プロが教えるわが家の防犯対策術!

江戸時代の武士は代々跡継ぎが同じような通称名を継ぐのは何故ですか?
例えば、親が仁三郎、息子が忠三郎、孫が勘三郎というふうに
中には明治時代生まれのかたまで、続けられていたケースもあるみたいです

A 回答 (2件)

名前というのは、識別する/識別してもらうためにつけるものです。


コンビニでも、同じ名前の店は多いですし、小売店や工場などでも、農園でも、経営者が代わっても同じ名前で事業を続けるのは、ヒトが替わっても、同じように扱ってもらうためです。
歌舞伎俳優や落語家などでも、前に使われていた名前を襲名して使うことが多くあります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E5%90%8D …

同じということと、違うということとを組み合わて、 太郎、次郎、三郎、史郎、悟朗、陸郎
師信、信清、信明、信辰、信継、信政、信元、信忠、信秀、信遠、信定、信郷、信基、信敬、信時、信光

西郷隆盛のwikiの記載。
西郷家の初代は熊本から鹿児島に移り、鹿児島へ来てからの7代目が父・吉兵衛隆盛、8代目が吉之助隆盛である。
薩摩国薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男。諱は元服時に隆永、のちに武雄・隆盛と名を改めた。幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と順次変更。号は南洲。隆盛は父と同名であるが、これは王政復古の章典で位階を授けられる際に親友の吉井友実が誤って父・吉兵衛の名で届け出てしまい、それ以後は父の名を名乗ったためである。一時、西郷三助・菊池源吾・大島三右衛門、大島吉之助などの変名も名乗った。

長谷川宣以のwikiの記載。
江戸時代中期の旗本で、火付盗賊改方の長である火付盗賊改役を務めた。幼名は銕三郎、あるいは銕次郎。家督相続後は父・長谷川宣雄と同じく平蔵を通称とした。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございます
参考になりました

お礼日時:2019/06/29 22:30

血のつながりが、地位身分を保証するからです。

誰の子かを明示することが重要です。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございます

お礼日時:2019/06/29 19:39

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!