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中3です。
この前、社会で日本の戦争の特攻隊が敵の空母に突撃している映像を見ました。
衝撃的すぎて家に帰って、特攻隊についてたくさん調べました。
出撃2時間前に撮られた、笑顔で犬を抱く少年の姿を見てただただ涙が溢れ止まりませんでした。
今の私たちが平和でいられるのは、このように国のために自らの命を犠牲にした方々のおかげなんだなぁと無力ながらに思いました。

みなさんは、特攻隊についてどう思いますか?
詳しく知っている人や体験者など
何でもいいので、たくさんのご意見をお聞かせください。

この事実をどうしても無駄にしたくなく、このアプリを通して私の気持ちを書き込ませていただきました。

A 回答 (26件中1~10件)

今、平和なのは自分の命を犠牲にした人のおかげではなく命を今に繋ぐために生き抜いた人たちのおかげだと僕は思う。


犠牲になった方々に対しては本当に心が痛みます。
家族が居て、友人が居て皆帰りを待ってたのに帰ってきたのは戦没したという紙切れ。
こんなことは二度と起こらないようにしましょう。
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燃料を片道分しか積んでいなかったというのは、特攻=犬死にを強調したい左翼のプロパガンダです。


敵を発見できず帰投する、発動機不調で帰投する例もありましたので片道ではありません。
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資源(たとえば石油)のない日本は、世界を巻き込んだ戦争になると特攻隊が操縦する飛行機の帰りの燃料にもこと欠き(というより帰りの燃料は積んでいませんでした)、そのまま敵の空母に突撃し、飛行機もろとも死ぬしかなかったんです。


こうするとやがて戦う飛行機もなくなり、最後は操縦訓練用の飛行機まで戦争に駆り出してしまって、何もなくなった状態で日本は無条件降伏をしました。

資源弱小国の日本は、その輸入を止められるとお手上げになります。私が幼い頃(戦後)に見た光景の中には、坂道の谷川沿いに設けられたガードレール(むしろ手すりに近い)から鉄製パイプがすべてもぎり取られている様子がありました。戦争のために鉄にもこと欠き、そこから切り取って行ったんでしょうね。
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No.22さんに追加で。



実戦に参加した朝鮮人は全て志願兵です。しかも数十倍という競争をくぐり抜けた連中です。
朝鮮人に徴兵制が適用されたのが昭和19年。で、入隊が昭和20年。終戦の年。
そして実戦に参加することなく、訓練の途中で終戦です。

朝鮮人日本兵
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE …

特攻隊に参加した朝鮮人は、金尚弼大尉ほかの氏名、階級その他の資料が残っています。
だから嘘をついても簡単にばれるのです。
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№13です。

おまけで。

 現時点で確定している朝鮮半島出身の特攻隊員(戦死者)は18名ということです。特攻全体では約6000名の方々が命を落としておられますので、比率としては0.3%くらいということになります。
 ちなみに統治下の朝鮮で徴兵制が施行されたのは終戦前年の1944年9月、実際に徴兵されて入営(各地の部隊に配属され、兵舎にはいること。訓練はここからはじまる)したのは翌年からですので、無理やり特攻隊員にまつり上げられた方はほとんどいなかったことになりますね。
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アラフィフのオヤジです。

私の父も敗戦時点で7歳でしたので、質問者様のご祖父と同じ年齢ですね。父はまだ存命ですが、さすがに戦争の事を聞いても「疎開でコメが食べられなくてひもじかった、だから芋ご飯とか豆ごはんはキライだ」という程度です。

ついでに言えば私の子供は15歳で質問者様と同じ年ですから、私はその中間の年代ですね。

私が回答したいのは「感情論を離れた特攻についてのこと」です。
特にこれからの日本を背負って立つ若い人には良く知ってほしいことがあります。それは日本が9条改正することを踏まえているからです。

・なぜ特攻攻撃が生まれたか
特攻の発案者などは調べればすぐに分かるので、それは調べてください。日本人として重要なのは「なぜ特攻が生まれたのか」というそのものです。

実は世界中の軍事戦略を見ても「決死の一部の切り込み隊」というのはありましたが、それでも基本的には「多大だが全滅を想定していない」ものであったといえます。日本人だけが特攻や玉砕攻撃のような「全員死ぬことを前提とした攻撃」をするのです。
これって、不思議だと思いませんか?

なぜか、というと理由は武士道などの理由もありますが、近代戦争だった太平洋戦争でも特攻が行われたのは「日本が世界とほとんど戦っていない国」だったからだと私は考えています。

「国」とか「民族」というのは本来「すぐ隣にある国、すぐ隣に住んでいる民族と戦争になるのが普通」であり「勝てなくても負けなければよい」ものだったのです。民族として価値があるのは「とにかく自分たちの民族が生き残ること」であり、一時的に誰かに支配されてもまたいずれ解放されるし自分たちの国もモテるかもしれない、と考えて努力するのが「民族」なのです。
そして、そうやって競争に生き残ってきた民族が「国」という形で大陸に住んでいる、ということになります。

しかし日本は近代戦争をするまで日本民族の存亡をかけた戦い、ということをほとんどしていません。せいぜい「白村江の戦い」「元寇」「朝鮮出兵」ぐらいです。後は全部国内の戦争ですね。

近代になっても日清・日露と勝ち進んでしまい、第一世界大戦では棚ぼた的な勝利も得ました。だから太平洋戦争の敗戦というのは、日本人にとって初めて「民族が滅亡するかもしれない戦い」だったのです。

だからこそ特攻や玉砕攻撃などが行われたといえますし、、逆をいえば欧米人をはじめとして「民族はたとえ一人でも生き残っていればその民族は優秀」と考える価値観からすれば「わざわざ自国民族の数を減らすような攻撃をするのは理解できない」ことだったといえます。

そういう価値観が欧米人の根底にあるからこそ「日本人はなぜ命を投げ出して特攻できるのか」という恐怖を感じたわけです。

逆を言えば特攻していった彼らは、志願だったり、事実上の強制があったりと様々だったでしょうが、どこかに「お国のために死を持って役立てる」という武士道的な精神があったともいえます。

・国家の責任と国民の責任
中学生だとどこまで勉強しているか分かりませんが、少なくとも戦後の東京裁判までは知っていると思います。
東京裁判では「太平洋戦争は軍部と傀儡政府の首脳陣が画策したもので、国民に責任はない。国民は騙されたのだ」としていますし、戦後の流れもそれに沿って進んだといえます。

しかし私が質問者様と同じ年代だったころ、質問者様と同様に特攻攻撃や原爆などの事を知り、当時まだ存命だった私の祖父(1905年明治38年生まれ)に「なぜ日本はアメリカと戦争をしたのか?」と聞いたことがあります。戦争開始当時祖父は40代だったからです。ところがなぜか明確に答えず、なんとなく「話したくない」という意思を感じました。
これは母方の祖父や祖母、それに親戚の高齢者たちも全く同じで、戦争の苦労話や恐怖体験は饒舌に語るのに「なぜあの戦争が起きたのか」については「誰も何も語らない」という状態を経験しました。

そこで独自に調べてみると、意外なことが分かりました。実は太平洋戦争はまともな政府が行った戦争だった、ということです。

まともな政府というのは、現在の日本同様「民主主義が機能していた」ということです。

日本が宣戦布告をして対アメリカ戦を始めるには、当然ですが国会の議決が必要でした、どんな国でも軍隊が勝手に戦争を始めることはできず、これを文民統制(シビリアンコントロール)といいます。
当時の宣戦布告も国会の決議とそれをうけた御前会議で決定したから戦争が始まったわけですが、当時の国会は1937年の衆議院選挙の結果による国会であり、男子のみとはいえ普通選挙としてはきちんと成立していたのです。戦争遂行機関として悪名高い大政翼賛会は戦争が始まってからできたものです。

この時代男性には徴兵がありました。元々選挙権というのはローマ時代から「徴兵義務の見返り」だったので、戦争になれば出兵し死ぬかもしれない男性にだけ選挙権があっても何の不思議もありませんでした。そして彼らが選んだ国会で「アメリカと戦争する」と決めたのですから、これは本来「アメリカと戦争したのは国民の責任もある」としなければおかしいのです。

ところが戦後の日本人はそれを曖昧にして、日本人自身がすべき総括、を怠ってきたのです。
だから当時の祖父などは「話したくない」という後ろめたさがあったのだ、と私は考えています。

もし、今後日本が9条を改正し、日本から宣戦布告するような戦争があればそれは国民の意思になります。もし質問者様が選挙権をもっていれば質問者様もその責任を免れません。戦争に勝てればまだいいですが、負けた時はまさに国民の責任が問われることになる、ということを考えてもいいと思います。

・今の日本人は戦争時の日本人と違うか

今の若い人たちに戦争の事を聞くと「真っ先に逃げる」という回答が多いです。別にそれは恥ずかしいことではありません。では当時のような特攻が起きないか、と言われれば私は今の日本人が当時の日本人とそれほど変わっていないだろうと考えています。

そう考える理由は東日本大震災にあります。あの地震で日本人の行動は絶賛されましたが、実際には太平洋戦争時の日本人とほとんど変わりません。たとえばおにぎりを1個とっただけで「ほかの人が必要としているだろうから」と言って空腹を我慢した中学生のエピソードがありますが、彼のような人はもう少し大きくなって「ほかの人が長く生きられるなら」と特攻するメンタリティーに通じていると私は考えています。

また、震災後、全国的に電力不足になり、計画停電などで乗り切りましたが、これは戦時中の「欲しがりません勝つまでは」と同じ精神だと思います。

つまり日本人は「他人または世間が必要とする行動を率先して行う人々」であり、だからこそ周りの雰囲気があれば特攻も玉砕もしてしまうのです。

そのような日本人のメンタリティーは今も昔も変わらないと私は考えています。

それは一面ではいいことです。同じ時期に災害にあった他国よりも日本は復興が早いですし、なにより災害があっても慌てずパニックにも暴動にもならない日本人の冷静さは世界から賞賛されたぐらいです。
しかし、戦争のようなある意味「民族を掛けた存亡」になったときにはそれが「負の面」として出てくることもあるでしょう。

特攻された英霊には感謝しつつも「感情的な部分」は抑えて、日本の将来のために知識と判断力を得ていただけるように願ってやみません。
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>水中攻撃も十死零生だったのでしょうか?



水中からの攻撃は回天と呼ばれる大型の魚雷での攻撃。操縦は人間がやる。
命中する、しないにかかわらず生きては戻れない。

B-29に対する体当たり攻撃は生還した例がある。

それと「朝鮮半島出身の日本人」が99%以上というのは全くのデマ。
特攻に参加した将兵の名前、所属、戦死した日などの資料ははほぼ完全に残っている。

ちなみにドイツでもV1(今で言う巡航ミサイルのご先祖)を有人化しようとした計画はあるが
結局、実用化されず。
ミステルと言う無人大型機を爆装させ、操縦は上部にドッキングした戦闘機で行い大型機を
突入させたあとは戦闘機で帰投すると言う攻撃法もあり。
一応生還することが前提ではあった。

ミステル
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B9 …
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その画像は関行男大尉の写真だそうです。


母親は、82歳で亡くなるまで行男の墓参りは欠かさなかったそうです。

行男。私は生きて帰って来てほしかった。
軍神になんかなってほしくなかった。

死ぬ間際、こう墓の前で涙ぐんだそうです。
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ちばてつや氏の「紫電改のタカ」ラスト近くはぜひ見て欲しいです。



金八先生の初期のごろ、3Bが文化祭で特攻服で舞台に上がり、特攻で戦死した身内を持つ教頭先生と一悶着あった回があります。

戦争を実際に体験した世代が高齢化し少なくなってる今、自分で調べて、しっかりと考えて欲しい問題です。
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特攻隊は当時の文学部の演劇科卒みたいな人が企画立案した軍事演習です。

実際の戦闘で特攻をやると米軍の救命艇に偽装した小型船で突撃したり赤十字のマークをつけた飛行艇が突撃したりして海上の戦力は全滅します。
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