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現代は魂とか霊とか古い言葉はあまり使わないようですが

そのようなものは無いのでしょうか?

神とか仏はどうでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

言葉に成るものは全て存在しているでしょう


ただこれらは物質ではないので
唯物主義の現代人には受け入れ
られないのです。
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この回答へのお礼

ありがとう

物質も物質でないものも存在しています。

唯物論者は心を忘れ、見かけだけで判断したりします。

その割には資本主義社会では 人を金になるかだけで判断します。

ヒューマンビーイングとか関係ないのです。

お礼日時:2019/08/13 21:06

赤ちゃんネタ



要るかな?

魂を蹴りあげたくなりますね!
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この回答へのお礼

ありがとう

それは失礼しました。

つまり魂はは別として 認識はあるということですね。

暑くて頭が着いて行かんです。

お礼日時:2019/08/13 14:03

うんうん



そりゃ
赤子を蹴りあげたら
駄目だよ


でも、蹴りあげてはいけないなんてな言葉から
赤子を蹴るなんてな
認識を知ってしまい

蹴りあげてしまう何てな事も考えられますね

知らぬが仏ってより

仏ほっとけ

てな言葉もありますよ
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この回答へのお礼

ありがとう

仏ほっとけ 人間があれこれしなくても仏の智恵は生きている

仏ほっとけ 自分を生きろと言うようなことでしょうか?

赤ちゃんを蹴り上げるのは見たくないですねえ。

お礼日時:2019/08/13 13:25

万物を生み出す「究極の実在」ないし「究極の法」というものの存在を


人類は直観的に思いを馳せ、何千年も前から、いや、ひょっとすると、
はるか昔から思索を重ねてきたのかもしれません。

天地創造の神を、比喩的表現をされた「究極の法」と解釈するなら、科
学的に否定も肯定もできないのでしょう。

また、「仏」というものを、その「究極の法」を悟った人とするならば、
人間がそういうことをできるとも、できないとも科学では結論を出すこ
とはできないはずです。

脳科学で、脳が次々と解明されているイメージはありますが、一体全体の
どこまで解明されているのか、分かる人はいないでしょうし、精神のこと
に至ってはほとんど分かっていないと思うからです。

ですから、神仏を否定するということは全く科学的ではないと言えるでし
ょう。
否定するとしたら、その根拠は「そんなことあるわけがない」ということ
以外にないということになると思います。

科学を良く理解する人たちは、そのことをよくご存じだと思います。その
ことに興味のない人も多いのでしょうが、私としては、あれこれ考えてゆ
きたいのです。
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この回答へのお礼

Thank you

神や仏は精神的な生き物みたいなものですかね。

そうすると精神も同じ様なものだと思うのですが

神の存在のスケールは人それぞれに思っているようです。

この宇宙そのものが神という人もいれば

それを見てその法則を会得した人が神と言う人もいる。

宇宙は宇宙 人間は人間 神ってなんなんでしょうねえ?

お礼日時:2019/08/13 13:23

認識に寄る


てな話ですね

知らなきゃ
知らない間な事柄ですもんね!
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この回答へのお礼

ありがとう

知らぬが仏 というのは大概良くない事があります。赤ん坊をサッカーボールのように蹴り上げてはいけません。

知らぬ存ぜぬというのは良くないことが多いです。

お礼日時:2019/08/13 11:45

お前神経通ってないんか?

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この回答へのお礼

神を信じてるのですか?

お礼日時:2019/08/12 23:53

神経は見ることができるのでありますね。


神経細胞同士間では脳内化学物質(セロトニン・ドーパミン・ノルアドレナリンなど)がシナプスという間隙を介して交通する。
それらのデータを最終的に判断して体内各所に指令を出す最上位脳が前頭葉と呼ばれる部位。
ここの判断次第で人間の気持ちや意志などが左右される。
精神・心は脳の前頭葉という部位にある、と言って良さそうです。
実際問題、前頭葉が傷つくと人間としての精神・心は失われます。
以上は科学的にも「ある」と言ってよいと思われるものです。

魂・霊に関しては、
「ある」
空間的・時間的に事物が存在する、感覚や感覚を超える形で事物の存在が認められる意。
(明鏡国語辞典)
という辞書語釈を参照する必要があるかと。
科学的に「ある」とは言えませんが、『感覚や感覚を超える形で事物の存在が認められる』と本人が信じ込んでいれば、それは「ある」と言わざるを得ませんね。
「無い」と断言できない以上、論理的にそういうことになるでしょう。
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この回答へのお礼

Thank you

魂も霊も何かあるのでしょうねえ。でも人間が壊してしまったものもあるでしょうね。

また新たにAIが精神や魂を持つかもしれません

どうもありがとうございます。

お礼日時:2019/08/12 21:01

分子生物学でノーベル賞を受賞した


利根川進教授は、魂など存在しない、と
断言していますね。
ワタシも存在しないと思います。
どこまでいってもタンパク質とアミノ酸があるだけ。

精神は存在しますよ。
脳細胞が織りなすネットの産物として。

霊は存在しないと思います。
あれは、脳が作り出す幻覚でしょう。
脳にある種の電磁波を照射することにより
霊を見せることに成功しています。

神については、神をどう定義するか
ですね。
人間より優れた存在、という意味なら広い宇宙
です。
どこかにいる可能性はあります。
しかし、宗教家が云うところの神は存在しないと
思います。
存在するとするには、矛盾が多すぎます。

仏は仏陀のことであれば、その存在は認められて
いるのではないですか。
悟った人、という意味なら、そんな人はいないと
思います。
悟った演技をしている人はいるでしょうが。
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この回答へのお礼

Thank you

色々なご意見ありがとうございます。

神と一言に言っても色んな紙がいますから

信じてる人には魂のようなものでしょうね

私は魂はあると思っています。

でも魂の認識も人それぞれだと思います。

私も霊と言う言葉は使いませんが 使う人は何らかの生命の働き

人間の働き 脳の働きを一体に見たりして言っているのでしょう

無意識も動植物の働きも何でも 性質 の働きとして霊と言うのでしょう。

脳にもたんぱく質やアミノ酸も沢山あるのではないでしょうか。

お礼日時:2019/08/12 20:56

haru27さん こんにちは



たましーやおばけは存在します。

>認識が存在に先行する。ですよね。

私達は、現在を認識できません。でも、夢は認識できます。
私達がおばけを観るのは、夢枕におばけがいる時です。
たましー=心は他の生き物に投影することでしか認識できません。

よって、観えないものは現実には認識できなくて、夢や他の物に写して認識できます。
だから、現実とは夢や投影された影の事なのです。

胡蝶の夢はある。
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この回答へのお礼

Thank you

大体仰る通りだと思いますが

魂やお化けは夢の中にいるのでしょうね その人はお化けを認識したのです

認識したら在るというのがコペルニクス的転回でしょうね。

しかし私は 対象が在るから認識し 認識したから対象は存在する

実態のある存在と 概念だけの存在がありますから

我々精神は概念だけの存在でしょう

その活動のエネルギーには脳を中心とした様々な六根や教えや思い付きや経験などが在るでしょう。

星空も道徳律も存在するとカントは考えていたのだから立派なもんです。

お礼日時:2019/08/12 20:35

木造大学は落第ですって。

一緒に落第しましょうか(笑)。

>認識が存在に先行する

で納得するのが、おそらく日本の大学で教わるレベルなのでしょう。

大人の自由大学は、認識・存在・精神などを、もっと深く知ろうという
レベルなんだと思います。
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この回答へのお礼

Thank you

大学の哲学が哲学者研究ばかりして 哲学する余裕がないのは残念です。

認識が存在に先行するのではなく存在が認識に先行するの方が正解なのです。

認識する前からあったものが殆どで 生まれてやっと認識するのです。

お礼日時:2019/08/12 20:03

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