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当時のテレビをよく記憶していますか、戦争の話題になると
日本人は悪いことをしたという態度、内容が善という雰囲気があり、
司会者やタレントなども、戦争の話題になると悪いことをしたんだと
申し訳ない態度を取ってる人が多数いたと記憶しています。
本当に嫌韓が増えたのは、2000年以降だと思います。
今は、ほとんど申し訳ないという態度を取る日本人がいなくなりました。
質問は1990年以前も日本のマスメディアは自虐史観だったのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

韓国とは、今の北朝鮮みたいに国交断絶状態でした。

また、その頃の中華人民共和国は今の北朝鮮と同じで、自転車だけが乗り物で、ホテルにシャワーも電気もなくとても貧しかった。
GHQが日本に自虐史を植え付けてから、今日まで自虐史感でしょう。
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自虐、勝手に自分達同胞を悪いという側に置いたりというのは、多分、1960年代の早い時期か1950年代の遅い時期あたりから始まったように見えます。


2000年代前半は自虐というより反日本に対する融和のように感じます。ま、それも紛れの無い自虐ですが。

ポツダム宣言受け入れ後の歴史を見ると(例えば国会の記録)、日本の尊厳に関わる事態には社会党の左派なんかでも政府与党を追及していたり、サンフランシスコ条約に基く講和後の戦犯の扱いに関する発言にはどの政党も自虐的なことは言っていません。むしろ、再軍備要請をのらくらとかわした与党自由党の方が左翼的(左翼的といってもパヨクじゃないですけどね)です。

日米安保条約の改定の少し前から自虐史感が出てきたんじゃないかなと個人的には思っていますし、それにはコミンテルンの画策もあったんじゃないかと思います。それがどこかで当初GHQが意識として受け付けた愚民政策の何かと急に繋がってしまった、そんな気がします。
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80年代の雑誌、特に朝日ジャーナルをはじめとした当時のマスコミは基本的に左寄りが多く自虐的史観が相当多く見受けられました。

あの頃はアジアで日本が圧倒的に経済力が強く自信の表れだったのでしよう。これでうぬぼれた態度はとれないという時代の雰囲気があったねではないでしようか。現在は追い上げられ背景が変わったねではないでしようか。それだけかつてのマスコミ、ジャーナリズムは時代の雰囲気、流れに怠惰していたのでしよう。当時、私は、このような雑誌を読んでそのような内容に大変憤りを感じました。今も学生時代の強い記憶として残っています。
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GHQに占領された時に日本人の認識が自虐史観へと大きく変わりました。

GHQ撤退後もその認識は変わらず、現在に至ります。
米国の情報が一部公開したり、ネット普及などで一部の日本人の認識が良いも悪いも情報が錯乱した状態の中で自虐史観から脱皮しただけです。
本当に何が正しい情報(真実)か分からないのが個人的な感想です。
日本人全体としてはまだまた自虐史観が大半で特に年配者層は昔と変わらないです。
しかし、半世紀後、自虐史観の日本人は居ないのだろうと感じます。
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自慰でも、自虐でも、ありません。



歴史は、見方にとって変わるとは言え、真実は一つです。

正しい歴史認識を持って判断すること、これにつきます。

自己に都合の良い判断をして、歴史を解釈してはいけません。

自慰的史観というものです。
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アラフィフです。



戦後からずっと自虐史観で、それが2000年代になってから少し変わってきた、というのが本当のところだと思います。

確かに子供の頃の漫画などには、戦争モノもあり、日本軍が活躍する物語もありましたが、同時に「戦争の悲惨さ」を伝える内容のテレビ番組とか、小説とかアニメなんかもあり、日本全体の意識としては「先の不幸な戦争は二度と繰り返してはならない」というものだったといえるでしょう。

そして「先の不幸な戦争を繰り返さないため」に、当時の大人(私の親の世代)は奮闘し、あさま山荘事件につながる安保反対運動なども起きています。

これは当時の若者に限った話ではなく、日本全体が「二度と戦争はしたくない」と言う意識に満ちていたのは間違いなく、それが自虐史観の下地になっていました。

その風向きが変わったのはソ連崩壊後の湾岸戦争でしょう。湾岸戦争に対して日本は130億の協力金を出したのにも関わらず、侵攻を受けたクエート国の「感謝広告」に日本の名前は載らず、逆に1部隊程度しか派遣していない途上国は広告に載っている、という現実に気がついたからです。

これにより日本人が「平和は『日本だけ』ではダメで、世界平和のためには人的派遣が必要なのだ」という目覚めにつながり、そこから自虐史観という考え方が広まるようになります。1980年代には「自虐史観」と言う言葉自体がなく、70年代ぐらいから「東京裁判史観」という言葉が広まっていた程度だったと思います。
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質問は1990年以前も日本のマスメディアは


自虐史観だったのでしょうか?
 ↑
戦後からず~と自虐史観でしたよ。

以前の方がヒドかったんじゃないですか。

ネットが発達して、多少緩和された
感がありますが。
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1970年代までは、太平洋戦争を「善悪」で評価することってあまりしなかった。

戦争を直接経験した人が多く、そんな単純なものではないと言うことが皆分かっていたから。

戦争の漫画も多かったし、子供らは「日本頑張れ!」って思いながら読んだ。一方で神風特攻隊はみんな「なりたくねぇっ!」って思った。大陸で日本人はひどいことをしたと言う人もいたし、大陸でひどい目にあって日本に帰ってきたと言う人もいた。夜間の大空襲で家族を失った人もいたし、田舎から都心の空が真っ赤に焼けているのを眺めてむちゃくちゃきれいで見とれていたと言う人もいた(うちの母です)。

実体験は単純じゃないのだ。韓国側もたぶんそうで、戦争が終わった瞬間は「喜び」と「悔しさ」が錯綜していた筈だ。

1990年代くらいになると、戦争を直接経験していない人が両国で増えた。すると、とたんに議論は観念的で単純なものになり、最初は「自虐史観」、それからその反動として「自尊史観」が現れた。どちらも物事を一方的にしか見ていない。

嫌韓とか反日とか声を大にして言ってるのは、どちらの国でも、戦争を知らない世代が中心。直接体験した世代は、どちらの国でも、そんな単純な議論はしていないよ。
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1960年代の少年漫画には、多くの戦記漫画が掲載されていました。

 殆どが日本軍兵士の勇敢さや優しさを称えるような内容でした。 また、少年雑誌の巻頭グラビアも軍艦や戦闘機、爆撃機などのイラストが飾っていました。 1970年代以降、左翼マスコミや日教組の策動が功を奏したのか、どんどん日本に自虐史観が広がるようになった気がします。
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多分その頃に、様々な所で在日工作員が偉くなって暴れだしたんでしょうね。


総理大臣が、宮澤、細川、羽田、村山と続きます。
外務大臣が、羽田、柿澤、河野と続きます。
これこそ魔の時代というか、おかしな事ばかり言い始めた時代ですね。
極みが民主党政権で、在日が沢山いる政党で全く話にならない政治をして韓国を栄えさせ日本を貶める政治をしたのですから堪りません。
総理大臣は鳩山、菅、野田と続き・・・
外務大臣が岡田、前原、枝野、松本、玄葉と続く訳です。
こりゃ最悪の時代ですね、国民も怒り政権交代で安倍政権となりました。
嫌韓運動は盛んになるのは当たり前で、円の問題と株価の問題で民主党政権はわざと日本を契機最悪にしたのでしょう。
二重国籍の大臣や、在日総理大臣までいましたからね。
平和の鳩ならぬ傀儡の鳩が日本には居て、経済を散々な目に合わせ自虐政治をして何をするつもりだったのでしょう。
行脚の総理も日本の根幹を揺るがす悪いヤツでした、無責任で悪だくみばかり。
韓国じゃないがこいつらは刑務所でも行って貰いたい口だね。
マスコミはその頃から現在まで段々酷くなる一方で、朝鮮に乗っ取られた感がありますから株主総会でも何でも役員を交換しないとヤバいですよ。
代表権のあるやつの系列の削除が必要だな、他国の地の入ったやつに独占されたら乗っ取られますよ。
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