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江戸時代の下級藩士は勤務時間は午前10時から14時までと短いですが、遅刻には厳しかったみたいです
遅刻をすると、どんな罰があったのですか?
それと、もし欠勤をしたら、お家取り潰しでしょうか

A 回答 (1件)

遅刻に厳しかったのは城門をいつまでも開けておけなかった警備上の理由のようです。



遅刻が重なると現代の勤め人と同じように減給や無役(仕事がない)になります。
無役になって登城しなくても生活は保証されました(このあたりは公務員ですから)が
その立場は言ってみればニートと同じですから
対面を気にする武士としては家の恥として勘当されることもあったようです。

当主がそうならない限りはお家取り潰しにはなりませんし
そうなる前に何か理由をつけて当主が交代するでしょう。
もちろんその理由は病死など生死に関わるような事態です。
つまり当人は死んだことにされるんですから、二度と浮かび上がれません。

最初のような理由から、欠勤は理由さえあれば大目に見られたようです。
が、遅刻は本人の落ち度ですから厳しかったようです。

余談ですが、徳川の二代目将軍秀忠は関ヶ原の合戦に遅刻しました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2019/02/20 15:50

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