出産前後の痔にはご注意!

私が理数系が苦手であることは、ご存知の方はご存知であると思います。

しかし、科学が、物質の究極の粒子を探索し、素粒子に至ったが、ハイゼンベルクの
不確定性原理や、素粒子の波動性、自己同一性の無さ等が発見された結果、素粒子は
究極の単位ではなく、更に究極的なものがあるのではないかと模索されている。
また、一切の物質には「物質波」がともなうことが知られ、「場」が広がっているこ
とも発見されている。

というような聞きかじりの知識があります。

1.現在の理論物理学をはじめとした科学では、物質というものをどのように捉えている
のでしょうか?できれば、分かりやすく教えていただけたら幸いです。

2.それを踏まえて、あなたは物質というものの究極を何だとお考えですか?

3.その他、物質とは何か?ということについてお考えをお聞かせください。

「物質とは何か?」の質問画像

A 回答 (13件中1~10件)

私の質問に答えてくだっさたお礼という形で、答えを持っているわけではないのですが見方を提示しようと思い、原始的なアイデアではありますが回答してみます。



まず、1.でも暗に示されているように、不変の定義というのは無いと思います。
人類の創造と発見の営みは、一つ喩えると、「言葉というつるはしで、世界という山を掘り進めていくようなもの」だと思います。
そこで、山で見つかる鉱石などの資源を研究するのが形而下学の部分、つるはしの改良とか、効率の良い使い方を研究するのが形而上学の部分となる。
つるはしについて精通していればいるほど、採掘できる鉱石や資源の多様性や、質や量は増える。
採掘できる鉱石や資源について詳しくなればなるほど、欲しい、必要なつるはしを思いつくようになる。
このようにして、常に知識は更新されていくのだと思います。

物質とは何かを考えるにあたり、山の中に眠っているものをああだこうだと言うことはできません。言えるのは、掘り出された結果と、その結果から推察される事象ということになります。
掘れば掘るほど、山の中がただの土くれではなく、意味のある構造を持ったものだという事が分かり、その構造(諸原理)にしたがって様々な鉱脈や資源が配置されている事が分かるようになる。物を見て法則を推量し、推量した法則からあるはずのものを探す、このような営みが続いているのだと思います。

物質とは何かというならば、諸原理と相補関係にある諸原理の身体(の一部)であり、諸原理によって生み出されたもの、という事になると思います。自分で自分を生み出すという複雑な宇宙の像の一端が、物質に現れているのではないでしょうか。
諸原理が、物質なしに中空に浮かんでいるような存在の様態ではないと思います。

自然が知識の宝庫であると同時に、それを見出すのを英知というのだと思います。今や掘り出された知識は堆積し、山のように積みあがっています。その山から「再発見」される知識も多いことでしょう。人類のこの知を発掘する営み自体が、大きな山の構造の活動の一部なのかもしれないと思うと、知りたくなるようなことは天井を知らないですね。これを天外天と言うのでしょうか。
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この回答へのお礼

物質というものの本質というよりも、物質が人間にとってどのような価値をもたらすのか
ということを重要視されているということを感じさせる投稿でした。

かなり以前のことですが、牧口常三郎の「人生地理学」という書物の中に、地球上にある
物質が人間の生活の中でどのように価値を発揮しているかと言うことを論じた部分があり
目から鱗が落ちる思いをした記憶があります。

しかし、このことも物質というものの本質の一端であることには変わりはないと言えるで
しょう。

>物質とは何かというならば、諸原理と相補関係にある諸原理の身体(の一部)であり、
諸原理によって生み出されたもの、という事になると思います。自分で自分を生み出すと
いう複雑な宇宙の像の一端が、物質に現れているのではないでしょうか。

これは、私の理解している「色心不二」に近いし、弁栄上人の引用の中にもあった「色心
不二」にも近いようです。
違いをきちんと理解するには私の力はまだ足りないのかも知れませんが、興味のあるとこ
ろです。

お礼日時:2018/03/11 21:01

概念の定義の違いでどうとでもなる。

それがこの時代ですかね。

ようは、" 存在 "と "物質" は((概念として))異なるのかと言う
問いをおいて

つまり、異なるとすべきなら、どこからかと定義して辞書に載せる
その必要性がある。と言うところ

概念は、即ち、人があらゆる学問・知覚・認知 などにおいて、
分ける必要があるとするもの。
それが学問や学びに必要だから分けるわけで、
実際辞書に乗るくらい統一できなければ、
物質も存在も、たいして変わらないもの。社会一般には同じととらえる 苦学生らもいるのでしょう かね

では、今のところ私は、下のお二方の 言に賛同+改造(改良?)して、
質量を持つもの、が物質
凡そ陽子からなる、原始以上の大きさとなる単位とする くらい でいいのではないかと思いました。

ヒ"ック"ス粒子は、何でも、量子に重さを与える存在とききましたので、
これが交わった後の存在 かもと思います。
存在とは認知できるもの。
(一般性存在とは、真理よしなに、法則づたいにあり、一般に認知できると言う法則(概念)、非一般性存在とは、間違った法則など、個人の考え方から生まれる (エネルギー含む)概念。これは、ようは人には妄想ととらわれる場合などがある)

これ等で、概念を等率に割り正しい定義がデきると考えます。かね♪


ただ翻訳の都合もあり世界的に統一されていないなどでしたら、ここでの
言動は、まさに無意味と近づく、
なので、世界の物理学基礎とか、調べれるなら調べて発言するのが好ましい。

今回は時間がないのでパス。
私哲学探求と、発表のための キーボードうちに忙しいもので。

片手間の回答となりまし、申し訳ございませんでした。

アディオス!
アミーゴ

エル ミル システィーア♪☆ミ
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この回答へのお礼

宇宙の本質的なものについては、科学での様々な発見があるのにも拘らず、
結局、「わからない」度合いは変わっていないのではないのかと思います。

学問をよく理解している人は、「ここまでは分かっていて、ここからは分か
らない」ということを弁えているのでしょうが、一般大衆にとっては要する
に「何が何だか分からない」ということなのでしょう。

この状態が大変まずいと思うのです。

お礼日時:2018/03/11 11:33

物質の起源は、科学の研究に譲る。


ところであんたは、物理学者なの?
だったら、物質とか質量とかエネルギとか四つの力とかわかっているだろ。
後で自分でで説明するためのアンケート調査か?
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変な奴。変な質問。
こんなところで、何を聞きたいのかね??
まあそれは、許してやろう。
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私にとっての物質は、この生活にかかわるすべのことの、いわば、運動を構成する、基礎です。
一言でいえば物です。
物質、すなわち物は、自分で勝手に動くことも変化することもできないということが物理の大前提です。そのためには、外からエネルギーが必要です。
これは、原子核の周りを回る電子のことではない。
この物質を動かす時には、外部から力を加え、エネルギー変換をして動かすことになります。
こういうことから、ニュートンの慣性の法則に従い運動を止める時も、力を外部から与えなければならない。
まあ、こういうものなのですが、ここで、物質には質量があるという重大な性質が備わっています。
これに、ボールを投げるような物理的方法で運動を与えることができます。投げられたボールは、重力という地球の質量に引き寄せられます。
すると、こういう質量は、力学により計算されて運動法則が計算されます。

また、物質は、原子そのものも物質ですが、原子と原子が、その力で結合すると分子となって、水や鉄のような形あるそれぞれの性格と性質と質量をもつ物質になります。

すると、今度は、その分子と分子が、科学変化によって、光や熱を発する、たとえば、酒を飲むと、熱と水と炭酸ガスになって、体温が上がり、発散する。蒸留酒も発効集も、残るエネルギは、わずかな糖質とタンパク質だけです。糖質0なんて不味いだけで、そのカロリーはほんのわずかなものです。利益誘導も甚だしいわ。
マンション住宅管理会社がマンション管理組合の住民の利己心を利用して、住民に損失を平気で与えて、会社の利益にするように誘導するのとと全く同じや、こういうエネルギーは何であろうか。

さて、酒は、アセトアルデヒドになって顔が赤くなる、酔っ払って、脳という物質に作用して、顔を赤くするなどのゲンようが起こります。アルコールは、熱と水と炭酸ガスになって発散すると言いました。
熱も光も物質です。熱は、質量が最も劣化したエネルギーの状態、無秩序そのものともいえます。
また、原子と言いましたが、原子の構造は、スカスカで、陽子と中性子と電子からできています。
このスカスカで、あんたの脳みそもできていますが、それが。物質として組み立てられています。その中では、電気の力により物質と物質が連絡を取り合ったり、神経伝達物質や内分泌ホルモンが作用します。考えてみれば、脳が鉄のように緻密なら重くてしようがないと思います。
尚、私の脳は分厚い骨で覆われ筋肉でできています、長年頭をハンマーでたたいて鍛えたからです。
もっと重いものには、タングステンとか金とかあります。なお、うちのトイレの金かくししにはばい菌を隠しています。20年ほど昔のことですが、吉里吉里人のトイレの金角氏には、順金が書くされていました。
ウィルスも物質です。人の細胞も物質です。犬も猫も有りも物質です。
なお、太陽も物質ですが、そこでは、原子、水素の核融合によってもんのすごい熱エネルギーを作り出しています。

この宇宙、つまり、138億光年経過した宇宙の中に存在するもの中で、物質の割合は4%です。反物質は少しだけ物質よりも少なかったラメ、物質と一緒になって消滅したということです、その残りが物質です、しかし、反物質もまだ残っておるし、作ることもできたそうです。
残り96%は、ダークエネルギーとダークマター、暗黒物質と言う名でよんでいるものです。
以上学者でもない専門家でもない、ただのおっさんの回答です。
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もう、ここで面倒になりましたし、これ以上は、学者か高校の物理や化学の先生にでも教えてもらってください。
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【結論】
こういうことですから、我々に見える世界は物質でできていることになり、我々も物質のうちの一つになります。
ですから、自分が物質ですので、観測は物質の観測をして、そこから考えて、物質以外の物やことを観測しようということになります。

人は体と心が一つになっているからこそ人ですから、人が死ぬと、他の動物もですが、体も心も消滅すると考えられるわけです。
では、心とは物質なのかということになり、心は脳の働きですということであれば、脳がなくなれば、超能力があっても消滅します。
では、動物に心があるのかと言うことになり、有るのではないかと言うのは、脳の構造によると言うことになっています。鳥やネズミには危険予知する能力が備わっています。

あなたの心は一体どこにあるのか、見たいものですが、人間は、目に見えていることさえ、自分の心が見たいようにしか見えないので、答えが出るわけありません、ワハハハハ。

Yahoo!でもgoo!でも、質問者が、ほかの回答者が、適切正しい回答をしているのを見ても、自分の気に入った回答を選んでいることが多く、私も重要なことには賛同の回答を書きますが、間違った自分が楽なことを選び、お空気一生にかかわると思ったものもありました。
また、Yahoo!では、自分に都合が悪い回答で絵t欄が大変多くなると削除しますがこういったことが自分の心が見たいようにしか見えないという見本です。
こういうところが面白いと言えば面白いですなあ。まあ、気の毒にと思ったこともあります。
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あれ割れは、目で見えていることさえ自分には見えないのに。
お互い、情けないこってすなああ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
そんなことより、もっと大事なことがこの呪文です。
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もったいないが、そんなものより俺の呪文を聞かせてやろう。
理解できるまで何回も繰り返し唱えればよかろう。
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本来、お布施をもらうのが正しいことだが、まあ仕方ない。
今度も、さーびすじゃ。ありがたくいらだて。イライラ
----------------------------
これのありがたさが分からんどころか、
これの逆の生活をしておるやつらが多いことが良くわかってきた。
こんな奴らばかりかと思っている今日この頃じゃが。
この呪文は、心あしきものがきくともだえ苦しみ、
七転八倒しついには狂い死ぬというものじゃ。
心善き美しきものがきくと喜びころこんで跳ねまわるというものじゃ。
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これで質問者の正体が見える。
-------------------
もったいない、モッタイナイ。
(Wiki.ワンガリ・マータイさんの言葉からいただいたが、
モッタイナイとは、本来者や物が生かし切れないことを言う)
---
人のお金も自分のお金も、大事にせなあかん。
人のものも自分のものも、大事にせなあかん。
人のことも自分のことも、大事にせなあかん。
人の身体も自分の身体も、大事にせなあかん。
人のこころも自分のこころも、大事にせなあかん。
食べ物は、大事に大事に、せなあかん。

食べ物ありがたい、食べ物ありがたい。
こぼしたものも拾って食べよう。
バナナもスイカも、皮も裏を削って食べろ。
キウイは皮ごと、柿も桃もなしも。
スイカもブドウも種もたべろ。
イワシなどは骨まで食べろ。
-------------
肉を食べるときは、モ~ 牛 の顔を思い出せ、鳴き声を思い出せ。
--------------
もったいない、もったいない、もったいない、
ぱんにゃーぱらみいたーしんぎょおおおおお
リンピョウトウシャカイチンレツザイゼン
【安全衛生第一、安全衛生第一】
KY/KY/KY/KY/KY/KY/KY/KY/KY/KY
自分が一番危ない、ご安全に。
心して、朝晩、寝る前、唱えられよ。
☆☆☆☆☆☆☆
・もったいない、もったいない、もったいないもったいないもったいない
(70歳男・、オトゲンバカントク/モトロウドウクミアイショキチョウ/、オトバブルノヨルノバスエノテイオウラノウイノイチ・ムカシフシギナショウネン/セケンデイウトコロノホンモノノチョウノウリョクシャ/ソノタモロモロタシュタヨウ)
暗闇では、何も見えないだろう。
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この回答へのお礼

私もあなたと同じ、学者でも何でもない、考えることの好きな一般大衆の一人です。

ここにはプロと思しき方もいます。プロの学者が我々素人に、その知識や技術の一端
を教えてくれるということは、ありがたいことです。
また、そうでない方でも実に様々な個性を見せてくれます。例えば、時代の哲学をど
れほど支持しているかの割合とか…

刺激になりますので、よく質問をさせてもらっています。

ワンガリ・マータイさん、ノーベル賞をもらった人ですね。

「もったいない」…すばらしい哲学です。

お礼日時:2018/03/11 11:19

弁栄上人の云う《絶対》とは“究極の”と言った様なニュアンスでは無くて、相対するもののない・数えられる様なものではない、と云った感じです。



宇宙というものは幾つもあるかも知れないという科学者の推測は、物質現象(観測)だから数えられると思いますが、上人の云うところは、そうした物資世界(宇宙)は精神の意の力、意力・意志に依るもの(現れ)だ、と云う事です。

この精神が“大元(おおもと)”だという事を、上人は修行を通して実感・体感し《絶対の大心霊体》と表現したのだろうと受け止めています。

人の心に理性や意志や感覚・感性という働きのあるのは、その霊体にそうした能力があるからだとも云っています。

そう思えば、神仏と民・衆生との関係を親と子に例える事は適切なのでしょう。(汽笛)
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この回答へのお礼

微妙なニュアンスの違いは難しいですね。

人間の認識力によって、主観的に認識される、すべてのものは。
これは、その通りでしょう。

では、客観的なものは一体どうなっているのか?
それを確かめる術は全くないのか?

お礼日時:2018/03/07 08:58

物質とは 質量のあるものですかねえ。

でも素粒子には質量のないモノもあるとか言いますし

素粒子も物質であることは間違いないと思いますが 運動エネルギーとかは矢張りエネルギーでしょうね

質量のあるものは非常に多く質量のないものの方が珍しい光とかは光子という物質の運動でしょうねえ

波としての運動と粒子としての運動があるそうですが。大概のエネルギーは素粒子(物質)絡みですね。
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この回答へのお礼

質量のあるもの、ですか。

お礼日時:2018/03/07 08:48

昔は物質というのは原子核を持った原子の集まりだとか言ってましたが



今はもう素粒子も物質ですから光子も電子もヒッグス粒子も物質です

エネルギーももう古いという人までいます。この宇宙にあるものは物質の運動ばかりです

光も熱も物質の運動に過ぎません運動もポテンシャルも物質が持つのです

敢えて言うなら私の論の「性質」は物質とは限りません物質以外のエネルギーも性質をもちます

性質は物質の属性と言われて来ましたが よく調べてみるとエネルギーと性質は互いに独立しています

性質は真理の法則に従い 性質の働きでエネルギーが態を持ち存在となります。

物質でない存在もあるのです。愛とか心は物質の性質ですがエネルギーや物質とは独立しています

脳にエネルギーや物質があるから存在できるのですが 人間の主体は心です。

物質でないエネルギーを探す方が難しいですが 物質もエネルギーと性質で出来ているのです。

波動エネルギーや質量もエネルギーですが 物質ではないと思います。
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この回答へのお礼

相変わらず、独特の難解さがありますし、その難解さが増してきているように
思います。おなかが痛くなりそうです。

物質とは何か?ということを短文で表現していただけたら嬉しいです。

お礼日時:2018/03/04 10:22

デイブさん。

お約束のプレゼントです。

法身一大観念態
 吾人が現に写象する処の世界の天体の星宿より、乃至山河大地動植物等に至る迄の森羅万象の相と顕われてをる物と、また一方に外界の万象を写象する処の主観なる心との二面を為してをるが、客観界の一切万象は主観の心がなければ写象することが出来ぬ。客観と認むる物と、また吾人の主観の心とは、それが一大根元がなくてはならぬ。この根元を法身の一大観念と云ふ。
 法身自体は主観客観の相対的でなく、これを統一する処の絶対的観念態である。それが世界の相対的の方面には物象心象の二現象と成るも本質は同一観念態の相対的現象と云わざるべからず。故にこの一大観念も物心二象の本源なりと云うことを得。
 吾人の主観なる心も客観なる物象も本は同一法身の絶対観念態の分類現とす。故にこの物心二象の本質同一なりとの理を明かす為に四種の観を以ってす。
 今、華厳法界観の會色帰空観等の四観を物心即一観に転用せば、
 (一)會色(物)帰心観
客観の万物の本質は心なのである。万象は主観の心に帰す。主観の心と客観の物象とは同一本質である。氷炭相容れざる如きものでない。向こうに見ゆる山河大地等の物象は自己の観念が客観化して現じた相である。実は自己心の相を向こうに見てをるのである。向こうの物それ自体は何であるかは、物の象と現れたのは自己の観念の相である。もし自己の心が無ければ外界の相は如何なる象相なるかは認識することが出来ぬ。故にすべて客観の相なるものは必ず主観の心に帰すべきものである。
 (二)色心不二観
主観の心相と客観の色相とは実は本質一体である。但し衆生が相対の見地よりして内観を主観と云ひ外観を客観と見る。見よ自己が頭より脚下に至るまで外部より見れば全体物質のみである。然るに同一の自己を内観すれば全体精神である。故に物色と心象とは本来一体の両面より色と心とに相対的に観てをる故に、実は色心不二である。
 (三)物心無礙観
客観の物の相と主観の心の象とは元、同一本質の物なる故に相互に礙(さ・さまたげる)へるものでない。吾人の観念は山河大地の内にも徹して碍(さまた)げず。試みに瞑想観念して観給へ。吾人の観念は大地の中にも徹照して毫(ごう)も妨げず。されば吾人の観念中の万物とも云ひ万物内存の観念とも云ひ得らる。吾人の主観も法界に周徧して遺すことなく客観の万物も宇宙に徧在して余す所無し。しかも相互に障碍せず。同質異現なり。これを物心無礙観と云ふ。
 (四)物心無奇観
宇宙は本来絶対観念にて、宇宙自体は絶対にて主観とか客観とかの相対的のものに非ず。但し相対に規定せられたる衆生は客観の物象と主観の心象と見てをる。人間は自分から主観とか客観とか両面に分けて見てをるけれども絶対者自身より見れば、主観とも客観とも別々に分別して居らぬ。絶対である。これを物心無奇観と云ふ。

物質の触覚は絶対心の意志
 客観の物象と主観の観念とは同一本質の相対現象なので、すべての物象も一大観念の客観的現象なることはすでに会得せり。然るに物質には吾人の触覚と感ずる重量とか個形態とかの如き阻碍性を有して居る所よりみれば、心は観念なれば客観も心なりとは会得し難し。山河大地及び木石の如き触覚に感ずべき個形態を何故に心なりと云ふべきぞ。答えて曰く宇宙一大心霊に写象と意志との二属性を有す。意志とは心の力能である。例えば人に意力ありて力となり堅固となる如く、宇宙心霊の力能が客観現象となりて、吾人の触覚に感ずべき物質となる。物質と心質とは同一本質の相対現象である。もしこの理に於いて能く了解し得ば、宇宙万有は悉く一大観念の相象にして、能観の心と所観の山河大地等の万象とは同質の反対現相にして、一切の触覚に感ずべき重力と固形態などは意志の力なりとす。

※ (一)の”実は自己心の相を向こうに見てをるのである”というこの表現が、なんでそうなるの?と永いこと腑に落ちませんでしたが、ある時ふと思ったのです。あっ、そうか!心は鏡、と思えばいいのだと。要するに意識する”客観”とは自身の心の映像の事なのだと。心は客観物を捉えるけれど、その心が捉えた映像を意識しているのですね。だから、心が曇っていたり歪んでいたりすれば、そのような映像を見ているのだ、と云えるのではないでしょうか。

こんなことを考えていたら”仏道修行”と云うのは、心の歪みや曇りを取り除く・あるいは直す、と云う事ではないだろうかなんて思えてきました。
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この回答へのお礼

長文を投稿くださりありがとうございます。

さて、私は仏教哲学においては、まだ初級者であり、知らないことも多く、その解釈も
まだ甘いだろうという自覚を持っています。そのうえで思うことを羅列したいと思いま
す。

・これは、華厳宗における「四法界」という法門を依文として、弁栄師の義を述べたも
の、という理解でよろしいのでしょうか?

・全体として、私の支持をする解釈と相対させて理解をしますと、「色心不二」という
よりも「依正不二」に近いと思います。

私が理解しているものを簡単に述べます。

色心不二:色(色法)とは物質・肉体・外形的なもの。心(心法)とは精神・心の働き・内
在する力用のこと。この二つが一体不二であるということ。(引用)

依正不二:正報とは我が身、主観的立場のこと。依報とは一切の対境をいい、客観的立場
のこと。この二つが一体であること。(引用)

・物象というもの、あるいは心象というものも所詮は宇宙というものの一部であるはずです。
にも拘らず、宇宙というものを「絶対」とすること、この線引きと言いますか、たてわけ
は、どうも納得できないものがあります。

お礼日時:2018/03/04 10:03

物質とは


「時空の多重構造の中で発現したエネルギーの形態の一つ」
くらいに考えています。
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この回答へのお礼

やはり、エネルギーですか。

お礼日時:2018/03/01 16:38

>全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に詰め込むと存在


確率の山が平らになって、無と等しくなります

この辺りは、もうすぐ理解できそうな気もします。
少しずつ思索してゆこうと思います。

①電子の二十スリット実験(電子以外の陽子や中性子も波)
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この回答へのお礼

https://www.youtube.com/watch?v=yLufAR6k8tw

大変に興味深いことです。

物質と精神の関係を証明できるようになるのかも知れないとも思う程ですね。

しかし、何故こうなるのか分かっていないということは、うーん、難しい。

お礼日時:2018/03/01 16:27

psytexさんが、渾身の回答を寄せていますが、わたくしも渾身の回答を。


と、云ってもわたくしの渾身とは”丸写し”することですが。

まずは私の意見を。
私なら、物質とは宇宙の大精神の意の力の現れ、と答えます。

デイブさんにプレゼント。
私の心の底から帰依するお坊さん、明治から大正にかけて活動されたお坊さん、山崎弁栄(べんねい)上人の文章を。

でも、今週の木曜日になります。
乞う、ご期待!
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この回答へのお礼

>物質とは宇宙の大精神の意の力の現れ

弁栄上人とは、何宗のご僧侶なのですか?それとも、特定の宗派に属さず
独自の仏教哲学を展開されているのですか?

木曜日、楽しみにしています。
哲学ですから、理解することも、批判することも難しいことではありますが。

お礼日時:2018/03/01 01:06

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