ショボ短歌会

先に、<格助詞「で」「に」理解の誤り>
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11241370.html

を提起しましたが、「に」と「へ」も格助詞とは何かをまず正しく理解しないと、混乱し曖昧になるしかありません。

これには、次のような質問、回答がなされています。

<「に」と「へ」の違い>
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6910171.html

>>そこで、
 (1)「に」と「へ」の文法上の違い。
 (2)「に」と「へ」を置き換えられないケースはどういう場合があるか。
 についてお尋ねします。

これにたいし、一応BAが選ばれていますが、質問者は疑問を抱いたままに終わっています。

>>しかし回答で示された例は移動を伴っても「へ」は適用できず、「に」しか適用できないものがあるのに気づき混乱しています。
その最たるものは「12時にかえる」ではないでしょうか?
「かえる」は完璧に移動を伴う動詞です。が、「12時へかえる」とは言いませんね。/

たしかに、「12時【へ】かえる」とは言えません。

<格助詞「で」「に」理解の誤り>でも指摘したように、

助詞「に」の意義は場所を表わすのではない。

のです。同様に、「ヘ」自体が方向を表したり、「に」自体が目的地を表わすのではありません。この誤りを正さないと正しい理解ができません。

では、格助詞「に」は何を表わすのかといえば、

時間的・空間的な位置付けの《意識》を表します。

家【に】いる。
机の上【に】ある。
5時【に】会議が始る。

これらは、「へ」に替えられません。固定した繋がりとしての意識ですが、運動し変化したことを意識して位置づけする場合もあります。

まっすぐ行くと駅【に】出ます。
父【に】めぐりあう。

のような、「行く」という移行の結果「出る」対象の位置付け、「めぐりあう」という二人が並んでいない状態から、並ぶ状態への移行の過程を含んだ空間的な位置付けの認識を「に」で表わしています。

私は立派な人間【に】なりたい。
この本を彼【に】送ろう。
下【に】居ろう。

これらは、属性の移行、所属の移行、場所的な移行です。

◆「に」と「へ」の関係

京都【に】行く。
京都【へ】行く。

「に」が移行の過程を含んだ位置付けの認識であるのに対して、「へ」は移行の方向についての意識です。この二つは移行としての共通点がありまた差別もあります。

どうかこちら【へ】。
向う【へ】向けてくれ。

はハッキリした方向にいての意識ですが、

京都【に】行く。  友【に】贈る。
京都【へ】行く。  友【へ】贈る。

の場合は、移行としての共通点の意識が強く出て、同じように使われています。

このように、対象→認識→表現の過程的構造を捉えることなく、助詞が客体自体を表わすかのような錯覚に陥り、同様の発想の辞書類を持ち出し、あれこれ並べ替えたところで何の解決にもならず、同じ問題を蒸し返す他ないことになります。

このような正しい助詞の理解が重要と考えますが、いかがでしょいうか。■

質問者からの補足コメント

  • ムッ

    >>辞書が、こまかい語釈(意味・用法)を解説しているわけです。

    辞書は誤っていると先に指摘していますが。

    「に」は多義だと言われているのでしょうか。

    都合の良い説明を毎回持ちだしても「に」の意義ではありません。■

    No.11の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/08/20 20:40

A 回答 (16件中1~10件)

#15です。



>以前から何度も提示していますが?

せめて私程度にはわかりやすく表現しないと意味がありません、と申し上げた次第です。
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この回答へのお礼

そうですね。

少し考えますが、これまでの応答を見ると、どうしていいのか困惑します。■

お礼日時:2019/08/23 10:46

#13です。



>意義でないから間違いだと言うなら、辞書の例文をご自分で意義的に説明なさってみればよろしいだけですよ。
⇒以前から何度も提示していますが、思い込み、パラダイムに捉われて理解できないというだけです。
主体的表現の語とは何かを理解出来ないレベルでは已むをえませんが。

要するに、『辞書の例文をご自分で意義的に説明』することは、アスナロウさんにはできない、ということなのですね。
無理を申し上げてしまい申し訳ありません。
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この回答へのお礼

>>『辞書の例文をご自分で意義的に説明』することは、アスナロウさんにはできない、

以前から何度も提示していますが?■

お礼日時:2019/08/22 12:24

#12です。



>いよいよ本音が出ましたね。
>分かり易ければ嘘でも誤りでも良いということですね

『本音』ではなく「本当のこと」と表現するのが正しい日本語。
仮に、あくまで仮にですが、アスナロウさんのおっしゃることが本当のことだとしても、
せめて私程度にはわかりやすく表現しないと意味がありません、と申し上げた次第です。
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この回答へのお礼

早速の応答をありがとう御座います。

>>あくまで仮にですが、アスナロウさんのおっしゃることが本当のことだとしても、

仮にではなく、論理的に正しい展開をしているので、誤りがあれば指摘して下さいということです。

>>せめて私程度にはわかりやすく表現しないと意味がありません、と申し上げた次第です。

中学高校生を相手にしているつもりはなく、厳密性を犠牲にし、冗長になり、つまらない揚げ足取りを避けるようにしています。
中校性であれば、もっと素直で、捻くれた悪態はつかないのですが。

この程度のことは、当方が指摘した関連書物を読み込み、論理を理解し論理的な反論をお願いしたいということです。■

ものごとには、限度があります。■

お礼日時:2019/08/22 09:44

#12です。


補足拝見。

>辞書は誤っていると先に指摘していますが。
「に」は多義だと言われているのでしょうか。
都合の良い説明を毎回持ちだしても「に」の意義ではありません。

『「に」は多義』ではなく、「着点を表わす」という意義である、と千回ほど申し上げているはずですが?(笑)
ただ、それを理解できない方のために辞書が懇切丁寧にかみ砕いて、様々な場面に適用することで意義(の一面)を伝えているわけです。
アスナロウさんの理解に資するものに対して間違いと決めつけるのはいかがなものですかね。
意義でないから間違いだと言うなら、辞書の例文をご自分で意義的に説明なさってみればよろしいだけですよ。
できますか?
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この回答へのお礼

早速の応答をありがとうございます。

>>意義でないから間違いだと言うなら、辞書の例文をご自分で意義的に説明なさってみればよろしいだけですよ。

以前から何度も提示していますが、思い込み、パラダイムに捉われて理解できないというだけです。

主体的表現の語とは何かを理解出来ないレベルでは已むをえませんが。■

お礼日時:2019/08/21 16:44

#11です。



>ただ、本質的な意義は、あくまで着点。
⇒論証もなく、都合の良い結論だけを述べてもどうしようもありません。

論証以前の、ごくごく当たり前の論理に基づく認識です。
「に」という「語」を発するアスナロウさんには、こうした主体的で無意識的な意図が働いている、ということです。

【判断、意志、感情等を客体化することなく直接表現した主体的表現の語】というのが「に」の意義だ、と言うのとどちらがわかりやすいかお考えになってみるとよろしいでしょう。
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この回答へのお礼

いよいよ本音が出ましたね。

>>どちらがわかりやすいかお考えになってみるとよろしいでしょう。

分かり易ければ嘘でも誤りでも良いということですね。■

お礼日時:2019/08/21 16:55

#10です。



>a:「先【に】食べます。」
の場合、着点では無いと思いますが。

そういう方のために、辞書が、こまかい語釈(意味・用法)を解説しているわけです。
上記の場合は、
㋘ 動作・作用のあり方や付帯的な状況を表す。(明鏡)
などが該当するでしょう。

・あなたより先に(という状況で)食べます。

という意味。
ただ、本質的な意義は、あくまで着点。
・「(あなたよりも)先」という時点に密着した状態で、「食べる」という動作が行われることを意図している。

>それに、主体的表現の語とは何と考えられているのでしょうか。

「主体的表現」はアスナロウさんい教えていただいた語ですが、「着点を表わしたい」という主体的意図を「に」という助詞で表すことができる、ということだと思っております。
違うようでしたらご指摘を。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

早速の応答を有難うございます。

>>ただ、本質的な意義は、あくまで着点。

論証もなく、都合の良い結論だけを述べてもどうしようもありません。

>>「着点を表わしたい」という主体的意図を「に」という助詞で表すことができる、ということだと思っております。

どこで、そんな回答をしたでしょうか。この意義が理解できていないために、助詞、助動詞の意義が理解できていないと指摘しているにもかかわらず、今どき何をかいわんやです。

「主体的表現」

規範としての語の意義は話者に対する客体を概念化したものか、話者の主観に生まれた判断、意志、感情等を客体化して概念化した客体的表現の語と、客体の認識により生まれた【判断、意志、感情等を客体化することなく直接表現した主体的表現の語】に区分されます。

この客体的表現の語と主体的表現の語の組合せにより、話者の個別の認識が文、文章として表現されるもので、この表現された文、文章と話者の認識、さらにそれを生み出した対象との関係が意味になります。

この、語の規範としての意義と文、文章に表現された意味は相対的に独立しており、これを混同して議論するため、質問者はじめ、他の回答も混乱しています。/

ということです。■

お礼日時:2019/08/20 09:37

#9です。



>【「に」という主体的表現の語】が使われているわけだから
⇒これは、結果論にすぎません。
問題にしているのは、何故「に」が使用されたかで、そのためには語「に」の意義を明らかにする必要があります。

a.
・京都【に】行く。
という文において、
何故「に」が使用されたか?

b.
語「に」の意義とは何か?

これがおわかりにならない、ということですか?
これは意外でした。
以下に、答えを改めてお示ししておきましょう。

a.
『移行した先の京都という着点に着目する』から。

b.
「に」の意義とは=着点を表わす。

ご理解いただけたでしょうか?
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この回答へのお礼

早速の応答をありがとうございます。

a:「先【に】食べます。」
の場合、着点では無いと思いますが。

それに、主体的表現の語とは何と考えられているのでしょうか。

全く理解できません。■

お礼日時:2019/08/19 22:16

#8です。



>全く理解不能です。動作=主体的なもの?

・京都【に】行く。
という文において、
「に」という助詞が主体的表現であることをご存知なら、
『移行した先の京都という着点に着目する』という動作は、【「に」という主体的表現の語】があるわけだから、主体的なものであることは理解できるのではありませんか?

という文でも、まだ文意が理解できなかったということのようですね。
さらに言い換えてさしあげましょう。
『動作=主体的なもの』とは言ってません。
主題提示の「は」は、新たな「は」が登場するまでは、基本的に同一主題が継続的に適用されるということを覚えてください。

・京都【に】行く。
という文において、
「に」という助詞が主体的表現であることをご存知なら、
『移行した先の京都という着点に着目する』という動作は、【「に」という主体的表現の語】が使われているわけだから、『移行した先の京都という着点に着目する』という動作は主体的なものであることは理解できるのではありませんか?

ということです。
ご理解いただけたでしょうか?
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この回答へのお礼

早速の応答ありがとうございます。

>>【「に」という主体的表現の語】が使われているわけだから

これは、結果論にすぎません。

問題にしているのは、何故「に」が使用されたかで、そのためには語「に」の意義を明らかにする必要があります。

話者の個別認識と規範による媒介の構造を正しく捉えなければなりません。

これを理解することなく、思い付きを並べても何の意味もありません。■

お礼日時:2019/08/19 07:27

#7です。



>動作が主体的なもの
⇒?。主体的表現の語ということですが。

【「に」という】助詞が主体的表現であることをご存知なら、
『移行した先の京都という着点に着目する』という動作が主体的なものであることは理解できるのではありませんか?

という文では理解できなかったということのようですね。
言い換えてさしあげましょう。

・京都【に】行く。
という文において、
「に」という助詞が主体的表現であることをご存知なら、
『移行した先の京都という着点に着目する』という動作は、【「に」という主体的表現の語】があるわけだから、主体的なものであることは理解できるのではありませんか?

ということです。
ご理解いただけたでしょうか?
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この回答へのお礼

早速の応答を有難うございます。

>>動作は、【「に」という主体的表現の語】があるわけだから、主体的なものであることは理解できるのではありませんか?
ということです。
ご理解いただけたでしょうか?

全く理解不能です。動作=主体的なもの?
もう少し用語は厳密に使用しましょう。
語の意義の話しをしているのですが。■

お礼日時:2019/08/18 21:34

#6です。



・hakobulu⇒「に」という語の(主体的)意義について述べているわけです。
・アスナロウ⇒この、(主体的)というのは、具体的に何を言われているのでしょうか。
思い付きの用語を次々に並べられても混乱するだけです。
・hakobulu⇒助詞・助動詞は主体的表現じゃないのですか?
・アスナロウ⇒それで?

『それで?』???
さすが文脈を読み取れない方のご質問だな、と感心しているところです。

『「に」という語の(主体的)意義について述べているわけです。』という私の発言に対して、
『この、(主体的)というのは、具体的に何を言われているのでしょうか。』とおっしゃるので、

【「に」という】助詞が主体的表現であることをご存知なら、
『移行した先の京都という着点に着目する』という動作が主体的なものであることは理解できるのではありませんか?

と申し上げている。
正しい文脈の理解が重要と考えますが、いかがでしょうか。
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この回答へのお礼

>>動作が主体的なもの

?。主体的表現の語ということですが。■

お礼日時:2019/08/18 15:35

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