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中島敦の名人伝についてです。
最後に画家は絵筆を隠し、楽人は瑟の絃を断ち、工匠は規矩を手にするのを恥じたとありますが、弓の名前も用途も忘れてしまった名人、紀昌からどんな影響を受けて、こうなってしまったのでしょうか?

A 回答 (2件)

不射の射とは、修行の結果到達する、常人では想像もできない世界という意味ですが、画家・楽人・工匠は、紀昌を鏡として自身の未熟を恥じたと言うよりも、紀昌の評判にあやかり、上辺だけ名人面を保とうとしたということでしょう。

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この回答へのお礼

よく分かりました。ありがとうございました!

お礼日時:2018/09/24 10:49

戻ってきた紀昌はその後「一度も弓を手にしなかった」どころか「弓の名前も形も使い道も忘れてしまった」というのに


「弓の名人としての名を欲しいままにした」でしょ。

それが明らかになったとき、
紀昌がかつて甘蠅老師の元を訪れ「不射の射」と見せられたときと同じ衝撃を邯鄲の画家も楽人も工匠も受けたわけです。
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