dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

敗因の起因は戦時中、裏切り者の内通者が多くいた事でと知ったのですが・・・。
それも、朝鮮人が主に多かったこと。
(アメリカと一緒に日本と戦ったとは、このことではないのですかね・・・。)
人口に見ると内通者が多かったのも伺えますし・・・

https://blogs.yahoo.co.jp/sgy_appmt_today/291763 …

幕末以降から第二次世界大戦が起きるまでの間とアメリカに空爆され原爆落とされたとか酷い事されたとかの出来事の問題しか知らなかったので、第二次世界大戦の戦時中にそういった出来事等があったなどとは知らなかったので、びっくりしてるんですが、日本がアメリカに負けたのは内通者のせいなんですか?

A 回答 (31件中1~10件)

山本五十六を調べたらどうして負けたのかが分かります。


、と私は言いましたが、あなたはやらかしている人ですね・・・、と述べました。
まったく違います。
参考に述べると山本五十六は日本と米国の国力の差を痛感していました。
開戦を最後まで反対したのは山本五十六です。
悲しい死に方をしたのは彼なりの責任の取り方です。もっと、勉強すべきです。はじめからそう言っています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど・・・。
そういう意味だったのか・・・。
私は勘違い認識して受け取っていたんですね。
日露戦争で陸戦で日本が負けたのは山本五十六のせいと言われているので、
そのせいでどっか違う方向に考えちゃって間違ってたみたいです。

指摘、回答ありがとうございます。

お礼日時:2019/02/28 15:57
    • good
    • 2
この回答へのお礼

とても参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2019/02/28 15:54

二階目です(媚中じゃない‼️)日本は早く、スパイ工作員防止法並びに、フルスペックの共謀罪法を制定するべきです‼️南樺太千島列島北方領土は日本の固有の領土です。

金をとられるだけのロス毛との、平和条約締結はないでしょ⁉️
    • good
    • 2
この回答へのお礼

まあ、そうですね。
日本はスパイ天国と言われていますしね。


回答ありがとうございます。

お礼日時:2019/02/27 20:50

ウィキペディア 台湾沖航空戦より



□誤認
(略)
陸軍の大本営情報参謀であった堀栄三の回想によれば、
フィリピン出張の途上で台湾沖にて航空戦中であることを耳にして、「今までの戦法研究で疑問符のつけてある航空戦だ、この眼で見てみよう」と思い立ち、
鹿屋で実際の航空兵から戦果確認方法について聞き取り調査を行ったが、戦果に対しての疑問は解消できず、
「この成果は信用出来ない。いかに多くても2、3隻、それも航空母艦かどうかも疑問」と大本営陸軍部第二部(情報)長宛に打電した。
その後作戦課へ報告されたが、省みられることがなかったという。
(略)
□影響
大本営海軍部によって大戦果が誤認であったと再判定された事実は、20日に開かれたフィリピン決戦に向けた陸海軍合同の作戦会議においても陸軍側に伝達されなかった。
陸軍は誤認戦果と知らないままルソン島での迎撃方針を、「レイテ島の決戦」に大きく戦略を変更し、決戦兵力をレイテ島へ増派した。
しかし、(壊滅したはずの)アメリカ機動部隊などの空襲を受け、第1師団だけは、航空援護もあって無事に上陸することができたものの、そのほかの第26師団や第68旅団などはいずれも装備、物資の過半が海へ沈み、懸命に積み上げてきたフィリピン決戦準備は水の泡となった。
さらに、ルソン島の兵力が引き抜かれた穴を補うため、台湾から第10師団をルソン島へ投入、玉突きで沖縄から第9師団を台湾へ移動させた。
こうして結果的に沖縄戦での戦力不足の原因ともなった。

また、海軍発表の戦果に疑問のあることが堀参謀から第14方面軍司令官の山下奉文大将に報告され、第14方面軍司令官として赴任する前の「決戦はルソン島で行なう」という事前取り決めを幻の大戦果に浮かれて急遽変更した大本営陸軍部第一部(作戦)との方針対立を招く一因となった。

ウィキペディア 瀬島竜三より

保阪正康は、台湾沖航空戦の戦果が極めて疑わしいという大本営情報参謀堀栄三陸軍少佐の報告を、(瀬島竜三が)大本営参謀として握りつぶした可能性が極めて高いと指摘している。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

そんな事情がね・・・。
なるほど・・・。

お礼日時:2019/02/27 20:43

ドイツ帝国は、第一次世界大戦で、わずか1平方センチメートルも敵に領土を侵略されなかったが、革命で帝政が倒れて、結果敗戦しました。



俗に餓島というガダルカナル戦やインパール作戦。

遠い南方に食料も僅かしか持たせず日本兵を追いやったのは、ドイツの例を参考にした。
と、考えれば合点がいきますね。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

なるほど・・・。

お礼日時:2019/02/27 20:40

ゾルゲ事件で死刑になった尾崎秀実(ほつみ)



満州で石油が採れる
と言う情報を握り潰した

満州、大連の原油は、陸軍が押さえたオランダ領インドネシアのバレンバン石油とほぼ同じ性質。

石油が無いから海軍が戦争を指導したようなものだが、共産主義者が居なければ、そもそもアメリカとの戦争は起きなかった。

因みにルーズベルトも共産主義者

ベノナ文書で検索ね。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

共産主義者が原因という事なんですかね・・・。


回答ありがとうございます。

お礼日時:2019/02/27 20:40

ウィキペディアで、


瀬島が台湾沖航空戦の報告を握り潰した

と、あるが結果レイテ沖海戦の大敗北に繋がりました。

『敗戦革命』で、ググるとよろしい
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます。
何か、表側から見たらアレだけど裏側から見たらそれぞれの複雑な思惑なんかがあったんですね。

参考になりました。
回答ありがとうございます

お礼日時:2019/02/27 20:38

ウィキペディアの瀬島竜三より



1954年の「ラストボロフ事件」の際、ソビエト連邦代表部二等書記官だったユーリー・ラストヴォロフが亡命先のアメリカにおいて、瀬島を含む11人に「厳格にチェックされた共産主義者の軍人を教育した」「これらの人物は共産主義革命のため、モンゴルのウランバートルに存在した第7006俘虜所において特殊工作員として訓練された」と証言した(ほかには朝枝繁春、志位正二、種村佐孝、平沢道則などの名前が挙げられた)[9][10]。このラストヴォロフの証言はアメリカやイギリスなどでも報道され、日本でもこの事件以降、瀬島をかくれ共産主義者で、ソ連工作員とみなす論が松本清張[11]はじめ、多数ある[9][10]。
元警察官僚で初代内閣安全室長の佐々淳行は、瀬島が東芝機械ココム違反事件において工作機器のソ連への売り込みに協力したことが判明したことを受けて、中曽根政権の官房長官で警察庁時代の上司の後藤田正晴に対して瀬島の取り調べを進言した際に、「警視庁外事課時代に「ラストボロフ事件」に絡んでKGBの監視対象を尾行している時、接触した日本人が瀬島であり、当時から瀬島がソ連のスパイであったことは警察庁内で公然たる事実であった」と報告した。報告を受けた後藤田が警視総監の鎌倉節に尋ねると、鎌倉は「知らないほうがおかしいんで、みんな知ってますよ」と答えたという[26]。しかし瀬島が当時中曽根康弘のブレーンとして振る舞っていたために不問にされたという[27]。
また、ソ連の対日工作責任者であったイワン・コワレンコは「シベリア抑留中の瀬島龍三が日本人抑留者を前にして『天皇制打倒!日本共産党万歳!』と拳を突き上げながら絶叫していた」 と証言し、「瀬島氏はソ連のスパイではないのか」との問いには「それはトップシークレット」とのみ回答している[28]。國民新聞社の山田惠久によれば、1979年10月にレフチェンコ事件に関する記事によれば、レフチェンコはコード名「クラスノフ」の瀬島龍三と直接コンタクトを取ったことはないとしながらも、ソ連の対日工作責任者であったイワン・コワレンコと瀬島が深い仲だと証言している[29]。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

なるほど・・・。


参考になりました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2019/02/26 18:02

ウィキペディアの瀬島竜三より



1954年の「ラストボロフ事件」の際、ソビエト連邦代表部二等書記官だったユーリー・ラストヴォロフが亡命先のアメリカにおいて、瀬島を含む11人に「厳格にチェックされた共産主義者の軍人を教育した」「これらの人物は共産主義革命のため、モンゴルのウランバートルに存在した第7006俘虜所において特殊工作員として訓練された」と証言した(ほかには朝枝繁春、志位正二、種村佐孝、平沢道則などの名前が挙げられた)。

このラストヴォロフの証言はアメリカやイギリスなどでも報道され、
日本でもこの事件以降、瀬島をかくれ共産主義者で、ソ連工作員とみなす論が松本清張はじめ、多数ある。

元警察官僚で初代内閣安全室長の佐々淳行は、瀬島が東芝機械ココム違反事件において工作機器のソ連への売り込みに協力したことが判明したことを受けて、中曽根政権の官房長官で警察庁時代の上司の後藤田正晴に対して瀬島の取り調べを進言した際に、「警視庁外事課時代に「ラストボロフ事件」に絡んでKGBの監視対象を尾行している時、接触した日本人が瀬島であり、当時から瀬島がソ連のスパイであったことは警察庁内で公然たる事実であった」と報告した。
報告を受けた後藤田が警視総監の鎌倉節に尋ねると、鎌倉は「知らないほうがおかしいんで、みんな知ってますよ」と答えたという。
しかし瀬島が当時中曽根康弘のブレーンとして振る舞っていたために不問にされたという。
また、ソ連の対日工作責任者であったイワン・コワレンコは「シベリア抑留中の瀬島龍三が日本人抑留者を前にして『天皇制打倒!日本共産党万歳!』と拳を突き上げながら絶叫していた」 と証言し、「瀬島氏はソ連のスパイではないのか」との問いには「それはトップシークレット」とのみ回答している。
國民新聞社の山田惠久によれば、1979年10月にレフチェンコ事件に関する記事によれば、レフチェンコはコード名「クラスノフ」の瀬島龍三と直接コンタクトを取ったことはないとしながらも、ソ連の対日工作責任者であったイワン・コワレンコと瀬島が深い仲だと証言している。

引用終わり

南進ではなく、北進なら欧米と戦争しなくても良かったし、ドイツはソ連に勝って、ノルマンディも阻止できていたかも知れない。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

へぇ~、そんな深い事情がね・・・。
ソ連のね・・・。

知らなかったので教えてくれてありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2019/02/26 18:00

ゾルゲ事件が有名ですが、このおかげでドイツは勝てませんでした。

そして日本は、あらゆる点で米国に劣り、負けるべくして負けたのです。
1、戦争の原動力の燃料がまるで不足。
2、鉱工業の生産力は、1/10以下。
3、軍人の思考力の柔軟性がまるで劣る。
4、日露戦争に勝利した海軍は、近代戦の仕方を考案したが、残念ながら活用したのは工業力の違いから、米国であった。
5、補給の概念が帝国陸軍には欠けていたため、戦死者の過半数は餓死だった。
6、海軍は、潜水艦の運用とその対策を全く誤ったため、陸軍の補給に対応できなかった。
7、第二次大戦の帝国陸軍は、第一次大戦の兵器と戦術で戦ってしまった。開戦時は同じレベルであったが、新時代に対応した米国陸軍と海兵隊には、対抗すべき戦術は無かった。
まだまだ敗因は一杯ありますが、要するに戦略も戦術も第一次大戦の考えから脱却できていなかったのです。当然米国も同じだったのですが、柔軟な対応策を取ったのは米国だったのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そんな複雑の状況だったんですか・・・。
だから、アメリカに勝てなかったのですね。

詳しく教えてくれてありがとうございます。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2019/02/26 17:58
1  2  3  4 次の回答→

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!