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こんにちは!突然ですが湾岸戦争について質問です。
湾岸戦争が、起きた理由は、クウェートの、油田の利権の争いでしょうか?

A 回答 (5件)

そうです。



イラクはイランとの戦争で財政が苦しく
なっていました。

頼るのは石油ですが、その石油はOPECの
決議を無視したクエートが
大量に生産して、価格が下がっています。
しかも、クエートは、イラク領を侵してまで
採掘しようとした節があります。

それでイラクが怒ったわけで、戦争をやれば
石油は上がるし、クエート二も鉄槌を下せる。

そこへ、米国が工作しました。
1990年7月25日に、イラクがクウェートの併合を示唆した際、
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーは
「国境問題に介入するつもりはない」と発言しました。

戦後は米国はこれを否定。
しかし、当のグラスピーはその後公式の場には
一切姿を見せないようになりました。
(最近やっと出てきましたが)

これでフセインは、安心してクエートに攻め込んだ
のですが、米国を中心とする多国籍軍に追い払われて
しまいました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2018/11/12 06:06

狭く捉えれば「油田の利権の争い」ともいえるけど, 他にも


ペルシャ湾への出口
歴史的にクウェートは「イラク」の一部だった
ということも挙げておく必要があるかな.
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歴史はイラン・イラク戦争に遡ります。

イラクがイランに戦争を仕掛けました。アメリカとクウェートはイラクのフセイン政権を支援しました。しかし勝敗がはっきりしないまま戦争は終結し、イラクは経済的にピンチに立たされました。

イラクは石油の値上げで経済を復興させるしか道がなかったのですが、クウェートは石油を増産し、しかもイラクとの国境をまたがるルメイラ油田の発掘を行いました。つまり戦後はイラクとクウェートの利害は衝突する形となり、イラクのフセイン大統領は経済復興のためクウェート侵攻を決意したわけです。(イラクとクウェートにはもっと長い歴史がありますが、ここでは省略します)

しかし、この侵攻が国際的に大きな避難を浴びることになります。米国が介入を狙って「やらせ報道」を行わせたという話もあったようですが、結局、多国籍軍による空爆が始まりました。湾岸戦争です。
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戦車や、重火器を戦場に遺棄したまま、バグダッドに、逃げ帰りました。


そのご、イラクが核兵器を開発中であると、アメリカがイチャモンを付け、ついに、フセインが、911のテロを受けたことから、イラクが徹底的に攻撃を受け、ついに、フセインが、殺される羽目に!。
結局、核兵器は、何処にも有りませんでした。
イラクは、宗教的には、少数のスンニ派が独裁を極めていましたが、崩壊後は、国が乱れ、ISなどのテロリズムが、横行し、現在に至っています。
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クウェートの石油は、クウェートのものです。


イラクのサダムフセインは、クウェートを侵略、油田を奪い取ろうとしました。
アメリカを中心とした欧米諸国は、再三の説得を重ねましたが、イラクは、聞き入れず、湾岸戦争が、勃発しました、圧倒的な、軍事力で、わずか3日で、イラク軍は、敗退し、累々と、すんしゃや
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この回答へのお礼

なるほど。
ありがとうございます。

お礼日時:2018/11/11 20:38

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