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日本の侍と西洋の騎士が戦ったらどちらが強いんでしょうか?この二人が歴史上戦ったことはあるんでしょうか?侍は日本から出ていったことがなさそうな気がしますが戦を求めて海外で傭兵になった侍も
いたのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    世界の皆さんの期待に応えた大河ドラマが必要なんです。日本がついに西洋を侵略し始めて侍たちが騎士をなぎ倒し、首をもぎ取る。

      補足日時:2018/10/27 23:53

A 回答 (7件)

一対一でしょうか。

そして接近戦ですよね。

戦国時代の侍と当時の騎士ならば、侍のほうが強い気はしますね。

「ゴシックプレートアーマーは侍の刀は貫けない」と言うイメージがありますが、侍の主力武器は槍です。しかも槍は突くのではなく叩くものです。

日本の槍は、木ではなく竹で出来ているので、振り下ろすとしなり、威力を強化します。

これは、フレイルに似た効果を発揮しました。甲冑も凹ませる威力があるので、着ている人は頭部に打撃を受ければ首の骨が折れますし、胴をやられれば内臓が破裂します。ヨーロッパの騎士が着ているプレートアーマーにも有効かと思われます。



プレートアーマーは、後のヨーロッパでは、フレイルやモーニングスターなどの打撃力と貫通力のある武器の登場により衰退していきます。(衰退は鉄砲の影響もありますが、後に、農具を改造したお手製フレイルを装備した農兵相手にすら苦戦します。ゴシックプレートアーマーは接近戦では無敵と言うイメージがありますが、それくらい弱点が顕著な装備なのです。)

当時の侍は、殴る槍という、打撃力と貫通力に優れた武器を主力に使っています。(刀は止めを刺すために使います。)


プレートアーマーに強い武器を主力で使っていいると言う事になりますので、騎士の防御力の優位性は損なわれます。そうなると、攻撃力重視の機動性の高い侍の装備の方が有利です。

それに、個人技においても当時の侍は世界でも類を見ない実践経験豊富なプロ中のプロです。


なので、侍のほうが強いかなと思います。
ただ、この手の質問は「どちらが好きか」で勝利者が選ばれるものですし、それでよいかと思います。特に一対一ならば。


因みに、集団戦なら、そもそも当時の騎士は集団で戦う場合は傭兵が主流となります。対して日本は常備兵主流です。常備兵が傭兵よりも圧倒的に強いと言う事にヨーロッパ人が気づくのは200年後のナポレオンの時代からです。実は、当時の日本は世界的に観て戦争のノウハウが優れていました。実際に侵攻するならば兵站の問題なので、どちらも泥沼となると思いますが、兵站抜きに同数で戦わせたら日本のほうが強いと思います。

「ヨーロッパは強い」と言うイメージがあると思いますが、ヨーロッパが強くなるのは近世後半からです。当時のヨーロッパは30年戦争をするような時代の中世末期で、統率などろくに取れたものではありません。
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日本の侍と西洋の騎士が戦ったらどちらが強いんでしょうか?


  ↑
日本刀術とサーブル、ということなら
日本刀術の方が優れていると思います。

日本刀は両手で扱うので、威力とスピードに
勝るからです。



幕末、英国人の手記が多く残されていますが、
彼等は日本刀術を非常に怖れておりました。

あの柄の長い恐ろしい剣、という記述が
沢山出てきます。

ある英国人がおりまして、台所で人間の声とは
思えぬ悲鳴が上がった。
慌てて台所に駆けつけたら、ライフルを持った
英国兵が一人、首を切断されてぴくぴくしていた。

「これはローニンがあの恐ろしい刀を持って
 襲撃してきたに違いない」

慌てて自室に戻り、拳銃を探したが見つからない。
そんな時、ローニンが現れて、剣を振りかぶった。

もうダメだ、と観念したが、不思議と何もない。
ローニンも首をひねっている。

そうこうしている間に、騒ぎを聞いた幕府の役人が大挙して
駆けつけ、ローニンは逃走した。

やれ、助かった。
それにしてもどうして死ななかったのだ。

よくよく観察してみると、鴨居に大きな斬り込み
痕があった。

これで救われた・・・。




この二人が歴史上戦ったことはあるんでしょうか?
  ↑
日本の武士と、西洋人が剣で争った
記録はありますが。

例えば、戦国時代、伊藤某という武士が
西洋剣術家とケンカになって、サーブルもろとも
脳天を叩き斬った、という記録があります。

幕末では、最後の剣客といわれた榊原 鍵吉の
道場に、二人の英国人水平が道場破りに訪れ、
サーブルVS竹刀の試合が行われ、敗れた水兵
二人は、門下生になった、という記録が
あります。



侍は日本から出ていったことがなさそうな気がしますが
戦を求めて海外で傭兵になった侍もいたのでしょうか?
  ↑
そういう記録は、ワタシが探した限りでは
見つかりませんでした。

こんなのはありましたが。

森寅雄
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E5%AF%85 …

1934年(昭和9年)剣道の天来試合東京予選、
決勝で敗退して、渡米。
フェンシングに出逢い、全米二位。
本当は優勝したはずだが、人種差別があったと
言われている。

氏曰く。
「西洋剣術は技術だけで面白みに欠ける」


また、侍ではありませんが、倭寇て海賊がおりまして。
銃で武装した中国兵が敵わなかった、情け無い、
という中国の資料が残っています。

同じく中国ですが、日本人は、カタンナ(刀)
を巧みにあやつる、とした記録があります。
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①両者の歴史上の戦い


 無かったと思います。
②一対一の戦い
a、騎馬戦:圧倒的に騎士が強いと思います。盾で槍を防ぐ騎士は、これを持たないサムライより遥かに有利です。又両者の馬体は、西洋産馬が遥かに優れ、馬の力は親子ほどの違いがありました。
b、下馬での戦い:槍の長さと柄の強さは、騎士が勝り、やはり騎士の勝ち。
c、槍を捨てての戦い:やはり騎士の勝ち。信長が騎士の甲冑を参考にして鎧を作らせていたのは、見栄えでは無く、その機能と防御力の強さです。刀は通用しません。
d、組打ち:侍に勝機が出てきます。
e、鎧なしの戦い:騎馬戦以外対等となります。むしろ侍が有利となります。
③集団戦
a、騎馬戦ではやはり、騎士の勝ちです。
b、地上戦:侍です。侍側の槍の集団使用は、西洋を上回ります。甲冑は重く、動きが鈍いため、一対一戦いでは強いのですが、集団戦には威力が弱まります。それを証明したのは、十字軍です。
c、鉄砲の登場:火縄銃時代は、圧倒的に侍です。鉄砲のお陰で騎士は、甲冑を捨てました。
④侍の海外での戦い
a、秀吉の朝鮮出兵:圧倒的に日本軍が強く、明の滅亡の原因の一つとなりました。
b、東南アジアでの活躍:圧倒的な強さを誇りました。
c、倭寇:明の兵士は、近寄る事も出来ず、彼らは明兵を圧倒しました。
d、間接的な比較:蒙古兵は、西洋に乱入し、騎士を圧倒しました。その進撃が止まったのは、数的に圧倒されたためです。その蒙古兵に率いられた元寇では、侍の勇戦が近年明らかになりつつあります。神風で撃退したのではなく、侍の強さが元の兵士の橋頭保を許さず、結果的に暴風で全滅したのです。

結論は、条件によって異なります。そして戦えば、戦術に勝った側が勝つと言う事で、個々の強さは同程度と考えられます。
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