ぐしおろして仁和寺(にんなじ)の北院におはしましけるに参りて、 兼賢阿闍梨(けんげんあざり)出であひたり。

「世の中に一大事が起きて、崇徳院さまが不本意な身の上となられ、お髪をお剃りになって仁和寺の北院にいらっしゃるところに私が参上しましたところ、 兼賢阿闍梨どのが出てきて私に会いました。」

「大事」というのは、保元の乱(1156年)を指しているということです。
ご参考までに。
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こんばんは



「行きて行きて……」の主語は男達(一行)だと思いますよ。
「修行者会いたり」は「修行者に行き会った」(修行者が来合わせた)ってことですね。

中間テスト、頑張ってね。
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