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浄土真宗です
浄土真宗は他力が本願といいます
それでは、自分の努力で技能を身につけて豊かな暮らしを築くのはいけない事なのでしょうか?
浄土真宗の方のみお答え下さい
よろしくお願いします

A 回答 (3件)

既にお答えしたことがありますね。


父方が代々浄土真宗の者ですので回答できる資格はあると信じる者です。

他力本願というのは、「自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願によって救済されること。」ということです。そこから「他人まかせにする」という誤用が生まれました。
でも、浄土真宗でいう他力本願はあくまで阿弥陀仏を信じ浄土に生まれるということであり、生き方を他人まかせにするという教えではありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました
南無阿弥陀仏

お礼日時:2018/07/30 15:50

>自分の努力で技能を身につけて豊かな暮らしを築くのはいけない事なのでしょうか?


それが「豊かな暮らしを築く」為の努力であった場合は、お勧めではありません。
「豊かな生活を手に入れたい」というような、欲を捨てると良いでしょう。

「満足」とは、「十分であること」や「心が満たされる事」を示す言葉ですが、満ち足りるためにはおおよそふたつの手段があります。
100ccのコップを満たすためには、100ccの水(水で無くても良いですが)をそこに注ぐ必要があります。
ですが、そのコップの容量が0であった場合、水は必要ありません(というよりも「既に満ちている」といった方が良いかも知れません)。
欲求を可能な陰り捨て去ることで、あなたは満足を得られるでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました
南無阿弥陀仏

お礼日時:2018/07/30 15:50

別に豊かな暮らしをしてはいけない訳では有りません。


が、お浄土に行くのに、念仏を唱えると、(浄土に行くための念仏なので)自力本願なのです。
上に行くために階段を上ったら自力本願なのです。

窓の無いエレベーターに乗って、上に行くと信じていればいいのです。

因みに、豊かな暮らしは浄土に行く為の足枷になるのです。

俺が稼いだ金だと執着する。

俺の嫁や子供が健康でいてくれと家族に執着する。

豊かな暮らしが、豊かになればなるほど捨て難いものなのです。

そこは「足るを知る」で、いつでも捨てれるぐらいで止めときなはれや。という事です。

自分が、いつでも捨てていいぐらいの豊かさで止めないと、執着と言う欲が出て来るんです。

まあ、何があっても、阿弥陀様がしている事です。帰依して任しときなはれ。

例え、貴方が殺人犯の犯人でも、殺人の被害者でも、阿弥陀様のしはる事です。信じて、任しとけばいいのですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました
南無阿弥陀仏

お礼日時:2018/07/30 15:50

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