アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

徳川家康はどのような国を目指していたのですか?

個人的な意見でもいいです。
教えてください。

A 回答 (8件)

旗印に書かれていたようなことじゃないかな。


学校の宿題っぽいので、あとは自力で。
    • good
    • 1

幸福の科学の大川総裁は、過去の偉人や現代に生きている有名人など多数の霊言を収録されています。


その中には、徳川家康の霊言もあったように思います。
詳細は覚えていませんが、「戦いの無い平和が続く国を作りたい」という願いを持っていたそうです。
まあ、守護霊とて自分が可愛いし、私たちに好印象を与えたいってことで、実際とは違うことを言うこともあるようですから、どこまで信じるか?そもそも霊言自体を信じないってのもあるでしょうけどね。
    • good
    • 1

基本、家康は「いいとこ取りの人」というイメージなんですね。


もっと言ってしまえば…ナンセンスかもしれないけど
「家康が戦国時代を終えるのは必然だった」という気さえするのです。

信長から始まった系譜があって、それは一つの「プロジェクト」だったと。
本能寺の焼き討ち、光秀がすぐに討たれてしまうこと、秀吉の「中国大返し」の疑問…バタバタと始まって、あっという間に終わってしまった関ケ原など…疑問点が山積みです。
信長と光秀の死は確認されていません(不確実)し…どうにも政治的な色合いが強い気がするのです。

家康は「アンカー」だったのではないでしょうか?。
リレーのバトンを最後に受け取る使命を持っていたと。
彼が「長寿」というものに執拗にこだわった理由というのも、プロジェクトが完成するまでは死ねないという思いがあったからじゃないかと。

「中央集権制」ですよね。
少しずつ遠方の支配者たちの力を削ぎ取って、弱体化させる。
西の大陸由来の権力と、東の蝦夷たちの脅威を抑え込むため、その中間である江戸を新たに開いた。
もともとが広大な湿地帯だった江戸ですから、干拓や水利事業には、莫大な費用が掛かったと思います。
それを拠出させることも、地方の勢力を弱体化させるための布石だったかもしれません。

海外の情報は、信長の時代には中央まで届いていたわけですから、外敵の脅威…軍事だけでなく、経済的支配などの脅威に対しての対策は急務だった。
しかし、外国に対して対抗ができるだけの軍事力も経済力も無い以上は、国内の乱を避け、守備に徹するしかない。
国内の整備が終わった時点で、外国との接触を正式に始めよう、というプランが出てくる。
それほどまでの「先読み」の上に、信長は秀吉と家康らに「計画を継続させるよう」達していたのではないかと思うのです。

「すべては決められていたこと」と、私は思うのですね。
    • good
    • 1

単純に、戦国の世を終わらせたかったのでは。


天下泰平が、一番。
    • good
    • 1

有体に言えば、天下泰平でしょう。


戦国時代は群雄割拠の状態で、取る取られるの繰り返しで戦乱の世の中でしたが、まずはそれを平定して、地方の力を把握して削ぐべく政策を実行したということです。
    • good
    • 1

当時の人間の感覚からいえば、


徳川家の永遠的な繁栄だと思います。

そのためには、平和が第一。

しかし平和だと武士の存在価値が
無くなります。

平和の結果、武士が武士でなくなり
そのため、武士支配政権が崩壊したのは
皮肉です。
    • good
    • 1

豊臣秀吉が成し遂げた!争い事がない世の中!それと同じでわ有りません。

    • good
    • 1

”自分(の家)がずっと日本のトップでいられますように”

    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!