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豊臣秀吉の朝鮮出兵ですが、朝鮮の首都(漢城)はすぐに陥落し、次に明軍との戦争になり、明・朝鮮連合軍との戦争になって最終的に撤退することになります。

でも、いくら秀吉軍が強いといっても、さすがに明を征服できる力があったようには思えません。

明との衝突を避け、目的を朝鮮半島南部の支配に限定すれば、目的が達成できた可能性が高いと思いますが、どうでしょうか。
そして、毛利や島津、徳川といった、後で逆らってきそうな大大名を朝鮮南部に配置すれば、邪魔者を追い出せますし、一挙両得のように思います。

質問者からの補足コメント

  • 征服する気はあったでしょう。
    戦線を拡大しすぎて、結果的に撤退になっただけ。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/20 07:57
  • 支配には金も労力もかかるといいますが、秀吉にとって朝鮮征伐と九州征伐、関東征伐はどこが違うのでしょうか。

    また、他国を征伐したら、その国の大名を廃して新たな大名を封じるのが当時のやり方です。当然、朝鮮半島にもそのやり方を適用しようとするでしょう。

    秀吉が家康を関東に封じたように、それなりの実力があり、潜在的に敵になりそうな大名を朝鮮に封じる可能性は充分あったでしょう。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/20 12:40
  • 他国の支配を許さないというのは国民国家の考え方であり、国民国家でない当時の李氏朝鮮では義勇軍など生まれようがないです。

    秀吉軍は朝鮮南部の城を実際に落としており、落とした後で深追いせず、兵を駐屯させ、大名を封じたら支配完了です。

    当時の明は悪政で乱れており、朝鮮南部まで援軍は出せなかったはずです。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/20 12:57
  • 秀吉軍は朝鮮半島北部まで攻め入って、そこで明軍と戦争してますね。
    割と簡単に首都の漢城(今のソウル)を落としているので、漢城以南の占領支配に限定すれば、可能だったはず。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/21 08:50
  • 当時の秀吉・家康のやり方を踏まえれば、朝鮮半島にも封建制を適用する可能性が高いです。
    すなわち、朝鮮半島南部をいくつかの藩に分け、有力大名を移封して統治させるのです。

    また、抵抗運動が始まるのではないかとのことですが、そういう人は朝鮮北部に移りますので心配いりません。李氏朝鮮は半島北部に残りますので。
    朝鮮全土を支配したら明と対峙しないといけませんし、朝鮮人からの恨みも買いますので、リスクが高いです。

    No.10の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/22 08:14

A 回答 (11件中11~11件)

朝鮮出兵は戦国時代に増えすぎた武将の口減らしだよ


征服する気なんか端からない
この回答への補足あり
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