【お題】引っかけ問題(締め切り10月27日(日)23時)

例えばです。
年収1億円の人と、300万の方がいたとします。

同じ肉を食べるのでも、1億円の人は舌が肥えていると思うので500g10000円のものでないと満足できないとします。
300万円の人は500g1000円の肉で満足出来たとします。

この時両者が同じ喜びを感じるのなら、肉に関しては値段の差があっても同じとなります。
つまり、必ずしも高い肉でもなくても良いことになると思います。

また、お金持ちが20部屋位のマンションを持っている番組などを見ます。
しかし2LDKで十分だと言う人もいます。

お金持ちの人は、生活に心配が無いので平気で高いものをためらいなく買うのだと思います。

無論お金を持っていた方が人生の選択肢が増えます。他の財閥や政治家とのコネも出来るかもしれません。

しかし、数えきれないお金を持っている人と持っていない人は前者の方が幸せなのでしょうか?
かえって額が額なので遺産相続などで激しい争いが繰り広げられるような問題も発生すると思います。

私も友人もお金持ちでは無いのですが、「幸せになるのと、お金持ちになるのどっちが良い?」と質問したところ、9人中8人が「幸せ」と答えました。

ここで私の考えになってしまいますが、お金と幸せは比例しないと言うことです。

上記の質問は限定的な物になってしまいますが、皆様は「幸せ」になるのと「お金持ちになる」
どちらが良いと思われるでしょうか?

A 回答 (7件)

住んでいる街で世間並みの生活ができて、昨日は少し足りなかった、今日は少し余った、くらいがちょうどいいかと。



完全退職の隠居生活をしていますが、近くに家族もすんでいて、ほぼ毎日息子・娘・孫が顔を見せてくれるし、近所に友達以上の女性もいるし、幸せな毎日を送っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
それは言うまでもなく、周りと信頼関係が出来ているからです。
お金では信頼関係は買えません。むしろお金目当てに近づいてくれる人の方が多いと思います。
私は人間関係を構築するのがうまく無い方なので、羨ましいです。

お礼日時:2018/07/27 21:24

そもそも、物事の価値と言うのは人が考えるよりもはるかに相対的なもので、人間の認知学的に絶対的な物事の価値を判断するのは無理と言う研究があります。



例えば、ある人が他人や結婚相手が金持ちか貧乏かを評価する基準は、その人の兄弟や友人がどのくらいの年収を稼いでるかを無意識に基準にしてますし、美人かどうか、若いかどうかと言うのも集団の中で相対的に感じられるものであるのです。幸福感と言うのも、まさにそれが基準になるのは、ある程度は致し方ない事なんですが、たちが悪いのは多く人は自分の金銭感覚や良い悪いの判断、あらゆる価値観は自分の中から生まれた絶対的なものであると信じて疑わないからなんですね。それを利用したマーケッティングなんかは一般的にやられてたりしますよ。

ただ、高級なものの価値は一般的には価格には比例しないのは高くなればなるほどそうで、例えば飛行機のエコノミークラスが10万ならビジネスクラスにが30万でファーストクラスが100万以上で、その10倍のサービスがかと言うと多くの人はそう感じないでしょう。収入もそうで、ぶっちゃけ1人が1億円もらえば10人が一千万でする仕事の10倍の生産性が出るわけではないです。ただし、普通の人がどんなに頑張っても100までのものを101にする価値と言うのはその1に9千万払ってもいいと言うかは議論のある事だからそこに価値が生まれるにすぎません。

しかし、お金の価値は相対的だから開き直って金稼ぎを正当化したいわけでも、逆に無視して精進すれば幸せだとか言う、宗教じみた話にもならないですよね。よく言われるお金で買えないものだってたしかにあるが、金がある事で世の中の多くの煩悩がクリアできると言う側面もまた正論ですから。

ちなみ、リーガルハイの小御門のコメントを言うと「幸福度が高いのは、不幸であることを自覚してないか、不幸であると口に出せない統制国家のどちらかだ」と述べてますよ。

つまり、あなたの述べてる金による争いのない世界、身の回りの金がなくても幸せだ、と抜かす人々は
逆に言えは、そう言う汚い争いの世界をなかった事にしたい誰かによる洗脳によって自分たちが貧乏に甘んじていと納得してるだけの不幸を認識してない幸せかと言う言い方さえできますからね。

ま、ニーチェ哲学的に言わせれば、キリスト教など弱者によるルサンチメンの暴動に過ぎないわけですから、なりふり構わなければ、そこに格差がある事=誰かの不満が生じるのは当たり前なんですよね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
面白い例えでは、30万のファーストクラスの内容は漫画喫茶と同じという方もいらっしゃいました。
(一度だけ旅行会社の手違いでファーストクラスに乗ったことがあります)

マーケティングもある意味卑怯だと思います。「この商品を使わなければ、○○を防げる(ただし個人差があります)」と半ば脅迫的な謳い文句が多いからです。

宗教に関して言えば、世界の第三宗教でキリストと仏教に関しては自身はお金に関しては触れていません。
「だからこそ例え熱心な信者でも大金持ちの存在が肯定されると思います」

イエスとブッダも本人が書いた書物はありません。本当に大事なことは言葉で表すことが出来ずに、
後になって弟子が勝手に解釈してに書いた物なので宗派が別れるのです。

ですが熱心な信者であっても、生活のために最低限のお金は必要です。
しかしそうであっても、信じることによって貧乏でもあっても幸福かもしれません。

宗教の話になってすみません。

お礼日時:2018/07/27 19:57

'02年にノーベル経済学賞を受賞した米プリンストン大学の心理学者、


ダニエル・カーネマン教授が面白い研究をしています。

それによると感情的幸福は年収7万5000ドル(約900万円)までは
収入に比例して増えますが、それを超えると比例しなくなるそうです。

幸福感は7万5千ドルで頭打ち。

この説に従い、「グラビティ・ペイメンツ」というクレジットカード
支払い処理の会社の社長は、百万ドルに近かった自分の給与を
7万ドルに下げました。

カーネマンは、経済学に心理学を導入し、
行動経済学を打ち立てた人物です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
経済学に心理学を導入するのは非常に価値があることだと思います。

お金を儲けることに関しては手段の目的化が少なくともあると思います。
FX等の投機に関して「今10億ある、来年は100億を目指す」という方がいらっしゃいます。

お金を増やすのが手段で10億あれば十分じゃないかと思うのですが、その人はお金を増やすことが目的になってしまい、仮に100億手にしたとしても、
何に使うか考えていないそうです。

そういう方々は、投機を「マネーゲーム」と言っております。
お金を手に入れることによる幸せに関しては何も考えていないようです。

お礼日時:2018/07/27 20:06

聞くまでもないはず、幸せ、に決まっています。


ただし、幸せの必要条件にお金がどれだけかかわるかは人それぞれ異なります。
2者択一なら、少し理性の働く人なら答えは、幸せ、です。
でもその中身は百人百様です、人昔前の若い中国人女性は、自転車に乗って笑うより、外車に乗って泣くほうが良かったらしいが。
お金もち、と赤貧とまで行かずとも、中流あたりとの選択でなら質問してみることはありえても・・・・。
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この回答へのお礼

私も幸せだと思います。
ただ他人から見て不幸だと感じても、自分自身が幸せと感じていれば問題は無いと思います。
車を持っていれば幸せなのか?ローンを完済した自宅を持っていれば幸せなのか?
大きな企業に勤めていれば幸せなのか?
それは、仰るとおり人によって違うと思います。
ただ、前述の通り自分が幸せと感じていればそれで良いと思うのは生意気でしょうか?

お礼日時:2018/07/27 20:11

ある調査では年収が1000万円くらいはお金と幸せが比例するが


それ以上になると、お金よりやりがいや感謝などの方が重要になるらしい
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ただ不思議なのは、世間では年収が多いほど幸せになれると思っていることです。
1000万でも1/4くらいは税金等で取られると思います。
ある程度の規模の会社になれば、課長、部長クラスでも1000万円貰える事もありますが、幸せそうには見えません。
仰る通り、1000万を超えても仕事にやりがいがなければ不幸せなのかもしれません。

お礼日時:2018/07/27 21:20

広く一般的に普遍的に「お金」に余裕があるのは客観的はお話し。


「幸せ」は周囲が判断するものではなく自分が感じればそれでいい主観的なお話し。
比べる事自体がおかしな話ですね
お金は幸せに欠かせないパーツのひとつに過ぎません。
平凡だけど幸せを目指したいです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
その通りだと思います。
「お金は生活の手段」と考える人と「お金持ちにならなければ幸せになれない」と考える人は大きな隔たりがあると思います。
ただ、ギャンブルにお金を使って貧乏になった人は同情の余地もありませんが。

お礼日時:2018/07/27 20:14

お金も幸せのための道具ですから、


お金か幸せか、でいえば「幸せがいい」となるのは当然です。

お金さえあれば末期癌になって家庭崩壊していてもいい、という人はいないでしょう。

お金については、一定以上の収入になると幸福度は比例しなくなる、という研究結果が出ています。
逆にいえば、一定の金額までは、収入と幸福度は比例するという意味でもあります。

あなたは年収300万円と1億円で比較していましたが、
これが年収30万円と300万円だったら、
これはほとんど比較にならず、どう考えても300万円がいいとなるでしょう。

モノゴトは程度論であって、
ある程度まではお金と幸せは比例するけど、
ある以上を超えてしまうと比例しなくなり、幸せのモノサシを他に見つけようとする、
ということだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
流石に年収30万では暮らしていけないので300万と設定させて頂きました。
確かに癌になってもお金持ちなら豪華な個室で、保険外の治療(レーザーでガン細胞を狙い打ちして治す。数百万かかります)、老後も手厚い看護を受けられる。
逆に言えば延命出来ても人は必ず死ぬのです。
ここだけは平等です。
その時家族が医療や介護に任せ、誰もお見舞いに来ないとしたら、やはりその人は人生を振り返って不幸だったと感じると思います。
お金持ちで無くとも家族との絆が出来ていれば、無くなる直前でも後悔はしないと思います。
そこは貴方と同意見です。

お礼日時:2018/07/27 18:58

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