中央公論、田中美知太郎責任編集 「プラトンI」から池田美恵訳 『パイドン』の10章(ステファヌス索引65b)
「さあ、それでは、知恵の獲得そのものについてはどうだろう?肉体は妨げになるのかならないのか、もしその探求に当たって人がこれと協力するとすれば。
つまり、こういう意味だ。視覚や聴覚は人間になんらかの真実を教えるのか、それとも、その点についてなら詩人でさえ、いつもくりかえし語ってくれているのではないか、われわれの見聞きすることは何一つ厳密ではないと。しかも、肉体のもつこの二つの感覚が厳密でも確実でもないとすると、ほかのものは言うまでもない。いずれも、この二つよりは劣っているのだから。そうは思わないか」
さて、質問です。
ここからは自ずと「五蘊皆空」を連想します。主人公ソクラテスは、即ち著者のプラトンはブッダが説く「五蘊皆空」と同じ認識にあるやに読めます。ブッダは此処から「色即是空」を導き、プラトンは最終的に「イデア」を導きました(?)。言わば同じ認識から一方は「無」を、他方は「有」を導いたことになります。
また、ほとんど同時代を生きた二人が一方は解脱し輪廻から外れることを確信したことによって、他方は肉体は滅んでも魂の不死不滅を確信したことによって、共に従容として死に就いたことにも関心をもちます。
ブッダとソクラテス(実はプラトン?)が正反対といってもよい結論に到達した理由は何ですか。このことが東西の後の二千数百年間に及ぼした影響も多少は視野に入れて回答して下さると一層、有り難いです。
よろしくお願いします。
No.14
- 回答日時:
<<私の診るところ、素粒子の研究では実験装置の工作の面で街工場のオッサンが役立つことはあっても、ブッダが役立つことは何一つありません。
素粒子と限らず科学が獲得した成果の使い道についてならば、ブッダも役立つかもしれません。>>ですね。
<<何かというと不立文字だの以心伝心だのというのですから、読んで分かろうとする者も、師をもたない者も心得違いなのではないでしょうか。しかし、不立文字といいながら次々書籍は出るものです。>>
「不立文字のみ」を語ればその後の言葉は全て止む。「不立文字のみ」なら最大の師匠の言葉読むのはおかしな話、他の師を持ち言葉を聞くもおかしな話。その人たちは何を実践しているのだろう?
と単純に疑問が出てきますね。
もちろん実際実践を行うかたは、「不立文字のみ」では無くそれ意外にも実践があるのでしょう。
私の師はパーリ語の仏典の三宝ですから、柔軟に見解を構築していく方針をとってます。
<<「「般若心経」は間違っている?」を読むと「「般若心経」は間違っている?」は間違っている!」を私が書きたくなって、「「「般若心経」は間違っている?」は間違っている!」は間違っている!!」と皆さんが非難するのだと思います。>>
解釈の幅が180度違う見解が紡ぎだせるものは読みこなすのは困難ですね。答えもありませんし、固定の意味もありません。
あとは個々の解釈に対する指摘になって、「それそのもの」に対しては、固定された意味が出てこないことには…
皆さんが素晴らしいといっているのは「~さんの般若心経の解釈」であって、そのものではないのでは?というのが個人的な感想です。
ともかく「般若心経」は固定の意味をもてないものと私は思いますので、いろいろな見解があっていいと思いますよ。
ぜひ「「般若心経」は間違っている?」の「解釈」の反証点を洗い出して見てください。自分と違う見解の相違点の検証は自分にとって有意義なものになると思いますから。
ともかく、ブッダとソクラテスは元の地点から他のものをみていたと思います。「知った」と「考えた」に違いもありますね。
肉体つまり物資・ナーマ・色蘊は変化し「厳密確実でない」
受・認識つまり受蘊・識蘊(多分五感のみ)も不完全「厳密確実でない」
そのような思考過程で「物質や認識で真実は理解できない」という結論を出したのかなと憶測します。
六根の「意」や「有見心」を不変なものと判断したという憶測も出ますね。前提条件として根強く持っていたのかもしれません。
我々が認識と思っているものにパパンチャ・捏造が働いているかも、というところまでは考えなかったのでしょう。
何か参考になれば幸いです
~~生きとし生けるものが幸せであれ~~
「不立文字」の言わんとするところは少しだけ分かる気がします。世俗では「不立文字」と言いつつ書き、語るしかなく、それで正しいのだと思います。というよりは、「不立文字」であるからこそ書き、語るのだと思います。推測しますに、「不立文字」は多分、私ら凡俗への言葉ではないのだと思います。私ら凡俗は「文字」すら読んでいませんから。実は「不立文字」といって小言をいわれたり自戒するところまでいけば大したものなのかもしれません。
「不立**」、**には色んな単語が入りそうです。何をいれても成立しそうです。私が入れると、またまた揚げ足取りみたいになりそうなので止めておきます。
何度も応じて下さって有り難うございます。またの機会にもよろしくお願いします。
No.13
- 回答日時:
>ブッダとソクラテス(実はプラトン?)が正反対といってもよい結論に到達した理由は何ですか。
そのことに関する科学的な説明は、現在物理学が到達して理論体系に於いて、定性的にも定量的にも実証的に理解されております。この質問の機会に、物理学で複雑系を取り扱う「散逸構造の理論」の中の、特に「分岐の理論」をキーワードにご自分で調べて下さい。この散逸構造の理論を提唱した、物理学者で化学者のイリヤ・プリゴジンはノーベル化学賞を授賞しています。この理論は物理現象や化学現象ばかりでなく、生物学や社会学、経済学、歴史学等に応用されて、現在多大な成果を上げています。
この散逸構造理論によると、自然界の現象は、今まで安定な状態であったとしても、周りの環境が少しずつ変化して来ると、それがそのまま安定状態に留まることが出来ず、不安定になって来ます。その原因は専門語で言うと、非線形数学の効果です。そしてその不安定点に到達すると、その点から新たに違った状態の安定状態が現れてくるのですが、それは一般に複数の安定状態があります。そして、今まで同じ状態だったにもかかわらず、典型的な系では、二つの正反対の安定状態が現れて来ることが判るようになりました。さらに、そのどちらの安定状態に移行するかは、完全に確率論的にサイコロを振るように決まることが判って来ました。現象がそのように確率論的に分岐して行く現象を取り扱うので「分岐の理論」と呼ばれるのです。生物が次々に分岐しながら、複雑な構造を手に入れて来た過程も、あるいは人間社会が歴史的に次々と複雑な構造を手に入れて来たのも、この分岐の理論から実証的に説明できます。ですから、同じ論理を持ち、同じような文化のなかで同時代に生きたブッダとソクラテスの二人が正反対の結論に達することに、何ら不思議が在るわけではなく、非線形数学の結論からすると、その方が余程自然なのです。
他の例では,西洋での宗教改革の結果、カソリックとプロテスタントの血を血で洗う戦争の中で生きたデカルトに関しても同じことが言えます。彼はその戦乱の中から、カソリックの権威を超える世界観の認識として、「時系列的な合理性」および、決定論的世界観、即ち「永遠」あるいは、「存在」を基軸に置いた、この世界を「在る」世界として捉えることを提案しました。
ところが、それより数百年早い出来事では在りますが、デカルトの時代と同じ様に血を血で洗う源平の戦乱、およびその直後にやっくる仏教に置ける宗教改革を通して、「諸行無常」と言う、確率論的世界観、即ち、「存在」とは正反対の、「変化」を基軸に置いた「成る」世界観を日本人は生み出しました。そして、日本人の合理性は西洋のような時系列的な合理性に力点を置くのではなくて、全体を一度期に捉え、収まる所に収まっていると言う「絵画的な合理性」を強調する論理的認識の方向に分岐しています。同じ戦乱と言う原因が、合理性の認識に対しても、世界の在り方の認識に対しても、完全に逆方向の世界観を導き出した例です。
このように複雑系として捉えられる非線形系では、論理が一意的な結論を導き出すわけではなく、その反対に、典型的には相反する正反対の結論へと導くことが近代の物理学の進歩で分かるようになって来ております。
蛇足に成りますが、
>(実はプラトン?)
のコメントに関して一言。
人類の教師と呼ばれている方には、不思議と本人の書いた物が遺されていません。具体的には、孔子、ソクラテス、イエスです。全て、彼等の弟子がこれら師の行動を示す形で、現在の我々に残っています。さて、後代の弟子が書いたことが事実として確認されているからと言って、それは弟子達の見い出した主張と言って良いのでしょうか。私は幸運にも自然科学を通して現代文明に多大な影響を与えた偉人と直接接した経験が在ります。その方の主張は弟子達に決定的な影響を与え、その弟子達は、師の見い出した物を後生に伝えるべく恍惚として努力している側面があります。その弟子の遺した物の中には説得力のある論説を展開する物もありますし、また、それなりの論説で歴史から消えて行ってしまう物も居ります。ですから、それをソクラテスの見い出したものではなく、実はプラトンが見い出した物であると言い切って良いものか、私には躊躇があります。ソクラテスが居なかったらブラトンはそのような見解に到達できなかったでしょうが、プラトンが居なくても、誰かソクラテスを継承した者がそれを後生に伝えることが出来た可能性の方が遥かに大きいような気がします。
この回答への補足
返信の要求は何もありません。
このご回答は巨視的には肯けるのでしようが、知識がないせいもあって細部は分かったのか分からなかったのか、分かりませんでした。
1 最近、複雑系と言う言葉をよく耳にします。何処かで読み齧っておこうと思います。
2 あの時代、地球的規模で安定の臨界に達して不安定点に到達していたのだと思います。インド、ギリシャ、中国(孔子)、各地で巨人が誕生しました。私の愚考では氷河が去り地球の温暖化によって農業が本格化した結果だと思います。生産性が向上したことから人口が殖え、都市化が進み、貧富の差が拡大し、それまでの「ヒト的感覚」の社会から「人間的感覚」の社会に創り直す必要に迫られ、新たな規範が求められていたのではないでしょうか。この意味ではブッダ、ソクラテス、孔子が存在しない場合でも別の巨人が規範作りに登場したのだろうと思います。
3 ギリシャではポリスという小さな共同体では対応しきれなくなっていて、あるいはまた民主主義に付き纏う悪平等に上手く対応できなくて、矛盾を沢山抱えていたのではないでしょうか。インドも中国も、それぞれに行き詰まっていて新たな規範を必要としていたのではないでしょうか。こういう方面の研究をしている方はいないのでしょうか。
4 ブッダ、ソクラテスと限らず固有の規範を唱えた人物は沢山いたのだと思います。にも係わらずブッダ、ソクラテスの思想が変形しつつも弟子に理解され時代を超え地域を越え人類に広く浸透していくについては、「生活が一番」というよりは「生活しかない」一般大衆の心情に馴染みやすい普遍的な何かが含まれていたからだと思います。この意味ではブッダ、プラトンの思想というよりも、インド、ギリシャの思想であり東洋、西洋の思想なのだと思います。詰まりは彼らの思想を受け入れた土壌は何だったのか、という点に関心が及びます。
5同じ状況下で正反対の結論に至ることはあるでしょう。しかし、どうでしよう。インドにプラトンが出現したとして彼の思想が浸透することはあり得そうです。が、ギリシャにブッダが出現したとして彼の思想が浸透しますかね。あだ花に終わりませんか。プラトンは何処かしら誰にも通じそうですが、ブッダは通じる人にしか通じない感があります。今日の仏教はブッダの思想と大して共通点がないのではありませんか。まして当時のギリシャで浸透するとは思えません。つまり、正反対の結論に至ることはあっても、それが浸透するか否かはどちらか一方の結論に限られるのではないでしょうか。
6孔子、ソクラテス、イエスに加え、ブッダ、ムハンマドも著作を遺していないのだと思います。私に言わせれば、これが彼らを巨人にした原因です。言質を残さないことによって如何様にも加工できるところがミソとなって教祖に納まっているのではないでしょうか。
実際はどうなのでしょう。パピルスに羽ペンで一文字ずつ記す作業を想像すると、その上印刷技術がなくて普及させる方法がないことを考えると、著述より弁舌の方が余程影響力をもち価値が高かったなんて事情がありはしませんでしたか。当時は書斎に籠もって書き物をしているのは邪道で、外へ出て説教をしているのが正論なんてことはありませんでしたか。
7 天才は懸案事項を粗方片付けてしまうと同時に、新たに膨大な課題を残して逝くのは分かります。ソクラテスの思想でもプラトンの思想でも私は拘りません。どちらでもよいです。多分合作ではないですか。
プラトンがいなくても現にクセノフォンがいたし、他にもソクラテスを顕彰・継承する者は出たかもしれません。
宵の口なのに今夜は寝言を言い過ぎました。
有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。
No.12
- 回答日時:
最近は素粒子研究などを物理でやっているようですね。
ブッダは心と物質(ナーマとルーパ)は「動」であると言っているように思います。実体は無い波だと。
そもそも同じところで見ているわけではないように感じます。
あと「般若心経」は僕には理解不能なものですw
文自体はそのまま読むとなんとも???です
注釈するひとによってまったく違う哲学が出てきますし。
一つの解釈の仕方としてこの書籍をオススメします
「「般若心教」は間違っている?」
何か参考になれば幸いですノシ
私の診るところ、素粒子の研究では実験装置の工作の面で街工場のオッサンが役立つことはあっても、ブッダが役立つことは何一つありません。素粒子と限らず科学が獲得した成果の使い道についてならば、ブッダも役立つかもしれません。
何かというと不立文字だの以心伝心だのというのですから、読んで分かろうとする者も、師をもたない者も心得違いなのではないでしょうか。しかし、不立文字といいながら次々書籍は出るものです。
「「般若心教」は間違っている?」を読むと「「般若心教」は間違っている?」は間違っている!」を私が書きたくなって、「「「般若心教」は間違っている?」は間違っている!」は間違っている!!」と皆さんが非難するのだと思います。
冗談はともかく、「「般若心教」は間違っている?」は生きている間に順番がくれば立ち読み程度はしてみようと思います。
No.11ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは。
僕なりに書いてみたいと思います。
ブッダは
「諸行無常」
起こるもの(「行<サンカーラ>」関係を持って条件が整ってなりたっている)は永遠や実体といえるものでなく瞬間瞬間変化生滅し続けている。
といい、五蘊もドゥッカ(「苦・空」たいしたことの無いもの)といっていると思ってます。
そこで我々が価値を入れたり煩悩を出したりする原因として五取蘊があると見つけたと思います。
「取」は執着といいましょうか。
もっと深い心の捏造のシステムにまで観察を深めているように思います。
西洋で行なわれる考え方に多く感じるのは「有」の前提条件です。
その根は深いものなのでしょう。
<<「五蘊皆空」と同じ認識にあるやに読めます。>>
とありますが、よく調べるとまったく違うものと解るかもしれません。
五蘊とは生命の分析結果だと思います。
その一切は無常であるととくのですから。
「魂の不死不滅」が入る隙は無いと思います。
何か参考になれば幸いです。
ご回答を頂き少し読み直してみました。
私の読解力では、作中のソクラテスは肉体を離れ魂だけになれといっています。魂を重視しているところから、色蘊(しきうん)は空だが、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊は空ではないとの立場だと読むべきかもしれません。だとすると「五蘊皆空」でなく「一蘊皆空」に近いのかも知れません。主人公ソクラテスと般若心経の思想は2割が同じで8割が異なるというべきでしょうか(?!) ここを参照しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%98%8A
また、「魂の不死不滅」という点からいうと般若心経と作中のソクラテスは0割が同じで10割が異なることになりそうです。
こんなお礼を記すにも、あちこち読み直し大いに参考になりました。
有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。
No.10
- 回答日時:
人の起源と仮の世界について補足回答します。
ユダヤの秘伝、カバラなどに書いてあります。宇宙のおおもとは、完全調和の世界です。完全調和の世界が成長、拡大するためには、まわりの周辺部の不完全不調和を、調和に変換する必要があります。そこで変換する場所として、仮の世界の地球ができました。そこに完全調和の世界から、宗教で言えば神の子が来て、不調和の世界の脳の自我と合体して、人間が誕生しました。だから人は、神の無我の心と、脳の自我の心の、ふたつの心があります。予言や古代文書によると、2012年に仮の世界の地球がおわり、世界が次元上昇すると言われてます。人は脳を分離して、完全調和の世界へ帰ると言われています。No.9
- 回答日時:
すいません。
クイック間違えて途中で投稿してしまいました。続きです。
しかし、どちらの方法も、世界を正しく理解しようとすると言う方向性は同じなので、認識の方法が違うだけで結果は同じなのかも知れません。
って勝てな解釈です。
No.8
- 回答日時:
質問を読んだだけで大した知識がある訳ではないのですが。
思考を重ねる事により、理論と言う陰性の認識を主とし、感覚と言う陽性の認識を副として、在る無い世界を認識しようとした、プラトン。
感覚を磨き、陽性(感覚)の認識を主とし、それを理論で理解し、在る無い世界を認識しようとする、ブッダ。
どちらが陰か陽かは、別として、結局、結果的に、感覚的には逆だですが、今の西洋文化と東洋文化としての形ににつながっているように思えます。
そう考えると、この二つ「似ていて非なるもの」と言えるのかも知れません。
例えて言うなら、感覚的ですが、愛と憎しみの関係に似ているかも知れません。
愛するが故にとる行動と、憎むがゆえにとる行動が同じ時があるかの様に。
No.8、9合わせてのお礼です。
理論のプラトン、感覚のブッダですか。一般的には賛同する人が多そうな予感がしますが、今の私には分かりません。小品(といっては失礼なのか?)を数点読んだだけですが、作品中のソクラテスの論法はしつこい癖に粗っぽくて牽強付会の気味をしばしば感じます。作中のソクラテスが現存するとして、私は彼の隣人になりたいとは思いません。論理がしばしば、ずれていて本人が大真面目なのは困ります。ただし、こういう読書のあり方が正しいのか否かも分かりません。言わんとする趣旨を読むべきで細部を読んではならないのかもしれません。
有り難うございました。
No.7
- 回答日時:
到達した結論としては、どちらもこの世の観想という点で同じでしょうけれど、それを語る言葉に違いがあったという事なのだと思います。
ではどのような理由から言葉に違いが生まれてくるか。先に僕の回答から書きますと、それは語りがプラトンにとっての詩神、仏教でいう偈(げ)、すなわち歌であったからだろうと思います。人生は、生前には決まっていない。けれども、万物には真理というものがあり、その真理に従って人もまた人生を送るべきだという観想は、プラトンにせよ、ブッダにせよ、同じ結論だったと思います。その「真理」というものが、自然界のどこに発見でき、如何なる感覚でもって受け取ることができるのだろうか。
――彼らは、彼らなりの歌を唄ったのだと思います。その歌を聴いた我々は、それ以後ずっと「真理」探求の旅を続けています。ある集団は勤労の合間に合唱し、集団に属さないひとり身の者は、荒れ地の声となって叫び続けてきたのだと思います。あるときは口を閉ざし、またあるときは自らの歌声に照れを感じながら、それでもその歌に励まされて人生を送る。彼らの言っているのは、こういう事だと思うのですが、どうでしょうか。
内容が分かっていれば、表現が曖昧でも正しく読み取れます。が、そうでないときは表現が曖昧だと内容が掴めません。
>>それは語りがプラトンにとっての詩神、仏教でいう偈(げ)、すなわち歌であったからだろうと思います。<<
ここの意味が分かりませんでした。「プラトンは詩神を語り、ブッダは偈(げ)を語った」というのか、「プラトンは詩神を語ったが、それは仏教でいうところの偈(げ)である」というのか区別がつきませんでした。字面だけからいうと後者で読むべきみたいですが、その場合ブッダが語ったのは何かの記載がなくて腑に落ちません。
但し、ここの意味が分かろうと分かるまいと、ご回答全体の述べるところは私には分からないでしょう。こういう纏め方は分かる人にしか分からないのだと思います。また、このような制約の多い媒体で答えようとすると、こういう表現でしか表しようがない、ということは十分あり得ましょう。
有り難いような有り難くないようなご回答で、有り難とうございました。
No.5
- 回答日時:
プラトンの西洋は、脳を信じ脳の思考を基本としたのに対して、ブッダや老子の東洋は、脳を否定し脳の思考を停止する事で、人は救われると教え、無の思想から禅などが生まれました。
脳が思考してる時は、人の心と自然の情緒との交流を、脳が遮断するので心がストレスになります。脳が休むと、人と自然が交流するので心が癒されます。脳はこの大宇宙では、不完全不調和な存在です。だから脳の科学による自然破壊が発生しました。脳の活動はこの仮の世界に限定されてるので、大宇宙の真理を理解する事は不可能です。だからアインシュタインは、仮の世界を前提にした相対性理論を主張しました。このご回答には7つの句点があります。十分論証してくだされば1、2、3、5の4つの句には納得できるかも知れません。残りを納得するのは難しそうです。
有り難うございました。
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