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下記の続きです。
【ハの後ろは否定形になりやすい傾向はあるのでしょうか】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9181606.html
 
 ↑は数年前にした質問です。
 その後、いろいろなかたの意見を訊き、下記の文献があることを教えてもらいました。
 ほかに何か文献やご意見はございませんか。

改訂版【チャレンジ日記──「は」と「が」 資料編】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12342578138.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 次々と有力情報が集まっている。モロモロ追加して、改訂版と(この場合は「と」なんだよなー)します。
 時系列で見ると……。
【1】1992年 青木伶子『現代語助詞「は」の構文論的研究』
【2】1992年 『基礎日本語文法 改訂版』
【3】1996年 野田尚史『「は」と「が」』 
【4】2000年 『初級を教える人のための日本語文法ハンドブック』
【5】【6】2005年 『文法の時間』至文堂 村田美穂子編
【7】2014年 『日本語文法事典』

 以下、要点を。
【1】青木伶子著『現代語助詞「は」の構文論的研究』 尾上圭介
http://db3.ninjal.ac.jp/SJL/view.php?h_id=202159 …
※↑の【5】に「登場する青木伶子氏の著作に対する書評。

(略)

 うーん。
 これじゃマジメに読む気になれない。
「正鵠を射た」なんて書くんじゃない、くらいのことしか書けない(泣)。
 

【2】1992年 『基礎日本語文法 改訂版』 140-141ページ
===========引用開始
7節 否定表現の基本的性格
 否定表現は、それに対応する肯定の事態や判断が成 り立たないことを意味する。否定には、「事態の否定」と「判断の否定」がある。
 普通体の否定形は述語に否定の接辞「ない」を付けて作る。丁寧体の否定形は、「動詞の連用形十「ません」」等を使う。

8節 事態の否定と判断の否定
1 事態の否定には無題否定と有題否定とがある。無題否定は、単にある事態が存在しない、あるいは、しなかった、という ことを表す。
 例(37)雨が降らなかった。
  (38)天気がよくないな。
  (39)田中が来なかった。
 有題否定は、否定の接辞の付いた述語を持つ有題文で表される。普通、 事態の否定は、(37)〜(39)の ように単にある現象の不存在を問題にする場合 より、ある対象に関して、その対象が持つかもしれない属性、経るかもしれない過程、するかもしれない動作が、実際には存在しない、あるいは、しなかった、ということを表す場合が多い。この場合、否定文は有題文となる。否定文で主体がガ格よりも、提題助詞「は」等で表される方が多いのもこの理由による。
 例(40)田中はきのう来なかった。
  (41)この米はおいしくない。 
===========引用終了


【3】1996年 野田尚史『「は」と「が」』 
第21章「暗示的な対比を表す「は」」
「第6節 否定文に使われる「は」」


【4】2000年 『初級を教える人のための日本語文法ハンドブック』
===========引用開始
【これだけは】

〈規則2〉述語が動詞以外(形容詞・名調+だ)のときは通常「は」を使う。
    動詞の場合でも次のときは通常「は」を使う。
    ① 主語が「私」「あなた」(一、二人称)である場合
    ② 恒常的な出来事を表す場合
    ③ 否定文である場合
♦ここから単文における規則になります(なお、複文の主節は単文の場合と同様に考えることができます)。まず、最初の規則は文の種類によるもので、単純に言うと動調文以外では「は」を使うということになります。
ダイヤ動詞文の場合でも①〜③の場合は次の理由から「は」が使われます。
 まず、①ですが、「私」や「あなた」はそれが指しているものが常に了解されている要素です(そうでなければコミユニケーションはできません)。一方、主題はそれについて何かを述べるためのものですから、それが指しているものは明確でなければならず、そのため「私」や「あなた」は主題になりやすいのです。一方、②や③で、「は」が使われるのはこうした場合は文が形容詞文や名詞文と同じく)状態的(属性づけ的)になるためです。
♦なお、規則2から通常「は」を使う場合に「が」を使うと総記の解釈になります(ただし、3の(3)のような形容詞を述語とする現象文や次に述べる否定語を述語とする現象文の場合を除く)。

【もう少し】
♦上述のように、否定文の場合通常「は」が使われ、(6)のように「が」を使うとその「が」は総記と解釈されます。
  (6) 田中さんがパーティーに来ませんでした。
しかし、あるものや出来事が存在しないことを「発見」した場合は次の(7)(8)のように「が」を使ってもその「が」は中立叙述的に解釈されます。
(7)あっ、財布がない。
(8)あっ、かぎがかかっていない。 
===========引用終了


【5】2005年 『文法の時間』至文堂 村田美穂子編
〈また、青木論文では、「は」は肯定文より否定文に現れやすいなど、それまでは経験的にしか言及されなかった部分が、膨大な用例から実証された。〉という結びの一文に注目。【2】と考え合わせると、それまでにもなんとなく認識されていた。しかい、明文化されたのはとりあえず1992年という可能性が高い。
(略)

【7】2014年 『日本語文法事典』
===========引用開始
■ハ 2 [野田尚史]:『日本語文法事典』489-490
 否定文では「は」が使われやすい。肯定文の(34)のでは「ドイツ語が」になりやすいが、否定文の(35)では「ドイツ語は」になりやすい。
(34)田中さんはドイツ語【が】話せます。
(35)田中さんはドイツ語【は】話せません。
 否定文に使われる「は」は、基本的には対比を表すものである。(35)の「ドイツ語は」のように「は」を使うことによって「フランス語は話せる」などの意味を暗示するものである。ただし、否定文の「は」は特に対比の意味がなくても使われることが多い。
参考文献
青木伶子(1992)『現代語助詞「は」の構文的研究』笠間書院
久野(1973)『日本文法研究』大修館書店
丹羽哲也(2006)『日本語の題目文』和泉書院
野田尚史(1996)『〈新日本語文法選書1〉「は」と「が」』くろしお出版
三上章(1960)『象は鼻が長い』くろしお出版

■ハ 1 [尾上圭介]:『日本語文法事典』486
〈否定補足〉
・くじらは魚で【は】ない。
・この地方では夏に雨【は】降らない。
・おしゃべりして【は】いけない。
・きれいに【は】書けなかった。
などの諸用法も、本質的には対比用法の一角にある。(尾上1981)
 「40人集まることはないかも知れない」との対立を意識して「30人一集まる」ことの成立を主張するところに「30人は集まる」という〈極限表示〉用法が成立し,「少し食べた」との対立を意識して「全部―食べなかった」ことを主張するところに,「全部は食べなかった」という〈部分否定〉用法が成立する。
 否定表現は本質的に「対比」を内包しているもので,〈否定補足〉のハは対比用法の一角にある。「くじら」の例は,「魚である」と思いやすいが「魚でない」のだと、対立相手の事態(「魚である」)を一旦意識した上で「そうではなくて」と当該事態の成立を主張するものであり〜
(以下略)
===========引用終了


 うーむ。
 ほぼ全面的に、K氏がFBに書き込んだことを転載している。
【3】1996年 野田尚史『「は」と「が」』あたりは超スタンダードだと思っていた。
 この問題に関して、当方は少なくとも2カ所で質問している。多くの人がコメントとしているが、上記の資料に言及したものは記憶にない。なんででしょ。
A 続【「は」と「が」】──雨が降るそうです/雨は降らないそうです 2009年04月28日
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=42113 …  
B ハの後ろは否定形になりやすい傾向はあるのでしょうか 2016年02月16日
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9181606.html

 下記のNo.3のかたが 『「は」と「が」』野田尚史著 (くろしお出版 1996)の〈『「は」の基本的な性質のまとめ』〉をひいている。しかし、【B】では同書にはノータッチ。
【日本語文法 「は」と「が」の違いについて】2017/06/19
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9803715.html


 こういうしかるべき資料を知ったとき、「大家も自分と同じようなことを考えていた。エッヘン」と考える人もいるらしい。当方はそこまでポジティブではないので、「無知は悲しい」と俯いて唇を噛み締める。
 ただ、大家のご高説を読んでも、「なぜ」は見えてこないのは当方がバカだから?
〈否定文だとハになりやすい〉傾向はあるらしい。そこまで理解して尻尾を巻いてスゴスゴと引き下がるべき? そこから先に進むこと{ハ/ガ}できないのだろうか。

A 回答 (17件中1~10件)

#16です。



> 大前提として、「ハの後ろは否定形にならない」ではなく、「ハの後ろは否定形になりやすい」ですから……。

「ハの後ろは否定形になりやすい」理由が納得できれば、泥沼と感じなくなると思われます。
「ハ構文」に関して【7】の引用部を見る限り、〈極限表示〉用法よりも〈部分否定〉用法が成立することの多い理由が明記されていません。
また、対比用法になりやすい理由も述べられていない。
こうした点で十分な納得が得られづらいのではないですかね。

【2】の説明はたしかに理屈っぽいですが、無題否定よりも有題否定が多い理由が明確に示されている点で納得しやすいかと。
押しつけの印象になったら申し訳ないですが、一応私なりの解釈を補足してみると以下のとおり。

無題否定とは、言ってみれば「いきなりの否定」ですよね。
「いきなりの否定」とは主題提示無しの否定ということであり、「何について否定しようとするのか」という前触れ無しに唐突に否定するというニュアンス。
「前触れ無しに唐突に否定する」ことができるのは、それをやっても良いシチュエーションが整っている場合に限られます。

(37)雨が降らなかった。

と言う場合、たとえば「なぜ今年の稲は不作だったのですか?」といった暗黙の疑問に対応するシチュエーションが整っている必要があるでしょう。
答えは「降らなかった」であり、何がかと言うと「雨」だと特定(限定)している構文。
この「が」は「特定(限定)」用法になるわけですが、【4】で言うところの『総記の解釈』に該当します。
いずれにせよ、「が」による否定(のみに限りませんが)は、何かを特定(限定)しようとする、ある意味特殊なシチュエーションで成立する。
これ(=特殊)が、

(37”)雨は降らなかった。

という有題否定のほうが多い理由だと言ってよいのだと思います。

> 事実に反するか否かは、文法の話とは少し違う気もします。文法的には問題がないけど事実には反する、ということもあるでしょうし。

・くじらは魚で【は】ない。
文法的には問題がないけど、『(事実に反するので)後ろを肯定形にはしにくい印象』を与えるため良い例とは言えない、ということを申し上げた次第。

>「くじらは哺乳類で【は】ある。しかし、他の哺乳類とは決定的に違う特徴をもつ」とか。

おっしゃるとおりで、この場合は(事実ですから)『後ろを肯定形にはしにくい印象』は薄れるはず。
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この回答へのお礼

そういう考え方もできるのかもしれませんね。
 当方には、理屈っぽくてイマイチに感じます。

お礼日時:2019/08/13 21:51

#12です。



> うーむ。
 こういうことを考えていると泥沼に……。

ハの後ろが肯定形になる(少ない)シチュエーションについて、せっかく適確な分析をされているのに、なぜ?

>・くじらは魚で【は】ない。
 後ろを肯定形にはしにくい印象です。

ともおっしゃってますが、肯定形にすると事実に反しますから『しにくい』ではなく「できない」ということにすぎない。
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この回答へのお礼

>ハの後ろが肯定形になる(少ない)シチュエーションについて、せっかく適確な分析をされているのに、なぜ?
 大前提として、「ハの後ろは否定形にならない」ではなく、「ハの後ろは否定形になりやすい」ですから……。

>肯定形にすると事実に反しますから
 事実に反するか否かは、文法の話とは少し違う気もします。文法的には問題がないけど事実には反する、ということもあるでしょうし。

「くじらは哺乳類で【は】ある。しかし、他の哺乳類とは決定的に違う特徴をもつ」とか。

お礼日時:2019/08/12 13:36

>できればそういうことを書いている文献などを教えてください。


文法について書かれていっる本ならすべてそうです。
ただし「れる」は・・・・なんて表現されていません(例 助動詞の「れる」と尊敬語の「れる」がありますなんて表現で)。
都合のよい結果だけ教えてくれるものが、必ずある、とは限りません。
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この回答へのお礼

>文法について書かれていっる本ならすべてそうです。
 そうなんですか。↓の辞書には見当たりません。

>都合のよい結果だけ教えてくれるものが、必ずある、とは限りません。
 そうなんですか。でしたら当方は辞書を信用します。

 で、本題に関してどうお考えなのか、たとえを抜きでわかりやすくお願いできませんか。無理ならあきらめます。

お礼日時:2019/08/10 21:24

>「尊敬」はないのでしょうか


文法の初歩の初歩?。
尊敬の「れる」は助動詞ではなく、尊敬語、です
そんな程度の人に、これ以上の説明叶いません・
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この回答へのお礼

そうなんですか。勉強になります。
 当方は、助動詞の「れる」の働きは「自発」「可能」「受動(受け身)」「尊敬」の4つだと思い込んでいました。
 下記の辞書を見ても、どれもそうなっていますし。
https://kotobank.jp/word/%E3%82%8C%E3%82%8B-661976

>尊敬の「れる」は助動詞ではなく、尊敬語、です
 できればそういうことを書いている文献などを教えてください。

 で、本題に関してどうお考えなのか、たとえを抜きでわかりやすくお願いできませんか。

お礼日時:2019/08/07 20:28

助動詞「れる」文法では、自発、可能、受動、とあります。


紐が切れる→ごく一般的な表現の場合ですが(紐が勝手に切れる)、自発に該当。
ハサミで切れる→上と同様一般的には(切ることが可能、可能に該当)。
後ろから押される→上と同様一般的那覇(何かの影響を受ける)、受動。
でも文法なんか知らない小学生でも、ちゃんと意味は理解できるはずです、日本語を知らない外人は、たぶん無理。
そこで、例えばですが、紐切れ=自発、ハサミ切れ=可能、押され=受動、として記憶して理解しようとします。
そんな場合でも、
①自発とは?、可能とは?、受動とは?、の意味なり定義のようなものが必要ですね
質問者は、日本人ですね、本来は紐切れ、とかハサミ切れ、押され、・・・すべての表現にこんな略称なり名前を付ける必要になります。
でも小学生にそんな略称や名前を伝えるより原文そのまま伝えれば十分伝わり早いですね。
文法の試験問題で回答しようとすると、自発、可能、受動の言葉の知識が必要になりますね。
でも①の内容が十分理解できていないと、回答のしようがありませんね、そこで外人さんの真似?、すべての表現に特定可能なレッテルを貼ろうといているにすぎません。
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この回答へのお礼

えーと。

>助動詞「れる」文法では、自発、可能、受動、とあります。
「尊敬」はないのでしょうか。

 で、本題に関してどうお考えなのか、たとえを抜きでわかりやすくお願いできませんか。

お礼日時:2019/08/05 21:19

#9です。



> 個人的には、【2】は理屈っぽくてイマイチです。

同感ですね。

>【7】のほうがすんなり納得できます。
 時期的にもこれが最新ですし。

否定文で使われやすいのは確かなので、理由は、それぞれの感覚で納得できるものが一番でしょう。
個人的には、
(35)ドイツ語【は】話せません。
という表現が、
(35-1)ドイツ語【が】話せません。
という表現より多い理由が、「対比」や「部分否定」で説明できるとは思われないので【2】を優先した、ということになりますかね。
(35-1)の「ドイツ語が」のように「が」を使うことでも「フランス語は話せる」などの意味を暗示することはできると思うからです。

〈否定補足〉についても、
・この地方では夏に雨【が】降らない。
・おしゃべりしてたあなた【が】いけない。
・花子だけ【が】書けなかった。
といった表現が特に少ないとも思われませんし。
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この回答へのお礼

No.11のかたへの返信をご参照ください。

お礼日時:2019/08/11 10:18

■ハ 1 [尾上圭介]:『日本語文法事典』486


〈否定補足〉
・くじらは魚で【は】ない。
・この地方では夏に雨【は】降らない。
・おしゃべりして【は】いけない。
・きれいに【は】書けなかった。
などの諸用法も、本質的には対比用法の一角にある。(尾上1981)

「は」と否定が無関係でないことが、上から分かります。
むしろ、「は」と「否定」がコンビになった言い方である。

上記を利用して言うなら、次のような言い方<は>ない。

・くじらは魚で【は】ある。
・この地方では夏に雨【は】降る。
・おしゃべりして【は】いい。
・きれいに【は】書けた。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

 そうか。そういう方向から考えることもできるのですね。
 当方は、【は】と【が】の互換性のほうを考えていました。
〈否定補足〉のうち下記は、やはり【は】と否定がセットのような気がします。
・くじらは魚で【は】ない。

 後ろを肯定形にはしにくい印象です。
 ただ、下記はちょっと違うような。

・この地方では夏に雨【は】降らない。
 ↓
・この地方では夏に雨【が】降らない。
 ※アリでしょう。近くにある【は】も影響しているような。
・この地方では夏に雨【は】降る。しかし、全国平均よりはずっと少ない。

・おしゃべりして【は】いけない。
 ちょっとかえます。
・おしゃべり【は】いけない。
・おしゃべり【が】いけない。

・きれいに【は】書けなかった。
・きれいに【は】書けた。でも時間がかかりすぎた。

 うーむ。
 こういうことを考えていると泥沼に……。

お礼日時:2019/08/05 21:16

>何を何にたとえて、何を主張なさりたいのでしょう


リンゴ赤、信号機赤...がそうです、リンゴと物の赤色の名前が付けられれば、何とかなりますが・・・。
緑み黄味青、なんて名前を付けたら
色に例えれば、色相環というのを知っていますか、赤から左に回るにつれ橙、黄、緑、青、紫、赤と一回りする色の表示です。
赤と黄が混ざると橙色。黄と青が混ざると緑・・・・・・・。
青と緑が混ざると、青緑。
では青緑と緑が混ざると?、緑味青緑?、さらにそれに緑が混ざると?・・・・きりがありませんね。
あなたのやっていることは、言葉について似たようなことをやろうとしています。
現実の会話等で色の話をするときは、そんな細かい色の名前が使いませんね、植物の話しているときなら植物の緑を双方が思い浮べます、そしてその場の判断で最も適当な色に絞りこみます。
AI導入以前のコンピュータでは、そんなことはできなかったでしょう、多分色相番号○番の色、なんて風に特定しないと。
わずかでも相違があれば、同じと認識できない、以前のコンピューターがそうでした、そんなコンピューターと同じ程度の働きだから、悩みます。
と言うことなので、たとえ話をしたところで、まったく異なるものの話になり、そんなタイプの人では理解できるのか疑問です。
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この回答へのお礼

うーん。
 やはり、何を何にたとえて、何を主張なさりたいのかサッパリわかりません。

 で、本題に関してどうお考えなのか、たとえを抜きでお願いできませんか。

お礼日時:2019/08/04 17:24

個人的には【2】の、


【8節 事態の否定と判断の否定
1 事態の否定には無題否定と有題否定とがある。無題否定は、単にある事態が存在しない、あるいは、しなかった、という ことを表す。 】
が面白いと思います。基本的に、ここに収束するのではないかと。
特に、

普通、 事態の否定は、(37)〜(39)の ように単にある現象の不存在を問題にする場合 より、ある対象に関して、その対象が持つかもしれない属性、経るかもしれない過程、するかもしれない動作が、実際には存在しない、あるいは、しなかった、ということを表す場合が多い。この場合、否定文は有題文となる。否定文で主体がガ格よりも、提題助詞「は」等で表される方が多いのもこの理由による。

という説明部分。
ただ、表現が若干ややこしいので、自分なりに少し咀嚼してみます。

『(事態の否定が)単にある現象の不存在を問題にする場合』の例として、
 (39)田中が来なかった。
を挙げていますが、この文は、
『単に「来る」という現象の不存在を問題』にしている、と言っている。
・田中に【関して】述べるのが本質的な趣旨ではない。
という点に思いを致せるかどうかが鍵と思います。
「来なかったのは誰か?」という暗黙の質問に対応した仮の答えという形であることから考えると分かりやすいかもしれない。

続く、『(事態の否定が)ある対象に関して、その対象が持つかもしれない属性、経るかもしれない過程、するかもしれない動作が、実際には存在しない、あるいは、しなかった、ということを表す場合』の例としては、
(40)田中は(きのう)来なかった。
が挙がっている。
そして、これは、
『ある対象(=田中)に関して、その対象(=田中)がするかもしれない動作(=来る)を、実際にはしなかった、ということを表す場合の文である。』
と言っている。
本質的には、「田中はどうしたか?」について述べている文である、ということです。
まとめると次のように解釈して良いかと。

《「事態の否定」というものは、たとえば「来る」という動作自体を単に否定する意図よりも、ある対象(たとえば「田中」)に関して、ある動作を否定するという意図で使われる場合が多いのは当然と言える。
なぜなら、「来なかったのは誰か?」という暗黙の質問が発生する頻度よりも、「(誰かに関して)来たか来なかったか?」という暗黙の質問が発生する頻度のほうが高いと想定して良いと思われるから。
ある対象(たとえば「田中」)に関して述べる形になるので、主題提示の係助詞「は」が使われる場合が必然的に多くなる》
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

 個人的には、【2】は理屈っぽくてイマイチです。
【7】のほうがすんなり納得できます。
 時期的にもこれが最新ですし。

お礼日時:2019/08/04 17:22

>こんな違いを習得する方が重要です、応用も自由にできます。


 など考えたら、ずーっと昔に逆戻りすることになります。
それをあなた自身が選んだことに気付いていません。
現在の文法を体系づけた言語学者、たぶん非常にたくさんの言葉、表現を集め、分析したはずです(今のあなたもそうですね、たくさんの例をあなたなりに分析した結果でしょう)。
それを分類して、それぞれ名詞、動詞・・・等の品詞名、主語、述語、目的語、各助詞は何の表現を助けるのか(例、受け身、可能、自発・・・・)。
ここで使われる言葉、通常使う場合と同じに考えると混乱します。
例えば、目的語、ふつう目的といえば、まず目標を思い浮かべます「海に落ちる」なんて表現の場合は、目標、海、そこに落ちる。なんとなく理解はできます。
でも、目の前を通りすぎる、の場合は目標、目の前、通りすぎる、なので本当にそれが目標?、と感じるはずです、目的の意味を拡大して解釈する必要があります。
それができない人は、そんな場合の目的語に、都合のよい○○的目的語、なんて名前を付けて区別して理解しようとします。
名詞的形容詞とかいうのも見たことあります。
何のことはない、先人がせっかく分類して体系づけたものを、逆にさかのぼっているだけです、そしてさかのぼる毎に新しい名前で表現しています。
非常にたくさんある、表現方法に逐一名前を付ける作業をしているだけです。
ある文章を見たとき、まず上で付けたの名前と一致する表現を探し、その名前の付いた表現の説明の通り解釈すれば、機械的に文章の理解ができます。
この機械的に理解できる、が最大の魅力なんでしょう、頭を使って考える必要がないので。
でも、名前の付いた表現、すべてを記憶する必要がある、それを検索して一つを選び出す必要がある、この作業は人の頭では非常に困難です、コンピューターは得意ですが。
昔に戻るだけ、昔とは基本的な文法のことですね!。
戻るだけ、ではなく戻るべし、なんです。
質門者のやろうとしていることは、昔(文法の基本)のさらに昔に戻ろうとしいています、行き着く先は膨大な量の表現例です、その個々の表現例に、そのまま解釈の言葉として使用できるレッテルを貼り付けようとしているだけです。
※一般に「赤」と言われる色も、赤いリンゴの赤と、赤信号の赤、赤いチューリップの赤・・・・、同じではありませんね、そこでリンゴ赤、信号機赤、チューリップ赤・・・というレッテルを貼ろうとしているのと同じです。
リンゴの話しているとき、「赤いリンゴ」で信号機の赤を想像する人はいないと思いますが、それをやってしまいかねない人には、リンゴ赤、と言ってやる必要がありますね。
このたとえ話が理解できるなら、なんとばかばかしい・・・・と気づくはずなんですが?。
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この回答へのお礼

>このたとえ話

 もう少しわかりやすくお願いでしませんか。
 何を何にたとえて、何を主張なさりたいのでしょう。

お礼日時:2019/08/04 09:58

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