
豊臣秀吉の朝鮮出兵ですが、朝鮮の首都(漢城)はすぐに陥落し、次に明軍との戦争になり、明・朝鮮連合軍との戦争になって最終的に撤退することになります。
でも、いくら秀吉軍が強いといっても、さすがに明を征服できる力があったようには思えません。
明との衝突を避け、目的を朝鮮半島南部の支配に限定すれば、目的が達成できた可能性が高いと思いますが、どうでしょうか。
そして、毛利や島津、徳川といった、後で逆らってきそうな大大名を朝鮮南部に配置すれば、邪魔者を追い出せますし、一挙両得のように思います。
No.11ベストアンサー
- 回答日時:
文禄慶長の役は征明嚮導とか仮道入明と言われたように、
朝鮮は通り道で秀吉は朝鮮を支配する意志がほぼ無いので
秀吉が朝鮮南部だけ統治するということはまずありません。
ただし、思考実験としての可能性を述べてみます。
文禄・慶長の役で、日本が明の参戦で苦戦に陥って
不利になったのは事実と言えなくはないですが、
文禄の役では碧蹄館の戦いをはじめ、第一次・二次平壌城の戦い
慶長の役では第二次蔚山城の戦い、泗川の戦い、順天の戦い等々
ほとんどの戦いで明(と朝鮮連合軍)には戦術的に勝っています。
ちなみに、文禄の役の時に碧蹄館の戦いで大損害を出した明は、
以後は朝鮮の意向を無視して講和に方針転換しています。
さらに慶長の役が終わった後、明史では
(前略)喪師數十萬,糜餉數百萬,
中朝與屬國迄無勝算,至關白死而禍始息
(明史 朝鮮伝(320巻)26年11月)
10万の兵を失い、100万の糧食を浪費したけど
中朝(中国)と属国(朝鮮)には勝算が無かった。
関白(秀吉)が死んだから終わってくれた。
と書かれていたくらいです。
このように、明とはそれなりの勝負はできているので、
本格的に準備をすればいい勝負はしたと思います。
余談ですが、南原城の戦いで見ても判るように
明は朝鮮南部まで軍を進めています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8E%9F …
講和がうまくいった場合など、状況にもよりますが、
朝鮮南部だから明が来ないというわけではありません。
日本が勝てなかった理由は兵站が続かなかったから。
(慶長の役を含めるなら秀吉が死んだから)
当時、兵糧はある程度を現地調達するのが常でしたが、
朝鮮はそもそも春窮という言葉があるくらい貧しく、
耕作に適する土地が少ないので収穫は期待できません。
戦時には日本・朝鮮・明がそれぞれ徴発したから
ますます何もなくなりました。
たとえ朝鮮南部に限定して支配しても、
長大な国境線を長期にわたって維持するのは
(明側が意図しなくても)焦土戦術となって
かなりの負担で益は無いと思われます。
ちなみに、今の韓国の歴史認識に惑わされて
朝鮮人は果敢に抵抗した事を憂慮する方が多いようです。
確かに住民の反乱はそれなりにてこずりましたが、
日本が漢城に到着した時、国王は逃走し、町は既に焼かれていて
王子二名を捕虜にしたのは朝鮮人の働きなのは有名な話。
碧蹄館の戦いに先立つ第三次平壌城の戦いで
「日本側の戦死者を調べるとほとんど朝鮮人でした」
というオチが朝鮮王朝実録に書いてあるくらい。
是日天兵當陣斬獲一千二百八十五級、生擒二名、
竝擄浙江人張大膳、奪馬二千九百八十五匹、
救出本國被擄男婦一千二百二十五名。
(中略)
李如松 平壤之役、所斬首級、半皆朝鮮之民、
焚溺萬餘、盡皆朝鮮之民
政策さえ誤らなければ統治できなくはないと思います。
No.8
- 回答日時:
明との衝突を避け、目的を朝鮮半島南部の支配に限定すれば、
目的が達成できた可能性が高いと思いますが、どうでしょうか。
↑
明さえ出てこなければ、南部に限らず
半島全域を支配出来た可能性が高かった
と思います。
征服する気はあったでしょう。
戦線を拡大しすぎて、結果的に撤退になっただけ。
↑
秀吉は、第三の元寇を予防するためにやったのだ、
とワタシは考えています。
元寇は半島経由で日本を侵略しています。
秀吉が家康を関東に封じたように、それなりの実力があり、
潜在的に敵になりそうな大名を朝鮮に封じる可能性は充分あったでしょう。
↑
それだと明と結託して、第三の元寇に
なりそうです。
No.6
- 回答日時:
朝鮮人が日本の支配は許さなかったことでしょう。
次第に義勇軍に飲み込まれることになるでしょうねそのうえ、明だって日本が進駐している状況は許さないはず、援軍を送ってくれば苦戦必至です
明の冊封国である朝鮮を侵せば、明が黙っているはずもなく、明と衝突を避けることなど出来るわけがありません。
ちなみに秀吉にとって毛利は、本能寺の変のときの「中国大返し」で和を結んで以来の協力的な勢力です。
これを遠ざけてしまうとかえって損です。
徳川は関東に国替えをさせたばかりなので、さらに朝鮮へ行かせる理由が付きません。
九州征伐で負けさせているので、島津の力は弱めましたし、そのときの後始末として豊臣に簡単には弓引けないようにしています。
朝鮮へ移そうとして、謀反をおこされ混乱を生じるリスクを考えれば、島津は現状維持のほうが良いというのがまともな判断です。
No.5
- 回答日時:
支配には金も人間も労力もかかる。
それに見合った利益がなければ 結局は赤字になり 立ち行かない。
社会システム 教育レベル 資源開発 少なくとも 防衛拠点としてでなければ 海を挟んで交流するほどの価値はない。
秀吉の時代では 現地の広域な異文化に対応できる社会システムは作りえず であれば明の攻略に向かうのが適切と思う。
昔のモンゴルと同様に。
そもそも敵性武将を長期に配置するなどすれば もし統治が成功すれば武力と資源を与えるだけであり 秀吉にとって良いことなど何もない。
うっかりすれば明に取り込まれ 逆に本土が攻められる可能性さえあっただろう。
海の向こうには敷居がなく 囲うことなど出来ないのだから。
第2次世界大戦で満州国として統治を考えたのは 結果として投資がかさんだ割に得た利益は少なかったが 戦略的にはあれが正解と思う。
今は中国が台湾を使って インドネシアを始めとする一帯を手中に収めようとしている。
あれも武力や圧力じゃなくて より良いサービス施設を建設し 中国文化や社会システムを浸透させるように仕向けたほうが適切なはずと思う。
No.3
- 回答日時:
秀吉自信は部下からの報告により、朝鮮は服属し、支配下にあると思いこんでいたらしいとういう話があります
秀吉の目的はあくまでも明の征服であり、朝鮮は通り道、昔から付き合いもあるし、日本に朝貢すれば平和に暮らせるぞっていうスタンスだったんですが、実際はこれが上手くいっていませんでした。
要は報告連絡相談(ほうれんそう)に問題(嘘)があったんです、嘘をついたのは小西行長だったかな。
そのため明を攻撃するために支配下である朝鮮を通り道にするはずだった秀吉は、拒否抵抗した朝鮮を攻撃することに切り替えたって訳です。
だから朝鮮「侵攻」ではなく「征伐」なんですね
No.2
- 回答日時:
歴史に"もしも"はありません。
起きたことがすべてです。
“もしも“と言い出せば、何でもありだからです。
もしも○○だったならば、はゲームや空想小説のカテゴリーであり、「歴史」ではないてす。
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征服する気はあったでしょう。
戦線を拡大しすぎて、結果的に撤退になっただけ。
支配には金も労力もかかるといいますが、秀吉にとって朝鮮征伐と九州征伐、関東征伐はどこが違うのでしょうか。
また、他国を征伐したら、その国の大名を廃して新たな大名を封じるのが当時のやり方です。当然、朝鮮半島にもそのやり方を適用しようとするでしょう。
秀吉が家康を関東に封じたように、それなりの実力があり、潜在的に敵になりそうな大名を朝鮮に封じる可能性は充分あったでしょう。
他国の支配を許さないというのは国民国家の考え方であり、国民国家でない当時の李氏朝鮮では義勇軍など生まれようがないです。
秀吉軍は朝鮮南部の城を実際に落としており、落とした後で深追いせず、兵を駐屯させ、大名を封じたら支配完了です。
当時の明は悪政で乱れており、朝鮮南部まで援軍は出せなかったはずです。
秀吉軍は朝鮮半島北部まで攻め入って、そこで明軍と戦争してますね。
割と簡単に首都の漢城(今のソウル)を落としているので、漢城以南の占領支配に限定すれば、可能だったはず。
当時の秀吉・家康のやり方を踏まえれば、朝鮮半島にも封建制を適用する可能性が高いです。
すなわち、朝鮮半島南部をいくつかの藩に分け、有力大名を移封して統治させるのです。
また、抵抗運動が始まるのではないかとのことですが、そういう人は朝鮮北部に移りますので心配いりません。李氏朝鮮は半島北部に残りますので。
朝鮮全土を支配したら明と対峙しないといけませんし、朝鮮人からの恨みも買いますので、リスクが高いです。