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それはもっと前から白人が黄色人種をそう見ていた思いますが戦争勃発後の米軍は日本人を猿と見ていたのでかなり残酷な方法で殺すことができたのではないかと色々な本を読むと見えてきます。B29による無差別爆撃は焼夷弾による焼き殺しですから害獣を駆除しているがごときに思えてなりません。白人から見ると有色人種は人間とは見なしていないので日本人だけが猿扱いではないと思いますが、

A 回答 (15件中1~10件)

ハルノートのハルは、兵士達に檄文を


送っています。

ドイツやイタリアに対しては、あいつらは
米国に来られなかった臆病者だ。

日本に対しては、あいつらは猿だ。人間ではない。
だからどんどん殺しても構わない。

これに比べれば、ルーズベルトの人種差別は
マシなほうです。

フランクリン・ルーズベルトはオランダ出身で、「有色人種への差別が格別に強かった」と、ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸で会談した英国のロナルド・キャンベル公使は本国に書き送っている。キャンベルが、この会談の席上、ルーズベルトから打ち明けられたのが「劣等アジア人種」の品種改良計画だった。

「インド系、あるいはユーラシア系とアジア人種を、さらにはヨーロッパ人とアジア人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」
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強引な恐喝まがいの客引きの黒人、フィリピン人の恐喝に近い募金詐欺達を見ていると、嫌われるのは有色人種側にも原因があるかと。


確かに、日本人も昔はマナーや教養が無かったからね。
ただ日本、日本人は世界から尊敬される国になりました。
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>無差別爆撃


国際法によれば、対戦国が行った戦法は無条件で使用することができます。無差別爆撃は日本側が中国の重慶に行ったのが先なので、日本は一度も抗議していません。
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猿とみていたかどうかは何とも言えませんが、


人種差別による偏見があったと考えます。
爆撃ではなく他の視点で述べてみます。

第二次大戦中だった1944年5月22号のLIFE誌に、
日本兵の頭蓋骨を贈られ返事を書く女性が掲載されました。
ttps://books.google.co.jp/books?id=bk8EAAAAMBAJ&pg=PA35&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false
(頭蓋骨の写真があるので、一応閲覧注意です)
欧米の報道はドキュメンタリーと名乗って平気で捏造しますから
本物かどうか判りませんが、仮に本物なら
贈った本人も、贈られたうえ返事を書く女性も、
平気で掲載する出版社も、近代ではありえない対応で、
白人相手ならまず考えられないはずです。
(さすがに非難があって指導を受けたそうです)
近年、日本兵の遺品が里帰りする話が美談扱いされますが、
その大部分は遺体からはぎ取ったものです。
「硫黄島からの手紙」でも描写されていましたが
捕虜を面倒だから殺害する等の行為は、リンドバーグの
手記にも見られるように相当数あったはずです。
極東軍事裁判では日本だけが裁かれましたが、
米兵による行為は明らかに戦争犯罪です。
米兵はベトナム戦争でも遺体の一部を記念品として
持ち帰っていたそうなので、人種による偏見は以後も続いています。



1944年4月、プリンストン大学社会学研究会が
太平洋・ヨーロッパに参戦した各二個師団を対象に行った調査で、

1 訓練中 敵兵を殺すことをどう思うか
            日本  ドイツ
心から殺したい     44%  6%
義務なのでやむを得ない 32% 52%
義務だが嫌な気分だ   18% 34%
敵兵でも殺したくない   4%  6%
その他          2%  2%

2 戦闘後 捕虜を見た後で敵兵をどう思うか

もっと殺したい     42% 18%
別に何とも思わない   22% 16%
戦ったのは不幸だ    20% 54%
その他         16% 12%

(太平洋戦争 下 児島襄 中公文庫 P218より引用)

この様に明らかにドイツ兵とは認識が異なります。
このことからも、猿扱いしていたと言っても
間違いではないと考えます。
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米国は、ドイツに対しても無差別爆撃を実行しています。

偏見ではなく戦略上必要な行動をとったのではないでしようか?
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都市住民に対する無差別爆撃(焼夷弾による焼き殺し)は、日本軍による南京・重慶爆撃(1937~1943年)が先行しています。


確かに、「のらくろ」では中国人を猿に描いていますので、無差別爆撃の標的を猿に例えることは普遍的なのかもしれません。

ただ、ナチスによるゲルニカ(1937年)・ロッテルダム(1940年)・ロンドン(1940~1941年)もありますので、必ずしも猿でなくても無差別爆撃はあるのでしょう。

また、米軍は、1945年1月までは都市の無差別爆撃に対し慎重な姿勢を崩さず、工業地帯への空襲を中心に行っています。ところが、1945年1月20日カーチス・ルメイ少将が司令官に任命され、大規模な都市の無差別爆撃が始まり、原爆へといたります。

これを考えると、米軍は都市の無差別爆撃に対しては極めて慎重であったところ、日独がやってきたことの報復という文脈もありそうに思います。
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そーですよ、それにキリスト教徒が多いですから、慈悲の心というものがありません


異教徒は撲滅させるというのが、キリスト教考えですから
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ドレスデン、ハンブルクなどに無差別爆撃をしていますから日本人を猿と思っている傍証にはならないでしょう。

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いくらなんでも猿と人間の区別くらいはついたでしょう。

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そうです



人類皆猿です
猿一匹笑えば侍です
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Q戦争中、日本政府は沖縄を本土の何と考えていたか。 そのため、どのような悲惨なことが起こったか、被害者

戦争中、日本政府は沖縄を本土の何と考えていたか。
そのため、どのような悲惨なことが起こったか、被害者数も含め述べてください。

これを誰か教えてください。

Aベストアンサー

学校の問題でしょうか。それだと、私の回答は「不正解」となるのでしょうが、参考までに。



まず、恐らく学校側としては、「日本政府は沖縄を日本と思っていない。何故なら沖縄は戦場になり本土は戦場にならなかったからだ。日本と思っているならば沖縄が攻められる前に降伏しているはず」と言う方向が好まれるのではないでしょうか。


ただ、これは結果論です。

第一に、本土決戦は行われる予定でした。結果的には降伏か本土決戦かの採決で同数で、この場合は首相が決めるのですが、鈴木貫太郎は「自分では決めれません。陛下の判断をお願いいた致します。」と昭和天皇に判断を仰いで、昭和天皇が降伏の決断をしたから、「本土では戦闘にならず降伏した」となりました。当時では本土決戦はありえる状態でした。

第二に、日本の領土だと思っているから、沖縄に大量の防衛戦力を投入し、戦艦大和の特攻作戦(大和を沖縄の浜辺に設置して要塞として活用する作戦。成就せず海に沈む。スローガンは「特攻のさきがけとなれ」)や神風特攻隊などの特攻作戦まで行って戦いました。フィリピンではその様な作戦を行わなかったのは、フィリピンは日本とは思っていないからです。沖縄を日本と思っているからこそ、その様な無謀な事までして沖縄を守ろうとしました。(ただし、特攻隊に参加した軍人には脱帽ですが、特攻作戦そのものは褒めたものではありません。)


沖縄の多くの犠牲の原因は、学校側としては「日本軍の蛮行」か、或いは「アメリカ軍の蛮行」と教えたいと憶測します。
これについては、沖縄の民間人が多くの犠牲者が出た事は事実です。ただその経過を観ると、アメリカの蛮行は否定できませんが、日本軍の責任ではありません。

本来ならば、戒厳を敷いて硫黄島のように沖縄の民間人は避難させるべきでした。しかし当時の沖縄の人は非常に協力的で戒厳をしく必要がなく、避難もさせずにいました。これが悲劇の始まりです。

鬼畜米英と言う言葉がありますが、英は鬼畜ではないのですが、米はまさに鬼畜で、アメリカ軍が侵攻してくると、民間人の乱暴狼藉が目立ちました。沖縄の住民はアメリカ軍怖さに、日本軍に保護を求めます。これが第二の悲劇の始まりです。

日本軍は保護を求めてきた住民を、見捨てるわけにも行かず、共に行動します。当然ですが、アメリカ軍と民間人を連れての戦闘になります。戦時国際法では、戦闘地域に民間人がいる場合、便衣兵の可能性があるので、民間人を殺しても自己正当化が可能になります。

アメリカ軍が沖縄の住民の多くを殺した事は事実ですが、戦闘地域にいた沖縄の住民が悪いと言う事になり、アメリカ軍は戦時国際法違反とはなりません(合法的に民間人を殺して乱暴狼藉が出来るからこそ、なおさら沖縄の民間人の犠牲者が増えたのかもしれません。因みに、広島・長崎の原爆投下や東京大空襲は明らかな戦時国際法違反でありアメリカの戦争犯罪です。)


この場合、悪いのは戦闘地域でありながら民間人を避難させなかった日本政府となります。
民間人を避難させる権限と言うのは、市民を強制的に退去させる権限の事です。

この権限を持っている日本の機関は警察です。
つまり、沖縄の犠牲の原因は、日本の警察が沖縄の住民を避難させなかったのが悪いとなります。


学校側としては「日本軍が悪い」と教えたいと推測します。これは、先生の思想に限らず教科書にも載っているかもしれません。しかし、当時の日本軍は、市民を避難させる権限を持っていません。悪いのは市民を避難させなかった日本の警察です。

どのような悲劇が起きたかは、wikiに書いていると思います。ただ、「悲劇の原因」は学校で教えたい事と事実とでは違っています。学校のテストなら、「学校で教えたい事」を回答しないと不正解になる可能性があります。


私の回答を学校で発表すると、たぶん点数が悪くなると思いますが、学校で満点が取れる回答も歴史的には事実ではない可能性が高くなります。参考までにお願いします。

学校の問題でしょうか。それだと、私の回答は「不正解」となるのでしょうが、参考までに。



まず、恐らく学校側としては、「日本政府は沖縄を日本と思っていない。何故なら沖縄は戦場になり本土は戦場にならなかったからだ。日本と思っているならば沖縄が攻められる前に降伏しているはず」と言う方向が好まれるのではないでしょうか。


ただ、これは結果論です。

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Q日本で、第二次大戦前又は戦争中に、戦争に反対したために投獄された人物は居ましたか?

米国では、第二次大戦前又は大戦中に、米国の対日方針(中国は良い国で、日本は憎むべき悪い国)に反する意見を公に述べた人物が、投獄されました。

例えば、添付画像のラルフ・タウンゼンド及びF・ヴィンセント・ウィリアムズです。

日本では、明らかにソ連のスパイであった尾崎秀実やゾルゲは処刑されました。

日本で戦争に反対したために、投獄された人物は居ましたでしょうか?

宜しくお願いします。



ーーーー ラルフ・タウンゼンド及びF・ヴィンセント・ウィリアムズ ----

Aベストアンサー

沢山いました。戦前から特別高等警察という組織が存在し、戦争が近づくにつれ反戦活動家の弾圧取締も多くなっていきます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E9%AB%98%E7%AD%89%E8%AD%A6%E5%AF%9F

戦争末期に”腹がへった”と落書きしたところ、反戦だとして捕まった人もいます。

Q4~6世紀は大阪府南部に日本(倭)の首都があったのは確実ですか?

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当時は陸上の移動方法が徒歩か馬しかなく、宮殿からそこまで離れた場所に古墳を造らなかったと思われるので、大阪府南部(おそらく大阪市南部か堺市のどこかの場所)に全国規模、狭くても中国地方から東海地方までを勢力範囲とする政権(大和か倭)の首都が存在したと考えてよいでしょうか。

巨大古墳という、これ以上ないほどのその存在を示す証拠があるわけですから。

Aベストアンサー

大阪南部に、その古墳を作る程度に力を持った権力者がいた、というところまでは正しいでしょう。

しかし、それが「日本(倭)の首都」であったという根拠は明確でありません。
「全国レベル」ということも、「全国」の定義も不明確で、「全国レベルで影響力を持った者でしょう。」ということもあなたの推測です。

4~6世紀ほぼ同時期には、大阪府南部だけでなく岡山県吉備地区、奈良県奈良市・天理市・桜井市にも巨大古墳は多数あります。
また日本書紀には、5世紀の岡山吉備地区の有力集団の記載がありますが、彼らが大阪南部勢力に従属していた根拠はありません。(敵対していたという記載もあるようです。)
これらの複数地区が全て単一権力の支配下にあったという証拠は無く、ゆるいつながりをもった地方権力の並列性であった可能性もあります。
であれば、単一権力による中央集権制では無く、首都という言葉とはややずれます。

また、「大阪府南部に日本(倭)の首都があった」根拠として、あなたが示されているのは「大阪府南部の堺市から羽曳野市にかけて巨大な古墳が集中」という事実と、「宮殿からそこまで離れた場所に古墳を造らなかったと思われる」という推測ですが、後者を裏付ける根拠が必要です。(あえて宮殿から離れた場所に古墳を作った可能性も排除できません。)
上述のような古墳の大阪南部・奈良・岡山と広がる広範な分布は、単一権力大阪南部存在説では説明困難です。

もちろん、「4~6世紀は大阪府南部に日本(倭)の首都があった」可能性はあります。
4~6世紀大型建造物であれば、土台構造物(穴や柱石など)などの遺構が残ります。
それによって、古代都市そのものを確定し、さらには政治形態を確定、首都と定義なども必要で、お示しされた根拠だけを理由に「4~6世紀は大阪府南部に日本(倭)の首都があった」と確定するのはやや無理があるでしょう。

参考までに巨大古墳を20位までお示しします。
5位までに大阪南部が多いことは事実ですが、同時期に岡山にもあり、20位までで考えれば奈良にけっこう後半に分布しています。
この分布をみると初期大和朝廷は天皇ごとに宮殿を変えていた説、有力豪族並列説(吉備勢力など)などに説得力があり、現在我々が想定するような首都というもの存在に疑問が生じます。

1 大仙陵古墳 大阪府堺市大仙町 中期 486m 仁徳天皇陵
2 誉田御廟山古墳 大阪府羽曳野市誉田 中期 425m 応神天皇陵
3 石津ヶ丘古墳 大阪府堺市石津ケ丘 中期 360m 履中天皇陵
4 造山古墳 岡山県岡山市新庄下 中期 360m
5 河内大塚古墳 大阪府松原市西大塚・羽曳野市南恵我之荘 330m
6 見瀬丸山古墳 奈良県橿原市見瀬町・五条野町・大軽町 後期 310m
7 渋谷向山古墳 奈良県天理市渋谷町 前期 300m 景行天皇陵
8 土師ニサンザイ古墳 大阪府堺市百舌鳥西之町 中期 290m
9 作山古墳 岡山県総社市三須 中期 286m
10 仲ツ山古墳 大阪府藤井寺市沢田 中期 286m 仲津媛皇后陵
11 箸墓古墳 奈良県桜井市箸中 前期 278m 倭迩連日百襲姫大市墓
12 五社神古墳 奈良県奈良市山陵町 前期 275m 神功皇后陵
13 ウワナベ古墳 奈良県奈良市法華寺町 中期 255m
14 市庭古墳 奈良県奈良市佐紀町 中期 250m 平城天皇陵
15 メスリ山古墳 奈良県桜井市高田・上之宮 前期 250m
16 行燈山古墳 奈良県天理市柳本町 前期 242m 崇神天皇陵
17 岡ミサンザイ古墳 大阪府藤井寺市藤井寺 後期 242m 仲哀天皇陵
18 室宮山古墳 奈良県御所市室 中期 238m
19 市野山古墳 大阪府藤井寺市国府 中期 230m 允恭天皇陵
20 宝来山古墳 奈良県奈良市尼ケ辻町 前期 227m 垂仁天皇陵

大阪南部に、その古墳を作る程度に力を持った権力者がいた、というところまでは正しいでしょう。

しかし、それが「日本(倭)の首都」であったという根拠は明確でありません。
「全国レベル」ということも、「全国」の定義も不明確で、「全国レベルで影響力を持った者でしょう。」ということもあなたの推測です。

4~6世紀ほぼ同時期には、大阪府南部だけでなく岡山県吉備地区、奈良県奈良市・天理市・桜井市にも巨大古墳は多数あります。
また日本書紀には、5世紀の岡山吉備地区の有力集団の記載がありますが...続きを読む

Q今年の大河ドラマ「西郷どん」と2008年放送の「篤姫」とを見比べて思ったのですが、「篤姫」では篤姫が

今年の大河ドラマ「西郷どん」と2008年放送の「篤姫」とを見比べて思ったのですが、「篤姫」では篤姫が幾島に文を託すも西郷に断られ、勝海舟に父成彬からの文を託し、それが西郷の心を動かし、江戸無血開城が決まり
、篤姫自身は西郷には会ってないようですが、「西郷どん」では勝海舟に会う前に幾島とも篤姫とも会う設定になっていますが、史実からするとどちらの方がより正しいのですか?

ナレーションでは「実に12年ぶりの再会となりました。」とあるので、「西郷どん」の方が正しいのでしょうか?

Aベストアンサー

史実には諸説あります。
だから小説も多数の作家のものがあります。
小説の脚本は、必ずしも「小説=脚本」とは限りません。

篤姫の場合、記録が少なく、NHKドラマは「脚本」があたかも
本当のように面白く(悲しく)描けていました。

西郷と勝の江戸城無血開城交渉は緊迫したなか行われましたので
これ以前に江戸城に入るのは無理だと思われ、これはドラマを
面白くするための脚本の所作と思われます。
つまり「西郷どん」はフィクションです。

そもそも、この時代のトップには「内戦回避、外国からの介入
回避」の認識があり、第一次長州征伐では激戦が起こりませんでした。
では薩長と徳川のNO2・3とNO1の激突である倒幕に何故
西郷は舵を切ったのでしょうか。
長州はともかく、西郷薩摩には「舵を切って」も「激突は回避され
る」と踏んでいたのでは、ないでしょうか。
こういう推理がスリルなのです。
歴史探訪の醍醐味です。


西郷さんには思い入れが強い人が多く、よく描かれることが
多いようです。
「人を愛し、弱きを助け、国を憂え、強くをくじき、ブレル
 ことなく突進し、信念は生涯変わることはなかった」など
と描かれ、作られる。
実際には、迷い、悩み、試行錯誤し失敗もし進んだのでは
ないでしょうか。
完全な人間などはいないのです。

史実には諸説あります。
だから小説も多数の作家のものがあります。
小説の脚本は、必ずしも「小説=脚本」とは限りません。

篤姫の場合、記録が少なく、NHKドラマは「脚本」があたかも
本当のように面白く(悲しく)描けていました。

西郷と勝の江戸城無血開城交渉は緊迫したなか行われましたので
これ以前に江戸城に入るのは無理だと思われ、これはドラマを
面白くするための脚本の所作と思われます。
つまり「西郷どん」はフィクションです。

そもそも、この時代のトップには「内戦回避、外国からの介入
...続きを読む

Qもし日本に原爆が落とされていなかったら・・

どうなっていたでしょう・・

本土決戦で

アメリカ人が日本本土に侵攻、占領し

ベトナムのような略奪、日本女たちをレイプ、、

ハーフの子供ばかりで

我々純粋な日本人が少なくなっていたように思いますし

『親アメリカ』!!な風潮ではなく!!

【反アメリカ】!!!な憎しみだけが渦巻く風土になっていたように思いますが

みなさんどう思いますか。

Aベストアンサー

あなたは、沖縄に米軍が上陸を行います
地上戦が行われた事を知っているのかな?

基地問題は別にして、沖縄の人達と米軍・米国との関係を見れば自ずと分かるのではないか?

沖縄県とそれ以外の日本とが、別だという認識なのかな?

Q1600年関ヶ原の戦いで宮本武蔵は本当に戦に参戦したんですか? もし参戦したのならどのくらいの活躍し

1600年関ヶ原の戦いで宮本武蔵は本当に戦に参戦したんですか?
もし参戦したのならどのくらいの活躍したのか詳細まで知ってればなによりです。

Aベストアンサー

はじめまして、

No3さんの内容にほぼ同意なのですが、宮本武蔵が関ヶ原合戦に参加しただろうというのはほぼ定説です。
16歳でしたら元服をしている可能性が高いので、当時でしたら一人前、戦争に参加するのはあたりまえでしょう。

規模のおおきい戦場では多数の軍勢がぶつかりますので、剣豪とはいえ活躍するチャンスはありませんし、実際記録もありません。
島原の乱にも幕府軍の一員として参加していますが、一揆軍の投石により負傷しているぐらいです。
剣豪といえども一対一ならともかく団体戦や乱戦になればたいしたことはないんですね。

以下ウィキから2カ所を引用します

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは父の新免無二が関ヶ原の戦い以前に東軍の黒田家に仕官していたことを証明する黒田家の文書が存在することから、父と共に当時豊前国を領していた黒田如水に従い東軍として九州で戦った可能性が高い。

島原の乱では、小倉藩主となっていた小笠原忠真に従い伊織も出陣、武蔵も忠真の甥である中津藩主・小笠原長次の後見として出陣している。乱後に延岡藩主の有馬直純に宛てた武蔵の書状に一揆軍の投石によって負傷したことを伝えている。また、小倉滞在中に忠真の命で宝蔵院流槍術の高田又兵衛と試合したことが伝えられている。

宮本武蔵(ウィキ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/宮本武蔵
(URLはコピペしてください)

はじめまして、

No3さんの内容にほぼ同意なのですが、宮本武蔵が関ヶ原合戦に参加しただろうというのはほぼ定説です。
16歳でしたら元服をしている可能性が高いので、当時でしたら一人前、戦争に参加するのはあたりまえでしょう。

規模のおおきい戦場では多数の軍勢がぶつかりますので、剣豪とはいえ活躍するチャンスはありませんし、実際記録もありません。
島原の乱にも幕府軍の一員として参加していますが、一揆軍の投石により負傷しているぐらいです。
剣豪といえども一対一ならともかく団体戦や乱戦にな...続きを読む

Q織田信長の小性 森蘭丸は 有名ですが。 今で言うと 代議士の有能な秘書。 身の回りの 職務をこなす

織田信長の小性 森蘭丸は 有名ですが。

今で言うと 代議士の有能な秘書。
身の回りの 職務をこなす 頭のキレる 信頼できる人間。

この時代だと 性の相手になる事も 普通らしく
寧ろ 現代とは 全く 認識も違い。
強く有名な武将の関係を 自慢すらする。

そこで質問

豊臣秀吉の右腕
石田三成も そのような 感じだったのでしょうか??

Aベストアンサー

後世の伝説として、石田三成と秀吉が愛人関係であったと『石田軍記』には書かれています。 また、織田信忠(信長の嫡子、本能寺の変で横死)と秀吉が男色関係にあったという話がまことしやかに語られていた記録もあります。 当時の武将であれば男色趣味がないはずがない、という通念によるものと思われます。 実際は、豊臣秀吉は男色に興味を持たず女色一筋だった事が良く知られています。 有名な逸話としては、『老人雑話』に、以下のような記載があります。

羽柴長吉は太閤の小姓、比類なき美少年也。太閤、或時、人なき所にて近く召す。日頃男色を好み給はぬに故に、人々皆奇特の思ひをなす。太閤問ひ給ふは、『汝が姉か妹ありや』と。長吉顔色好き故也。
(羽柴長吉は太閤秀吉の小姓で、比類ない美少年であった。太閤は、ある時、長吉を人のいない場所で近くにさし招かれた。常日頃、太閤は男色をお好みではないので、人々はこれを知ってみな珍しいことだと思ったのである。さて太閤が長吉に御問いになった内容はといえば、『お前に姉か妹はいないか?』という事であった。長吉の顔が美しいため姉妹がいればさぞ美人だろうと思ったためである。)

羽柴長吉は池田信輝の三男で、秀吉の近臣として「羽柴」姓を名乗るのを許可された人物です。 秀吉が、美少年を目の前にしながら、本人には興味を持たずその姉妹が美人だろうと考えるあたり、筋金入りの女好きであると共に男色には縁がなかったことを如実に表しています。

後世の伝説として、石田三成と秀吉が愛人関係であったと『石田軍記』には書かれています。 また、織田信忠(信長の嫡子、本能寺の変で横死)と秀吉が男色関係にあったという話がまことしやかに語られていた記録もあります。 当時の武将であれば男色趣味がないはずがない、という通念によるものと思われます。 実際は、豊臣秀吉は男色に興味を持たず女色一筋だった事が良く知られています。 有名な逸話としては、『老人雑話』に、以下のような記載があります。

羽柴長吉は太閤の小姓、比類なき美少年也。太閤、...続きを読む

Q第二次世界大戦は日本は天皇家の官軍系の軍人が始めた戦争であり、天皇が戦争に関与していたのは間違いない

第二次世界大戦は日本は天皇家の官軍系の軍人が始めた戦争であり、天皇が戦争に関与していたのは間違いないのでは?

徳川幕府系の軍人が始めた戦争なら、天皇は知らなかった。朕は一切関知関与していないと言えるけど、自分の部下の官軍系の軍人が始めた戦争。まさか上司の天皇に報告なしに戦争を始めたとは思えない。

Aベストアンサー

最近天皇の開戦したくない文書が発見されましたよね、確か。

Q車の免許の取得は簡単と言われてる嘘の理由はなんですか?

免許を取得した人間は余程馬鹿じゃない限り落ちる事はないと断言してますが
免許センターに行って合格した人間は合格率60%で3人に1人は落ちてると言ってましたよ?
やっぱり学科テストはみっちり勉強しないと確実に落ちる難しさなんでしょうか?

Aベストアンサー

木下優樹菜さんは、実地試験はスムーズ過ぎたけど、学科で26回落ちて、免許諦めたと言っていました。「変な引っ掛け問題があるんだよぉ」って言ってました。

あとは、キレやすい子が多くなり、教官と喧嘩して、教習所をやめちゃう子が居るとの話題もあがりました。

余程の馬鹿で無い限り...と言ったは、人としての品格を疑いますね。免許が常識問題と言うなら、道徳に無職な法(道路交通法)を学ぶ前に自然法論を学んだ方が良いよ。と言ってやりましょう。

Q沖縄から米軍が完全に撤退したら中国は攻めて来ますか?

フィリピンの海軍基地から米軍が撤退したら中国はスカボロー諸島に立派な海軍基地を建設したのと同様に中国にとって沖縄はもっと軍事的に魅力的があると思います。滑走路や軍事施設をそのまま使うことができるのは、すばらしいはずです。沖縄周辺にはもっと飛行機や艦船が接近して来ると思いますが沖縄本島にも来るでしょうか?

Aベストアンサー

来ませんし、米軍が撤退することもあり得ません。


もし米軍が沖縄から撤退するとしても、今の時点で沖縄付近の照会活動は100%自衛隊が担っているので、中国軍が攻める隙はありません。沖縄に駐留する米軍を「中国やロシアの脅威から守っているのは、実は自衛隊」なのです。

フィリピンのスービック基地を米軍が撤退した後、中国が南沙諸島に進出したのは「フィリピン単独では防ぐことができなかったから」です。

まず当時のフィリピンは哨戒機の運用がまともにできていませんでした。今自衛隊が機材供与とトレーニングをしているところですが、中国の南シナ海進出当時、フィリピン側の領海にある岩礁に基地を作られ、それがある程度完成するまで気がつかなかったのです。
だから、いろいろと足元を見られていますし、ベトナムや他の国も同じ状況だったため、南沙諸島を中国が実効支配しても止められない、状態だったわけです。

沖縄に関してというか、日本のEEZ域内は日本の哨戒機が常時哨戒飛行をしています。日本の対潜哨戒機はP-3C時代は80機近く、今はP-1に変更中で総数が70機になる予定ですが、P-3Cがプロペラ機だったのに対して、P-1はジェット機なので、速力と航続距離で10機ほど少なくなっても問題ないとされています。

また日本はイージス艦などもありますし、海中固定センサー網もあります。だから中国海軍がちょっとでも沖縄侵攻をしようとすれば、すぐに迎撃できる体制になっているのです。

だから今のところの軍事バランスでいえば「米軍無しでも沖縄を攻めることはできない」わけです。

ただ、もちろん中国が本気で沖縄を占領するために戦力を使うなら、持久戦として日本だけでは防ぐのは難しいでしょう。
でも、その場合は台湾だって対応するはずですし、なにより「太平洋に大陸国が出てくること」を嫌うアメリカも本気で中国をつぶしにかかるはずです。

アメリカにとって太平洋は日本列島までが「自国領海」なのです。特にマリアナ海溝付近には戦略型原潜が潜んでいると言われています。この原潜を守っているのが日本の自衛隊で、だから日本にはアメリカの海軍艦船がほとんどいないし、沖縄に至っては「米海軍」は3隻ぐらいの艦船と横須賀にある司令部の支援業務ぐらいの規模しかないのです。

現在沖縄にいる米軍部隊は海兵隊がほとんどで、あとは空軍の戦闘機部隊があるぐらい、でこれは台湾有事と朝鮮有事の初動舞台なのです。

沖縄には今の状態でも「中国が船で攻めてきたとき」に防衛するための米海軍はいないのです。

来ませんし、米軍が撤退することもあり得ません。


もし米軍が沖縄から撤退するとしても、今の時点で沖縄付近の照会活動は100%自衛隊が担っているので、中国軍が攻める隙はありません。沖縄に駐留する米軍を「中国やロシアの脅威から守っているのは、実は自衛隊」なのです。

フィリピンのスービック基地を米軍が撤退した後、中国が南沙諸島に進出したのは「フィリピン単独では防ぐことができなかったから」です。

まず当時のフィリピンは哨戒機の運用がまともにできていませんでした。今自衛隊が機材供与と...続きを読む


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