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物質でないものが実在しないとすれば、私たちが「思考 感情 情報」と呼んでいるものは一体何なのでしょうか。「物質のようなもの」と考えるしかなさそうですが、どう思いますか?

A 回答 (17件中1~10件)

突き詰めれば「物質とは何か?」「実在とは何か?」の、


定義や解釈の、お話しになりそうですが…
 
普通は、物質でないものも実在すると考えますよね。
 
光も闇も電磁波も、時間も歴史も、方言も差別も実在します。
実在で定義論になるなら「ある」と考えます。
 
だから「思考 感情 情報」も、
同じく「ある」事には変わりなく、
あとは「あるもの=それ」を、何と言うか?
 
実在すると考えるか、
物質のような物として考えるか、
そのまま、思考 感情 情報(が、ある)と考えるか、
呼び方の違いのように思います。
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物質が実在するとすれば その実在する物質を わたしたちは


認識し思考し 加工したりする。そういった物質の利活用がお
こなわれるのが 現実である。

――こういった見方では 済まないでしょうか?



身体の神経組織などの物質を基盤として たとえば《恥ぢ》と
いう感覚が起きます。それは:
★ 「物質のようなもの」
☆ なのか よく分かりませんが 物質ないし身体が何らかの
刺激に対して反応を起こすそのことは 《物質のようなもの》
だとしても 別の現実を成している。

――のではないでしょうか?

恥ぢを感じる生活と感じない人生とは 別の現実を構成するよ
うに思われます。
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この世は物質と精神で構成されています。

もし、この世は物質のみで構成されているとしたら、私は何も感じないでしょう。

熱いとか赤いと感じている主体が私です。熱いとか赤いと言う感じは、幾ら高性能な顕微鏡で脳の中を覗いても見えません。物質が、熱いや赤いに対応する動きをしているのが見えるだけです。
その動きの刺激を受けて、精神である私が熱いとか赤いと感じているのです。
熱いや赤いは物質ではないので、それを感じている私も物質ではありません。私は、無限の感受性である精神です。

物質の全体を宇宙と言います。質問者さん、それでは「精神の全体」を何と呼んだら良いでしょうか。

そして、この世の始まりを物質のみで説明することは出来ません。物質の因果関係は、原因が結果を生じ、その結果が原因となり更に結果を生じると言う形になります。
従って、宇宙の始まりは原因なくして結果を生じなければなりません。つまり、無から有を生じなければなりません。しかし、それは不可能です。

一方、精神は物質を動かすことが出来ます。精神である私は物質である手を動かすことが出来ます。ですから、宇宙の始まりにおいて最初に動いたものは、「原因から自由な精神」以外にはありません。

質問者さん、この「宇宙を創造した精神」を何と呼んだら良いでしょうか?

 ユダヤ教・キリスト教では、外界は神が創造したと信じます。
 ここに物が落ちたのは、ここに落ちるように、宇宙が作られているからであると考えます。そして、どうしてここに落ちたのかを追求し、 物体は外から力が加わらなければ、そのまま飛び出した方向へ等速運動を続けるが、落下距離は時間の2乗に比例する為、 放物線を描いて地上に落下し、ここに落ちたことを発見します。
 宇宙で起る全てのことは、必然であり意図されたものであると考えます。ですから、一見偶然に思える事柄に対しても、 必然であると確信し、その仕組みを解明しようとします。
 ある天才は、「神はサイコロを振らない。」と言いました。 これは、現象を確率で説明しようとする態度に対して、必然な説明をしなければならないと批判したものです。
 この様に、西洋では神が宇宙を創造したと言う確信により、自然科学は発達して来ました。

 それに比べて、東洋では仏が宇宙を作ったとは考えません。精神の中に仏が存在していると考え、内心の仏を追求します。
 宇宙は偶然出来たと考えます。物は色んな所に落ちます。物がここに落ちたのは偶然だと考えては、 落下の法則や万有引力の法則は思いつかないでしょう。
 無神論も同様です。ハッキリと必然と分ること意外は偶然であると考えたのでは、人に先駆けて新しいものを発見することは出来ません。


 神を持ち出すと、単純に非科学的であると非難する方が居られます。しかし、科学で全ての現象を説明出来るでしょうか。
 第一、物質の因果関係のみでは、宇宙の始まりを説明することは出来ません。 物質の因果関係は、原因→結果=原因→結果=原因→結果・・・と続きます。原因があり、その為に結果が生じ、 その結果が原因となり次の結果が生じると言う順番となります。
 しかし、これでは最初の原因が存在出来ません。その最初の原因は、何らかの原因により生じなければなりませんが、それがありません。 物質のみでは、宇宙の始まりを説明できないのは自明のことです。

 また、コインのゲームを考えて見ます。コインを縦に立て、倒れて表が出れば私が勝ち、裏が出れば貴方が勝ちます。 科学では、このゲームで私が勝つ確率は50%、負ける確率も50%としか言えません。 しかし、現実にはどちらかが勝ち、掛け金を全て手に入れます。それを決めるのは何でしょうか。
 これと同じことは、素粒子レベルでは無数に起っています。完全に均衡している状態で、僅かな力が加わり少しの不均衡が生じると、 不均衡が不均衡を呼び次第に大きくなり、終にはコインは倒れます。

 確率は50%ですが、ほんの僅かな力が加わることで、表が出たり裏が出たりする。その為に、ある者は人生で成功し、ある者は失敗する。 その僅かな力が精神である可能性はあります。

 精神である私は、物質である手を動かすことが出来ます。肉体は動かすか動かさないかで物的に均衡した状態にあります。 ほんの僅かな精神の力を、物的に均衡した物質(脳)に加えることにより、手は動いたり動かなかったりします。 この様に、精神は物質を動かすことが出来ます。

 単なる偶然の連続で、この宇宙は進行しているのでしょうか。それとも、何らかの意図があり、僅かな精神の力が加えられているのでしょうか。

正しい知識を得るには、全てのものを疑うことの出来ない自明なものなのか否か問いかけることが必要です。 デカルトは、この方法的懐疑により、全ての知識を自明なものか否か検証して見ました。
 その結果、自明なことは唯一つしかないことが判明しました。それは、全てのものを疑っている自分が存在することだけは 疑うことが出来ないと言うことでした。 「我思う故に我あり。」です。それ以外は、正しいと思ってはいたが、そう思っていただけであることが分りました。 これが「無知の知」です。

 しかし、自明なものしか信じないのであれば、そこまでです。そこから先は、何を信じるかによります。
 心は、その中に宇宙を作り出しています。私たちが感じている宇宙は、心の外の宇宙ではありません。心が作り出した宇宙です。 心の外を覗くことは不可能です。心の外に、宇宙があるのかどうかも分りません。
 しかし、心は外界に似せて、心の中に世界を作り出しているのです。心の中では、1+1=0でも、1でも3でも何でも構いません。 心の中に在るものは、消えたり生じたりします。従って1つと1つ在ったものが消え去り0となっても良いし、 新しく生じて3になっても良いのです。決して増えもせず減りもしないと前提して、1+1=2としなければならない必要はありません。

 しかし、外界では、無から有は生じませんし、有が消滅して無となることもありません。エネルギー保存の法則が成立します。 従って、1+1=2でなくてはなりません。
 心が1+1=2に制約されている事実は、心の中の世界は、外界に出来る限り似せて作られていることを証明しています。 外界に1+1=3を適用すると、その行動は誤りであり、失敗するからです。
 従って、外界には、心で感じている様な世界が存在することを前提とせざるを得ません。

 宇宙の仕組みを完全に解明した時、物質だけでは説明出来ないことが残されたら、神の存在を証明したことになります。  この様に、宗教は全く科学的な態度であると言えます。

「神の存在」について、私のホームページに纏めました。是非ご参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/syuukyouhahikagakut …
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AIは思考します


アイボは感情を表現します
ネットは情報をやりとりします
全て物質で成り立っています

人間も同様に物質であり、その思考や感情は
「物質の運動や変化の結果」です

なぜそうなのか?話がちょっと長くなりますが
アイボを例に人と比較しながら説明します
アイボっておもちゃだろ?といっても基本は人と同じです

アイボはセンサーによって情報を入力し(五感)
ソフトがそれを処理し(思考・判断)
感情表現として出力します(感情表現・動作)

人とアイボとの大きな違い何かというと
人は自身の感情を認識できアイボは認識してないということ

なぜアイボは認識してないかというと
アイボは自身の感情表現を観察・認識する為の
モニターとそれを処理する為のソフトを装備してないから

アイボが無駄にそういった装備をしてないだけの話であって
アイボにモニターとソフトを装備すれば
人と比べてずっとレベルは低くとも
自身の感情を認識しているということになります

では、人はモニターなしでどうやって感情を認識できているのか?

我々は漠然と「自我をひとつのもの」と考えがちですが
決してそうではありません

脳の実態はそれぞれの機能をもった部位の集合体であり
それぞれが複雑にネットワークで相互監視し連携しながら
自我の脳として機能します

脳内での集合体同士の”相互監視と連携"が
モニターであり処理ソフトでありネットワークです
だからこそ、人は自身の思考や感情を認識(観察・処理)することができます

さらに集合体である脳の個々の部位の動きを細かくしていくと
それらは脳細胞の連携であり、脳内物質の伝達であり
最終的には、分子の運動や化学変化にいきつきます
(原子以下は問いの本質とかけ離れた無駄な細かさなので省略)

つまり
思考や感情は「物質の運動や変化の結果」ということになります
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当ったりぃぃーーー!!


あんたいい勘してるわねぇ!
「物質でないものは実在しない?」の回答画像13
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物質でないものは存在しません。


幽霊も地獄霊も善霊・天使も神仏・神も思考も美や芸術は存在しません。
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うーん。

何かの値(あたい)みたいなものかもしれませんね。

概念や言葉などを、古代的には形相と言うのでしょうが、これは今でもしっくり来る表現である気がします。

例えば真球は実在しませんが、概念としては確かに存在していますね。この様な存在を物質に対して何と呼べば良いのか。性質と言う単語を充てがう人がこのカテには居ますが、彼の気持ちが何となくわかる様な気がしましたね。もしかしたら、物質に対して心質、心質という言葉は無いので、性質となったのかな?
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今日はオウム真理教のニュース尾が、


大きな話題だと思ったのですが、
それから雨凄いですね。
そんな感じでもなさそうですね。
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ま、E=MC2乗で、物質とエネルギーは等価なんですから、物質でないものはエネルギーとして実在すると考えるのが20世紀以降の定番ですな。

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私たちが「思考 感情 情報」と呼んでいるものは


一体何なのでしょうか
  ↑
物質の移動、作用ですよ。

脳内物質があちこにちに移動して
それが、思考、感情、情報として
現れるのです。
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