A 回答 (27件中11~20件)
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No.16
- 回答日時:
まぁ、まだ見えませんかね、
貴方は垣根が濃いが、
少し無意識も意識した方が良い。
とおもいまふよ♪
書き忘れです。
懐疑段階とは、
[【自分が居るのかの疑い時期】]
そこに見えるのは?
世界に私が居るのなら、
いないなら、
・認識する世界は実在か、(夢かもめ)
・他に見えるもの (世界という全体的 意外な考慮、回りのものは実在か)
自身の認識に謝り錯覚はないか。の問い。
・自身が居るかいないか
もわからないのに、
他者は実在するのか。
・他者或いは、認識する存在が錯覚だとしたら、損実に存在すると認識すべきものは何であるか。(無意識の解除、哲学的思考の開始!)
そして、試行的な論理付け段階!
に入るという意味です。
これは、確かに貴方がいっている段階も含む。
しかしその前に、これだけ考えれる題目がありますよと 言ったんですけど、
目線が狭くないですか?
私も気を付けよう♪
私もまた渡す。
☆
結論とは?
これが実は概念的な言葉!でありますが、
あなたの言う結論は社会一般の結論とは異なる。今回はね。
つまりは、決めつけ!
これを無意識下から出てきたものに施す段階で、
ひとつの概念が、生まれた段階、
それは、ひとつの言葉を結論付けた状態で、物事 問いのすべての答えを出したわけではありますまい。
むしろ、答えが出ないことを問うのに、一つ一つの概念を毛つらんか下状態で問わなければならないと言う規則はありません。よ
貴方の非知なら
これができる。
量子演算段階!
決まらない答え(言葉ひとつの概念段階、(以下もあるが))
の、すべてのifを互いに投げ掛け、会わせて、
正否をひとつずつ一時 結論化していき、
正否の正の物と
非の物を分類!
更には、その正否在るもの同士をまとめたカテゴリー、これら同士を掛け合わせて畏怖の理論を作る。
整合性が高いか低いかは、さらに全体を見てから判断する。
なおもっと説明がうまくなればあなたにもっと分かりやすく説明できたかもしれませんね。
★
さて無意識とは?
疑うは実は考えるでしかない。
考えるという概念の派生領域。
考えている状態の中の、疑っている(と認識できる事態)
がある状態でしょうね。
しかし、夢想に近い状態でも、やはりどちらもできる。
無意識とは?
概念を名付ける前に存在する。
頭のなかでは、インスピレーション等のファクター。(因子を)
考えてみてください。
貴方は言葉で考えていますか?
でしょうね?
でも急に思い付いたりしたことは、
ひらめき!
すべては言葉になる段階の前です。
人間の脳は恐らく、
自分の言葉で考えている表層的な部分以外に、
多数の組み合わせ、通りわを持つ
高く的、多重思考をしてある。
これが言葉にできなき段階では貴方の理論と言うよりは真相の貴方の無意識の理論と呼ばれるわけで
すね。
ぺル祖な!
ペルソナ。
心理学用語ですが、無意識がないとはいったいどこで判断したんですか?
まぁ、いいや。
今回の質問と違うなら、これ以上ここは問答しません。
続いて
明らかにする前に直感を、
つかもうとせよ!
でなければ、固定観念をほふりされはしない。
かと。
そして、
更には、
まぁ、ここまでとしましょう。
騎士の皆さん、瞑想は良い 修行になりますよ
自分がいないかもしれない段階の物の見方も、時に受け入れる必要がある。
超自然更新、
神との対話 大和
に続く、
…かもしれないのだ仮。
まぁ、貴方は哲学者であっても、スピリチュアル系や、
サモナー、シャーマニズムを納めていない。
こちらの方面も玉に見ると、
見えていなかったものが、また見つかるかもしれません。
ブラジルワンサン!
(^-^)/
ではでは。
ごきげんよう
エル ミル システィーア
☆ミ
ご回答をありがとうございます。
★ [【自分が居るのかの疑い時期】]
☆ 《もしわたしが誰かに欺かれているとしたら それは わたしが
存在しているからである》。
存在していないのに 欺かれる(あるいは あやまつ)ことはない。
つまり われあやまつなら われあり。 Si fallor, sum.( Augustinus )
これが 相場となっています。
★ あなたの言う結論は社会一般の結論とは異なる。今回はね。
☆ 当たり前です。おのおのの主観における主観としての命題(結論)
のことです。
★ 決めつけ!
☆ ではなく 推論を示してみちびいた命題です。
これを 互いに批判しあえばよい。
ひとつの命題をめぐって しっかりと議論しあえばよい。
★ 疑うは実は考えるでしかない。
☆ うたがうので 考える。命題を出すのは うたがうではなく 考
えるである。
★ 無意識とは?
☆ 意識下。あるいは 潜在意識のこと。
★ 無意識がないとはいったいどこで判断したんですか?
☆ 精神分析で言うムイシキは 脳細胞のどこかに リビドーをつか
さどる独立の部位(器官)があるという仮定によっています。
これまでに そういう部位は 見つかっていません。
No.15
- 回答日時:
人口知能を完成させるには、ファシズムのデータを入力しなければなりません。
意味不明な造語を並べて強行出版した専門書も確かにファシズムですが、ファシズムのトラップをとり外した未来の哲学がすぐそこに広がっています。ご回答をありがとうございます。
★ 人口知能を完成させるには、ファシズムのデータを入力しなけ
ればなりません。
☆ ん? ファシズムのですか?
★ 意味不明な造語を並べて強行出版した専門書も確かにファシズ
ムですが、ファシズムのトラップをとり外した未来の哲学がすぐそ
こに広がっています。
☆ 前項の《データ》は そのファシズムに落ち入らないためにで
ある・・・ということですか。
ナチは 民主主義社会から出て来ましたからね。
No.14
- 回答日時:
確かに、結局、政治も経済もAという人もいればBという人もいるような気がします。
学問として未熟というか現時点では限界があり、やはりメタ領域では最終的には何らかの信念によってつき動かされてるような気がします。なので、意見の対立しやすい学問、分野であるのは間違いないと思います。でも、実際に考えるだけで全く行動を示さない大哲学者のような人間はやはりいないと思うし、政治や経済は結局何を重視するかということで、全てが丸く収まるような政策はないと思うので、平和なら平和、人権なら人権というのは一つの方向性として成り立つような気はします。それが間違っていると言う場合は、何を以ってという部分が誰も正しいとは言い切れないので、それ自体が単なる信念にすぎないのではないか。もし、観念に終始とどまるようなバーチャルな政策を掲げる政党があったとしたら、それはもはや政治ではないでしょう。普通のような例では、誰がそれを“嗜眠”と名付けるのか、言えた分際かということになる気がします。
ご回答をありがとうございます。
★ 学問として未熟というか現時点では限界があり、やはりメタ領域では最
終的には何らかの信念によってつき動かされてるような気がします。なので、
意見の対立しやすい学問、分野であるのは間違いないと思います。
☆ いわゆるお花畑と呼ばれる観念論的嗜眠状態にある場合は 平和・人権・
愛・自由・生命と人格の尊厳・・・といった理念をかかげ そのもとにすべ
ての思考と行動を整列させます。そういう社会参加ではないでしょうか?
それは おかしい! と言おうとしています。
★ でも、実際に考えるだけで全く行動を示さない大哲学者のような人間は
やはりいないと思うし、政治や経済は結局何を重視するかということで、全
てが丸く収まるような政策はないと思うので、平和なら平和、人権なら人権
というのは一つの方向性として成り立つような気はします。
☆ 理念は 誰しも反対し得ざるものがあり 《一つの方向性として成り立
つような気》がするので 厄介なのだと思います。
★ それが間違っていると言う場合は、
☆ 理念じたいは 間違っていないんですよね。それを持ちだして 現実の
問題にあたるというときの早く言えば《理念一辺倒》が 問題なのだと思い
ます。
セクハラは なぜいけないか? ――人権の侵害だから。
人権とは 何か? ――セクハラ行為によって侵害される人間の権利だ。
権利とは 何か? ――セクハラによって傷つくことから守るべき人間の生
来のとうときもの。
★ 何を以ってという部分が誰も正しいとは言い切れないので、それ自体が
単なる信念にすぎないのではないか。
☆ ですから 対話をします。民主主義です。
★ もし、観念に終始とどまるようなバーチャルな政策を掲げる政党があっ
たとしたら、それはもはや政治ではないでしょう。普通のような例では、誰
がそれを“嗜眠”と名付けるのか、言えた分際かということになる気がします。
☆ 嗜眠と名づける理由は 理念を最後まで離さない。理念に悖るという一
点から すべての政策も出されて来る。ゆえです。
理念に合っていない現実を相手にして どこをどうするか。そのような過程
を経て その理念を現実的に実現させる。
そういう姿勢があるかどうかで 嗜眠か否かが決まるのではないでしょうか。
No.13
- 回答日時:
観念論的嗜眠状態とは言うものの、全くアンガジュマン(社会参加?ですか)していない人はいないでしょうし、何らかの形で現実と関わっていると思います。
だからここで問題になるのはその度合いやタイミングなどで、自分の哲学を意識しない(無意識の)あるいはその範囲外の(無力な)部分が充分にあると自ら認識しているのであれば、少なくともその部分によって 嗜眠 というと少し言い過ぎることにはなるでしょう。ある人から完全に何らかの信念を無くしてしまうことは逆に人間として不自然だと思います。それに抵抗することは即ち、哲学自体を放棄することではないでしょうか。信念だけの人もいなければ、信念のない人もいないと思います。もしロボットのような完全思考型人間がいたとしたら他の知性による敗北以外ありえないでしょうね。ご回答をありがとうございます。
★ 観念論的嗜眠状態とは言うものの、全くアンガジュマン(社会参加?
ですか)していない人はいないでしょうし、
☆ ごもっともなんですが わづかな隙をついて違った見方も出来るか
と。
つまり 何はともあれ誰もが 生活をしています。ならば 社会に参加
しています。
ですが そういった一般論としてのアンガジュマンとは微妙に違って
ともかくおのれの思想とその実践において 社会のいろんな現実や出来
事の中に自分を位置づけて 何らかの活動をする。
こういったコミットメントは 嗜眠状態にあるなら まづないものと思
うのです。
(そういう一面があるというほどの反論ですが)。
★ 何らかの形で現実と関わっていると思います。
☆ という一般論としての現実参加にあって じつは 観念論に傾く思
想の場合には けっきょく平和なら平和 人権なら人権というように理
念を掲げ その旗印のもとにすべてを裁いてゆくような社会活動に落ち
入りがちではないか?
こういった問題を じつは 思っています。
★ だからここで問題になるのはその度合いやタイミングなどで、自分
の哲学を意識しない(無意識の)あるいはその範囲外の(無力な)部分が充
分にあると自ら認識しているのであれば、少なくともその部分によって
嗜眠 というと少し言い過ぎることにはなるでしょう。
☆ 前段で触れましたように わたしの見方は 《社会参加の度合いや
タイミング》の問題ではなく その質と言いますか かなり人びとの間
に 違いがあると思うのです。
《対決より解決》という旗印があらたに或る政党によって掲げられまし
た。現実参加の質というのは そのふたつの態度で違って来ると見ます。
嗜眠状態でも 対決はするようなのです。
★ ある人から完全に何らかの信念を無くしてしまうことは逆に人間と
して不自然だと思います。
☆ ええ。
★ それに抵抗することは即ち、哲学自体を放棄することではないでし
ょうか。
☆ 《抵抗》ではなく 《批判》ですね。
★ 信念だけの人もいなければ、信念のない人もいないと思います。も
しロボットのような完全思考型人間がいたとしたら他の知性による敗北
以外ありえないでしょうね。
☆ 要するに 人びとが互いに 対話をすればよいということなのでし
ょう。とは思います。
No.12
- 回答日時:
いえ、
まだありますよ。
懐疑段階 (存在 不認知)
(つまりは曖昧に思うで良い)
・認識する世界は実在か
・自身の認識に誤り、錯覚はないか。
・他者は実在するのか。
・他者或いは、認識する存在が錯覚だとしたら、真実に存在すると認識するのは何であるべきか。(すべてが錯覚としなくても、一部錯覚が混じる可能性はある)
その後、思考的論理付け
→
・相対性論理は存在するのか
・人の言うことは間違いか
あっているのか。
・因と果は本当に繋がっている世界なのか。(時間経過の立証)
・自分の考えの当否を考えるべき。
このくらいのものは有りそうです。思考を論理的にしなくても、思いつきも、自由な夢想段階から、始めれます。
瞑想かも知れませんが、迷走?
何をいっているのでしょうね
ご回答をありがとうございます。
いまの議論は 次のやり取りから発生しています。:
★★(回答No.9) 自分を疑えるものでなければ、固定観念からは抜け出
せない。
☆☆(同お礼欄) ~~~~
★ 自分を疑えるものでなければ
☆ 自分の考えの当否を疑えるものでなければ でしょうね。
~~~~~~~~~~~~
☆ 《うたがう》と《考える》との違いに留意する必要があると思います。
★ 懐疑段階 (存在 不認知)
(つまりは曖昧に思うで良い)
☆ これは 結論を出していない状態では?
★ ・認識する世界は実在か
☆ 《自分》と《認識する世界》との異同を明らかにしておく必要あり。
★ ・自身の認識に誤り、錯覚はないか。
☆ これは わたしの言っている《自分の考えの当否を疑う》ことです。
★ ・他者は実在するのか。
☆ 他者と自分との異同を明らかにすべし。
★ ・他者或いは、認識する存在が錯覚だとしたら、真実に存在すると認
識するのは何であるべきか。(すべてが錯覚としなくても、一部錯覚が混じ
る可能性はある)
☆ これも 思考の途中です。存在の相対性にみちびかれるでしょう。諸
法無我・諸行無常が ひとつの結論(命題)になりましょう。神論を別と
すれば。
★ その後、思考的論理付け
☆ これは 推論の筋道を 経験合理性にもとづき ととのえよと言って
います。
★ ~~~~
→
・相対性論理は存在するのか
・人の言うことは間違いか
あっているのか。
・因と果は本当に繋がっている世界なのか。(時間経過の立証)
・自分の考えの当否を考えるべき。
~~~~~~
☆ ですから 《考えの当否をうたがう》のほかは 無常観(世界の相対
性あるいは 存在の時間性)にみちびかれます。神論を別とすれば。
★ 思考を論理的にしなくても、思いつきも、自由な夢想段階から、始め
れます。
瞑想かも知れませんが、迷走?
☆ ご自由にどうぞ。
No.8
- 回答日時:
自分の価値や性質は自分で決めるという考え方もできるかもしれないが、少なくとも他者との関わりの中で人は相対的に自分自身の価値や性質を認識することが必ずあります。
よって人の営みとは、誰しも他者ありきの自分ということが言えるでしょう。ある一つの哲学が絶対的事実でなければ、それを信じないものとの相互作用によっていずれ自己の現実の意思行為は阻害されます。確かに、その哲学が絶対的に間違っているかどうかを証明することはできないが先の結果は 一つの哲学を持ち続けること(=信仰)が経験事象の非対応や自己の現実の意思行為に繋がらないといった状態を招いていることに他ならないと思います。しかし、これらはすべて観念論的嗜眠状態に抵抗すべきという考えの下で導かれるものであり、観念論的嗜眠状態をある哲学において生じる当然の状態と考え、とりわけ問題視しないならばこの限りではありません。これは現在の私の哲学に対する在り方であり、いつかきっと、いちいち不確実な観念を信じなくてよい科学的事実を全体で掲げることが私の自分に対する理想です。ご回答をありがとうございます。
★ 自分の価値や性質は自分で決めるという考え方もできるかもしれ
ないが、
☆ 先人や先輩〔あるいは同輩や後輩〕から影響を受け その思想や
人柄を参考にすることはあるのでしょうが やはり基本としては 本
人が 価値観や自己の性質を決めるんでしょうね。
キッカケになることと それによって決められてしまうこととは 別
だと見られます。
★ 少なくとも他者との関わりの中で人は相対的に自分自身の価値や
性質を認識することが必ずあります。
☆ それこそ社会にあって人びととのマジハリをつうじて 自己の位
置づけを――努力をとおして自分でも形成しつつ――受け留めるよう
になる。自己の存在について相対的な認識が得られるでしょう。
★ よって人の営みとは、誰しも他者ありきの自分ということが言え
るでしょう。
☆ ちょっと微妙にニュアンスの差があるように思います。
つまり その他者から見ても 《他者ありきの自分ということ》にな
りますから けっきょくは相互に同時に対等な存在関係ということが
位置づけられるものではないでしょうか。
★ ある一つの哲学が絶対的事実でなければ、それを信じないものと
の相互作用によっていずれ自己の現実の意思行為は阻害されます。
☆ ん? 絶対的な事実(あるいは世界認識)でないのですから そ
こでは互いに自分の哲学が 相対的な――その意味で対等な――位置
関係にあると捉えるのではありませんか?
その哲学(つまり 主観としての思想や価値観)のもとに 実際の意
志行為をおこなうものと思われます。ぶつかるでしょうが 必ずしも
阻害されるものとも 限らない。・・・
★ 確かに、その哲学が絶対的に間違っているかどうかを証明するこ
とはできないが先の結果は 一つの哲学を持ち続けること(=信仰)が経
験事象の非対応や自己の現実の意思行為に繋がらないといった状態を
招いていることに他ならないと思います。
☆ ううーん。ここは むつかしいですね。
相対的な価値関係のもとに互いに思惟し行動するとき もし互いに互
いの哲学について 批評し批判し合おうと言って合意したなら その
約束にしたがって対話を進めることは 現実的です。(中身がどうで
あれ)。
つづく
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№7つづき
★ しかし、これらはすべて観念論的嗜眠状態に抵抗すべきという考
えの下で導かれるものであり、観念論的嗜眠状態をある哲学において
生じる当然の状態と考え、とりわけ問題視しないならばこの限りでは
ありません。
☆ どうもこの議論は 実存思想のアンガージュマン(コミットメン
ト)が有るか無いかの問題に 行き着くように思われます。
約束を履行するならそれは 現実的であるように 情況の中でその動
きにコミットするなら 観念が先行するのではなく 取りあえずにで
も 嗜眠状態を脱する。
★ これは現在の私の哲学に対する在り方であり、いつかきっと、い
ちいち不確実な観念を信じなくてよい科学的事実を全体で掲げること
が私の自分に対する理想です。
☆ それはそうでしょうね。つまり 世界事実と対応する世界認識が
得られているならば 観念の想像世界にとどまっていることもなくな
りますから。
№20つづき
けっきょく 或る一人の人間の主観に発して 思想ないし哲学が生まれ
ます。
ほかの人たちの別の主観体系を押しのけて 一定の主観内容が共同化さ
れます。
共同主観(コモンセンス)。これが その時代その社会にとって基本的
な思潮を形成します。
どこまでそれが真理であるかは 誰も分かりません。
でも コモンセンスを信念として 思想として固まるのは 嗜眠状態に
落ち入りがちです。
そして 理念をかかげる信念の場合には――理念がまちがいではないだ
けに―― その信念で固まってしまうような傾向があるように見られま
す。
細かいことかも分かりませんが これが あんがい目立ちます。